新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



21.当事と傍観

周りの雛たちよりも少しだけ体の大きかった雛は、その風貌からいつも仲間からのけものにされていた。

ある秋の事、ついにアヒルの群れを抜け出した。

厳しい冬に一人寂しく耐えていると、やがて春が来た。

気持ちの良さに羽を広げると、なんと空を飛べる様になったいた。
そして最終的には自分が白鳥であった事に気づき、白鳥の群れの中に自分の居場所を見つける事ができた。

アンデルセン童話のなかの「アヒルの子」は虐げられても最終的に自分の居場所にたどり着いた。

もしたどり着く事さえできなかったとしたら、どれだけ辛い事だろうか。

大津でいじめが原因で自殺した中学生の気持ちを考えると、とてもいたたまれない気持ちになる。


大津市で起こった自殺の問題は、その原因となったいじめの悪質性、そして学校側の対応の不誠実さが露見したことにより、一躍世間の注目を集める事となった。

世間の注目が現状の学校運営や司法の抱える問題の改善へ向かう事を望んでいるが、実際はそんな上手くはいかないだろう。

ネットやテレビの意見を見る限り、取り上げられるのはどれも第三者の目から見た表面的な部分に対しての批判ばかりで、そこには決定的に当事者意識が欠如している。


先日のニュースで「学校側、いじめに関して全校生徒にまた口止め」というニュースが出ていた。

この見出しに対して特に多くの非難が寄せられたそうだが、「口止め」の事実に対して一度冷静に向き合う必要がある。

いくつかの記事を読んで見たら実際は「学外で知らない人に声を掛けられても、何も話さないように。」というものであったようだ。

事件に興味本位で集まったマスコミやジャーナリストから生徒を守る(学校が生徒のためと思っていたかは知らないが)ためには、極めて当然の判断だと感じたのは私だけだろうか。

まだ分別のつかない何百人もの子供達が、取材に興奮して信ぴょう性に乏しい証言をあちこちでしてしまったら、それこそ収集のつかないことになる。

それを個人の自由を侵害するとテレビで大声で主張する英雄気取りにはやはり疑問を覚える。

イジメは加害者にその自覚がない事が多い。
あらゆる出来事を全てイジメにかこつけて、我は正義とばかりに非難を繰り返す人たちは、少年を自殺に追い込んだ加害者となんら違わぬように思えてならない。

亡くなった男の子の両親が望むのは「真実の解明」と「同じ様な事が起こらないための制度の見直し」である。

学校や加害者の肩を持つ気は毛頭ないが、第三者が興味本位でクビを突っ込んだ無闇に非難を繰り返すそれは、彼らが非難するイジメと同じ構造であるという事を自覚して欲しい。

そんな当事者意識が欠落した非難など、ご両親はもちろん亡くなった男の子は望んでいないはずだ。