100日前を振り返る
振り返ってみると僕たちはこの2ヶ月間、激動の毎日を過ごしてきました。
学校が休みになり、自粛が当たり前になり、仕事はテレワークになり、「飲み」というコミュニケーションはなくなり、マスクが当たり前となり、多くのことをオンラインですませるようになりました。
ネットでは『100日後に死ぬワニ』というコンテンツが話題でしたが、100日前を思い出せと言われたらもう全く思い浮かばないほどに、コロナは僕たちの生活様式に影響を与えました。
ポジティブに捉えれば、ICTにより緩やかに進むはずであった変化が、一気に加速したとも言えます。
そんな、大きくかつ急激な変化にさらされている僕たちは、否が応でもその変化についていかなければなりません。
「技術ができること」と「技術の先にできること」
「技術でできることを語ることができる人は多いけれど、技術の先に広がる世界を語れる人は意外と少ない」
評論家の岡田斗司夫さんが、10年近く前 前にこんなことを言っていました。
岡田斗司夫さんはこれをSF的思考と呼んでいました。
SF作品に描かれているのは、ある技術が発展した場合の世界観です。
例えば、地球外生命体とコンタクトを取ることができたらどういうことが起こるだろうか?(『神の目の小さな塵』)、人類が月で暮らせる技術を得たらどういうことが起こるだろう?(『月は無慈悲な夜の女王』)など、SF作品には〈if〉の先の世界が極めて緻密に描かれています。
岡田斗司夫さんは、「技術で何ができるのか?」を予測するよりも、「その技術が当たり前のものとして広がると人々にどのような変化が起きるだろう?」ということを想像することが大切で、その「世界観の想像力」こそ、SF的思考だど言っているわけです。
VUCAの時代とSFの世界
この数年で「これからはVUCAの時代だ」なんてことを頻繁に耳にするようになりました。
※VUCAとはVolatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字を取ったもので、これからの時代を生きる上で私たちが前提にしなければならない事象を指しています。
僕は、そんなVUCAの時代において最も重要になってくるのが、「SF的思考」だと思うのです。
例えば、「コロナが一旦収束しても、私たちはコロナと付き合っていくことになるだろう」とか「アフターコロナの世界ではオンラインとの共存がスタンダードになるだろう」という予測をよく聞きますが、これらはどこまでいっても技術面のお話です。
SF的思考とは、それによって生じる私たちの物理的・内面的変化まで踏み込んで、その先の世界観を高い解像度をもって「想像」する力です。
「コロナと共存し、マスクを一年中つけることになったら、僕たちのこれまでの日常はどのように変化するだろう?」
「親密な接触が大きなリスクとなるのが周知の世界で、僕たちはどのようなコミュニケーションを取るだろう?」
「仕事にテレワークという選択肢を知ってしまった僕たちは、どのようにライフスタイルを構築するだろう?」
このように、「その技術が広がった先の世界」に思いを巡らせるのがSF的思考です。
僕たち人間の営みを構成するのは、どこまでいってもテクノロジーではなく人間です。
だとしたら、(人間不在の)テクノロジーの変化をいくら熱心に語っても意味がありません。
そのテクノロジーが人間の生活様式にどのような変化を与えるのか?
これこそが僕たちが把握したいことだと思うのです。
そういった「技術の先に広がる世界」を想像する助けになるものがSF的思考です。
「ITやAIが仕事を全部代替してくれてお金も稼いでくれるから仕事をしなくていい」なんて言われても、恐らくそうした仕事をし続けるでしょう。
なぜなら、僕たちは仕事に対価以外にコミュニケーションや自分の生きる価値を求めているからです。
大きな変化の真っ只中にいるからこそ、テクノロジーの変化を追うのではなく、SF的な思考ができることが大事になってくるのではないかと思います。
アイキャッチは僕の大好きなSF小説カート・ヴォネガット・ジュニアの『タイタンの妖女』