新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「最近の若者は分からない」に若者が答えてみる

作家で思想家の東浩紀さんが、以前対談番組の中で「医学的に助からないことは確実だという見地と、ひとりの医者として目の前の患者をなんとしても助けたいという感情は、同居可能である」ということを例に出して、自分の意見や主張と、それに対する分析が違う可能性は十分にあるということを言っていました。
僕はこの東さんの例えと主張にすごく納得したのですが、反面で自分の主張と予測が一致しないと違和感を覚えるひとがすごく多いのだということを感じます。
僕は基本的に、自分はこう考えるという「べき論」を持たないようにしています。
「こうあるべき」というのではなく、流れを見れば「ここに行き着くだろう」という予想をするだけ。
その結果に対して僕が賛成であるとか、否定であるという立場は介在していません。
だから、このままいけば年金制度は30年ほどで破綻するといったとして、それは僕が年金制度に反対しているというわけではありません。
或いは、権力構造やサプライ側のニーズから考えて、原発再稼働は止む終えないと言ったとして、別に原発再稼働に賛成しているわけではありません。
ただ単に、全体の流れを見ているとその方向に落ち着くだろうと思うから、そうなるだろうと言っているにすぎません。

その人の分析と主張が違うというのは、僕にとって普通というよりは、僕らの世代にとって普通の考えであるように思います。
今の若い世代の人たちは、自分がどういう理想や立ち位置でものを考えるのとは別に、全体の流れを見たときにどこに行き着くかという自分なりの考えを持っています。
全然立ち位置の異なる自分の理想と自分の予想が、ひとりの中で共存し得る。
原発はなくなるべきと自分の主張を持っている一方で、社会をみたらそりゃ再稼働するよねという意見が、何の違和感もなく共存しているのです。
それこそ僕たちよりも上の世代の人であれば、原発の問題などは「原発はなくなるべき。だから再稼働反対」というように直列繋ぎで考えられる事象なのでしょう。
だから、反対だけど仕方ないよねみたいに並列繋ぎで考える若者たちが、何を考えているのか分からなく映っているような気がします。

もうひとつ、僕が思う若者とそれより上の世代の人との考え方の違いが、社会に対する構え方に現れています。
今の若い人の考え方の特徴のひとつは、ルールの中でどう振る舞うのかというところにあります。
理不尽なルールや、二転三転する縛り、流れの変化は仕方がないもので、肝心なことはその中でどうやれば上手く立ちまわることができるか。
若者の基本姿勢はこんな感じであるように思います。
これがひとつ上の世代になると、間違っているルールがあるなら反対するか不満を表明すべきという風になるのです。
ルールを変えようとするのではなく、どんな悪法の中でも上手く立ち回ろうとする。
若者の考え方には多かれ少なかれ、こうした要素が含まれているように思います。
だからこそ、ルールを変えるべきと考える人には、ルールの中で勝てるポジションを取りにいけばいいじゃんという若者の考えは理解できない部分が多いのだと思います。

自分の考えと社会に対するものの見方が一致していなくても全然違和感がなく、かつどんなルール変更があっても、その都度そのルールの中で上手く戦えばいいと考えるのが、今の若者の思考法です。
よく、テレビ番組に社会学者の古市憲寿さんがでると、周囲の大人が古市さんのことがわからないと言うのを耳にしますが、これはまさに古市さんが、若者の思考をしているからだと思います。
古市さんのどことなく社会問題にスカした態度で臨むかのようなスタンスは、実は上のように主張と予測が完璧に分離できているからこそ成り立っているのでしょう。
自分の主張とは別に、自分の予測をもっている。
最近の若者を理解するには、このスタンスが理解できるかどうかが分かれ道になっているように思います。


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