新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



あの人の言葉は、なぜ耳にも心にも残らないのか?「無重力ワード使い」の研究

うわっ、この人言葉が軽い…
人と会話をしているときに、思わず笑ってしまいそうになるくらいに言葉が軽いなと思った経験はありませんか?
明らかにたくさん喋っているし、本人もそれなりに真剣な様子なのに、どうしても内容が入ってこない。
放った言葉がことごとく重力の影響を受けずにフワフワ宙を漂っている。
そんな「無重力ワード」の使い手が僕は(観察対象として)大好きだったりします。
今日、そんな話を知人にしていたら、「こんなタイプの言葉が軽い人もいるよ」と、新たな情報を提供してもらえました。
僕の「無重力ワード使い研究」が進んだので、その進捗を書き留めておきたいと思います。

無重力ワード使いについて考えるにあたって、そもそも言葉に重みを乗せるにはどうすればいいかということを考えました。
僕が日頃関わる人たちのうち、言葉に重みがあるなあと感じる人を頭に思い描くと、みんな
自分の言葉」で語っているなあという印象です。
この「自分の言葉」というものをもう少し分解してみると、恐らく①自分の思いをベースに語っている事と、②自分の経験をベースに話していることが重要なのだと思いました。
(僕の中で「語る」と「話す」の違いは結構興味がある内容なので使い分けましたが、今回それを書くと文字数がエラいことになるので省略します。)
これでいくと、[言葉の重さ=自分の思い×自分の経験]というのが僕の中の「言葉に重みがある人」の定義となります。

今日知人と話している中で出てきた「無重力ワード使い」は大きく分けると次の2パターンでした。
ひとつは夢や野望を語るタイプの意識高い系の「無重力ワード使い」。
そしてもうひとつは相手の話に常に合わせて「分かる!」とか「ごめん!」を繰り返す、チャラ男系「無重力ワード使い」です。
僕はこうした「無重力ワード使い」に、それぞれガス欠アウトプットタイプ、イケメン風見鶏タイプと名付けました。
これらのタイプの分類は、先に挙げた[言葉の重さ=自分の思い×自分の経験]という公式で説明することができます。
ひとつ目で挙げた、夢や野望を語るタイプの意識高い系の「無重力ワード使い」、つまりガス欠アウトプットタイプの人は、自分の思いは非常に大きいのですが、一方で経験の部分が皆無です。
したがって、大きな夢を口にするだけの人になってしまう。
反対に、もう一方の相手の話に常に合わせて「分かる!」とか「ごめん!」を繰り返す、イケメン風見鶏タイプには自分がありません。
彼女がいるのに浮気を繰り返すし、バレたらすぐに謝る。
相手が怒っていたら「そうだよね」といって共感する。
これらは反省から出てくる言葉ではなくて、「自分」という守りたいものがないから出てくる言葉だったりします。
つまり、前者のガス欠アウトプットタイプは[自分の経験値=0]だから生まれる属性、校舎のイケメン風見鶏タイプは[自分の思い=0]だから生まれる特性だと思うのです。

別に僕は、言葉が軽いことが悪いといいたいわけではありません。
(むしろそういう人に親近感を抱くくらい)
ただ、こういうタイプで悩んでいる人が多いと思ったので、僕なりに言語化して記録したのが今回のエントリです。
もし、周囲から「お前は言葉が軽い」とか言われて悩んでいる人等がいれば、参考にして見て下さい。
(参考になる情報は皆無かもですが…笑)

 

アイキャッチは、軽い言葉のパイオニア高田純次さんの本。

これ、結構おもしろかった記憶が...

適当論 [ソフトバンク新書]

適当論 [ソフトバンク新書]