新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



数の暴力に思いをめぐらす

ニュートンほどの偉大な人間が、りんごを見て引力を発見したなんてことあるかい。ありゃジョークなんですよ。ニュートン先生だって初めは万有引力の法則について、毎回聞かれるたびに丁寧に説明してたけど、そのうちあんまりにも同じことを聞かれるもんだから面倒くさくなっちゃった。それで万有引力をどうやって見つけたんですか?なんて聞かれたら、「あぁ、ありゃリンゴが落ちた時に閃いた」とか言ったんですよ。

立川談志さんの十八番『源平盛衰記』の枕で、談志さんはこんなエピソードを盛り込んでいました(言い回しは違ったかもしれません)

この枕は、談志さんが『源平盛衰記』のコンセプトだと考える「真実なんて誰もわかりゃしない」というものを伝えるために張られた枕の伏線なのですが、このギャグそのものに、有名人になって困る「数の力」についての悩みが表出しています。

 

僕がふとこのエピソードを思い出したのは、次の2つの話題を目にしたから。

ひとつめは女子プロレスラーテラスハウスに出演していた木村花さんの誹謗中傷による自殺の話、そしてもう一つが都知事候補でもある堀江貴文さんの野菜食べるんですね発言に対するブチギレのお話です。

もちろん全然レイヤーの違う話ですし、そもそも「木村さんの話と堀江さんの共通項」なんて言うだけでけしからんという誹謗も呼び込みそうですが、このブログの読者の方はきちんと読んでくれるだろうと信じているので、誤解を恐れずに僕が感じた部分についてまとめていきたいと思います。

 

僕が上の2つの話題に対して感じたのは、①数の力の強さと②持たない者の鈍感さです。

木村花さんの自殺の原因に関して、誹謗中傷か批判かみたいな話がでていますが、そういう発信者の責任意識どうこう以前に、物量の持つ力を僕たちは見なければいけないんじゃないかなと僕は思っています。

例えば、誹謗中傷でも批判でもどちらでもいいですが、僕らはそんなものが1件や2件こようが、鬱陶しいなくらいにしか感じません(因みにそれが誹謗中傷か批判かとかは関係ない)。

そんなもの無視して終わりです。

でも、それが一日数千件に及び、勝つ何日も続いていたらどうでしょう?

なにをつぶやいてもいつコメントしても、常に何百何千というネガティブなコメントがつく。

(おまけにアラームやバッジでの通知機能があれば、24時間自分へのネガティブな言葉でスマホが鳴り止まないわけです)

そんなの、誰でもメンタルがやられてしまうでしょう。

 

ポイントとなるのは、「数による痛み」は、僕ら一般ピーポーには思いも及ばない世界だということです。

僕たちは資本家が何億というお金を動かす時に抱くプレッシャーや喜びなんて想像さえもつきません。

あるいは風俗で働かざるを得ない方の苦悩や生きがいとしてそれを仕事にしている人の矜持に思いをはせる事も難しいでしょう。

これと同じで、「何十万ものフォロワーがいる人」の置かれるSNS運用の大変さも、僕らには知る由がないわけです。

しかし、投資家や風俗に対してSNSは僕らも日常に使っています。

だから、ついつい僕たちせいぜい数千フォロワーの弱小SNSアカウントの世界を、誰のスマホ画面にも広がる世界だと思ってしまうわけです。

だから、「文句があれば議論すればいい」とか、「気にせずスルーすればいい」みたいな、フォロワーがせいぜい100人程度の人の論理を相手に要求したりします。

批判だろうが誹謗中傷だろうが、もっと言えばたとえフォローの言葉であったとしてもそこで揉め事が起こってしまえばそれ自体が、何十万とフォロワーを抱える人間にとっては相当のダメージだと思うのです。

 

誹謗中傷や批判に限らず、「ただ数が多い」というだけで、有名人にとっては不快な思いをさせるのに十分な理由になるでしょう。

アイドルの握手会なんてその好例で、そこに並ぶのは熱烈なファンでかけられる声は応援がほとんどでしょう。

それでも何万人からギュッと手を握られたら手はパンパンに腫れるでしょうし、好意からの質問もいい加減飽き飽きしたりもするはずです。

でも、僕らはそんなアイドルの気持ちは「分からない」わけです。

先日、ホリエモンが「野菜も食べるんですね」とライブ配信で言われただけでブチギレてカメラを叩いたという動画が話題になっていました。

確かに、ある視聴者から「野菜食べるんですね」なんて一言をもらっただけであれだけブチギレていると見えれば、(まして都知事候補でもあれば)短気だとか横柄だという印象になるでしょう。

しかし、堀江貴文さんもやっぱり、何百万というフォロワーを抱える超有名人です。

恐らく「野菜食べるんですね」という非常に「何気ない」質問はその日だけで何回もきているはず。

しかも、少なくとも僕の知る限り、何年か前からそういう質問をもらっていました。

おそらく堀江さんだって初めは「野菜を食べたい理由」を初めは懇切丁寧に答えているはずです。

しかしそれの回数が多くなればいい加減鬱陶しくなる。

その「何百回目」かの反応が先のブチギレ動画だったのではないかと思うのです。

(その上で、そうした反応を良いと捉えるか悪いと捉えるかは別です)

 

お金持ちは貧乏人の気持ちなんて分からないという言葉を耳にしますが、同様に僕たち貧乏人だってお金持ちの気持ちなんて分かりません。

同様に、僕らみたいな一般人には、超有名人のスマホに広がるSNSの世界を想像することなんてできないわけです。

そんな想像できない世界にいる人の起こした話題を、想像できる僕らの尺度で解釈しようとすれば、どうしてもズレた答えにならざるを得ません。

とはいえ僕たちは知らない世界を想像なんてできない。

だとしたら僕らは、相手の世界を想像できないという前提の上で、相手のフィールドで解釈する努力をしなければいけないわけです。

相手のフィールドに飛び込ませてもらう。

そんな、知らない世界に対する謙虚な姿勢がSNS時代には特に求められるように思います。

 

アイキャッチは有名人のあるある本。その名も『「有名人になる」ということ』です!