新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



他人にアドバイスしたい人たち~マウントおじさんと救世主コンプレックス~~

2018年度の京都大学で、こんな文章が出題されていました。

==========================================================

Although admirable, there is a risk in helping others, which is related to the possibility that helping can actually be selfish. That risk lies in falling prey to what some call “the savior complex”. This is just what it sounds like ― an attitude or stance toward the world where you believe you are the expert who can suddenly appear to save others. It is an uneven approach to helping in which the helper believes he or she has all of the answers, knows just what to do, and that the person or group in need has been waiting for a savior to come along.

While this idea genuine problem, we should not let the real pitfalls of the savior complex extinguish one of the most humane instincts there is― the instinct to lend a hand. The trick is to help others without believing yourself to be, or acting like you are, their savior.

 (Wait, What? And Life's Other Essential Questions)

==========================================================

本文の中では“the savior complex”と呼ばれるこのお話。

日本では「メサイアコンプレックス」あるいは「救世主コンプレックス」という名前であれば耳にしたことがある人もいるかもしれません。

(面倒なので、以後は「救世主コンプレックス」で統一したいと思います。)

救世主コンプレックスをざっくり説明すれば、自分の承認欲求のために誰かを助けたいというマインドになっている状態のこと。

「自分には能力があって、絶対的に正しいんだ。」

「自分は困っている彼らを助けてあげているんだ。」

こんな心理状態で(そもそもあなたの助けを求めているかもわからない)他者に対して「助けよう」という気になる状態を言います(たぶん…)

 

「やらない善よりやる偽善」なんて言葉が示すように、一見すると理由はどうであれ相手の役に立つのならいいじゃないかと思ってしまいがち。

もちろん、それが相手の役に立っているのなら、正直僕もその動機なんてどうでもいいと思う派です。

しかし、救世主コンプレックスの厄介なところは、当人は相手のことを「助けてあげて」いるつもりなのに、実際は相手にとってその行為が助けになっていないばかりか、抑圧になっている場合もあるというところ。

救世主コンプレックスの人たちの「私が助けてあげる」「あなたのためにやってあげる」という感情は、対象者から意図せざる反応が返ってきたとき、その相手に対して「助けてやっているのにこいつはなんでこんな態度なのか?」「こっちはあなたのために貴重な時間をつかってあげているのに」というような攻撃的な態度と表裏一体なのです。

 

「相手の役に立ちたい」という善意の皮に被っている救世主コンプレックスの人の「善意」は、ぱっと見では判断ができません。

そればかりか、自分はまったくそんなつもりではないのに、知らず知らずのうちに救世主コンプレックスになっている人もいる。

居酒屋のカウンターで年下に対してエラソーに説教かましている「マウントおじさん」なんて、その典型です(笑)

 

自己承認欲求に基づいた相手への「助け」は、対象者がよい方向に転換することではなく、「自分が良いと思う方向へ転換」することを無意識に求めます。

そして、自分の期待する方向に変わらないと、「あいつは俺がこれだけ目をかけてやったのに変わろうとしないダメなやつだ」という、攻撃対象に一変する。

結果として、「助けられた」対象者をより追い詰める結末になるわけです。

救世主コンプレックスの面倒臭さはここにあるように思います。

 

入試問題は大学からのメッセージだなんてことが言われますが、2018年の京都大学がこの文章を出題したというのは、大学からの大きなメッセージのひとつである気がします。

SNSを見ていると、学歴の折から未だに抜け出せないマウントおじさんが、救世主コンプレックスを抜け出せずに醜態を晒しています。

学歴、知識、教養、実力etc..がある人ほど、そういう人になる可能性がある。

京大のこの問題にはそういう属性を含んだ人間を諌める強烈なメッセージ性があるように思うのです。

 

アイキャッチは冒頭で紹介したこの本。

 

Wait, What?: And Life's Other Essential Questions (English Edition)

Wait, What?: And Life's Other Essential Questions (English Edition)

  • 作者:James E. Ryan
  • 出版社/メーカー: HarperOne
  • 発売日: 2017/04/04
  • メディア: Kindle
 

 

 

目的志向/合理主義の限界と「ものづくり」で得られる価値

僕の家系は母方が大工をしていて亡き祖父は大工の棟梁、父方の家系は配管工ということで、小さい頃から「ものづくり」が身近にある環境でした。

物心ついたころから、ゲームや友達と遊ぶことは大好きでしたが、一方で作業場にある木材や工具であれこれ工作をしているような子供でした。

中高となって、工作をすることは減りましたが、今度は音楽を作ったり、手品を作ったり。

有形/無形を問わず、僕はいつも「ものづくり」に囲まれていました。

そんなわけで、僕は意外とものづくり至上主義なタイプだったりします。

マーケティングロジカルシンキングでビジネスをしようとするよりも、まずものを生み出せるスキルをつけろよ!みたいな...笑

確かなコンテンツありきのマーケティングだろうと思うんです。

 

「ものづくり」に僕が重きを置く最大の理由は、そこから得られる圧倒的な情報量にあります。

ひとつの作品を形にしてみるというのは、本当に様々な知見が得られます。

これは数値や評価で到達度を決める、ゴールありきの戦い方をする中では絶対に得られない情報群だと思っています。

 

ものづくりを通して得られる経験を体系化してみる①ゼロイチ編

先日、久しぶりにyoutubeのアップロード動画を見てみたら、学生時代に初めて編曲までやってみた曲が出てきました。

www.youtube.com

やり方も何もわからない状態で編集ソフトを手に入れて、とりあえず形にしようと作ったものなので、今振り返れば酷いクオリティだなあと恥ずかしさしかないのですが、だからこそ得られた情報量の話をするのに適しているのではないかと思い、恥を晒すことにします(笑)

一曲を仕上げる過程には様々な工程が存在します。

ビジネス風に言えば、まずコンセプトを決め、そこから構想を練って...みたいなのが「正しい」のでしょうが、実際に手を動かしてみればそんなにうまくいかないということを、すぐに実感します。

僕の曲づくりもそうでした。

この曲が出来た過程を示すと、以下のような感じです。

===========================

①パッとAメロの1フレーズが思いつく

②Aメロにコードをつける

③続きのコード進行を考える

④コードに合わせてBメロ/サビを作る

⑤歌詞を考える

⑥前奏から編曲をしていく

===========================

一曲を形作る過程で得られる最も大きな学びは、「縛りが生まれることで続きが分かってくる」という感覚でした。

始めは出だしのメロディが浮かんだ時に、そのままメロディだけ完成させてしまおうと思っていました。

しかし、いざ作ろうと思っても頭に何も浮かびません。

そこで先にAメロのコード進行を考えました。

Aメロのコード進行を完成させたタイミングで、それを受けたBメロ、サビはどのようなコード進行が自然かということを考えるようになります。

そうすると、メロディでは全く浮かばなかった先の展開が、コード進行であれば見えてくるのです。

このAメロのイメージを受けたBメロであれば、このコード進行が適切じゃない?みたいな感覚です。

そしてBメロ/サビのコード進行ができた上で、改めてメロディを考えたのですが、そうすると今度は「コード進行」という縛りがある為、ある程度スムーズにメロディが浮かぶようになっていました。

そうしてできたのがこの曲の原型でした。

 

この過程で僕は①ゼロからイチを生み出す過程にはコンセプトもクソもないということと、②ある程度の縛りが生まれることで発想は加速するという経験を得ました。

 

ものづくりを通して得られる経験を体系化してみる②1→10編

曲の原型ができて次に行ったのは作詞です。(恥ずかしいからyoutubeには歌詞を載せていませんが...笑)

曲の書き方には作詞からする方法や作曲からする方法、一気に編曲から始める方法といろいろあり、僕自身もいろいろなやり方を試したことがありましたが、この曲に関しては作曲→作詞という手順を踏みました。

いきなり冒頭から歌詞をつけていこうとしても、もちろんうまくいきません。

そこで、何度もできた曲を聴いて、パチっとはまるフレーズがないかを考えていきました。

その結果サビの後半部分(2:15)のメロディに「空の青さを言い訳にして」という言葉がパチっとはまることに気がつきました。

そこから1番のサビを書き上げました。

サビの歌詞ができてからは、それを受けるとしたら他にどういう歌詞があり得るかを考える作業です。

その結果次にできたのが2番のサビの冒頭部分(3:45)でした。

ここに「不意に降り出した予想外れの雨に助けられた」という歌詞が浮かびました。

この2フレーズができた瞬間、僕の中でこの曲のコンセプトがはっきりしました。

少し悲しいメロディに、「空の青さを言い訳に」「予想外れの雨に助けられた」という歌詞。

この辺から「一般に良いものだけど今の僕には悲しいもの」「他の人にとっては嫌なものだけど今の自分にはありがたいもの」みたいなイメージが鮮明になりました。

そしてこうしたイメージを抽象化したらどんな場面が適切だろうと考えているなかで「別れ」の場面だと考えました。

同時に「不意に降る雨」というモチーフは「悲しさ」と同時に「すぐに止む雨」というイメージだなあと思いました。

しかし、今の目の前に揃っているメロディや歌詞の部品を見る限り、前に歩き出せるほどポジティブなものではない。

これらを合わせて僕の頭に浮かんだのが、「好きな人と別れて切り替えようと思うけれど全然前を向けない男」というイメージでした。

そこからもう1つ掘り下げて、僕がこの曲を作る際のコンセプトとして考えたのが「いつか前に進めるように」です。

で、「すぐに晴れるのは分かっているけれど、その瞬間はとてもそうは思えない」みたいなイメージにあうものと言えばという形で浮かんだのが「スコール」。

このタイミングで初めて曲のコンセプトが決まりました。

で、コンセプトが定まってからはスムーズです。

一気に歌詞は仕上がりました。

 

この歌詞づくりの過程で得られた経験は、③フレーズ単位で部品を集めていくというアプローチの大切さ、④コンセプトは自分の意思ではなく掘り起こすもの、⑤深堀りの重要性あたりでしょうか。

とにかく学びの多い過程でした。

 

ものづくりを通して得られる経験を体系化してみる③10→100編

曲も歌詞もできたら最後は編曲です。

この曲以降もいくつか編曲までやった曲はあるのですが、その時に痛感したのがコンセプトの重要性でした。

編曲では、ピアノ、ストリングス、ギター、ベース、ドラムetc...と様々な音を重ねていかなければなりません。

そのため、1つにまとめ上げる指針=コンセプトがないと、全然うまくいかなくなってしまうのです。

 

この曲の場合はコンセプトがはっきりしていたので、編曲では「雨」、もっと言えば「スコール」感が出るように意識をしていきました。

前奏から淡々と流れるピアノのモチーフに対していきなりなるクラッシュシンバルの音は、そこで急に降り出すスコールをイメージしたものです。

そして、全体的に沈んだ印象を保たせるために、ストリングスは暗い印象にしました。

で、ずっと淡々と流れる印象を維持したいためピアノを中心に音のバランスを組み立てていきました。

後は、楽器同士が音を食い合わないようにバランスをとって音を置いていきます。

最後のサビの手前で、伴奏がピアノ一本になりますが、ここは一旦歌詞に注目して貰いたい(=心情に気持ちを寄せて貰いたい)という意図からしたものでした。

そして、直後に全部の楽器の音を重ねたのは「スコール」という曲のモチーフを忘れて欲しくないから。

そして、最後はクラッシュシンバルで表現していたスコールのおとは消えますが、これは、曲の冒頭で降り始めたスコールがもう止みかけているという時間経過を表すことができたらと思い入れた演出です。

雨は止むけれど、まだまだ気持ちは前に向いていない。

そんなニュアンスが伝わればいいなと思い、最後まで鳴っているのはピアノのメロディだけにしました。

以上がこの曲の編曲をした時に僕が考えた意図です(かなり昔の話なので、うろ覚えですが...)

 

編曲の時に学んだのは、⑥個々の楽器が一番心地よい音と全体の中で良いものは違うということ⑦細部の作り込みが仕上げたあとのイメージを変えるということあたり。

 

ものづくりに学ぶ

というわけで、初めて曲を作った時のことを思い出しながら当時の発見や意図をつらつらと書き並べてみたのですが、改めて思うのは、1つの物を作る過程で使う思考量や試行錯誤の量は本当に膨大だなということです。

とかく最近は合理化、スピード、KPIといった、いかに最短経路で目的にたどり着くのかという「目的志向型」が流行っていて、そうしてできるショボくても最低限目的にかなったアウトプットが評価されがちな気がします。

もちろんそれはそれで良いと思いますし、実際にビジネスの場ではそれが正解だったりする場合も多いのですが、全ての領域にその理論を当てはめるのはどうなのかなと思ったりします。

特に、こういう試行錯誤や思考を繰り返した事のない人が言う「目的志向至上主義」には、僕は少ならかず思うところはあります。

だから、結果主義、目的志向の人ほど、長期的に必要になるスキルは「ものづくり」の中で得られる経験なんじゃないかなと思ったりするわけです。

もともと合理化や論理的思考といったものは、こうした様々な無駄や寄り道をしてきた人間が、自身の経験から無駄を省いた結果たどり着いたものであるというのが僕の持論です。

それを、初めから無駄がない無菌培養みたいなことをしてノウハウだけ得たところで、長期的には武器にも何にもならないような気がしています。

そんなわけで、今、戦略的に考えても役に立つスキルは「ものづくり」なんじゃないか。

そんなことを最近思っています。

 

アイキャッチはちょうど「泥臭く経験を積み上げるVS合理的にコンテンツを生み出す」の戦いが描かれたバクマン。のこの巻。

バクマン。 14 (ジャンプコミックス)

バクマン。 14 (ジャンプコミックス)

  • 作者:小畑 健
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2011/08/04
  • メディア: コミック
 

 

 

質問箱まとめ①

僕は思考訓練の一環で、twitter上に質問箱を設置しているのですが、その解答がそこそこ溜まってきたので、備忘録としてブログにまとめて起きたいと思います。

(ネタが思いつかず、昔作ったコンテンツを使い回しているだけやろ!というツッコミは無しでお願いします...笑)

 

酔った時、誰かに電話したくなる現象に名前をつけて欲しいです。
f:id:kurumi10021002:20200203004458j:image

僕もこのタイプだったのでむちゃくちゃ分かります!笑
酔うと電話をしたくなる現象に強いて名前を付けるなら「泥酔テレホリック」現象あたりでしょうか...?
僕はさらにこの現象を相手によって次の①〜③に分けられると思っています。
①気になる人②仲のいい友人③ランダムに大勢。
そして、それぞれを①甘えん坊型、②ジャンプ型、③テロリスト型と分類しています。
(僕は完全な③で、テロリスト型泥酔テレホリックでした)

 

物事を継続するために意識していることはありますか?

f:id:kurumi10021002:20200203003923j:image

何かを継続したい時は、「システム化」を意識しています。
例えばこの数年、健康の為に(?)教室から家まで歩いている(一駅分)のですが、それを続ける為に①自転車を捨てて②終電まで働くという「システム」を作りました。
あるいは学生時代に本を読もうと決めた時は、図書館に籠るために、閉館時に携帯を図書館に隠して、朝イチで取りに行くという「システム」を作りました(笑)
こうするともう、やる気や熱意とは関係なく、せざるを得なくなります。
意志や熱意は水ものだと思っているので、何かを続けると決めた時、僕はできる限り「せざるを得ない仕組み」を作るようにします。

 

嫌なことから逃げたらどうなりますか?

f:id:kurumi10021002:20200203004111j:image

嫌なことには①夏風邪タイプと②虫歯タイプがあって、前者は逃げておくことで自然と解決する一方、後者は放っておく程に悪化します。
ただ、「逃げたい!」と追い詰められている時は、①と②が同時に起きている場合が殆どなので、一旦逃げて①を治し、改めて②に向き合う(もちろん多少状況は悪化しているでしょうが)のが良いのかなと思います。

 

ケンカした時の仲直りのコツは?

f:id:kurumi10021002:20200203004326j:image

仲直りしたいのなら、折衷案を探そうとせずにひたすら謝ります(笑)
その際①相手の話を絶対に遮らない、②相手を否定しない(理屈で切らない)、③言葉から真意を汲むが必須です。
※時間を気にするのは厳禁です!
ケンカの理由はお互いにあったとしても、仲直りしたいという「欲求」は100%自分のものなので、徹底的に譲歩します。

 

復縁ってどういうときにあり得るの?

f:id:kurumi10021002:20200203004654j:image

別れた後も仲の良い友達関係の人は何人かいますが、復縁はしたことないので分からないです...
体験談では答えられないので、復縁の可能性を場合分けして考えます(笑)

別れた後の両者の感情をまだ好き○、ふつう△、まじでムリ×としたとき、以下の9通りになります。(カッコ内はそれぞれの時の自分の気持ちを表す言葉)
①自分○/相手○(何で別れたんやろ?)
②自分○/相手△(感謝&友達でいたい)
③自分○/相手×(未練だらけ/甘えたい)
④自分△/相手○(ペット感覚)
⑤自分△/相手△(仲のいい友人)
⑥自分△/相手×(悪いことした)
⑦自分×/相手○(鬱陶しいし連絡すんな)
⑧自分×/相手△(次の人探そう)
⑨自分×/相手×(本当にムリ)
このうち、③⑥⑦⑧⑨に復縁はないでしょう。
⑤は復縁というより、友人に近くなります(これは実体験)。
残った①②④の時に復縁があるのかと思います。
逆に③⑥の場合に復縁を迫ると、相手にマジで嫌がられるのでやめた方がいいと思います(笑)

 

往復書簡[9通目](2020.02.01)しもっちさん(@shimotch)へ

拝啓 しもっちさま

 

これまでのやりとりはこちらから読めます!

note.com

往復書簡と言いながら、ながーーーく、時間が空いてしまい申し訳ございません。
明日返そう、明日は返そう、明日こそ返そう、、、と思ううちに、年をまたいでしまいました。
「先日お会いしたときに...」と書き始めて(いや、もう少し熟成させよう...)と下書きに保存していた話の枕もすっかり発酵を通り越してお腹に悪そうになってしまったので、改めて書き直しています。
(どうでもいいですが、発酵させると美味しくなるのに、発酵させ過ぎると食べられなくなってしまうというのは何だかもどかしいですね 笑)
昨年京都でお話しした際にしもっちさんの口から出てきたイベントや企画のアイデア
公演前の舞台稽古を見せてもらっているような気分になって、内心ずっとにやけていました。
企画屋「シモダヨウヘイ」の力量を垣間見た気がしました。
そんな企画屋としての仕事のひとつが都々逸展でしょうか?
都々逸いいですよね!
〈マフラーに顔埋めて歩く 月しか知らない恋でした〉
〈君は野に咲くあざみの花よ 見ればやさしや寄れば刺す〉
仕事柄詩歌に触れる事があるのですが、都々逸に流れる情緒のようなものが僕も大好きです。

好きな都々逸を引用するために昔のノートを開いていたら、お気に入りの定型詩がたくさん出てきました。
〈手向くるや むしりたがりし 赤い花〉小林一茶
〈勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へん〉紀内侍
〈観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生〉栗木京子
少ない字数に音の数。
様々な制約があるからこそ、受け手の「聞く姿勢」が重要で、だからこそ味わい深いんだろうなと思います。

こういった歌を見るたびに、歌人の世界を言葉で捉える力に圧倒されます。

そういった意味で、俵万智さんと松村由里子さんの公開授業は本当にうらやましいです。

しもっちさんも僕もやっぱり話す人だと思うので、流れの中で言葉に表したり、会話を通して当意即妙な返しをすることには大分慣れていると思うのですが、だからこそ歌人の言葉で流れの中から世界を的確に切り出す力に圧倒されますよね。

しもっちさんの「守りの将棋」という比喩がまさに言い得て妙だなと思ったのですが、僕らの言葉への向き合い方が「将棋を指す」であるとしたら、歌人のそれは「美しい棋譜を記憶する」ことのように思いました。

 

話を聞くことに関して、僕は「相手の論理に身を委ねる」ということを心がけるようにしています。

僕たちは思っている以上に自分のことが大好きで、大抵の人は相手の話を自分の文脈で理解しようとしてしまうというのが僕の持論です。

たとえ相手の話にじっと耳を傾けていたとしても、相手がなぜそのように考えたのかを受け止めようという意識がないのであれば、それは相手の話を「聞いた」とはいえないと思っています。

あえて式にするのなら[聞いた量=傾聴量×受容度]みたいな感じです。

物量としてどれだけ「聞いて」いたとしても、相手の考え方を受容する態度が絶望的にかけている人は、「聞いてやった」という自己満足しか残らないのでは?と思うのです(笑)

僕の仕事の場合、物理的に聞ける時間は限られています。

そのため限られた時間の中で適切に「聞いて」、相手に響く伝え方をするには、ひとつでも多く相手の言葉の中から情報を得ることが必要です。

そのために僕が意識しているのが「受容度」で、「相手の論理に身を委ねる」というのはそれを磨く具体的な手法だと思っています。

この「受容度を上げる」というのは、詩歌の鑑賞にも通ずるところがあるように思っています。

受容度を上げ感度を研ぎ澄ますことで、作家の感動に到達できる。

受容度を「将棋を指す」側に使えば聞くこと、「棋譜を見る」側に使えば鑑賞することになるのかなあと思います。

 

こんな風に書きながら、自分の「聞くこと」に関する見解にはそれほど自信がないので、是非ともしもっちさんの見解も聞いてみたいです。

そしてもうひとつ、カフェで話をしていて気になったのですが、あれほど多様な企画を思いつくコツみたいなものがあれば教えていただけないでしょうか?

 

 P.S.俵万智さんと聞いて、この本を思い出しました。むちゃくちゃ面白いのでお時間があればぜひ!

短歌の作り方、教えてください (角川ソフィア文庫)

短歌の作り方、教えてください (角川ソフィア文庫)

 

 

否定しない人たち

最近とぺこぱさんたちとローランドさんにはまっています。
といっても、僕は別にキャラクターとかに興味はないので、あのキザキャラが好きというわけではありません(笑)
僕が彼らを好きになったのは、どちらも「否定をしない」という芸をしているところが面白いと思ったから。
否定しないということを、面白さに変えて、自分たちのウリにしてしまっているところが、とてもいいなと思うのです。

M1グランプリ松本人志さんに「のりつっこまない漫才」と評されたぺこぱさんの漫才は、ボケ担当のしゅうぺいさんの発する奇抜なボケに対して、ツッコミ担当の松陰寺太勇さんが決して否定することなくツッコミを入れるというもの。

ボケ「ドウモ宇宙人デス!」
ツッコミ「いや宇宙人じゃねえだろ!…とも言い切れねえだろ!そうだろ?」

ボケ「ちょっと俺性別間違えちゃった。」
ツッコミ「いやどんな間違い!でも俺は受け入れる。気にするな時を戻そう。」

ボケ「痛っ、痛っ、イタタタ体育大学主席で卒業!」(変なポーズ)
ツッコミ「イヤ、どーゆーボケ? であっても処理するのがオレの仕事なんだ」

こんな感じが続いていきます。
ひとつひとつのボケを、否定することなく受け入れるというのが特徴的で面白い漫才です。

ぺこぱに負けず劣らず「否定しない」を貫いているのがローランドさん。
ローランドさんと聞いて思い出すのはオラオラ系のホストのイメージで、少し「否定しない」というイメージとは結びつきづらいかもしれません。
しかし、彼のホストの接客姿やテレビ番組での他のタレントさんとの絡みを見ていると、彼のすごさは、その「否定しない」姿勢にあることに気がつきます。
たとえば、自信のない後輩ホストの相談になる際に「鏡とジャンケンして勝てると思ったことある?俺勝てるよ、調子いい時。ホストはそれくらい自信持たなきゃ」というアドバイスをしてみたり。
ローランドさんが出る番組を見ていると、愚痴やネガティブを発想の転換によってポジティブに捉えなおす場面をよく目にします。
そして、その際には決して否定することがない。

おなじ「否定しない」でもぺこぱの場合は受け入れる形で否定を避け、ローランドさんの場合は捉え方を変える形で否定を避けていきます。
「受け入れ型」と「発想転換型」の2種類の否定しない姿勢。
タイプは違いますが、どちらもコミュニケーションのスキルとして、非常に役に立つように思います。
今は自分の意見をはっきりと言えることや、人と議論できることがよいことのように思われがちだからこそ、「否定しない」という姿勢は希少価値が高く、魅力的なんじゃないかなと思います。

 

アイキャッチはローランドさんのこの本

俺か、俺以外か。 ローランドという生き方

俺か、俺以外か。 ローランドという生き方

  • 作者:ROLAND
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/03/11
  • メディア: 単行本
 

 

ハンマーソングと漱石と。痛みと、孤独と、その先と。

「孤独」というキーワードを耳にした時、僕の頭にはパッと二つの作品が浮かびます。

ひとつBUMP OF CHICKENの『ハンマーソングと痛みの塔』で、もう一つは夏目漱石の『野分』です。

どちらも十分すぎるくらいの「孤独」を感じつつ、その先の答えが真逆なところが僕には、面白くて仕方がないのです。

 

僕はBUMP OF CHICKENの曲の中でも、『レム』『乗車券』『K』『ダンデダイオン』辺りがすきなのですが、その中でも特に好きな一曲が『ハンマーソングと痛みの塔』だったりします。

ひたすらに自我のメタファーである「箱」を積み上げてその頂から他者を見下す主人公。

どんどんどんどん箱を積み上げて、どんどんどんどん他者を見下す視線が強固になるのですが、どこかそこには「なんで僕を分かってくれないんだ!」という、孤独な主人公の悲痛の叫びのようなものが描かれています。

そして、ある時「同じ高さまで降りてきてくれないか?」と声をかけてくれる他者と出会う。

その瞬間、自分の「独りよがりな孤独」に気づき、おのれの自尊心が単なる弱さに過ぎなかったことを主人公は悟ります(この辺、聴く人によって解釈は異なるかもしれません…)

ざっくりと書けば、こんな展開をするのがBUMP OF CHICKENの『ハンマーソングと痛みの塔』。

それに対して漱石の『野分』では、孤独を望みつつ他者からの承認に焦がれる高柳君に対して、いわば『ハンマーソングと痛みの塔』における主人公を引き戻そうとする存在である道也先生は、正反対の態度を取ります。

曰く、「君は人より高い平面にいると自信しながら、人がその平面を認めてくれないために一人坊っちなのでしょう。しかし人が認めてくれるような平面ならば人も上ってくる平面です。芸者や車引に理会されるような人格なら低いにきまってます。それを芸者や車引も自分と同等なものと思い込んでしまうから、先方から見くびられた時腹が立ったり、煩悶するのです。」だそう。

漱石の描く道也先生は、生徒の高柳くんの「自分は他者とは違うけれど理解して欲しい」という、敢えて言えば、「臆病な自尊心」のようなものを真正面から否定します。

中途半端に見下すな、と。

恐らく道也先生の意図を端的に表せば、末次由紀さんの『ちはやふる』に出てくる須藤暁人を周囲が形容した「本当に高いプライドは人を地道にさせる」という言葉が近いように思います。

(反対に中島敦の『山月記』に出てきた李徴が自身で気づいた「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は、むしろ前者的な「痛み」なのかもしれません。)

 

「孤独の痛み」と「孤独の崇高さ」という比較は、作品の形態を超えて面白いテーマなのではないかと思ったりしています。

才能故に理解されない主人公や敵キャラが登場するコンテンツは枚挙にいとまがありませんが、例えば『結界師』に出てくる日永や月久、『BLEACH』に出てくる愛染、『fairy tale』のゼレフ。

主人公の側で言えば『ワンパンマン』のサイタマ、『RAVE』のジークハルトなどなど。

どことなく、ゼロ年代初めから十年代前半の作品には、「孤独を分かって欲しい」敵キャラか、「孤独を引き受けた」味方キャラという構造があったように思います。

 

冬季講習の京大対策のテキストを説明しながら、ふとそんな事を思いました。

どうしても目的のために学んでいると、他分野は視野狭窄に陥るように思うのですが、そんな時期だからこそ、多方面に情報感度を巡らせてみては?なんて思い、理屈ではなく、思った事を綴ってみました。。

 

アイキャッチはもちろん漱石

基本コンテンツに影響を受けない派の僕ですが、「それから」は僕が衝撃を受けた一冊だったりします。

 

それから

それから

  • 発売日: 2015/08/01
  • メディア: Prime Video
 

 

 

Fly me to the moon~姫と、漱石と、前澤社長と。~

「好きです」を「月がきれいですね。」と訳したのが夏目漱石だとしたら、「僕と一緒に月に来てくれませんか?」って言った元ZOZOの前澤社長は漱石以上。
先日Twitterを見ていたら、こんなつぶやきが流れてきました。
うまいこと言うなあ…と、思わず感心してしまいました(笑)
こんなつぶやきを見ているうちに、いろいろな「月」に関するエピソードを思い出したので、つらつらと並べていきたいと思います。

「月」と言って次に思い出したのは、前澤社長の前の交際相手である剛力彩芽さんの別れる際の台詞。
嘘か本当か分かりませんが、別れしなのひと言は「私は月にはいけない」だったのだとか。
前沢社長の比較相手が漱石なのだとしたら、剛力彩芽さんはかぐや姫がいい相手といったところでしょうか?笑
「月に帰らなければならない」と言ったかぐや姫に対して、「月へは行けない」と言った剛力彩芽さん。
前澤社長がかぐや姫に求婚した帝だったら、ちょうどよかったんだろうなと思ったり思わなかったり。

見方次第では漱石よりも前澤さんはモテるくどき文句を言った前澤社長。
それでも剛力彩芽さんには振られてしまいました。
それならば、前澤社長のおしゃれなくどき文句は誰に刺さるのでしょうか?
文学作品や音楽をいったりきたりするうちに、僕の頭の中ではJAZZのスタンダードナンバーのひとつ、[Fly me to the moon]にたどり着きました。
===============
詩人は沢山の言葉で
簡単な気持ちを表現するものだけれど
詩を「歌」にするには
時間と考慮と韻が必要
最近、音楽と言葉でいろいろ試しているんだ
君に歌を書いたよ
でも君はニブイから
念のために通訳しながらいくよ
(「Fly me to the moon」宇多田ヒカル和訳ver.より)
================
こんな歌いだしで始まる[Fly me to the moon]。
主人公の女性はこれに続くサビの部分で、[Fly me to the moon, and let me see spring is like on Jupiter and Mars.](私を月に連れてって。そして木星や火星にどんな春が来るのか見せて欲しいの。)と続きます。
これはもちろん比喩表現で、実際のところは「私をわくわくさせて!」と女性が好きな男性に語りかけている場面。
木星や火星にどんな春が訪れるかを知りたいの!」というのも、「知らない世界を教えて欲しい」という意味と捉えるのが妥当でしょう。
ただ、これが前澤さんに対する言葉になると意味合いが変わってきます。
なんと言ったって本当に「月に行こう!」って言っているんですから!笑
「私を月に連れてって」は、こと前澤さんに対してだけは「ずっとあなたと一緒にいたい」というプロポーズの言葉になり得るわけです。
漱石かぐや姫にFly me to the moon。
前澤社長の「月」をきっかけにいろいろ連想を繋げてみました。

 

アイキャッチ漱石の作品の中でも、「それから」に並んでお気に入りの作品のひとつ「野分」。

 道也先生が高柳君に語る「一人坊っち」の定義がしびれます。

二百十日・野分 (新潮文庫)

二百十日・野分 (新潮文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/01
  • メディア: 文庫