新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



原因と解決策は必ずしも一致しない

雨の日に雨漏りがあるとして、降っている雨に文句を言っても仕方がない。

これは僕が結構大切にしている考え方だったりします。

明らかに根本的な原因はAにあるのだけれど、そのAはアンコントローラブルなとき、そこにいくら文句を言ったところで事態は好転しないよねというようなニュアンスで使っています。

例えば仕事でそもそも納期自体に無理があるのは明らかだけれどそこに文句を言ったところで納期が変わるわけではないとか、東京の地価の高さが家賃の高騰の根本原因だからといって地価を下げろと言っても意味がないとか。

こんな風に原因の所在は明らかでも、それを指摘したところで何の改善にもならないということは、僕たちの日常には溢れています。

コロナの諸政策についても、僕の中では完全にこのカテゴリです。

 

コロナ関連の一連のパニックや非合理的な行動に対して、「もっと理性的になれ」、「数字を見ろ」みたいな主張をしばしば見かけます。

もちろんそれはその通りなのです(僕も自身の振る舞いに関しては完全にそちら寄りなので言わんとすることはわかります)

ただ、じゃあその主張が「正しい」からと言って、現状の社会を混乱から救うかと言えば、必ずしもそうではないと思うのです。

 

たとえば長く付き合っていた恋人(こちらはまだまだ大好き)から、①あなたは私の全恋愛対象のうちの15206目でした。②そしてこの度15205番目相当の男性と出会ったのです。③というわけで15206番目のあなたではなく15205番目の彼と付き合います。

こんなふうに言われたらどうでしょう?

恐らく、「わかりました!それは合理的に正しいから私が身を引きましょう」と快くその場を去ってくれる人はいないと思うんです(笑)

仮に合理的には正しくても、人はそれを必ずしも選択するとは限らない。

そんなことは経済学でも研究されていますし、また先の例よろしく、わざわざ特別な理論を持ち出さずとも納得できることだと思うのです。

 

僕の中でコロナに対して感情優位でヒステリックになっている人は同じカテゴリです。

「あんなバカがいるのか」というよりは、「僕も状況次第で同じような行動を選択するのだから、あの姿は将来の自分である」とビビる方が多かったりします。

たしかにコロナに関しては長期的には感染拡大以外のさまざまな観点から冷静な行いを選択肢しなければなりません。

しかし、だからといって、「この事象」に関しては「たまたま」「冷静な」判断を下すことができているだけの人が、「たまたま」「その事象」に対して「盲目的」になっている人をバカにしたら皮肉を言ったりするのが正しいかと言えば、決してそんなことはないと思うのです。

むしろそういう姿を見た時は、バカにするのではなくて自分もそういう振る舞いをするシチュエーションがあるだろうなということに思いを馳せるべきなのかなと思ったりする今日この頃。

コロナに対する過剰な忌避感からの他人の排斥はたしかにいかがなものだろうとは思うのですが、僕にはそれと同じくらいコロナをきっかけに非合理的な人を過剰なくらいバカにする"理性派"層もどうなのかなあと思います。

 

困難を前にして、ある事象Aに対する賛成派も反対派も「自分の信じる正解」だけが正しいと思ってしまいがちな今だからこそ、他の主張を受け入れる余裕が大事なんじゃないかなと思う今日この頃。

 

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