新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ブランドを引き受ける人とブランドを消費する人

「あの人は東大卒のクセに仕事ができない」「いい企業に勤めているのに社会性はない」

人の学歴や肩書きで見るなんて失礼だと思う一方、確かにそんな風に感じることもないわけじゃないよなあと思ってしまうこうした表現。

(特に本人がそのブランドに誇りを持っている場合は...)

本日は学歴や会社名といったブランドについて考えてみたいと思います。

 

ブランドとは何か?

例えばGUCCIときけば高級そうと思ったり、無印ときけばスタイリッシュと思ったり。

こういったように、名前を聞くとある特定のイメージを相手に連想させる効果を持つというのが、ブランドの特徴の1つです。

「東大生」と聞いて頭が良さそう、優秀そうというイメージを抱かせたり、大手企業の名前を聞いて安定していそう、高収入というイメージを抱かせたりというのもブランドということができます。

 

ある特定の名前を聞くと、それに付随して一定の決まったイメージが浮かぶのがブランドであるとして、そのイメージはどうやって作られているのでしょう?

端的に言えば、それはそのブランド名が今まで積み上げてきた実績の上に成り立った評価であるということができます。

 

世界中のセレブに信頼され親しまれてきたからGUCCIエルメスと聞くと高級というイメージが浮かぶし、社会に出て活躍する優秀な人材を数多く排出してきたから東大と聞くと優秀、頭がいいというイメージが浮かぶわけです。

もちろん、企業のマーケティング戦略で意図的に作られたブランドというのもありますが、それだって「市場にそう認知してほしい」という意図はあったとして、認知するのは市場側なわけで、根っこの部分にはその評価に耐えうる方がなければいけませんし、そもそもブランドを構築するためのマーケティング活躍そのものが努力であるとも言えます。

ブランドとはただそこにあるものではなく、それまでの実績が堆積してできた評価を分かりやすく表したものなのです。

 

流動的なブランドの価値

さて、ブランドの価値がそれまでの評価の積み上げであるとしたら、そのブランドを持つ人の質が低下すれば、長期的にそのブランドイメージも低下することになります。(もちろんその逆もそう)

例えばルイ・ヴィトンなんかはどうでしょう。

言わずもがなヴィトンは高級ブランドの代名詞なわけですが、ゼロ年代くらいから高校生がちょっと背伸びして持ってみたり、ヤンキーが好んで持ち歩いたりする機会が増えてきました(すみません、完全に僕の主観です)。

そうなると、ヴィトンのイメージは背伸びした初心な高校生や大学生、あるいは田舎のヤンキーがいきって持つものというイメージになるわけです。

もちろん、マクロなデータを見たわけではないのでヴィトンの例は全てが主観の域を出ないのですが、少なくとも僕の中ではこうしたイメージの変化がありました。

 

逆にユニクロのように、それまでは安かろう悪かろうの商品を売るお店みたいなイメージだったところから、シンプルで機能的な商品を売るお店というイメージに変えるという、悪いところから良いところへとイメージが転換する例も多々あります。

このようにブランドのイメージとは「今」ブランドに関わる人の印象を積み上げることで次の世代に伝えるイメージが変わるものなわけです。

 

ブランドを消費する人とブランドを引き受ける人

僕はブランドのことを、上記に述べたようなものであると思っているので、自分の学歴や肩書きをまず言いたがる人を見たとき、残念な人だなと思うことがあります。

それは、肩書きを鼻にかける姿がムカつくとかいうことではなくて、その人が学歴なり会社名なりというブランドを消費するばかりで自身の振る舞い自体がブランドの価値を作り上げているという自覚のないことに対する失望みたいなものです。

例えばある人が「俺は○○大学だ」とか「○○に勤めている」といったとして、確かにその瞬間は凄いとなるかもしれません。

しかし、その人がどうしようもなく能力の低い人であった場合、周囲には同時に「あっ、あそこはその程度なのだ」という負のブランドイメージの構築に加担していることにもなるわけです。

 

僕は肩書きを用いる人に関して、①ブランドを使うと同時に自分もそのブランドの価値構築の一躍を担っているという自覚を持つ「ブランドを引き受ける人」と、②自分が手に入れたブランドなのだからと考えて自分の担う価値構築の役割に無自覚な「ブランドを消費する人」という2つのタイプに分類しています。

東大生のクセに仕事ができないとか、一流企業勤のクセに社会性がないみたいな周囲からの評価は、気づかぬうちに②のブランドを消費する人としての振る舞いになってしまっているかもしれないわけです。

(もちろん、周囲からの嫉妬からそういう不当な評価を受けている場合もあるでしょう)

 

ブランドは襷であるという自覚

ブランドとはリレー形式で次の人に渡す襷である。

これがブランドを使う際に僕たちが持っておかなければいけない意識であるというのが僕の持論です。

別に肩書きを振りかざすのが悪いわけではないですし、場合によっては非常に上手く機能することもあるので、持っている人はどんどん使うべきだと思います。

ただ、「自分の振る舞いがそのブランド価値に見合うかどうか?」という意識は忘れてはいけません。

消費者ではなく襷を次に繋げる働きを担うものであるという自覚。

これがブランドを使う際に僕たちが持ち合わせなければならない品性だと思うのです。

 

アイキャッチは「ブランディングの科学」