この記事は僕のYouTubeチャンネルで話している中学受験に関するラジオの文字起こしです。もし作業の最中に聞きたいという方はこちらをよろしくお願いします。
【中学受験】受験勉強にも修行は必要?寿司職人から学んだ大切なこと | 2026年度 恵泉女学園中学校で出題された今井むつみ『AIにはない思考力の身につけ方 ― 言葉の学びはなぜ大切なのか』
寿司職人の修行にみる「下積み」の本当の意味
本日なんですけれども、寿司職人における修行時代のような形で、「受験勉強にも下積みって大切だよね」というお話をしていきたいと思います。いきなり突飛な話から入ってすみません。
ちょうどここ最近の中で、あれこれ色んなコンテンツに触れていたんですけれども、その中でちょっと僕の中で印象に残った作品がありまして。それが、寿司職人として30年くらい大官山でお店をやっている「韻」さんというお店があるんですけれども、あのユーチューバーのリュウジさんという方の番組にたまにというか、よく出ている寿司職人の大将さんなんです。
その方が、寿司の学校を優等生・首席で卒業した方に1日修行をつけると。それで、本人自体が「修行が必要かどうか」をどう思うか。またそれを見ているスタジオにいる人たちは、修行というものが必要と思うか、それとも無駄と思うか、そんなものを捉える番組だったんですけれども、ちょっとその中で見た、その大将が任せた修行の中で言っていた言葉というのが印象的だったのと、「ああ、これってまさに勉強に通じるな」という風に思ったことがあったので、今回ちょっとそんな話を扱おうかなと思いました。
ざっくりとなんですけれども、この番組はどういう趣旨だったかというと、色んな場面で「それって本当に必要なの?無駄じゃない?」という風に思うことがあると。その無駄だと思うものを実際に体験してみて、半分ドキュメンタリーみたいな形でやってみて、それをスタジオの人たちが見ていて最終的に必要かどうかのジャッジを下すというものだったんですね。
で、この寿司職人の大将さんは、もう30年くらい本当に第一線でお店をやっていて、しかも圧倒的な技術があるという方だったんですよ。
ここ最近、よく言うじゃないですか。「あの寿司屋の修行なんて無駄だ。YouTubeを見ればわかるし、細かい解析もできてるんだから、その分析とかを見ればその技術というのは盗める(習得できる)」みたいなことを、特にホリエモンさんとかもよく言っている内容だったんじゃないかなと思うんですけれども。まあ、確かに僕らも直感的にはそう思いますよね。
その番組では、確か「寿司を握らせてもらうだけでも5年くらい下積みをしないといけない」みたいな。最初はずっとその握りなんてさせてもらえなくて、店の掃除であったりとか、あとはもう自分で修行の練習をするという風に言ったら、水で濡らしたキッチンペーパーで寿司を握るというのの勘所を掴みなさい、みたいな。あとは一緒に対処についていって、そこで様々な目利きであったりとかものの仕入れというものを学ぶし、とにかく綺麗に一個一個の道具を大切にしなさい、みたいな。
「本当にそんなこと必要あるの?いやいやいや、いきなり技術だけ教えてあげればいいんじゃない?だって欲しいのは技術だから」と、そんなところから「修行は無駄だ」という論者の方たちは「無駄だろう」と言っていたんです。
包丁を研ぐタイミングに隠された「志」
前半は、大将も優しく、自分の仕事に連れていって、市場で魚を仕入れる時に「どういうところを見て仕入れるんだい」というのを教えつつというか、自分の技を見せつつという風にやってたんですけれども、決定的にこの大将が怒るところが映っていたんですよ。
それが何かというと、「包丁を磨いていなかった」と。
その子はその子で、ちょうど2週間前に学校を卒業したばかりで、ようやく(自分の)道具が手に入ったから、包丁をそのままにしていた。まあ、実はあんまり悪気はなさそうじゃないですか。でも、このすごい優しく手取り足取り教えていた、なんなら気さくに振る舞っていた大将が、そこだけはすごい怒っていたんですね。
その時に言っていたのが、「この包丁で、海に出て、絶対に美味しいこの鯛を食べてもらいたいという風に思った漁師が、俺たちにこの食材を任せてくれているんだと。そして、それを俺たちは絶対に美味しい、一番美味しい状態を届けないといけないだろう。包丁が磨かれていないような人に、この魚を任せようって思ってもらえると思ってるのか」という風に怒っちゃったんですよ。
言ってしまえば、それは精神論みたいなところなのかもしれないんですけれども、その後に「俺が磨く」という風に言って、包丁を大将自ら研ぐんです。でも、研いだ時に手にやっぱりサビがつくんですよね。で、それを見せて、
「今、営業前にこれを研いだら手にサビがつくし、その匂いというものが魚に反映されるだろう。だから、俺たち料理職人は、絶対に仕事終わりにしか磨かないんだ」
という風にやってみせて学ばせるんですよね。
それを見た瞬間に、体験で修行に来ていた人が「あ、なんてことをやってしまったんだ」という顔をしていて、これがすごい示唆に富んでいるなと思ったんですよ。心構えとか意識の問題というものをまず何より大事にして、そうすると初めて「なぜそれをそのタイミングでやらなければいけないのか」というのが心の底から理解できる。
この場面に映っていた、その寿司の学校で勉強したという男の子は、最初「包丁は己の心を映す鏡だ」という風に言われた時に、あんまりピンときていないような様子だったんですよ。でも、その漁師の人たちが本気で仕入れてきた魚を任せる相手としてふさわしいのか、その包丁の持ち主が、という話をしたりとか、その後に「今、営業前に研ぐというのはどういうことだ」というのを聞いた瞬間に、自分がいかに緩かったかというのに気づいたって顔をしたんですね。
これってむちゃくちゃ重要だと思っていて、心の底からその理由、何か必要だというところに意識が向いた瞬間に、一見意味のなさそうだと思った行動の理由であったりとか、正当性、そうでなければいけない理由に気づけるんですよね。
その後、この修行に来た子は実際に(お店で)お客様を接客させてもらえるんですけれども、その時にさらにもう一歩、「すべては目の前のお客さんに喜んでもらうためなんだ」と。そして喜んでもらうためには、最高の食材を全力で仕入れてきてくれた人たちの期待に応え、それ以上のものを提供する。そういう心構えで店に立たないといけない。
そう考えた時に、当然だけれども、ベストのパフォーマンスをするためには何をしなければいけないのか、そのための準備としてどういうことをすべきなのか。そこまでくると、一個一個の、例えば入り口の掃除だったりとかいうのにすら、しっかりと意味があるし一貫性があると。で、そういった精神性から身につける、それができるのが修行なんだっていうのを、僕なりの解釈なんですけれども、大将は伝えたかったのかな、というそんな番組だったんですよ。
受験勉強における「下積み」と「ただこなす作業」の差
で、これって僕、勉強にも言えることだと思うんですね。
そのままこれを受験勉強に当てはめるとしたら、ただやらされるというだけで、「知識だけ身につければいい、言われた通りにやればいい」ってそんな意識でいる子と、今みたいに心の底からどういう意図でやらないといけないのかという「志」をここに留めておき、そしてそのために、そこから逆算すると「この行動にはどういう意味があるんだろう」ということまでしっかり分かった上で受験勉強に向き合っている子に、前者の子が勝てるわけないじゃないですか?
で、これってさっきの寿司屋の修行で言いましたけれども、受験勉強で言ったらちょうど下積みみたいなもんだと思うんですよね。ただ問題を解いてえいやでおしまいにするとか、宿題で出されてるしやらないと何か言われるから仕方なくやって終わりとか、丸付けもろくにしないみたいな。特に子供たちで、しかも非受験学年だったら、そういう風な気持ちになってしまうのはしょうがないとこであるとは僕は思うんです。
けれども一方で、非受験学年であるからこそ、そういう部分のその「精神性」という部分からしっかり教えてあげることが大切なんじゃないかなと僕は思っていて。
今は、とかく何か言うとハラスメントみたいなことを言うので、あんまり僕らも厳しいことは言えなかったりしますし、子供たちの自由な意識だったりとか、好奇心というものを引き出そうというのがとにかくもてはやされがちな時じゃないですか?
でも一方で、そういった今言った「修行」を通して、「なるほど、そういう意図があったんだ」というのが心の底から腑に落ちて、腑に落ちた後の行動変化の一貫性みたいなものを教え込めるというのは、ある程度の厳しさは必要なんじゃないかなと僕は思っていまして。
もちろん仕事(塾の授業)でやっているわけなので、今の社会のご時世のことも考えて、そんな昔ほど厳しくはできないんですけれども。一方で、ちゃんとそういう部分も教えられればな、なんていう風に僕は思って授業をしているので、ちょっとそういうことを思い出させてくれた、やっぱりそういうのあるよなと思わされたものだったので、今回紹介させていただきました。ちょっといつの番組かわからないので「これですよ」って紹介できないのが申し訳ないんですけれども、もしそれに出会ったらぜひぜひ見てほしいなあと思います。
そして、この大将自身はリュウジさんの番組にたまに出ている気さくなおっちゃんなので、よかったらそちらも見てください。
恵泉女学園中の入試問題に見る、AI時代に人間が勝てる「直感力」
というわけで、後半は入試問題の紹介です。
本日紹介したいのは、2026年の恵泉女学園中学校さんが出題していた、今井むつみさんの『AIにはない思考力の身につけ方 ― 言葉の学びはなぜ大切なのか』という作品です。
この作品では、チャットGPTに色んな質問をして、ちょうどチャットGPTとかが引っかかりそうな質問をするんですけれども、そこで「あくまでもAIというものは、これまでの統計、その集積地の中から最適解を導いているだけなんだと。本当に思考しているわけじゃないんだよ。じゃあ本当の思考とは何だろう」みたいなことを話して、人間にしかできないものというのを語っている文章なんですけれども。まあ、あの具体例の中に出てくる実際の実験とかが、「ちょっとそれはひねくれすぎてるんじゃない?」という風に思うようなところもあったりするんですけれども、思わず「あ、なるほどな」という風に思う面白さがそこにあって、というやつなんですけれども。
ちょっとそことは別に、今井さんはこの作品を通して、「人間がAIに勝てる一番の力というのは直感だ」と。そして、「その直感力というものは、自分たちが経験した中で鍛えていくものなんだ」というところに結論付けているんですよ。
AIというものが情報の集積の中から最適解を出すのに対して、僕らにはその本能であったり直感とか、「なんか嫌な感じがする」とかいう風に思う時ってあるじゃないですか?あ、もちろんあれというのは、その言語化しきれない経験値の積み上げの中で、言語化しないまんま、なんとなく感じ取る、察知する能力だと思うんですけれども。AIというものが、少なくとも言語化されたものすべての中から最適解を導くとしたら、言語化され得ないものを持っているということこそ大切なんじゃないか。まあ、噛み砕くとそういうことを言っていて、「それを磨くことが大切だよね」というのがこの今井さんの主張なのかなと僕は思ったんですよ。
バスケットボールのシュートやピアノを弾く際のタッチの加減かもしれません。ゲームをクリアする際にこっちに行ったらやばいと感じることもそうかもしれませんね。ある技術に対し、何らかの直感を得るには長い時間が必要です。
こういう風に今井むつみさんは言っていまして、まさにさっきの「修行の話」ってここに繋がってくると思っていて。
もちろん、あらゆる技術の大部分のところというのはマニュアル化することはできると思うんですよ。でも、マニュアル化した時点で失われてしまうものが絶対にありますよね。そしてそういうものこそが、実は本当に「極める」という時には重要だし、ましてAIでその言語化できる部分というのは再現されてしまう時代だからこそ、そこ(言語化できない領域)を身につけておくことが重要だと。
で、これは別に理想論って話ではなくて、受験勉強という本当に最後の最後の誤差で自分たちのライバルと戦うって考えたときに、そういう能力(直感力)の有無というものが結果の差に関わってくるよね、というのは充分言えることだと思うんですよね。
だからこそ、受験勉強ということでもそうですし、またそれを超えた人生全般というもので考えても必要なものなのかなと思ったので、今回はちょっとあの寿司屋の修行に合わせて、この作品を紹介させていただきました。
というわけで、本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
本日は、「寿司屋の職人の修行に学ぶ下積みの大切さ」というお話と、恵泉女学園中学校さんが2026年に出題していた今井むつみさんの『AIにはない思考力の身につけ方 ― 言葉の学びはなぜ大切なのか』という作品の紹介でした。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。もしこの番組が少しでも面白かった、ためになったなあなんていう風に思っていただけることがございましたら、チャンネル登録であったり、高評価よろしくお願いいたします。
それでは。
よかったらチャンネル登録お願いします。