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テスト前日に確認したい「南の貧困/北の貧困」②「貧困」の定義を考えることで筆者の主張を追いかける

以前のエントリで、『南の貧困/北の貧困』を一言で表すと「それって本当に正しいの?」という問いかけになるという話を書きました。
さすがにこの書き方だけでは何が言いたいのか分からないと思うので、実際に文章内容を追いかけてみたいと思います。
『南の貧困/北の貧困』は世界銀行で用いられている貧困の定義を紹介するところからはじまります。
その定義によれば1日あたりの生活費が1ドル(2017/10/19の時点だと1ドル約113円です)が貧困ライン、1日あたり75セント(1日あたり約85円)で暮らす人を極貧層とされています。
本文から少し離れてしまいますが、一旦110円で1日を過ごすことを想像して下さい。
コンビ二で買うならせいぜい安い菓子パンひとつ。
こんなんじゃとても生活できないですよね?(笑)
僕たちの生活に照らし合わせると1日1ドルはとても生活できない「貧困」ラインなので、この世界銀行の定義は正しいように思いますが筆者は「貧困のこのようなコンセプトは正しいだろうか?」と言っています。
これが冒頭で述べた「それって本当に正しいの?」という問いかけです。
僕たちからするとまるで疑問を持たない「1日1ドル」という貧困ライン。
筆者はここから、僕たちが「当たり前」と思うこの「貧困」の定義についてさまざまな具体例を用いて説明をしていきます。

ここからの内容を読み進める前に、一度「貧困」という言葉について整理をしておきたいと思います。
皆さんは「貧困ってなに」と聞かれたらどうやって答えますか?
恐らく「お金がないこと」とか「生活ができないこと」とか、さまざまな答えが返ってくると思います。
この「さまざまな答えが返ってくる」というのがポイントです。
複数人に聞いたらいろいろな答えが返ってくるように、「貧困」にはさまざまな要因があるのです。
その中で一番計測しやすいのが「お金」です。
あくまで1要素でしかないのに、それを絶対的な数値として扱うのはどうなの?他の可能性にも目を向けようよと言っているのが筆者の言いたいことなのです。

本文に戻ります。
少し上に書いたように、貧困(というより人々の生活の豊かさ)を測る指標はお金ばかりではありません。
お金以外の生活の豊かさの例として紹介されているのが中国の巴馬瑶(パーマーヤオ)族です。
本文で筆者も「長寿が幸福とは限らないが、九十代くらいまでは元気で『悩みがない』ということは、よい人生だと想像するほうが素直だろう。」といっている通り、巴馬瑶族の長寿は豊かさの一つの指標といえます。
この視点からみれば、巴馬瑶(パーマーヤオ)族は決して「貧困」ではありません。
しかし彼らの生活を「お金」という尺度から見たら1日あたり0.13ドルという生活水準で、世界銀行の定義する数値でいけば紛れもなく「貧困」に分類されるのです。
これって本当に正しいのでしょうか?
次段落ではアメリカの先住民の例がつづきますので、次回はその辺から筆者の主張について迫っていこうと思います。

 

 

アイキャッチは『ブラックジャックによろしく』(Amazonでは「ブラックジャックによろちんこ」)の作者で度々議論を巻き起こす佐藤秀峰先生の『漫画貧乏』

 

漫画貧乏

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