新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



他人にアドバイスしたい人たち~マウントおじさんと救世主コンプレックス~~

2018年度の京都大学で、こんな文章が出題されていました。

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Although admirable, there is a risk in helping others, which is related to the possibility that helping can actually be selfish. That risk lies in falling prey to what some call “the savior complex”. This is just what it sounds like ― an attitude or stance toward the world where you believe you are the expert who can suddenly appear to save others. It is an uneven approach to helping in which the helper believes he or she has all of the answers, knows just what to do, and that the person or group in need has been waiting for a savior to come along.

While this idea genuine problem, we should not let the real pitfalls of the savior complex extinguish one of the most humane instincts there is― the instinct to lend a hand. The trick is to help others without believing yourself to be, or acting like you are, their savior.

 (Wait, What? And Life's Other Essential Questions)

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本文の中では“the savior complex”と呼ばれるこのお話。

日本では「メサイアコンプレックス」あるいは「救世主コンプレックス」という名前であれば耳にしたことがある人もいるかもしれません。

(面倒なので、以後は「救世主コンプレックス」で統一したいと思います。)

救世主コンプレックスをざっくり説明すれば、自分の承認欲求のために誰かを助けたいというマインドになっている状態のこと。

「自分には能力があって、絶対的に正しいんだ。」

「自分は困っている彼らを助けてあげているんだ。」

こんな心理状態で(そもそもあなたの助けを求めているかもわからない)他者に対して「助けよう」という気になる状態を言います(たぶん…)

 

「やらない善よりやる偽善」なんて言葉が示すように、一見すると理由はどうであれ相手の役に立つのならいいじゃないかと思ってしまいがち。

もちろん、それが相手の役に立っているのなら、正直僕もその動機なんてどうでもいいと思う派です。

しかし、救世主コンプレックスの厄介なところは、当人は相手のことを「助けてあげて」いるつもりなのに、実際は相手にとってその行為が助けになっていないばかりか、抑圧になっている場合もあるというところ。

救世主コンプレックスの人たちの「私が助けてあげる」「あなたのためにやってあげる」という感情は、対象者から意図せざる反応が返ってきたとき、その相手に対して「助けてやっているのにこいつはなんでこんな態度なのか?」「こっちはあなたのために貴重な時間をつかってあげているのに」というような攻撃的な態度と表裏一体なのです。

 

「相手の役に立ちたい」という善意の皮に被っている救世主コンプレックスの人の「善意」は、ぱっと見では判断ができません。

そればかりか、自分はまったくそんなつもりではないのに、知らず知らずのうちに救世主コンプレックスになっている人もいる。

居酒屋のカウンターで年下に対してエラソーに説教かましている「マウントおじさん」なんて、その典型です(笑)

 

自己承認欲求に基づいた相手への「助け」は、対象者がよい方向に転換することではなく、「自分が良いと思う方向へ転換」することを無意識に求めます。

そして、自分の期待する方向に変わらないと、「あいつは俺がこれだけ目をかけてやったのに変わろうとしないダメなやつだ」という、攻撃対象に一変する。

結果として、「助けられた」対象者をより追い詰める結末になるわけです。

救世主コンプレックスの面倒臭さはここにあるように思います。

 

入試問題は大学からのメッセージだなんてことが言われますが、2018年の京都大学がこの文章を出題したというのは、大学からの大きなメッセージのひとつである気がします。

SNSを見ていると、学歴の折から未だに抜け出せないマウントおじさんが、救世主コンプレックスを抜け出せずに醜態を晒しています。

学歴、知識、教養、実力etc..がある人ほど、そういう人になる可能性がある。

京大のこの問題にはそういう属性を含んだ人間を諌める強烈なメッセージ性があるように思うのです。

 

アイキャッチは冒頭で紹介したこの本。

 

Wait, What?: And Life's Other Essential Questions (English Edition)

Wait, What?: And Life's Other Essential Questions (English Edition)

  • 作者:James E. Ryan
  • 出版社/メーカー: HarperOne
  • 発売日: 2017/04/04
  • メディア: Kindle