「俺は本当の神を恨んだことはない。俺が恨んでいるのは人々が信じる神だ。」
アメリカのアーティスト、マリリン・マンソンの言葉だ。
彼の過激すぎるライブとキリストを冒涜するかのパフォーマンスはしばしば物議を醸している。
米コロンバイン大学での銃乱射事件の犯人が彼の大ファンであった事と、彼の過激性が重なって狂気の象徴の様に見られる事が多い。
そんな「狂人」とされる彼だが、言いたいことは分からなくないように思う。
「人々が信じる神」とは、大衆が自分都合の解釈をして、自分の弱さの隠れ蓑としようとする精神のことなのだろう。
自分の弱さや自分の過ちも、万能の神のせいにしてしまえば自分が気づつかなくなる。
何も考える事もなく、自分の信じる考えは正しく、それとは異なる物は悪とみなす。
数の力でそんな事をまかり通している人々の事をマンソンは「恨んだ」のだろう。
ある一つの幻想を盲信的に信じ、それ以外を全て悪とみなす。
そんな事が日本ではまかり通っている気がする。
先日用事で出かけた際、降りた駅で原発反対の署名をしていた。
駅から出ると直ぐににこやかなおばさんが近づいてきた。
手に持った署名簿とペンを当然のように突きつけると、署名お願いしますと言ってきた。
私が「原発反対派ではないので、、、」と言うと彼女は信じられないという顔で罵声を浴びせてきた。
「あなたねぇ、、、」
の言葉で始まった話の内容をまとめるとこうだった。
「原発は悪で不要なもの。みんなの為になくすべきだ。」
悪と言うのは認めよう。
不要なものと言うのもまあいい。
だが「みんなの為に」という言葉はどうしても聞き流せなかった。
その言葉は私たちがやっていることは正義で、「みんな」同じ様に考えれば素晴らしいという前提が無意識の内に備わっていたのだと思う。
何事においても「無意識の盲目」が今の日本では多い様に感じる。
信じ込んだ大多数が、反対派の言論を駆逐する。
それが当たり前の社会に疑問を投げかける必要があるのだ。
マンソンの言葉を見ていると、そんな事彼の訴えが滲んている様に感じてならない。