新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



メンヘラとワーカホリックと、4月に鬱になる理由

僕のお気に入りの本の一冊に、山竹伸二さんの『「認められたい」の正体』があります。

(多分このブログで「他にネタはないのか!」って言われるくらいに引用している本です 笑)

人の認められたいを満たすには周囲からの承認が不可欠なのですが、本書では①親和的承認と、②集団的承認という2種類の承認を紹介しています。

①の親和的承認とは、家族や恋人から与えてもらうタイプの承認で、何かの見返りでえるものではなく、決して尽きることのなく与えてもらえます。

一方で、家族や恋人といった特別な間柄であるからこそ与えられるものである親和的承認は、自分が望んだ時に臨んだだけ得られるものではありません。

②の集団的承認は、自分が所属する組織に対して何らかの貢献をすることで得られる承認で、こちらは自分が行動さえすれば欲しい時に欲しいだけの承認が得られます。

ただし、①とは違い自分が行動したことに対する承認であるため、集団的承認を得るには自分が貢献するという対価が必要です。

僕はこの2つの承認という考え方が非常に面白いなと思っています。

そして、この2つの承認という観点から見ると、ワーカホリックとメンヘラという2つの症状を言語化できると思うのです。

 

ワーカホリックとメンヘラの原因と共通点

 

ワーカホリック(仕事中毒)と精神的に不安定になるメンヘラという状態は、一見すると全く違うものですが、「承認」という観点で見た時、実はどちらも同じところに原因があると考えています。

つまりどちらも承認欲求のバランスが崩れることで起こる症状だと思うのです。

 

もともと人は親和的承認と集団的承認のどちらも求めています。

そして通常の場合、そのどちらもがバランスよく満たされている。

しかし、何らかの要因によってどちらか一方の承認が絶たれる(あるいは著しく減少する)と、人は満たされない「認められたい」という欲求を充足させようと、もう一方の承認で足りなくなった承認分までを満たそうとします。

これがワーカホリックであり、メンヘラであると思うのです。

 

何かの原因で得られなくなった分の親和的承認を集団的承認で補おうとして生まれるのがワーカホリックです。

彼らは無償の愛のように、本来は自分が何らかの行動を起こさずとも得られたはずの欲求が得られないため、その分まで仕事やサークルや趣味の仲間など自分の所属するコミュニティに奉仕することで親和的承認の不足分を補います。

そのため周りからみると、「非常に頑張っている人」や「仕事が大好きな人」に見えるわけです。

反対に、何らかの原因で仕事を始めとするコミュニティに所属できなくなってしまい、集団的承認が得られなくなってしまった分を、親和的承認で補填しようとする場合になるのがメンヘラです。

集団的承認は何かしらの貢献の対価として得られるものなので、その貢献ができなくなってしまえば、当然補給路は絶たれてしまいます。

その分を親和的承認で補おうとするのですが、前述の通り、この承認は周囲から与えられる贈与のようなものなので、こちらでその分量を調節することはできません。

だから、それを無理に得ようとして、相手は過剰な要求をしたり、時に(身体的精神的に傷つけるという意味で)自傷行為及んでそれらを集めようとするのです。

 

両者のアプローチと得られる承認の性質が違うため、ワーカホリックとメンヘラはまるで違う性質のように見えますが、「いずれかの承認の不足を補おうと無理をする」という観点で見れば、同じカテゴリの問題だと思うのです。

 

4月に鬱が増えるわけ

 

4月は気持ちが落ち込みやすい季節だなんて言われますが、ワーカホリックやメンヘラが、親和的承認か集団的承認が何らかの形で絶たれることで起きる現象であると考えると、4月に気持ちが落ち込む安いことも納得ができるようになります。

4月になると多くの人が職場や学校での役所や所属が変わる、もしくはそもそも一人暮らしになったり単身赴任となったりといった形で生活スタイルが変わります。

このときに、それまで得られていた親和的承認なり集団的承認が絶たれてしまうことが非常に多いのです。

例えばそれまでは家族と暮らしていたのに、突然4月から上京して一人暮らしになれば、当然それまで得られていた親和的承認はゼロになります。

それを満たそうとしても周囲に気のおけない友達も、趣味の合うコミュニティもなければ、それまで家族から得ていた親和的承認を代替する手段はありません。

手に入るのは会社や新たに所属したコミュニティで貢献することによって得られる集団的承認だけ。

そうなると過度にそちらを得ようとしてしまうわけです。

反対に、人事異動や学年が変わることで、それまで上司や周りのメンバーから得られていた承認欲求が得られなくなることもあります。

その今までは得られていた分の集団的承認が所属するコミュニティで得られないとなると、それを求める先は家族や恋人、親しい友達になる。

しかしいずれの場合もそれまで得ていた以上を求めるため、必ずそこには無理が生じます。

その負担に耐えられなくなった時に陥ってしまうのが、気持ちの落ち込みで、それがひどい時には鬱に違い症状になるのだと思うのです。

周りの人たちをみていると、どことなくそんな感じがします。

 

 

アイキャッチは何度目かわからないけど山竹伸二さんの「『認められたい』の招待」

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)