新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「日常に戻る」という「非日常」

毎日のニュースを見ていると、コロナの新規感染者数も徐々に減り、終息に向かう兆しが見え始めました。

(僕は今週もう一度感染者数が上がるんじゃないかと予想しているのですが、現時点下がっているのは事実なので、終息という方向で見ています)

コロナが猛威を奮って以降、僕たちは生活スタイルを大きく反応することを余儀なくされてきました。

そしてそろそろこの生活が定着してきつつある。

僕らみたいな個人事業主や飲食店経営者にとって、この一連の変化は大きな痛手となるところもありましたが、一方で僕たちに多くのプラスの変化ももたらしたように思います。

例えば人との接触を避けるためのテレワークなどはその典型です。

僕たちは早起きして満員電車に揺られて会社に出社し、上司や同僚の目に何時間も当てられながら作業をするということをしなくても仕事は回ることに気がつき、同時にそうした僕たちのそれまでの日常が、いかにストレスフルであったかということをはっきりと自覚しました。

知人と話していても、テレワークになって生活にゆとりが生まれたと話す人も少なくありません。

人混みや衆人環視の職場、残業や仕事終わりの飲みに、下手したら何時間もかかる通退勤の電車etc...

こういったものから解放されたのは、コロナによる正の側面ともいえるでしょう。

 

さて、コロナの終息の兆しが見えた今、僕たちは元の生活に戻ろうとしています。

日常が戻ってくれば自由な外出、ショッピング、飲み、旅行と、この数ヶ月は僕たちの生活からすっぽりと抜けていたそれまでのあたりまえが戻ってくることに期待を抑えきれない一方で、急に戻ってくるそれまで当たり前だった「生活の負荷」に僕たちはどれだけ耐えられるだろう?ということは不安に思っています。

先に書いた通り、僕たちはそれまで、早く起きて満員電車に揺られ、職場では常に人の目に触れ、時に残業をして、付き合いの飲みに繰り出し、また長時間の電車に揺られるという「あたりまえ」の生活をしてきました。

慣性の法則よろしく、それが社会に出たあの時の緊張の内に備わったあたりまえの習慣であるうちは、そこに大した負荷は感じません。

しかし、一旦それが「非日常」となってしまった時に、もう一度その負荷を受け入れるというのは、心身ともにかなりストレスを受ける行為なきがするのです。

仮にコロナが終息し、外出ができたとして、僕たちは元気一杯の状態というわけではなく、これまでの自粛で疲弊した状態です。

そんなへばった状態の所に、それまでの日常でかかっていた負荷を引き受けたら、メンタルを病む人も少なくないように思うのです。

 

6月は1年で唯一祝日の無い月です。

一気にそれまでの日常に戻るには中々ハードなタイミングと言えます。

こうしたタイミングで日常が戻ってくるとしたら、今から相応の準備をしておくことが必要でしょう。

僕は今週から、自分の担当の生徒さんには少しずつ学校があった時の生活に戻すように指示しているのですが、それはストレスを最小限にとどめ、日常へとスムーズに接続するには20日は必要だと思うから。

僕らはコロナの騒ぎでこの数ヶ月、場当たり的な対応を余儀なくされてきました。

だから正直、中長期的なスパンで物事に準備するというのが苦手になっています。

(というかそれどころでなかった)

しかし、それまでの日常はむしろ場当たり的な対応よりもある程度中長期的に物事を見て動くのが当たり前のものだったはずです。

そして、僕たちの体だったそもそもそうやってできている。

コロナの騒ぎが落ち着き、日常に戻れる可能性が見えてしたからこそ、その戻ってくる日常の負荷に押しつぶされないよう、僕たちはそろそろ準備をしていくことが大切なように思います。

 

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