最近『逃げ上手の若君』という作品にはまっています。
鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した北条時行をモデルにした作品なのですが、キャラクターの個性を作り出すのが圧倒的に巧みで、何より悪魔的なカリスマ性を描かせたら天才的な松井優征先生が歴史を題材にして作品を描くとここまで面白いものになるのかと圧倒されっぱなしです。
現在連載中の週刊少年ジャンプ(2024年10月17日)では1340年あたりまでの様子が描かれているわけですが、史実にもとづけばここから大分時間が飛ぶように思います。
そうすると最終回も意外と遠くない(といってもまだ何年も先だと思いますが)のではないかということで、一ファンとして、この作品のすごいと思った点を紹介しつつ最終回について妄想を膨らませてみようと思います。
初めからラスボスを描くことの難しさ
僕はこの作品を最初に読んだとき、『バクマン。』で言っていた「初めからラスボスが出る作品の難しさ」という話を思い出しました。
ワンピースやドラゴンボールのように、序盤のうちは次々と敵が現れては倒していく構成にできる作品では、仮にボスキャラの人気がなかったとしても次のキャラクターを投入できるが、初めにラスボスを登場させる場合、そのキャラクターの人気が出なければ作品そのものが沈んでしまうというお話なのですが、歴史を題材にする場合、この構造からは絶対に逃れられません。
最期の敵が決まっているどころか、同じキャラクターを何度も登場させて戦わせなければならない。
そうした繰り返し登場する敵キャラクターの一人でも読者の共感を得られなければ、この作品は成立しなかったわけです。
そんなある種リスキーな題材なのですが、個人的には松井先生にはぴったりなテーマであるようにも思いました。
というのも、松井先生はカリスマ的な才能をもつ存在(特に敵)を描くのが初連載の時からずば抜けてうまかったからです。
『魔人探偵脳嚙ネウロ』ではXやシックスといった悪、『暗殺教室』では理事長先生や死神といった敵と、とにかく悪のカリスマを描くのに長けた印象でした。
そんな松井先生だからこそ、絶対的なラスボスとしての足利尊氏というモチーフはぴったりなんじゃないかなと思ったのです。
『魔人探偵脳嚙ネウロ』では少し残虐すぎる思想の敵キャラが多かったのに対し、学校をテーマにした『暗殺教室』では一作目の持ち味だった残虐性をグッと押さえてカリスマの部分を引き出すキャラづくりに徹した印象でした。(学園物で度を越えたグロデスクは描けません)
そこにきて武将の合戦というテーマはまさにその両方の良さを引き出すテーマだなと。
終わりが決まっている作品を終わらせる難しさ
僕が『逃げ上手の若君』の最終回に興味を持っているのは、歴史を題材とした作品は終わりが決まっているという点にあります。
どう登場人物を動かしても、歴史上の要所は外せないですし、まして最期は決まってしまいます。
北条時行であれば1353年にとらえられ処刑されたとされているため、どうやってもそこが物語のラストになってしまうわけです。
さて、こうした終わりが決まっていることに加えて、この作品だと主人公の最期が気になります。
これが青年誌や教育漫画的な歴史漫画なら史実に忠実に時行の最期を描けばいいかもしれませんが、少年漫画で、しかも天真爛漫なキャラクター設定のこの作品では、なかなか主人公の「死」をクライマックスに持ってくるのは難しいように思います。
漫画でも小説でも映画でもそうですが、ポジティブな作品において「主人公の死」をクライマックスに持ってくる場合、そこに何かしらの納得できる理由が不可欠だからです。
例えば主人公の死がハッピーエンドとして成立する場合の典型としては次の2パターンがあります。
①主人公の動機が成仏した場合
②主人公が次のものに意志を託した場合
③主人公がの命と引き換えに世界の平和がもたらされる場合。
一つ目の場合はたとえば父の仇を討ったとか、目的を果たしたとかいうパターンです。
読者の誰もが納得する形で主人公の行動の理由が達成された場合を僕は(岡田斗司夫さんの言葉を借りて)成仏すると呼んでいるのですが、一つ目の場合はこれに該当します。
二つ目の場合は自分の意志がしっかりと次の世代に託された、あるいは自分の死が次の世代の成長のきっかけになる描写が描かれた場合です。
この典型がまさに松井優征先生の『暗殺教室』でしょう。
殺せんせーの死が生徒たちの成長のトリガーとして機能することで、その死が読者にポジティブに受け取られています。
三つ目は自分の命と引き換えに世界の平和が手に入るという、最終回で主人公の命が世界平和の生贄として機能するパターンです。
この場合、悲しくはあるけれど平穏な世界が訪れたという読者の納得が得られます。
『RAVE』や『まどかマギカ』、最近だと『約束のネバーランド』あたりがここに含まれると僕は考えています。(それぞれ絶妙な派生形ですが…)
主人公の死をバッドエンドにしないためには、この辺りのパターンしかないように思うのです。
逃げ若の構造に最終回のパターンを当てはめる
さて、これを踏まえて『逃げ上手の若君』の構造を見ていこうと思うのですが、まず、①の主人公の動機が成仏というのは史実に照らし合わせても難しいように思います。
北条家の復権と打倒足利尊氏が主人公時行の願いなのですが、これらをゴールにすることが史実として不可能です。
そうするとどうあがいても志半ばで亡くなることになってしまうので①は物語の構造上成立しません。
次に②の意志を後世に残すパターンです。
実は『魔人探偵脳嚙ネウロ』では主人公桂木弥子を一人前にするためネウロが精根はてて魔界に帰るという形で、『暗殺教室』で主人公渚が殺せんせーの死をきっかけに一人前の先生になるという形でこの構造を取り込んでいて、松井優征先生が得意とするパターンであるように思います。(ちなみにどちらも③の要素も含んでいるのが松井先生のすごいところ)
しかし今回の『逃げ上手の若君』では、主人公は主君であり、むしろ様々な恩師から願いを託されるという形をとっているため、この構造には持っていけません。(それどころか最新話では嫁をとることで死ねない理由まで加わりました)
こうした点を考えると②に持ち込むことも難しいでしょう。
最期に③のパターンですが、こちらも北条時行というキャラクターと史実という制限がある以上難しそうです。
そうするとどうしてもバッドエンドか、それ以外のトリッキーな終わりを持ってくるしかないように思うのです。
いろいろな作品の主人公の最期を参考に考える
ハッピーエンドの終わり方が難しそうということで、今度は「死」が最後にくる作品の結末をいくつか挙げて考えてみたいと思います。
①~③に挙げた形以外で主人公の死が最終回に来るということで僕の頭に真っ先に浮かんだのは『BANANA FISH』『闇金ウシジマくん』『DEATH NOTE』でした。
これらの作品は主人公の死をもって物語が簡潔しているのですが、それぞれが悪として存在していたため、「死ななければいけない理由」が存在しているといえます。
当然感情移入して読んでいる読者からすればそれをハッピーエンドと呼ぶことは難しいですが、物語世界として考えれば納得できる結末です。
しかしながら『逃げ若』にこの結末を適用することが可能かといえば、そもそも悪として書かれていない時行をこの結末に持っていくのはどうやっても不可能でしょう。
他には主人公の死が確定していて最終話まで描いた作品としては、『遮那王義経』がありました。
源義経の生涯をベースに描かれたこの作品ですが、初めの物語の仕掛けとして義経が変わり身の少年であることにされています。
その上で史実としては死んだとされるところで死を偽造して生き延びたという結末を採用したのがこの作品ですが、そこには「郎党たちの勇姿を後世に残したい」という思いを軸に現世まで歴史書が伝わるという締め方がされていました。
もちろん時行にも生き延びたという説が存在するためこれに近い最終回も可能です。
しかし、同じ歴史漫画ですでに行われた結末を採用するかといえば、なかなか難しいように思います。
また「逃げ上手」という特性を生かして「主人公のその後はひっそりと生き続けていたようだ」という結末もきっちりと作品をまとめてきた松井先生の作風的に個人的にはあまり考えられないように思います。
消去法で残ったパターンから結末を絞り込む
バッドエンドは好まれない、主人公の明確な悲運の死は描けない、史実に大きく逆らえない、逃げ延びたという説は直接的には使いづらい、打ち切り形式の途中終わりは難しいという縛りのもとでできる結論を考えるとかなりパターンは絞られてくるように思います。
もちろんそうした条件を設定した上でできるパターンを考えると、僕は次のような結末になるのかなあと考えています。
①処刑されるのは影武者
②時行は最後に何か尊氏に爪痕を残す
③ベースは『鬼滅の刃』方向の結末
まず①ですが、作中で逃げ上手が繰り返しテーマになっていたことと、歴史に名を残さぬ英雄として取り扱われていることから、やはりこの方向性で描かれるように思っています。
次に②は史実を踏まえるとここから先、1958年に亡くなるまで苦戦を強いられています。
この転機となった部分に時行との最後の接触を持ってきて、時行の剣か何かで神がかった力が失われたという方向にするのが漫画の演出としては納得度が高いと思うのです。(尊氏の背中にあったとされる腫れ物を子のトリガーに使うのかなというのが個人的な予想です。
ただこれでは結末として弱すぎる、というか打ち切りタイプになってしまいます。
そう考えたときに気になったのが、特に物語の序盤によく出てきた未来予知の現代の姿や。要所要所の登場人物に出てきた「現代に生きたならば」という描写です。
直接的にストーリーに関係しないあの場面が、最終話の伏線になっているのではないかと思うのです。
時代は流れて現代にも時行やその郎党、あるいは尊氏など敵方も含め、全員の面影がある人物を登場させて今の暮らしは彼らの奮闘の先に続いているということ、名もなき英雄がたくさんいたように誰もが名もなき英雄であるみたいな描写が描かれる。
んで、最後に古文の教科書の太平記のページがパラパラと風に揺られて開き、時行の名が刻まれている場面で終わるみたいな形になるのかなというのが僕の予想、というか妄想です。
もちろんこれは外れて当たり前ぐらいの妄想ですが、歴史を扱った作品は結末が決まっているからこそこういった妄想にふけることができて、それもまた楽しみの一つであるように思います。
ここからますます期待値を上げている『逃げ上手の若君』。
今後の展開が本当に楽しみです。
皆さんはどのような展開を期待しますか?
アイキャッチはもちろん逃げ上手の若君