新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



King Gnu『白日』考察(前編)~「後悔」と「決意」の行き来と、雪の効果を読み解く~

今年の一月に放映されたテレビドラマ『イノセンス 冤罪弁護士』のテーマソングに起用されたKing Gnuの『白日』。
職業柄か、僕は音楽にはまるのは歌詞を読んでからが多いのですが、この曲は完全にメロディ先行で好きになった曲でした。
で、先日ふと歌詞を見たら、曲の構成に負けず劣らず難解な歌詞であることにきづいたので、備忘録として思ったことをまとめておくことにしました。
※以下はあくまで個人の解釈です。

主題歌に起用されたドラマが「冤罪」をテーマにしたもので、Aメロに「罪」という言葉が出てくるため、パッと聴くとどうしてもこの曲はドラマの印象に引きずられて、「罪人の歌なのでは?」というような印象になってしまいます。
しかし、あくまでドラマと歌は別の作品(というのが僕の持論)です。
そのため、ここでは歌とドラマと切り離して、「歌詞から読み取れる部分」にのみ注目していきたいと思います。

〈時には誰かを 知らず知らずのうちに 傷つけてしまったり 失ったりして初めて 犯した罪を知る〉
Aメロはこう始まります。
僕がこの曲の歌詞を見て、真っ先に面白いなと思ったのが、普遍的な価値観を提示することから始まるこの唄い出しです。
以前、別の歌詞考察でも触れたのですが、多くの歌で歌詞内容は「具体→普遍」という展開を辿ります。
例えばSMAPの『世界にひとつだけの花』は、Aメロで花屋に並んだ花を見てどれもきれいと感じる主人公のエピソードから、Bメロでは「それなのに人間は~」というように、「花を見た感想」から「人間の性質に対する問題提起」へと展開します。
あるいはサザンオールスターズの『TSUMAMI』であれば〈風に戸惑う弱気な僕〉という僕の話から、Bメロでは転調して〈人は誰も愛求めて闇に彷徨う定め〉と、人なら誰もが抱える話へと歌詞の世界が展開していきます。
普遍的なテーマを扱ったヒット曲の多くに、「具体→普遍」という構造がみられます。
秋元康さんは、自身の作曲において、この構造を意識していると語っていました。)
こうした中で、King Gnuの『白日』は、冒頭でいきなり、〈時には誰かを 知らず知らずのうちに 傷つけてしまったり 失ったりして初めて 犯した罪を知る〉とテーマをぶつけてきます。
これは、メンバーの多くが洋楽好きというところが影響しているのかもしれませんが、いわゆる邦楽ヒット曲の王道とは違うパターンであるため、歌詞の面からも曲のインパクトを強める働きをしていると考えられます。
「人は知らずに他人を傷つけ、罪に気付く」という主題をはっきりと提示した後、歌は続きます。

〈戻れないよ、昔のようには 煌いて見えたとしても 明日へと歩き出さなきゃ 雪が降り頻ろうとも〉
繰り返しのAメロでもまだ、主題の提示が続きます。
「人を傷つけたことに後悔しても、巻き戻すことはできず、前に進むしかない。」ここはこのくらいに捉えておけばいいでしょう。
(あまり細かく追うと終わらなくなってしまうので、ここは軽く触れるに留めておきます)

そしてBメロ
〈今の僕には 何ができるの? 何になれるの? 誰かのために生きるなら 正しいことばかり言ってらんないよな〉
〈どこかの街で また出逢えたら 僕の名前を 覚えていますか? その頃にはきっと 春風が吹くだろう〉
Bメロに入ると、Aメロで提示された主題を引き継いで、主人公の内面へと話が進みます。
Aメロを見れば、〈誰かのために生きるなら 正しいことばかり言ってらんないよな〉というフレーズは、大切な誰かを傷つけてしまった自分に対する反省ととることができます。
そして、後ろを見てばかりはいられないので、前を向いて歩き出そうとしている。
そんな様子が「どこかの街でまた出逢えたら~」という言葉から推測されます。
僕がBメロで注目したいのは「春風」というモチーフです。
この『白日』という歌にはたとえば「戻れない」「昔のようには」⇔「歩き出さなきゃ」「明日へと」というように、終始主人公が「後悔」と「決意」の間で揺れ動く様が描かれています。
Bメロに出てくる「どこかの街で逢えたら~?」と問う相手は、おそらく主人公が傷つけてしまった(愛する)人でしょう。
その人にいつかまた逢えたらという未来を「春」と形容しています。
そしてAメロに登場した「雪」の描写から考えれば、今の主人公がいる季節は「冬」ということになります。
ここにも「冬」と「春」という季節の対比に現在の迷いと未来への期待が表れます。

そしてサビに。
〈真っ新に生まれ変わって 人生一から始めようが へばりついて離れない 地続きの今を歩いているんだ〉
〈真っ白に全てさよなら 降りしきる雪よ 全てを包み込んでくれ 今日だけは 全てを隠してくれ〉
サビでも「真っ新に生まれ変わって」という未来に対する決意を言った直後に、「へばりついて離れない」という後悔が、「真っ白に全てさよなら」という決意の直後に「全てを隠してくれ(≒忘れられない)」という後悔がという具合に鮮明に「後悔」と「決意」の対比が描かれています。
これは全編を通していえることですが、このサビでは特に「雪」の使い方が秀逸です。
「全てを包んでくれ」と「降りしきる雪」に頼むのですが、この「包み込んで欲しいもの」は過去の思い出でしょう。
『白日』は雪が降っている場面を歌っています。
(煌いた)過去、前に向かって歩き出そうとする現在、再び君に出会える未来という3つの時間軸のうち、現在に雪を降らせることで、過去を少しずつ忘れようとしている主人公の決意を描いています。
しかし、降り積もった雪の世界は一面の銀世界。
そこには何もありません(そしてこれがタイトルにもなっている白日なのでしょう)。
そんな「真っ白」な世界に踏み出そうとする主人公の不安だったり孤独だったりというものが、雪を降らせることによって描かれているわけです。
歌詞を追うと、過去と未来には鮮明に「色」があります(「煌いた」過去「春風」の吹く未来)
しかし、雪のふる現在だけは真っ白です。
(ちょうど、この辺のイメージはMVにも重なります。)
この辺の何重にも雪を使っているところが、この歌の歌詞の複雑なところでもあり、印象に残る部分でもあると思うのです。

一気に書こうと思ったのですが、長くなりすぎる気がするので、2番以降は次回にします。

 

 

白日

白日