新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



27.信頼と崩壊

「お金」とは何なのだろう?
銅でできた10円玉やアルミでできた1円硬貨ならまだしも、ただの紙切れである1万円や千円は、それ自体に価値があるようには思えない。
時代をさかのぼると、貝殻や石も「お金」として使われていた。

ある孤島ではキツツキの頭の皮が「お金」として使われていたというのだから驚きだ。

金属に貝に動物の皮。
お金として使われるものに何か規則性があるわけではないようだ。
では何を以て「お金」が「お金」足りうるのか。
一言で表せばそれは「信用」だろう。

渡す側と受け取る側が、あるものに対して同じ価値を感じることができる。
こういった状態が万人の間で起こった時に「お金」が「お金」たりうるといえるのではないだろうか。
あるコミュニティーで過ごす全員があるものに共通の普遍的価値を見出すことができるのであれば、極端な話道端のごみでも「お金」になりうる。

「お金を払えば欲しいものが買える。」
あまりにも身近になりすぎて意識したことはないが、もし「信用」という前提が崩れたらどうなるのだろうか。
きっと想像もつかぬほどに社会が混乱するのだろう。

「そんなこと起こるはずがない。」
おそらく大半の人には、鼻で笑いながらこう言われてしまうだろう。
しかし前提などたやすく壊れてしまう。

原子力政策は万全の危機管理であるという前提に推進されていた。
年金制度も永続的に続くことが前提であった。
サブプライムローンも同様だ。

それらの期待は散々に裏切られてきた。
そしてLIBORの信用性にも疑いが出てきた。
こんな世の中を目の当たりにすると、全ての前提に懐疑的な目を向けずにはいられなくなってしまう。