新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「速い世界」の処世術

まだまだ高校入試、大学入試が残ってわれるのですが、一旦仕事のピークを通り過ぎ2月の1周目はゆっくりと過ごしています。

久しぶりに時間に追われることもないため、ゆっくりとご飯を食べに行く毎日を過ごしています。

この1週間は仕事関連の連絡も届かないようにしているのですが、そうしてみて改めて感じたのは、日頃どれくらい僕がバタバタと時間に追われているかと言うことでした。

昨日僕がご飯を食べに行った時、あえてすまほでお店を検索せずに行きました。

自分の足で歩いてこの店はいいなと思ったところに入ろうと思っていたのですが、そうやってやってみたときにどの店にも目移りがして、なかなかお店が決められませんでした。

おいしそうなお店はあるけれどせっかくならもうちょっといいものがあるんじゃないか、この店ずっと気になっていたけど今日はそんな気分じゃない、、、

そんな風なことを思いながらお店を探しているうちに1時間がすぐに経過していました。

さて、この経験を優柔不断と取る人もいるでしょうし、時間の無駄と取る人もいると思います。

実際僕自身もそのように元は考えていました。

しかしふと思った時に、実はそれは時間を無駄にしているのではなく、「本来の自分の選択、もっと言えば人の選択にはそのくらいの時間が必要なのではないか?」という可能性に考えが至りました。

つまり、時間があるからダラダラ決められないのではなく、本来僕たちは満足に物事を選択しようと思ったときそのくらいの時間が必要なのではないかと言うわけです。

 

僕たちが普段仕事に追われていて即断即決が最も大切だと思いがちです。

実際に仕事の場でもよく現場の情報から即断する力、あるいは決断力なるものが大切だと言うことが言われがちです。

実際に仕事の場ではそうでしょう。

短期間に結果を出し企業のために価値を創出しなければならない。

そのように考えたときに、現場手に入り生材料から最適解を求めると言う判断は必須です。

しかし、これらをよく考えてみると、得られている情報の中から最適解を求めているのであって、現場の中の最適解を追求しているわけでは無いのです。

そこに予算なり時間なり情報なりの制約がついている以上その状況下で下された判断は常に最適解からの妥協であり続けざるを得ないわけです。

僕たちはその妥協に妥協を重ねた選択肢のことを「最適解」だと信じ込んでいます。

 

さて、短期スパンの結果を求めなければならない仕事に関してはそれで良いでしょう。

なぜならば決められた期限内に予算や目的を達成することが至上命題だからです。

しかしプライベートになったら必ずしもそれが正しいとは言えません。

プライベートは決められた期限を達成しなければならない目標も存在するわけでは無いからです。

もちろん具体的な目標を定めることで生活が充実する人もいるでしょう。

しかし必ずしも全員がそのようなビジネスの手法によってプライベートも充実できるとは限らないと思うのです。

むしろビジネスではそういった戦いを全力でやっているからこそ、プライベートではそこから離れた充実を目指したい。

そのように思っている人は少なくないのではないでしょうか?

 

僕は普段、自分自身がかなりのスマホジャンキーと言うこともあり常に画面を見ているからできることではあるのですが、仕事の連絡等にはかなり早く返信をしています。

しかしこの1週間は、あえて仕事関連の連絡が目に入らないような仕組みを作ってゆっくりと過ごしていました。

そうしてみると速い思考とは全然違う世界が開けてきたのです。

時刻表を気にせず電車に乗り、次と予定を気にせずゆっくりとカフェで過ごす、帰り道にはゆっくりと散歩をして気になったところに立ち止まり、ぼーっと風景を見て過ごす。

そしてご飯のお店はアプリで出てきたオススメのお店や、ふと目にとまったファーストフード店ではない、ゆっくりと歩いてみてそのお店が出しているデザインとでも言っていい看板おすすめメニュー、そしてそこに書かれている店主の言葉も参考にお店を選ぶ。

このように時間を過ごしていることで、改めて普段自分が切り捨てていた部分と言うものに向き合うことができました。

 

もちろんそういった忙しい生活が僕は嫌いではありません。

むしろ根っからのせっかち症なのでそういった生活の方が好きだったりします。

しかしそういった戦い方ばかりしていると、思考が単調になり、出てくるアイディアは凡庸なものになってしまうなと言うことを改めて感じました。

速い思考や各種制限彼の判断は、鍛えさえすれば誰でもできるものなわけです。

しかも今の時代であればそういった能力を鍛えたり補完したりするツールは無限に存在する。

だからこそ現在の環境で結果を出せる(そういう言い方も好きではありませんが)思考法と言うのは、速さや合理性そういったものから対極にあるものであるようです。

現代であれば、頭の回転を速くするだとか合理的な決定をするというのは本を読むだけで誰でも身に付きます。

しかし反対に、ゆっくりと長く深く思考する、あるいは現場の情報だけでは判断しない、あえて保留して変化を待つ…このような思考や姿勢はどうでしょうか?

前者が非常にやりやすくなった反面こういった姿勢はかなり意識をしなければできなくなってしまったように思うのです。

で、あるならば、僕たちはあえてそういった行動原理を生活に取り入れ、速さや合理性とは別の軸で物事を判断するスキルを身に付けておくことが長期的な武器になるのではないかと思うのです。

 

僕がここ最近畑を始めたのも同じ理由です。

頭の回転の速さで合理的な思考は誰でも身に付けることができる。

一方で思考の深さや受け止める力、あるいは決断しない力こういったものはどんどん身に付けづらい時代になってきていると思います。

だからこそそれを持っているだけで将来どこかのタイミングで大きな力になる。

すべてが需要と供給のバランスで成り立っているとしたらきっとそういう風になると思う

のです。

そもそも僕は何かに役に立つからといって技術やスキルを身に付けているわけでは無いのですが、言語化する過程でそういった効果があるのかなぁと思ったってこんな風な書き方をしていました。

忙しい人ほど、一旦そういった余裕を持つことができる。

そういった人ほどここからは鉤括弧うきではない意味での豊かさを目指せるのではないかなと思うのです。

 

アイキャッチは最近僕がハマっている本の一冊