新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



米津玄師「地球儀」考察〜地球儀の意味と宮崎駿さんへのアンサーとしての「地球儀」〜

宮崎駿監督の新作映画「君たちはどう生きるか」の主題歌として書かれた米津玄師さんの「地球 儀」という新曲。 映画館で聞いた時は正直ピンと来なかったのですが、改めて歌詞を見ながら聞いたときに、「な るほど!」という気づきがあったのでその辺についてまとめたいと思います。


曲に出てくる宮沢賢治の詩の引用


地球儀というタイトルと、その出だしからどうしても「地球儀」というモチーフに目がいきがちだと思 うのですが、僕が面白いと思ったのはCメロの次の部分です。
〈小さな自分の 正しい願いから始まるもの ひとつ寂しさを抱え 僕は道を曲がる〉 この部分を見ると、宮沢賢治の「小岩井農場」の次の場面を思い出します。
=================================== ちいさな自分を劃ることのできない
この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに まことの福しにいたらうとする それを一つの宗教風の情操であるとするならば そのねがひから砕けまたは疲れ じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと 完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする 〈中略〉
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさとかなしさとを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる(かつきりみちは東へまがる) ※( )内は修正版として掲載されているものです。 =================================== 〈「ちいさな自分」を劃ることのできない〉、〈もしも「正しいねがひ」に燃えて〉、〈「またさびしくなる」 のはきまつてゐる〉、〈「わたくしはかつきりみちをまがる」〉というように、超長編詩の「小岩井農 場」のパート九に出てくる言葉をこれだけ重ねているのは恐らく意図的でしょう。 米津玄師さんが「カムパネルラ」とう曲の中で銀河鉄道の夜をモチーフにしている点(其の中でも 今回の「地球儀」同様にフレーズ引用が多用されています)、そして何より「僕は一度銀河鉄道を やらなければいけない」といいながら「千と千尋の神隠し」を描いた宮崎駿さんの映画ということ で宮沢賢治をこっそり忍ばせたのは確信犯だと思います。


小岩井農場を引用した意図


さて、米津玄師さんが「小岩井農場」を引用したのはなぜなのでしょう。 宮沢賢治は自身のこの詩を「詩」と呼ばれることを嫌い、自らは「心象スケッチ」だと名乗っていた のだそう。

小岩井農場」は賢治自身が駅から農場まで向かう際に心に残った風景を、心の中の風景と混 ぜて描かれています。(ちなみに心象風景の中で「しゃべる鳥」が出てきます) 現実と心象風景、そして視覚に入った風景の断片が次々とつながって詩が成立するわけです が、僕はこれが「君たちはどう生きるか」と重なって感じました。 つまり直接的な映画との関連性を歌詞に反映するのは野暮だから、その構成をとった詩のフ レーズを引用することでわかる人(宮崎駿さんと鈴木敏夫さんは当然わかるでしょう)に伝わるようにしたのかなあと。


愛されて幸せに育った無邪気な幼少期を歌う1番


以上が構成面で気になった部分ですが、ここからはより直接的な歌詞の内容に触れていきたい と思います。
〈僕が生まれた日の空は高く遠く晴れ渡っていた 行っておいでと背中を撫でる声を聞いたあの 日〉 当然自分で自分の生まれた日を見ているわけはないので、これは誰かから自分が生まれた日の ことを聞いた場面であると考えられます。 主人公を「行っておいで」と見送るシーンから、恐らくお母さんでしょう。 この歌は優しい母親に見守られて育ってきた幼少期から始まるわけです。 続くBメロでは幼少期の成長が描かれ、サビは次のように続きます。
〈風を受け走り出す 瓦礫を越えていく この道の行く先に 誰かが待っている〉 サビの前半では無邪気に自分の進む道を走っていく主人公の心象が描かれます。 そして後半も〈光りさす夢を見る いつの日も 扉を今開け放つ 秘密を暴くように〉と続くように、とに かくまだ見ぬ世界に思いをはせながら無邪気に進む主人公。
そして〈飽き足らず思い馳せる 地球儀を回すように〉と締めくくられるわけです。 小さいころに地球儀をくるくるしながらどんな国があるのだろう?とわくわくした経験があるのは僕 だけではないはず。 一番では終始いっぱいの愛に守られてすくすくと育つ無邪気な主人公が描かれます。


別れや挫折を知った主人公を描く2番


〈僕が愛したあの人は 誰も知らないところへ行った あの日のままの優しい顔で 今もどこか遠く〉 1番とは一転して悲しげな様子から始まる2番のAメロ。 ここでの「僕が愛したあの人」は、もちろん恋人ととることもできますが、前後の文脈を踏むのな ら、家族の大切な誰かなのかなあという気もします。 ちょうど米津さんがLemonのインタビューで家族との別れを経験したというようなことを述べてい たと思いますので、少なくとも僕は「家族」であると受け止めています。
〈雨を受け歌いだす 人目も構わず この道が続くのは 続けと願ったから〉 Aメロを受けサビが始まるわけですが、ここでは一番と対照的に雨のシーンから始まります。 1番の歌詞の晴れと無邪気さがリンクしていると考えるのであれば、2番の雨は別れや挫折とリ ンクしていると考えるのが妥当でしょう。 主人公は大切な存在との別れを経験してただ続いた道を走っていたのではなく、自らがそれを選 んでいたということに気づきます。 「成長と別れ」みたいな安直なテーマに還元する気はありませんが、ここで主人公は大きく世界に 対する考え方が変わるわけです。

〈また出会う夢を見るいつまでも 一欠片握り込んだ秘密を忘れぬように 最後まで思い馳せる 地 球儀を回すように〉というサビの後半からも大切な人を忘れられない主人公の気持ちがうかがえ ます。 歌詞は1番と同じ「地球儀を回すように」ですが、前のフレーズを踏まえると、未知を知りたくて地 球儀を回した1番に対して2番は世界のどこかに大切な人との記憶を探すようにも受け止められ るところでしょう。
そうして続くのが冒頭でも扱ったCメロです。 ここまでの内容を踏まえるとCメロの「道を曲がる」は「初めて自分の足で道を選んだ」という決 意、そして「いつまでも過去を引きずらず一歩踏み出す」という意志があるようにも見えます。 歌全体を通して自分の今までとこれからを表そうとしたというのがこの歌を聞いたときの僕の解 釈です。


地球儀というモチーフで自分なりの「僕はこう生きる」を描いた米津玄師


僕の中で米津さんは小さなシーンを深く深く掘り下げるのがうまいという印象でした。(もちろん 「パプリカ」や「KICK BACK」みたいな曲もありますが) そんな米津さんが全体を描いたのは、宮崎駿さんが今回の「君たちはどう生きるか」で自分の足 跡のすべてを描こうとした(ように僕には感じられました)ことに対するアンサーなのかなと思いま した。 宮崎駿さんの「君たちはどう生きるか?」という問いに対して「僕はこうやって生きてきた」と答えた みたいな。 それはちょうど和歌に対する返歌ではないですが、そう考えると非常にしっくりくるつくりであるよ うに僕には感じられました。 なにより、そんな米津さんの「僕ばこう生きてきた」がそのまま今度は僕たちにたいする「君たちは どう生きるか?」の問いにもなっているという。
僕は聞き手の解釈が多様になるのが名曲の要素の一つと思っているのですが、その意味で米 津玄師さんの「地球儀」は僕の中で間違いなく名曲です。 みなさんはこの曲について、どう聞きましたか?