新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



学生時代の答え合わせ

あけましておめでとうございます。

晦日にまたひとつ歳を重ねて、ひとつ人生の節目を迎えました。

短期ビジョンをもって、具体的な数値を掲げてそれに向かって頑張るみたいなことは僕の主義に反しますのでしませんが、今後ともよろしくお願いします。

 

さて、ひとつの節目を迎えたということで、今回はざっと学生時代に決めた自分の選択と未来予想の「答え合わせ」をしてみたいと思います。

記者になりたくて就活に挑み、うまくいかなかったために当時持っていた内定を蹴って就活浪人を選んだのが22歳の時。

結局翌年も希望の仕事に就けず、当時の縁で塾業界に入るわけですが、結局はその選択が自分にとって最良のものになった気がしています。

 

初めは2教室を掛け持ちしつつも、当然任せていただけるコマ数など微々たるもので、本当にギリギリ他のバイト無しで生活できる程度でした。

(3lくらいの安い焼酎を買ってきて、細かくグラム測ってちびちび飲むのがやっとくらい 笑)

そんな生活ということもあり時間だけは有り余っていたために、ブログを書き続けいた23,24歳。

幸い国語のネタが受け入れられたようで、ブログのPVが5万/月くらいになるようになります。

因みに時間が有り余っているという理由から、先輩に誘われたマルチ商法の団体に入れられ、1年くらいそこでフィールドワークをしていました(一年でポン酢1本しか買わなくて追い出された)

 

ちょうどその頃、知人が事務局長を務めるNPOの関西支部を立ち上げるというお話が出てきて、僕はその立ち上げに関わることになりました。

結果的に力及ばず数年でそこを去ることには鳴ったのですが、そこで担当させてもらった人事と広報のスキルは今でも役に立っています。

また、このタイミングくらいで、上とは別のNPOの知人から中学校の講習のお手伝いや夏休みの親子クッキング等のイベントのお手伝いのお話を頂き、よくわからない形で「公」の教育にも触れるようになりました。

 

社会に出て3年目くらいからは、ありがたいことに塾の仕事がたくさん入るようになって、それだけでまあ生活できるようになります。

積極的に飲みに出かけ始めたのはこのくらいの時期から。

行きつけになったお店で同業の友人と出会い、以上に息があったのがきっかけで、そこからたまに広報や教材開発でお手伝いさせてもらうような仲になりました。

ちょうどそのくらいのタイミングで、ずっと書き続けていたブログが某編集者の目にとまり、ウェブメディアからの記事の執筆依頼をいただきます。

結局1年間の契約で終えてしまったのですが、図らずも社会に出て3年目くらいのタイミングで、「ライターになりたい」という自分の夢は成就しました。

 

そこから2年ほど、ある程度実績や経験を積んだタイミングで、僕が今務める2件目の教室から仕事の話を頂きました。

これは親子クッキングのお手伝いをしたNPOさんからのご縁。

そんなわけで国語科主任というお仕事を引き受けました。

そこからは個人事業主に切り替え、税金などの勉強を。

知人の教室の研修やちょっとした縁でイベントの司会などをするようになったのもこの辺から。

この辺から初めて社会人が楽しいと思えるようになってきました。

 

ここから数年はこれまでにできた縁から記事の執筆や広報や授業のお話を頂きつつ、仕事に打ち込む数年。

そしてこの1,2年ではプログラミングの教材開発や全国向けの入試教材の開発、オンライン授業に、クラウドファンディングの広報戦略作り、書籍の出版に関わったり、ウェブマガジンの連載の話を頂いたりということをさせてもらいました。

 

というのが、僕の大学卒業から今までの足跡だったりするわけですが、振り返ってみて、まあおもろい経験をたくさんさせていただけたなあというのが率直な感想です。

こうしてみると、そこそこ色々やってきたとは思うのですが、そもそも僕は学生時代のバイトから含めて、いわゆる就活的な自分で働き口を探しに行くということをした事がありません。

全て知人の紹介が、声をかけてもらえたことに乗っかっただけ(笑)

多分自分の夢とかやりがいを追いかけて自ら行動していたら、何一つとして得られていなかったことだと思います。

ある意味22歳の時に夢が折られて、やれること(塾の先生)に徹してきたことがよかったなと。

振り返ってみると、できることをただ愚直に努力した結果、やりたいことが後から付いてくるというここまでの道のりでした。

やりたいことを声高に叫んで夢を叶えて行くという少年ジャンプの主人公みたいな生き方もかっこいいけれど、振り返って改めて、僕にはそういう生き方は無理だなあと。

そういうかっこいいことはできないけれど、周囲に与えてもらった期待に、せ」て裏切らないように、できればほんの少し期待を上回ることができるように。

そんなことを考え続けるという方向の先にも、案外やりたいことへの道があるというのは振り返ってしみじみ思うことだったりします。

 

もちろん、フリーで生きて行くと決めるにあたって、収入口を5つ作るとか、不労所得を作るだとか、資産形成の仕方とか、年収のコントロールの仕方とか、お金に関する計算はかなり緻密に立てて、それは概ね思った通りに動いています。

ただ、こうした機会に振り返ってみて面白いのは、多分こうなると左脳で立てた計算よりも、上に書いたような、できることをした結果やりたいことに近づいたという部分だったりします。

ようやく自分の戦い方が分かってきたので、ここからはきちんとらしさを意識しつつ、自分にしかできない立ち回りが追求できたらなあと。

ひとつ年齢的な節目を迎えて、そんな風に思っていたりします。

今後とも迷惑をかけるかと思いますが、みなさんどうぞよろしくお願いします。

 

アイキャッチは好きな漫画

 

 

日常としての非現実と非日常としての現実

僕の家にはバーカウンターがあります。
といってもオンラインのmtgや飲み会用に簡易的に用意した一畳くらいのスペースです(別にいい家に住んでいるわけでも、お金をかけて改築したわけでもありません)。

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春先のコロナの流行をきっかけに作りました。

コロナで生活スタイルの大幅な変更が余儀なくされたときから、僕の中で「身体性」という言葉が非常に大きなテーマとなっています。
物理的なさまざまな制約とここ数年のテクノロジーの進化から、僕たちはこの半年でさまざまな分野において急速にICTを取り入れてきました。
そうした変化の先にどのような世界が広がっているのだろう?ということを考えたときに、僕の中でひとつの「解」であると思えたのが「身体性」だったのです。

未来を考えるとき、僕は技術脳とSF脳で物事を考えるようにしています。
技術脳とは「今ある技術で何ができるかを考える」を考える思考で、SF脳は「今ある技術が広がった先にどのような世界が待っているか」を思い描く思考です。
たとえば、ベーシックインカムについて技術脳で考えると、「全員に一律のお金を給付すれば、つまらない仕事につく人は減り、多くの人がより楽しんで暮らせるようになる」となる一方SF脳で考えたら、「完全に仕事から自由になった人々は、それまで仕事で得られていた承認欲求や帰属意識からも解き放たれ、それらを満たすために結局『搾取』のような構造を求めるようになる」みたいな感じ。
未来を考える際には、技術で論理的に可能な「強い世界」ではなく、その論理的に可能な世界と論理では割り切れない世界の差を考えることが大事だと思うのです。
それが、僕のいう技術脳と論理脳という考え方です。

こうした考え方からコロナ禍をみたとき、僕が興味のあるのが身体性です。
コロナでさまざまなものがオンラインでできるようになった反面、実体ベースの体験が大幅に減りました。
テレワークが大幅に進んだり、オンラインでの飲み会が増えたりと、僕たちの生活に便利な選択肢が増えました。
反面失われた(今後さらに失われるだろう)ものが実体を伴う体験だと思うのです。
オンラインの飲みは距離のある人とも繋がることができて、好きな時間まで飲むことができていいことが多いですが、やっぱりやればやるほどに対面で飲む楽しさを時間します。
表情の節々、一緒にメニューを選ぶ過程、その場の匂い、偶然居合わせた人との即興的な関係性などなど、対面の良さを思い出します。
飲みに限らず、僕たちがオンラインで得たものが多ければ多いほど、トレードオフになっているものへの価値みたいなものへの欲求は大きくなると思うのです。
僕たちのメンタリティ的に、どこかのタイミングでそういったものへの回帰が起こるというのが僕の予想。
だからこそ、身体性を感じられるものを今のうちから積極的に開拓しておこうというのが僕が取っている選択だったりします。
冒頭で紹介したBarスペースもこの考え方の延長です。
オンラインで背景が自由に選べるからこそ、実体のあるセットのような背景を作ってみたのです。

ITの進歩は素晴らしいけれど、僕たちはどこまでも実態としての存在です。

だとすれば僕らの日常がバーチャルによればよるほど、僕たちは非日常にリアリティを求めるのではないか?

今までは当たり前だったリアリティこそ、贅沢品になるのではないか?

そんな仮説を持っての、「身体性」というテーマだったりします。

左脳と右脳で"2回"読み解く『千と千尋の神隠し』

作品にどう触れるのか?

もちろん作品の楽しみ方なんて十人いれば十通りのものがあって然るべきだとおもうのですが、僕の中で個人的に大切にしている読み方があります。

それは演出の節々に表出した意図を拾い集めた先に、作者の真意にたどり着こうとする読み方です。

桑原武夫さんの『文学入門』という本の中(確かこの本だった気がします)で「論理の積み上げの先にたどり着く『観念』ではなく、表出したappearanceの積み上げの先にたどり着くcloseを追いかけるのが小説愛読者としての読み方である」というようなことを言っているのですが、まさにそんな感じ。

もちろん大きな構成や演出を左脳的に読み取って、「論理的に」たぶんこうやろなという解釈をすることは大切ですし、実際僕もよくやるのですが、本当の大作の場合はそうではなく、時間をかけて繰り返し繰り返し作品に触れて、細部に散りばめられた作者の意図(appearance)を拾い集める。

その積み上げの上に作品を読んでいくと、それまでとはまるで違う作品の側面(close)が見えてくる。

こう言った楽しみがあるのが、appearance→closeという読み方だと思っています。

僕の中で宮崎駿さんの名作『千と千尋の神隠し』は、論理→観念の読みとappearance→closeの読みでは違った見え方がする作品だったりするので、今回はこの映画を題材に、appearance→closeという読み方をしてみたいと思います。

 

論理→観念ベースで読んだ『千と千尋の神隠し

いきなり論理やら観念やら、appearanceやらcloseやら、いっても訳がわからないので、実際に順を追って『千と千尋の神隠し』を楽しんでいきます。

 

まず、論理→観念というのは、そこに直接的に描かれるメッセージ性やテーマを追いかける読み方のこと。

千と千尋の神隠し』でいえば、「名付け」や「主人公の成長物語」というのがここにあたるでしょう。

この作品では名前を奪われたり、声をかけることで豚となった両親を救ったり、物語の要所にあるキャラクターの名前が名前を持たないという意味の「カオナシ」(顔無し)であったりと、「名付け」に関するテーマが頻繁に登場します。

「名付け」の持つ意味には①物事を分節化する(認識できるようにする)働きや、②特別なものである証(恋人同士で特別なあだ名で呼びあったりしますよね?)とか、③支配の対象(ペットに名前をつけたりが好例)みたいなものがあります。

こうした観点から見ると、神の世界に迷い込んだ主人公の千尋とその両親はそれぞれ名前を奪われ(千尋は湯婆婆に名前を没収されるという形で、両親は豚にされるという形で)、それを取り戻すというアドベンチャーが始まります。

そして、正体不明の神の名前は「カオナシ」。

ここには神聖なものには「ナシラズ」とか「ナナシノキ」とか、あえて名前をつけないという"名付け"をすることで支配の対象としないようにするという名付けでよく使われる手法がとられています。

名前をとられるとはどういうことか?名前を取り返すことがどういうことか?

こういった角度から物語を読むという楽しみ方が『千と千尋の神隠し』ではできて、これが大きな面白さの1つだと思うのです。

 

また、この作品は千尋というひとりの少女が社会に触れて大人になるという文脈でも読むことができます。

初めは自分のことばかりだった千尋は、湯婆婆に出会い風呂屋で働くことになり、数々の大人や客と接する中で、どんどん他社意識や礼儀、そしてなによりそういったものを通して強さを身につけて成長していきます。

この主人公の成長する姿を見て共感していく観客は少なくないはず。

こういった、ひとりの少女が仕事とは何かを学ぶ物語としても楽しめるわけです。

 

これらはどちらも作品のプロットやテーマに基づき、左脳でこの作品を見た場合に受け取るメッセージです。

もちろんこれで十二分に面白いわけですし、そもそもジブリとしてはそういう映画として『千と千尋の神隠し』を作ったと思うので、この読み方は間違えなく正しいと思うのですが、こうしたプロットの部分をいったん棚上げして、作画や演技に散りばめられたものを拾い上げてこの作品を見ていくと、先に書いたのとは少し異なる物語として見ることができるようになります。

 

appearance→closeベースで読んだ『千と千尋の神隠し

ここからはアニメ評論家で自身も『オネアミスの翼』などの監督を手がけている岡田斗司夫さんの解釈をベースにして、映像や演技の細部に散りばめられた疑問を積み上げて、作品を解釈してみたいと思います。

 

この作品はふつうに見ていても楽しめるのですが、細部にこだわっていくと、様々な疑問点が浮かび上がってきます。

・いきなり迷い込んだ不思議な世界は何なのか?

・両親はなぜ冷たいのか?

・ハクと千尋の関係は何なのか?

etc...

じつは、作品の中で語られていない「納得できない部分」がこの作品には数多くあるわけです。

こうした違和感は細かな映像や演出を追っていくことで少しずつ「意味のない惰性」から「描かねばならなかった必然」へと変化していきます。

 

例えば冒頭で千尋の家族が砂利道に車で入っていくシーン。

ここの場面をよく見てみると、舗装路から悪路は変わる所にあった気には引っこ抜かれた鳥居やお墓のようなものが捨てられています。(これは岡田斗司夫さんが解説していました)

つまり、直接は描かれていませんが、冒頭で千尋の家族が入っていったのは、何らかの形で潰されてしまった聖なる地であることが示されているわけです。

だからこそ、ここから不思議な体験がはじまります。

 

また、ここで出てくる(後にコハク川の守り神であるおわかる)ハクという少年は、記憶が曖昧に出てくるわけですが、なぜその川を守る神になったのか?、そして何故記憶が曖昧なのかは描かれません。

また、不思議な土地に迷い込んだときに千尋が悪路でつまずいても一切気にかけないという、千尋に対して「不自然に冷ややかな態度を取る両親」

千と千尋の神隠し』では、こういったいくつもの一見すると必要なない演出が繰り返されています。

そして極め付けは、ハクが守り神としている川で千尋が溺れたというエピソード。

なぜ千尋は"偶然"にもハクが守り神となった川で溺れたのか?そして溺れた千尋に手を伸さしのばした人物は誰なのか?

部分部分でこういった違和感がいくつも描かれているにも関わらず、それらの理由はこの作品の中では最後まで語られません。

 

岡田斗司夫さんは、こうした違和感を並べた上で、宮崎駿さんが『千と千尋の神隠し』の製作の際にされたインタビューで語った「僕は一度『銀河鉄道の夜』をやらなければいけないと思ったのです」(細かな言い回しは違うかもしれません)という言葉に注目しています。

宮崎駿さんが語った『銀河鉄道の夜』とは、もちろん宮沢賢治さんの名作であるあの作品のこと。

銀河鉄道の夜』には、ザネリという学校のヤンチャな子どもが川で溺れたのを主人公ジョバンニの親友カンパネルラが命と引き換えに救い、そのことに銀河鉄道に乗ったジョバンニが不思議な電車の旅を通して気づくという物語が描かれます。

この作品が宮崎駿さんが「銀河鉄道をやらなければならない」と言った以上、そのどこかにザネリはいるし、カンパネルラもいるし、もちろんジョバンニもいるはずです。

そして、こうした前置きをもって先に挙げた"違和感"を並べていくと、次のようなストーリーが見えてくるように思うのです(ほぼ岡田さんの受け売りです)

 

ハクをその土地の守り神としてみることもできますが、見方を変えれば未練からその土地に縛られた霊と捉えることもできます。

そして、その土地で溺れた千尋

これを『銀河鉄道の夜』のプロットに当てはまるのなら、川で死にかけたけど助かったザネリが千尋で、それを助けようと命が失われたのがハクと考えられます。

さらにこの前提を踏まえて両親の千尋に対する(完全に無意識な)距離感を考えると、ハクは実は幼い頃に千尋を助けて亡くなった千尋の兄ではないのかと岡田斗司夫さんは結論づけています。

確かに、それなら両親の(決して悪意があるわけではないのに)なぜか千尋に冷たい態度にも説明がつく。

つまり、映像や演出(そして宮崎駿さんの言った「銀河鉄道」というキーワード)を踏まえると、神の世界に迷いこんだ千尋が、幼い頃に自分を助けて亡くなった兄と再会する物語と読むこともできるわけです。

(ここまでほぼ岡田斗司夫さんの説をお借りしました)

もちろんこれには賛否両論あると思うのですが、僕はこれがappearanceからcloseを読み解くということだと思っています。

 

さらに、ここからはこのエントリの本筋に関係のない僕の個人的な解釈なのですが、だとしたら『銀河鉄道の夜』における主人公ジョバンニは誰なのでしょう?

僕はこれが、見ているぼくたち視聴者自身だと思っています。

ジョバンニは銀河鉄道での旅の中でカンパネルラと話し、様々な人の人生に触れる中でじっくりとカンパネルラの死を感じ取ります。

この列車内での心情の動きそのものを映画を通して観客にさせたのが『千と千尋の神隠し』ではないかというのが僕の解釈。

 

論理的な読み方とappearance的な読み方

以上に書いたのが、論理的な作品の味わい方とappearance的な作品の味わい方です。

繰り返しますが、どちらがいいというわけではなく、いろんな読み方があって、それぞれの楽しめるやり方で作品を見るのが一番いい方法だと思います。

その上で、僕は(仕事柄かもしれませんが)ここ最近appearanceを追いかける読み方をすることが多くなり、その先に色々な気づきがあったので、今回はそれを紹介させてもらいました。

 

作者に対する全幅の信頼、そしてその先にある論理とは違った見え方。

こういう楽しみ方ができるのも、作品に触れる楽しみなのかなと思ったりします。

もしこういう見方に興味がある人がいたら、一度実践してみてください。

 

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ヒソカが敵キャラとして優れている理由

週刊少年ジャンプ史上初、不定期連載が許されているマンガHUNTER×HUNTER(笑)

多分に漏れず僕も大ファンだったりします。

初めて読んだのは小学生の頃だったと思うのですが、キャラもストーリーも魅力的で、当時からどっぷりハマっています。

その中でも特に好きなキャラクターはやっぱりヒソカ

おそらくファンの人気投票などをしても、上位に食い込んでくるのではないでしょうか。

キャラの魅力に関しては、どこに惹かれるかは人それぞれなのはもちろんですが、僕の中でヒソカの魅力に関してひとつだけ持論を持っています。

今回はそのことについてまとめたいと思います。

 

サスペンスとしての敵キャラ

僕はヒソカの魅力を構成する要因のひとつに、ヒッチコック的な手法を利用したキャラ作りがあると考えています。

サスペンスの王様ヒッチコックは、自身の本の中で、「見知らぬ二人がテーブルに座ってご飯を食べているだけの映像ならただの日常の風景だが、見ている側にテーブルの下には時限爆弾が仕掛けられていると知らせるだけでそれはサスペンスに変わる」みたいなことを書いています(文言は忘れました)

僕はヒソカというキャラクターに関して、これと全く同じ要素が含まれていると思うのです。

 

ヒソカの登場シーンと読者だけが知る秘密

物語の始めに登場したヒソカは、その後、主人公たちが「念」というHUNTER×HUNTER世界観の主軸となる能力を習得するタイミングで、再び登場しました。

その時にヒソカの仲間であるマチという女性が戦いを解説するという体でヒソカの念能力を紹介するのですが、これがまさにヒッチコックが説明するサスペンスの手法になっているのです。

ヒソカには①伸縮自在の愛(バンジーガム)という能力と②薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)という2つの能力があります。

これは上に書いた場面で明らかにされています。

しかし、ここで注目したいのは、この2つの能力のうち、②のドッキリテクスチャーは、技の解説をしたマチと読者以外、作中の誰もその能力の存在を知らないのです。

そしてこの場面以降、敵として登場するときや主人公の見方として登場するときなど、ヒソカは登場するたびに、この能力を何度も使って様々な場面を切り抜けていきます。

しかしそのことはそこに出てきた人物は知らないのです。

読んでいる僕たちは、ここに何とも言えないドキドキ感を覚えます。

 

ヒソカというキャラクターは、物語の序盤で読者だけに隠れた技を明かすことで、以来登場するたびに読者と悪巧みの共犯関係を結ぶことになります。

それにより敵も味方も翻弄されることになるのですが、その読者とヒソカだけの秘密であるドッキリテクスチャーを使って上手くやろうとすることに対して、僕たちはこれでやりきるんだという、何とも言えないスリルを覚えるわけです。

まさにこのドキドキ感はヒッチコックがサスペンスの手法と言ったのと同じ方法です。

 

このような共犯関係を結んでいるため、僕たちはヒソカが出てくるたびについつい惹かれてしまうし、ドッキリテクスチャーを使うたびに妙な興奮を覚える。

ヒソカの魅力のひとつはこうした、作者の設計にあるのかなと思います。

そして、こういう設計を自然と忍ばせる作者の冨樫さんはやっぱり凄いなと思うわけです。

 

登場人物のどこに魅力を感じるのかなんて人それぞれですが、僕はヒソカに関して、ひとつこの部分が大きいと思っています。

 

アイキャッチはHUNT

 

 


ER×HUNTER

 

ヨルシカ『ヒッチコック』考察〜ヒッチコック的手法と2回聴きたくなる理由〜

「卒業したから生徒じゃないです」

コピーライターの阿部広太郎さんが、自身の著書『心をつかむ超言葉術』という本の中で、「夏目漱石は[I love you]を『月が綺麗ですね』と訳した(※真偽には諸説あります)が、あなたはどう訳しますか」というお題が出てきます。

冒頭の「卒業したから生徒じゃないです」は、その中で例として挙げられていたもの。

「もう生徒-先生の関係じゃない」=「恋愛対象と見て欲しい」からの[I love you]はとても秀逸だと思いました。

 

好きという言葉を使わないけれど、その気持ちが痛いほどに伝わってくる。

そういう言葉選びを見るとぞわっとすることがあります。

「卒業したから生徒じゃないです」はまさにそんな感じ。

そして、僕にとってヨルシカの『ヒッチコック』という歌も同じような衝撃を受けた作品でした。

 

他愛ない問いかけの意味とヒッチコックという題

〈雨の匂いに懐かしくなるのは何でなんでしょうか。 夏が近づくと胸が騒めくのは何でなんでしょうか。〉

と、終始何気ない問いかけで構成されるこの曲。

サビの部分で〈先生、人生相談です。〉という言葉が出てくることで、この他愛ない質問の相手が「先生」であることが分かります。

しかしここでも先生に質問しているだけで、主人公の意図は見えてきません。

そして2番のAメロもサビもひたすら質問の繰り返しで、そのまま最後までいってしまいます。

 

こんな風に終始先生に対する質問が繰り返されるこの曲ですが、最後に〈あなただけが知りたいのは我儘ですか〉というフレーズが出てきて、状況が一変します。

明らかにこの「質問」だけ毛色が違います。

感覚的な話だけでなく、この質問だけカギカッコがついついないことからも分かります。

(おまけにここだけ呼び方が「先生」でなくて「あなた」となっています)

「あなただけが知りたい」というのは明らかに相手に対して好意を抱いている表現です。

最後まで何気ない質問の繰り返し(因みに細かいことを言えば、どんどん先生に近づいた質問になっていくのですが...!)なので、さっと聞き流してしまえば、日常に生きづらさを感じる主人公が社会への(可愛らしい)不満を口にする青春のひとコマを歌った歌なのですが、最後の〈あなただけを知りたいのは我儘ですか〉そして、サスペンスの王様である「ヒッチコック」の名を冠している理由を考えれば、単なる青春をこじらせた女の子のお話と考えるより、先生への恋心を伝えたい女の子のお話と捉えるべきだと僕は考えます。

 

この解釈で始めから延々と続く他愛のない質問、そして時々に出てくるサスペンスという言葉をもう一度読んでいくと、今度は全く違う雰囲気が立ち現れてくるはずです。

というわけで、再び歌詞を見ていきたいと思います。

 

恋愛の歌としての『ヒッチコック

Aメロで続く他愛のない質問の繰り返しは、好きだけど話題もないし話す接点もない主人公が「質問」という体で話す機会を作ろうとしている場面と考えられます。

そして、Bメロの〈さよならって言葉でこんなに胸を裂いて 今もたった数瞬の夕焼けに足が止まっていた〉は、何気ないやり取りしかできなかった(もしくはすでに気持ちを伝えて振られた?〉あとのやり取りと読むことができる。

そしてサビでの質問、2番のAメロでの質問へと続きます。

2番のAメロの質問が哲学的な問いかけになっているので、見えづらくなってしまうのですが、ここはBメロの書き出しにある〈青春って値札〉を引き立てるための演出としてあえて意味を考えないことで曲の輪郭が見えてきます。

 

〈青春って値札が背中に貼られていて ヒッチコックみたいなサスペンスをどこか期待していた〉

ここで初めて出てきた〈ヒッチコックみたいなサスペンス〉という言葉ですが、これがハラハラドキドキした経験と読むことができます。

先生への呼びかけをする主人公が青春という環境の中で求めるサスペンスのような緊張感。

ここまででは漠然とした印象しか残りませんが、最後を聞いた後に考えれば、主人公が抱く先生との恋と捉えられるのではないでしょうか?

 

そして、サビ〜大サビにかけては、徐々に主人公の気持ちがストレートに伝わる質問になっていきます。

この辺りから主人公の抑えられない気持ちが伝わるようになっているわけです。

そして、私の将来はどうなんでしょう?という質問が続き、最後にくるのが、先に取り上げた〈あなただけを知りたいのは我儘ですか〉という締めのフレーズなわけです。

 

もちろん解釈は色々あると思いますが、僕はこの曲の最後のフレーズを見た時に「まさか!」と思い、もう一度始めから聞き直してこんな風に捉えました。

「好き」を「好き」って伝えるストレートな歌詞もいいですが、こういう解釈に幅のある曲も素敵だなと思います。

みなさんはこの曲を聴いて、どんなサスペンスを思い描きましたか?

 

 

ヒッチコック

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「話し上手」の作り方

大学生で塾の先生を始めた頃、僕はあまりに喋るのがヘタクソで、全く仕事にならなかった(笑)ので、一時期むちゃくちゃ喋り方の勉強をしていました。

落語、お笑い、漫才、司会、講演会etc...

とりあえずYouTubeで見られる動画を片っ端から文字起こしとタイムテーブルを作るみたいな形で書き起こし、話し方の真似をしてみたり。

そんなわけで「話し方」という話題になる、そこそこ言語化ができたりします。

 

「なぜこの人はこんなに面白いのだろう?」という部分や、味のある話し方みたいな所の大部分はその人の経験や環境に由来するコンテンツの部分になってしまうのでなんとも言えませんが、その面白さの技術的な部分には共通点があるように思っています。

人に伝わる話し方、人に面白いと思ったもらえる話し方は人工的に作れるというのが僕の持論です。

 

話し上手の3つの武器

話しが上手い人に共通するのは以下の3点です。

①脳内で話を編集している

②相手との共通項を想定する

③ボールを受け取らない

 

ひとつめの脳内で話を編集しているというのは、会話の内容や尺を意識しながら話しているかというお話です。

よく、話し始めると冒頭から終わりまでを時系列にそって説明し始める人がいますが、あれをやってしまうと、相手には非常に退屈な印象を与えてしまいます。

だからダイジェストを意識しながら話すことが有効です。

例えばYouTuberの語りがそのイメージ。

彼らはおそらく、そこまで話すことが上手いわけではないので、動画にする何倍もの映像を撮った中からいい場面を切り繋いで1つのコンテンツにしています。

結果的に動画のテンポが良くなり、見やすくなっている。

会話においてもこのやり方が非常に有効です。

 

②の相手との共通項を意識するというのは、相手の知っている話題に合わせたり、喋りながら相手の知らない分野に関しては適宜フォローを入れるというやり方です。

友達や会社の同僚であれば話は別ですが、たいていの場合、相手と自分の共有するバックグラウンドはことなります。

自分が当たり前だと思っている言葉でも、相手は知らないということがザラにあるわけです。

そんな時に、「それって何?」と相手が聞き返してくれるのに期待するのではなく、さりげなく自分の側から前置きや解説を加える。

②の意識がある人はこれをサッとやっています。

これをする事で話の伝わり具合が格段に上がるため、聞き手にとってスムーズに内容が入ってくるわけです。

 

しばしば会話はキャッチボールに例えられますが、話の上手い人を見ていると、キャッチボールというより、テニスのラリーに近いやり取りをしているように感じます。

これが③のボールを受け取らないという内容です。

話しが苦手な人は、相手が投げてくれた話題を受け取ると、ずっと話し続けてしまったりします。

これをすると、相手はその間ずっと受け手になってしまうわけです。

いわばカラオケ状態。

話している側は相手にキチンと内容を伝えようとしているわけですが、聞く側は当然退屈に感じてしまいます。

そのため、振られた話題にはサッと答えて、再び相手に話題を戻してあげるという想定で話をする。

そうするとテニスのラリーのようになり、会話がテンポよく進みます。

しかもできるなら相手の打ちやすい部分に返してあげたり、時にはスマッシュを決めやすいロブを投げてあげたりする。

話し上手の人たちは、こういうゲームメイクの視点を持っているように思います。

 

3つの武器を持つ人が使える奥義

最後にこうした3つを使えると、「それらをやめる」という武器が使えるようになります。

こういった「人工的な」話の面白さをもっている人は、プライベートな話の時にはこれをオフにすることができます。

そうすると、普段は整った会話なのに急激に砕けたまとまりのない話になる。

普段からダラダラ話していると、話しが退屈な人という印象しか与えないのですが、日頃①〜③を意識している人がそれをやめると、それが人間味のように感じられるわけです。

(僕は世の中の経営者や成功している人がプライベートであったときに「いい人」という印象を与える最大の理由はここにあると思っています)

 

普段身内で話している場合にはそんなこと必要ありませんが、初めての人と話す場合や、大勢の前で話すという機会にはこの3つの武器(とそれを捨てるというやり方)はそれなりに有効です。

少なくとも僕が話し上手と思う人はみんなこれをやっている。

いずれも意識した瞬間からできるようになるというものではありませんが、頭の片隅に置いておくと、少しずつ話し方が変わっていくように思います。

もし、こういった話し方の必要性に迫られている人がいたら、活用して見てください。

 

アイキャッチはマンガの質問コーナーでこれを完璧にやってのけている空知先生の銀魂

銀魂 モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
 

 

 

人は希望を奪われたときに絶望する

僕が大好きなマンガのTOP10の中に入るマンガにスパイラルという作品があります。

基本的には推理マンガとなっているのですが、登場人物みんなにどこか影があって、そこが読者をひきつけます。

何より、物語の構成がよくできていて、特に単行本の最終巻に収録されるクライマックスに向かう大どんでん返しは凄いです。

(個人的にお気に入りの理由は、その後の最終話ですが)

 

このクライマックスでは、最後の敵が主人公の心を折るために、一度与えた希望を奪うということをやってのけます。

人に心を開かない孤独な主人公。

そんな主人公のそばにいて第1話からアシストをしていたヒロインに少しずつ心を開いていきます。

そしていよいよ最後の敵と対峙するのですが、その時にその唯一心を開いたヒロインが、敵の仕込身だったことがわかる。

 

この遣る瀬無い展開を見た時に背筋がゾクっとしたのを覚えています。

 

発狂のさせ方と絶望のつくり方

監禁された場所から脱出するために犠牲を払って頑張ったのに、外に出て見たらそこはまた別の監禁ステージだった。

自分の敵を倒すために心を殺して的に使えていたのにいざ敵を打つ場面でその事が全て見透かされていた。

 

絶望を描くシーンは数多くありますが、実際に僕たちが絶望を感じる状況を言語化するとしたら、それまであった希望が奪い去られた瞬間ではないかというのが僕の持論だったりします。

ドストエフスキーの『死の家の記録』の中に出てくる終わりの無い無意味な労働という拷問は確かに怖いですが、それでも初めから希望が無いので発狂こそすれ絶望はしません。

初めに期待という振れ幅があって、そこから転落するときこそ、人は絶望を抱くと思うのです。

 

そういう観点から見たとき、GoToトラベルの見直しは飲食店や旅行業界にとっては結構精神的に堪える決定だなあと思いました。

僕はもともとGoToキャンペーンは「飲食店や観光産業を救う目的」で実施されたのではなく、「旅行サイトやレストラン検索サイトを運営する会社を救う目的」で実施されたイベントであってそれが良いか悪いかで言えば否定的なスタンスだった(最大限活用はしましたが)のですが、それでも飲食店や観光産業に携わる人にとっては1つの希望になるのだろうなと思っていました。

 

実際に1泊2日で沖縄に行ったとき、10件近く食べ歩いてその全ての店でお店の人と話して色々聞いてみたのですが、どこもコロナでの売り上げ減のしんどさと、GoToで多少は...というお話をしてくれました。

もちろん依然苦しい状況には変わらないようでしたが、それでも少しは希望になっていたという印象です。

 

政策における最悪手は与えた希望を奪うこと

基本的に僕は政治に興味がない(政治を語ることに興味がない)ですし、「べき論」よりも合理的であるかどうか、仕組みが優れているかどうかに興味が惹かれるため、いわゆる「それは国民を苦しめる政策だ」とか「それは特定の人に利益を誘導するための政策だからけしからん」みたいな感情を抱くことはありません。

そこに政党内の権力図だろうが、業界からの圧力だろうが、それが決定したプロセスの想像がつけばなるほどと納得してそれ以上に感情が動くことはありません。

 

ただ、そんな僕でもこれはあまり良くないのでは?と思うことがあります。

それが一度見せた希望を奪うという選択。

初めから厳しい状態であったり、悪い政策であれば、胆力のある人なら歯を食いしばって耐えようというモードに入るので、結構乗り切ることができたりします。

でも、一度期待がちらついて気を緩ませてしまうと、その期待が無くなった時に再びグッと歯を食いしばって構えるのには相当なエネルギーが必要です。

人は一度緩めた気を瞬時に再び引き締められるほど強くはできていないように思うのです。

 

人は希望がないときではなく、与えられた希望が奪われた時に絶望する

初めから希望が無い先にあるのは発狂だけど、あった希望が奪われた時には絶望する。

先にも書きましたが、僕は絶望の仕組みをこのように思っています。

その意味でいけばGoToキャンペーンが見直しになるというのは、結構多くの飲食店や観光産業に関わる人に絶望を与えるんじゃないかなと。

 

もちろん、感染拡大でそんなことを言っている場合ではないだろという意見もあると思います。

ただ、あくまで僕が今回興味を持ったのは「期待が奪われることが与える社会への影響」の部分。

他の簡単に対する考えは一切述べるつもりも述べたつもりもありません。

ただ一点、「与えられた希望が奪われる」という事象は数ヶ月後に結構大きな影響を伴って社会に表出するのではと思ったらしたわけです。

 

僕自身コロナによってそれほど悲観的になったわけではありませんが、一歩引いた視点で見ていたときに、エグい決定だなと思ったので、備忘録としてブログに書き留めておきたいと思います。

 

アイキャッチはスパイラル

本当に最終巻がすごいです。