新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



パチンコ型漫才とヒッチコック的モグライダーの発明

僕が好きな漫才のパターンのひとつに「パチンコ型漫才」があります。

といってもこんなジャンルが存在するわけではなく(たぶん)、この呼び方は僕が勝手にしているものです。

パチンコ型というのは初めから最後に成功パターンの前振りがあって、それがうまくいくかどうかというのをひたすら繰り返す形式のもの。

2020年に錦鯉さんが初めてM1の決勝に出た時のパチンコネタ(そのままですね)や、その数年前に検索ちゃんでオードリーが見せたCR春日(こちらもそのままですね)がこのパターンに該当します。

個人的に、ゴールが決まっているオチに向かってどういうパターンを次は用意するのかというのがワクワクして大好きだったりします。

 

ネタの題材に「パチンコ」を冠したオードリーや錦鯉のネタ以外にも、構造的に同一の系統を取るネタが多く存在します。

その典型はトム・ブラウンの作るネタでしょう。

たとえば中島くんを5人合体させて「スーパー中島くん」を作りたいという唐突な提案から始まるネタでは、中島くんの中にひとり中島みゆきが入って失敗に終わったりと、「スーパー中島くん」という大当たりに向かうリーチ演出のようなものが繰り返されます。

途中さまざまな失敗パターンが生まれ、時には一度失敗しても再チャレンジというパチンコで言うところのスーパーリーチのような演出も挟まり、ネタが進みます。

これもパチンコ型のネタでしょう。

 

こうして挙げてきたパチンコ型の漫才ですが、その(きちんとテレビに露出した人たちの中で!その一番新しいのがモグライダーの「さそり座の女」だと思っています。

モグライダーのこのネタは「美川さんって、可哀想じゃないですか」というネタふりから始まります。

何を可哀想だと思ったのかを聞くと、ボケの友繁さんが「『いいえ私はさそり座の女』って歌い出しで始まるってことは、その前に誰かに星座を聞かれて間違えられているってことでしょ?」と返します。

ここから、「さそり座の女」の前奏の部分で「美川憲一さんの星座を当てる」という挑戦がスタートします。

ここからは王道のパチンコ型に。

 

テーマもパターンも僕のドストライクのこのネタですが、僕はそれまでのパチンコ型に加えて、もう一つ新しい仕組みが入っていると思っています。

それは「結末の提示がされている」という部分です。

これまでのパチンコ型のネタは当たるか外れるかというシンプルな結論だったのですが、モグライダーのこのネタの終わりは「いいえ私はさそり座の女」と歌い始めるというところです。

このネタを見せられた僕たちは、純粋な当たり外れではなく、「いいえ私は〜」にどう繋がるかを期待しながら待つことになるのです。

 

「愛する男女が机で向かい合って見つめ合っていればロマンスだが、観客にだけ見えるように机の下の時原爆弾があればそれはサスペンスに変わる」というのはヒッチコックの言葉。

時限爆弾がある事で、見ている側は2人が死んでしまう光景を常に意識せざるを得ず、常にハラハラ感を持つことになるわけです。

少し前だと『100日後に死ぬワニ』がこの仕組みをもちいて大ヒットしていたように思います。(幸せに暮らすワニの死を知っていることで、読者に緊張感とワクワクを呼び起こす仕組み)

モグライダーのこのネタも、この要素が含まれているように思います。

僕たちは僅かな前奏の中で「そうよ」を吐き出すために焦るボケの友繁さんを見ています。

決められた結末に向かうだけでなく、そこへの制限時間もある事でグッと引きつけられる。

あの仕組みは本当に面白いなと思うのです。

 

ぺこぱの「ノリツッコまない漫才」を始め、「システム」が評価される芸人さんは沢山いますが、僕はやっぱりモグライダーのパチンコヒッチコックパターンのシステムが優秀だなあと思っています。

そんなパチンコ型漫才。

よかったらみなさんも見てみてください。

 

アイキャッチモグライダーの「穴掘り天国」

 

 

勝負強さの4分類と「勝負弱い」人の戦い方

「うちの子勝負に弱くて...」

こんな相談を持ちかけられることがあります。

大体この手の相談を持ちかけてくれるのは勝負強そうな親御さん。

多分仕事で結果も出しているだろうし、周囲の関係性でも常に中心にいるタイプ。

その実績やキャラクター自体は素晴らしいわけですが、必ずしも他の全員がその「勝負強さ」を備えているわけではありませんし、勝負強さがなければ物事を乗り切らないということもありません。

「勝負強さ」がその人のメンタリティだとしたら、「勝負弱い」人がどう闘えばいいかについて本日は考えていきたいと思います。

 

「勝負強さ」の4分類

 

僕は勝負強さに関して、「確信⇔感覚」、「勝負強い⇔勝負弱い」で4つのカテゴリーに分類しています。

分類は次の通りです。

①確信×勝負強い(孫正義中田敦彦、ヒカルなど)

「俺が失敗するわけない」という帝王型

②感覚×勝負強い(おかわり君、HIKAKIN、坂上忍など)

失敗も成功も「まあいいか」で済ませる鈍感型

③確信×勝負弱い(カジサック、ハライチ澤部など)

計画がひとつでも狂うと焦りだすテンパり型

④感覚×勝負弱い(そもそも芸能界にいない)

「どうせ自分はダメだから」と自分に言い聞かせて弱気になる自己暗示型

僕はそれぞれの物事に対する向き合い方を次の4つに分類しています。

 

「勝負弱い」人の戦い方

さて、こう分類したとき、多く聞かれるのが「どうしたら勝負強くなれますか?」という質問です。

僕はこれに対しては、勝負強くなるのではなく、勝負に弱い人の戦い方を身につけるべきだと思っています。

よく、勝負に弱い人に対して「自信を持とう」というアドバイスをする人がいるのですが、この手のアドバイスをする人は十中八九「勝負強い」人(笑)

勝負に弱い人はそもそもその自信が持てないから勝負に弱いわけです。

 

勝負に弱い人に有効なのは「自信」ではなく「安心」です。

自分の勝負弱さに対してタイプ毎の安心が得られた時、その人たちは「勝負弱さを生かした」戦い方ができるのです。

 

「勝負弱さを生かす」なんて書くと、驚かれるかもしれませんが、そもそも勝負強い/弱いなんてその人の性格の特性を表したものであり、どちらが優れているというものではありません。

帝王型の勝負強い人は自分の想定を超える事象に出会えば一気に崩れますし、鈍感型の勝負強さを持つ人はスランプに弱い。

別に勝負強いことが有利なわけではないのです。

 

では、勝負弱い人はどう闘えばいいか?

勝負強い人の行動の源泉が「自信」であるのに対して、勝負弱い人の行動な源泉は「安心」です。

自分が勝負弱いなと感じる人は、「安心」を蓄えれば良いのです。

 

僕はテンパり型/自己暗示型のそれぞれの安心の作り方に関して、前者は「準備」、後者は「理解」が有効であると思っています。

テンパり型の人はあらゆる可能性を想定して、予めシュミレーションをしておく、時間暗示型の人は自分の行動パターンの全てを言語化して理解しておけば良いのです。

例えばテンパり型の人が就職活動で面接を受けるのであれば、当日の服装、到着時間、想定される質問はもちろん、変化球を投げられた時、冒頭では事項の挨拶をされた時、交通機関が遅れて時間に間に合わなかった時、答えが別の受験者と被った時etc...

そういったあらゆるシチュエーションに対する想定をしておきます。

その準備の数が安心に繋がるわけです。

 

「自分なんて...」と感じがちな自己暗示型の人は、自分の動作の一つ一つの意味を考えておくことが有効です。

例えば今、何故この姿勢でいるのか、お辞儀は何度にしてその角度はどうしてか、服装に込めた意図は何かetc...

そういった自分の所作のひとつひとつの意味を言語化して理解することが安心につながります。

 

このように、準備や理解で安心を積み上げるのが勝負に弱い人の戦い方です。

「勝負に弱い」ことが「勝てない」ことに繋がるわけではないのです。

勝負弱い人には勝負弱さを生かした戦い方がある。

その特性を活かして仕事の場で活躍している人はいくらでもいます。

自分が勝負弱いなと思う人はぜひこれを意識して戦ってみて下さい。

 

アイキャッチは稲垣栄洋さんの雑草の成功戦略

 

 

2021年佛教大学MU入試国語過去問解説

2021年の出題は桜井厚『「モノと女」の戦後史』でした。
文章の難易度としては2020年とどうレベルで、女性が着用する下着の意味の変遷が捉えられれば問題なく読めたでしょう。
中盤の、女性の下着が性的視線から解放されたが、「セクシー&ヘルシー」という視点も、「健康的な女性」という視点に縛られているという意味では同じ身体支配のメカニズムが見て取れるという部分が少し難しかったかもしれません。
しかし、前年同様に設問自体は易しいものであったため、点数が取れないということはなかったと思われます。
以下、解答と簡単な解説になります。

問1.②執着  ④増幅  ⑤限界  ⑦駆り  ⑧排除
問2.①ゆがんで  ③いちよく  ⑥しょうちょう  ⑨えとく  ⑩むとんちゃく
問3.ア d  イ b  ウ c  エ e  オ a
問4.c
「下着による身体の成型」の反対の意味を選べばよい。エアロビクスは自ら行う身体形成なのでcが正解。
問5.b
問4と反対の問題。「身体自身の成型」の反対なので服を身に着ける「ファッション」が答え。
問6.d
傍線Aの次段落、「現代社会は、機能的・効率的な身体をも女性に求め始めている」に注目する。
問7.Ⅰ e  Ⅱ b  Ⅲ c
Ⅰは直前の指示語に注目する。Ⅱは「女性の男性化、いわゆる」と書かれているのでその換言内容を、Ⅲは直前のマキシマリズムとの対比、もしくは直後の(性差極小論)という言葉に注目する。

 

MU入試の別年度はこちら

2020年佛教大学MU入試国語過去問解説 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)

 

アイキャッチは佛大の赤本

 



2020年佛教大学MU入試国語過去問解説

2020年の出題は山口昌男さんの『文化人類学への招待』からでした。

文化人類学独特の通過儀礼への見方が、子どもの「ごっこ遊び」、おとぎ噺、王位継承等に派生していくため、現代文が苦手な人にとっては若干読みづらいものであったかもしれません。

しかし設問自体は易しいものであったため、点数が取れないということはなかったと思われます。

特に本文における対比関係に注目して、確実に得点したいところです。

以下、解答と簡単な解説になります。

 

問1.①苦役  ③束縛  ⑥消化  ⑧削除  ⑩候補

問2.②しきい  ④おもむく  ⑤そうしつ  ⑦さいやく  ⑨こうさく

問3.ア c  イ d  ウ e  エ a  オ b

「つまり」は前の文や語句を分かりやすく言い換えるときに用いるのに対し、「すなわち」は「つまり」よりも別の表現で言い換えるという意味合いを含みます。

問4.c

「生と死の間の象徴的境界を突破する」は、子どもから大人になるための通過儀礼なので、「通過儀礼」としての意味を持たないものを選ぶ。

問5.b

「子どもの遊びの多くはこうした見なれた世界を越えて、見なれない世界に赴くものです」とあり、それぞれの言葉の文章中での意味を捉えると、本文に「エントロピー(=混沌)に対して情報(=秩序)」とあるのでbが答え。

問6.d

傍線部は隠れん坊の説明で、隠れん坊はおとぎ話と同様に子どもが通過儀礼を経て大人になるということを象徴しているものと書かれているのでd。

問7.Ⅰ d  Ⅱ e  Ⅲ b

一段落にある「若者の一定期間の隔離、苦役を伴う試練、世界についての秘密の致死の伝達、現世への復帰、新しい名前=アイデンティティの賦与、結婚または性の解放」等を参考に、順番に空欄に当てはめていく。

 

 

 

テスト前日に『南の貧困/北の貧困』を10分で爆速攻略!【UG】5000字補足説明付き

長いこと高校の教科書に載り続けている見田宗介さんの『南の貧困/北の貧困』という文章。

主張自体はシンプルなのですが、僕たちがこれまで思っていた「当たり前」を一旦壊すところから始めなければならず、そこでつまずいてしまう人が多いという印象です。

実際、テスト前に質問されることも少なくありません。

今回はそんな『南の貧困/北の貧困』を、直感的に理解することを目的として、要点を見ていきたいと思います。

 

『南の貧困/北の貧困』を分かりづらくする3要因を洗い出す

この文章を読んだ高校生の皆さんが「ん?」と感じるのは大きく次の3点ではないでしょうか?

 

①二重の疎外(「貨幣への疎外」と「貨幣からの疎外」)って何?

②見える幸福と見えない幸福って?

③で、「北の貧困」はなんなのよ?

 

この文章は冒頭で述べた、僕らが持つ、ある「当たり前」の感覚から抜け出すことと、上の3点を理解することで一気に読みやすくなります。

今回はこの辺りを中心に説明しようかと思います。

 

「お金がないと生きていけない」は本当?

エミューを室内飼いするOLの在宅勤務ルーティンが壮絶でした - YouTube

僕は最近、「エミューちゃんと二人暮らし」という、オーストラリア原産の大きな鳥のエミューと生活をするOLのYouTuberさんにハマっています。

朝、バカでかい鳥に顔をつつかれて起きるのが当たり前のOLさんの、田舎暮らしのYouTubeなのですが、この方の動画に出てくる暮らしはまさに見田宗介さんが『南の貧困/北の貧困』で言おうとしたことを表しているように感じました。

 

この方は新卒で始めた港区住まいの朝から晩までハードな(ブラックな)仕事をこなす生活から、今は田舎の大きな一軒家に住み、リモートワークで仕事しながら庭でお花や野菜を育てているのだそう。

港区といえばお金がかかる街の代名詞。

皆さんは「港区」と「ど田舎」なら、どちらが「幸せ」だと思いますか?

おそらくこう聞かれたら多くの人が「港区」を選ぶ気がします。

しかしこのYouTuberさんは港区での暮らしよりも今の生活が幸せと語ります。

彼女のコンテンツから感じるのは「お金を稼ぐことが幸せではない」というメッセージ。

僕は『南の貧困/北の貧困』を理解するにあたってまず必要なのは、この価値観のインストールだと思っています。

 

「ものが欲しいと思った時はお金で買う」

僕たちはこれが当然と思っていますが、実は必ずしもそうとは限りません。

畑をもっていれば野菜はそこに生えていますし、鶏を飼っていれば卵は毎朝手に入る。

周囲の人からの「お裾分け」で様々なものが手に入るし、奢って貰えばタダで食事にありつけます。

僕たちは普段、物が欲しければお金で買うことを「あたりまえ」と思っていますが、実はお金で買わなくても、物は手に入るのです。

先のYouTuberさんは畑で採れる野菜を食べるためスーパーではほとんど買わないそう。

野菜を買う必要がないのなら、その分のお金はいりません。

であるならば当然生活費は安くなる。

こうなると必ずしも「お金持ち=裕福な暮らし」とはなりません。

仮に食費も家賃もかからない田舎暮らしと都会の一等地に住む3食外食の人であれば、その生活に必要な金額はまるで違うわけです。

前者は3万円もあれば成立しますが、後者は最低でも15万円くらいはかかるでしょう。

そんな、「基本的な生活」に必要な金額がまるで違う2人の月収が同じ20万円だったとしたら、前者にとっては「多すぎる」でしょうし、後者にとっては「少なすぎる」となるはずです。

こんな風に、そもそもお金で買う必要がない社会を持つ人にとっては、金銭的な大きさが幸せ度合いとは結びつかないのです。

 

さて、その流れで『南の貧困/北の貧困』に入ります。

途上国の貧困を解決するために援助しようとする先進国の人たちは、「1日1ドルの稼ぎ」を基準にしています。

現時点で1ドル140〜145円くらい。

確かにそれ以下のお金で生活することを「僕らは」想像できません。

しかしそれは「お金以外の物の手に入れ方がない」僕たちの場合。

仮に1ドル以下の収入であっても、豊かな自然から食料が手に入り、気候が落ち着き、生活が成り立つとしたら、「実際に生活に必要なお金」はグッと低いはず。

そんな人たちに「生活を豊かにするお金を稼ぐ」ために食料にならない綿花やカカオ栽培をさせられたら、それまで賄えていた食料などが手に入らなくなってしまいます。

「稼ぎは1ドル以下でも食料が十分ある生活」と「稼ぎは1ドル以上でもそれ以外に何も手に入らなくなった生活」ならどちらが幸福なのでしょう。

これが南の貧困の基本構造です。

 

次に北の貧困です。

見田宗介さんの主張は、ある理屈を前提に次の話を見ていくところ。

『南の貧困/北の貧困』もその構造を取るために非常に掴みづらくなっています。

まずは前半のロジックを整理すると「①貨幣で物を買うシステムの中で②お金を持っていないと貧困になる」というもの。

これを先進国に当てはめてみようというのが「北の貧困」です。

 

先進国の中でも生活がどんどん豊かになった結果、その「普通の生活」が難しい人たちは出ています。

その具体例が「労働する機会のない人々」や「労働する能力の無い人々」です。

そういう人たちには各種手当や福祉が存在して救われている。

一見するとうまく回っているように見えるけれど、彼らの「貧困」はシステムが生み出した物だから、構造的には問題ではないか?というのが筆者の主張です(この辺、次の所で解説します)

以上が『南の貧困/北の貧困』の基本的な流れとなるわけです。

 

3つの難所を理解する

さて最後に次の3点をあらためて説明しようと思います。

 

①二重の疎外(「貨幣への疎外」と「貨幣からの疎外」)って何?

②見える幸福と見えない幸福って?

③で、「北の貧困」はなんなのよ?

 

①は「そもそもお金が必要な社会」って前提から入るのをやめようよというお話のことです。

先にも述べましたが、僕たちみたいな生活をしているとお金が必須ですが、実際に生活手段を得るにはお金を使う以外にいくらでもあります。

そんな人たちが「お金を使う生活」に組み込まれることが、「貨幣への疎外」です。

そしてそんな生活の中でお金がないことが「貨幣からの疎外」となります。

畑と川でとれる食料と山奥の安い家で暮らす5万円の収入の人が、収入アップといって急に都会に連れてこられて10万円の収入になったけど家賃も高いし食材もスーパーで買わないといけないなら前より生活は苦しくなります。

この「都会で働かされる」が「貨幣への疎外」、「収入が10万円しかない」が「貨幣からの疎外」というイメージです。

 

次に②の「見える幸福と見えない幸福」について。

「見える幸福」とは数値で表すことのできる幸福のことです。

その典型例が収入です。

収入○○円を比較するのは分かりやすいですよね。

それに対して人間関係とか恋人の有無、豊かな自然といったものは具体的な数値で測れるものではありません。

彼女とのデートで得られる幸せを円に直したら○○円、部活での勝利の喜び○○円なんてできないじゃないですか(笑)

これが目に見えない幸せです。

 

最後に③北の貧困について。

先も少し触れましたが、現代の私たちの生活は「生きるのに必要なもの」を遥かに超えた物に囲まれて成立しています。

今やスマホは必需品に見えますが、「無人島に持っていくか?」と聞かれたら誰も持っていきませんよね?

恐らく僕たちの身の回りを見渡すと、そういう「無人島での生活に必要か?」という質問にはNOと答えるようなものばかりだと思います。

これが筆者の言うところの「必要ではなく需要で成り立つ社会」です。

 

本来生活に必要で無いのに「買わなくてはならない」かのように思わされる社会の中で、生活が苦しいというのは、「南の貧困」に出てくる2重の疎外に重なります。

南の貧困が「お金で買うことの中に投げ込まれた方達がお金を持っていない」のが貧困の原因だったのに対し、北の貧困は「必要以上の物を手にする生活を維持しなければならない社会に投げ込まれた上でお金を持っていない」のが問題と指摘しているわけです。

現代は福祉や手当てでそれを補っていますが、そういう福祉や手当てというのはいつ増減するかは分かりません。

それよりも「必要以上のお金がなければならないことを当然」とする社会をどうにかすべきではないのか?

これが見田宗介さんが後半で訴えたことな訳です。

 

ざっと捉えると『南の貧困/北の貧困』はこのような感じです。

テスト前の内容理解に繋がれば幸いです。

 

【UG】5000字補足説明付

今回は短時間で直感的に内容を把握することを目的としたため、細かな内容を省きました。

下記の記事では各章ごとにもう少し細かい説明をしていますので、興味がある人はこちらもご覧ください。

 

テスト前日に確認したい「南の貧困/北の貧困」が難しく感じる理由と理解のしかた - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)

テスト前日に確認したい「南の貧困/北の貧困」②「貧困」の定義を考えることで筆者の主張を追いかける - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)

テスト前日に確認したい「北の貧困/南の貧困」③「貨幣への阻害」はリア充に誘われたオタクを考えると分かり易い!? - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)

 

アイキャッチ見田宗介

 

 

「闇金ウシジマくん」考察〜最終話で主人公が死ぬしかない理由〜

最近久しぶりにまとめて漫画を読んでいます。
一時期仕事に“かまけて”趣味の時間を取れずにいたので、それを取り戻すかの用に乱読を。
と、同時に、何かしら読んだ感想を熱量のままに保存して起きたいという思いが強く起きてきたため、今回は久しぶりの漫画の考察エントリとなりました。

 

闇金ウシジマくん』という名作

 

今回扱いたいのは『闇金ウシジマくん』は2004年から2019年までビックコミックスピリッツで掲載されていたマンガで、主人公の闇金社長がさまざまな社会の闇を体験していく物語です。
作者の真鍋さんは実際に事前の取材をしているということもあり、そこには思わずリアルさを感じるような闇社会の空気が感じられます。
さて、そんな名作なのですが、こちらは15年の歳月を経て、数年前に最終回を向かえることとなりました。
この作品は主人公のウシジマ君が、さまざまな返済者を介して多くの社会の闇に触れ、時に返済者を救い、時に地獄に突き落とすというもの。
こち亀」の表裏一体といってはなんですが、構造としては無限にストーリーが作り出せるシステムといえます。
しかも根強いファンを獲得している当作品。
そんなこともあり、「最終章」という話を見たときは僕はそのことが信じられませんでした。

もうひとつ驚いたのはその終わり方。
僕の中での『闇金ウシジマくん』の最終回は『BANANA FISH』と同系統。
詳しく書くとどちらのネタバレにもなってしまうのでざっくりとした説明で恐縮なのですが、『闇金ウシジマくん』は、ようやく平穏が訪れ、これから仲間と再出発をしようとするところで全く無関係の人間のいざこざに巻き込まれて主人公の「ウシジマくん」が刺殺される場面で終わります。
結構お気に入りのマンガであったこともあり、読んだ瞬間は正直その展開に納得ができませんでした。
一方で、「なぜこの結末にしなければならなかったのか?」と考えたときに、納得する仮説が僕の頭に浮かんできました。

 

終わりが決まった漫画たち

 

僕は仕事柄物語のパターン分析みたいなことをするのが多いのですが、その分類を通してみると、かなり早い段階で結末が予想できる作品に出会います。
たとえば松井優征さんの『暗殺教室』なら、腐った生徒と絶対的な先生、そして第一話の扉絵で「殺せんせー」を生徒全員が狙い打ちしている場面をみれば、卒業までに先生を超える(この作品においては先生を殺す)ことと、扉絵の場面を主人公が引き継ぐという予想が立ちます。
あるいは第一話で主人公の運命を変えることになるトリックスター的な立ち位置の蛭魔と出会って始まるアメフト漫画の『アイシールド21』であれば、主人公が不良から逃げるシーンで、アメフトに活用できそうなテクニックがパリの弱虫が不良から逃げる術として登場すれば、それらを用いた技が主人公の武器となり物語が進展すると想像できます。
闇金ウシジマくん』も、考えてみればこの分類だと思ったのです。

 

設定に潜む寿命とその作品が終わるとき

 

この作品のテーマは「闇金」です。
もちろんファンからすれば面白い設定ですし、そこに登場するエピソードは興奮するものばかりです。
しかし、コンプライアンスを重視するメディアにはどうでしょう?
現代は内容はもちろん、「闇金」という設定自体が下手したらコンプライアンスの網につかまるものとなっています。
実社会でも反社会勢力やそれに並ぶ可能性のある闇金の存在は窮屈になっているはずです。
少なくとも評論家の岡田斗司夫さんが予測するネガティブな関係や言動を行ったものは社会からたたかれるという「ホワイト社会」という概念にあてはめれば闇金なんていう仕事が滅びることは東電です。
闇金」という職業自体が、現代社会に受け入れがたい、「死に向かう」しかないビジネスになってしまったわけです。
そんな消え行くサービスを肩に背負った主人公はどうすればいいのか?
それは決まっています。
業界の象徴として「死ぬ」ことです。
消えていく業界を成仏させるための「象徴」としての生贄は何か?と考えたときに、それを主人公に据えて、一定の支持を得た主人公が登場する作品を作った作者としては、その象徴である主人公を葬る(しかもできるなら最も「社会の風潮」を象徴する者の手によって)しかなかったと思うのです。
そう考えたとき、主人公の人生とは無関係な人間の手によって事故で殺されてしまうというのは、この作品の最終回はこれ以上ない最高の結末だなあと思えました。

そんな風なあらたな視点と経験を得られた『闇金ウシジマくん』。
よかったら読んでみてください。

 

アイキャッチはもちろん「闇金ウシジマくん

 

 

 

「『である』ことと『する』こと」を宝くじに例えて3分で理解する【UG】10000万字補足付き

これまで多くの高校生を悩ませてきた、丸山眞男さんの『「である」ことと「する」こと』という作品。

僕のブログで挙げていた解説記事の中でもトップクラスのアクセス数でした。(後で全記事のURLものせます)

全部で1万字ほどの説明だったのですが、テスト直前では中々全部の記事を読むのは難しいのかなあと思います。

おそらく高校生でこの記事にたどり着いた人は、

①あの文章を直感的に理解したい

②テストに出そうな場所を説明してほしい

の2択ではないかというのが僕の想定。

というわけで、今回は①の方を意識して、勉強の導入に生かすことを意識した、出来るだけ直感的に分かりやすい要約をしてみようと思います。

・「権利の上に眠る者」が分からん

・プティングの例は何?

・ラディカルな転換?

という人はぜひお読みください。

 

「権利の上に眠る者」は宝くじに置き換えて考える

 

まずはこの作品の最初の関門「権利の上に眠る者」について。

「権利の上に眠る者」が分からない人は宝くじに当選した場合を想像して下さい。

あなたは宝くじで1万円が当選しました。

でも今は試験中。宝くじ売り場に行くのも手間なので、まあ後で換金しようと考えています。

試験が終わっても体育祭や部活動の大会、入試などがあってなんだかんだ後回し。

そうこうしているうちに1年後、あなたは大学に入学しはじめての一人暮らしで生活が厳しくなり、ふと宝くじの存在を思い出します。

そして換金しに宝くじ売り場に。

すると「その宝くじは期限切れなので1万円は渡せません」のひと言が。

 

「権利の上に眠る者」の仕組みを非常に端的に言えばこんな感じです。

人々が貴族や権力者から頑張って勝ち取った「権利」というものは、一度手にしたからといってずっと手元にあるとは限らないから常に確認が必要だよねというお話です。

『「である」ことと「する」こと』は、ここを出発点にして、「ところで日本は、海外では市民が努力して勝ち取った権力がある日突然やってきたから『権利は守らなきゃ無くなる』って意識少なくない?」という話に進むわけです。

 

「プティングの味は食べてみなければ分からない」の例が表すものは何?

 

あるテスト終わりの昼下がり。

あなたの目の前の机には、たっぷりの卵を使って作った、プルプルの台形の物が丸皿に乗っているとします。

横には紅茶と小さな銀のスプーン。

何の迷いもなくそれを口にいれたら、口に広がるのは出したほんのりとした塩気。

それはあなたの妹がいたずらで置いておいた茶碗蒸しだったのです。

 

例えばこんないたずらのシーンを考えて下さい。

おそらくあなたは口に入れたその瞬間までその卵の蒸し料理をプリンであると疑っていなかったはずです。

形も場面も置かれているものもどう考えてもプリンのシチュエーションだから。

でも、全く同じ光景だとしても、そこにあるのはプリンとは限りません。

あなたはそのいたずらに激怒すると思うのですが、そもそもその怒りは「目の前のものはプリンである」と信じ込んでいるから生まれるもの。

もしも「それはプリンか?」という疑いが頭にあれば、口に入れた瞬間「はいはいいたずらね」と寧ろ悪戯を仕掛けた妹の甘さを感じて余裕と優越感から落ち着いた対応をすると思います。

 

この、「目の前の物を〈○○である〉と思い込まず、毎回確認する意識を持とう」というのがこのプティングの例が言いたいことな訳です。

これは「権利」の話と繋がります。

「一度手にした権利はずっとそのまま手元にあると思わず常に守り続けなければならない」が「プティングは毎回食べてみて確認しよう」となるわけです。

そしてこの「目の前のものはプティングだ」ということと「目の前の物がプティングか確認しよう」がそのまま「である」ことと「する」ことへとつながります。

 

「ラディカルな転換」とは何?

 

話は一気に最終部へと飛びますが、最後はラディカルな転換について。

「ラディカル」とは〈急進的な〉や〈根本的な〉と言った意味になります。

丸山眞男さんは、日本はその歴史のせいもあり、本来「すること」で評価される分野にまで「であること」の評価が入ってきてしまっているということを問題点として指摘しています。

(例えば「内容を理解すること」が目的の宿題なのに「宿題を出したこと」で評価されるとか、「大学でどんな勉強をしたのか」が大切なのに「大学名で評価される」とかはみなさんにも直感的にわかりやすいかと思います)

 

こうしたおかしな状態を治して、「すること」の社会は「すること」で評価されるようにしなければいけませんよね。

今こそ日本人の根本に染み付いている「である事」での評価を「する事」による評価に変えていきましょう。

この意識の「根本的な」変化の必要性を丸山眞男さんは「ラディカルな転換」と述べているわけです。

そもそもこの『「である」ことと「する」こと』という作品は『日本の思想』という本に収録されたもので、日本人の考え方について論じたものの一部を採用しています。

そのため、考え方を根本的にひっくり返そうという結論に落ち着いているわけです。

 

というわけでよくある疑問を1トピック500字前後で説明してみました。

テスト勉強の導入で役に立つようにあえて厳密性を削った部分もあります。

だから、「それ正確にはちゃうやん!」というツッコミはご遠慮下さい。笑

みなさんの勉強に少しでもお役に立てたら幸いです。

 

〈付録〉『「である」ことと「する」こと』10000字解説

今回は「直感的に分かりやすく」をコンセプトに書いたので、本文内容は1500字程度で内容もコアだけを押さえてかなりざっくりした形にしましたが、もっと詳しく読み込みたいという人もいると思います。

そこで細かく知りたい人用に、僕が過去に書いた『「である」ことと「する」こと』の記事を添付しておきます

よかったらこちらもご活用下さい。

高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い① - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い②「権利の上に眠る者」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い③「近代社会における制度の考え方」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い④「江戸時代を例にとると」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い⑤「『である』社会と『である』道徳」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い⑥「業績本位という意味」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い⑦「日本の急激な近代化」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い⑧「『する』価値と『である』価値との倒錯』 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い⑨「学問や芸術における価値の意味」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い⑩「価値倒錯を再転倒するために」 - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)

 

アイキャッチは『日本の思想』