新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



モテる日本酒の選び方-獺祭や澪が好きな女性に合う日本酒集めました。-②白鶴純米大吟醸

好きなもののこととなると、どうしてもマニアックで高価なものに走りがち。
僕の日本酒レポートも、少し気を抜くとそちらに走る可能性があるため、気をつけようと思っています。
この連載エントリのテーマはあくまで「獺祭や澪のような日本酒を飲んで、日本酒って美味しいと感じてくれた人に飲んでもらいたいお酒の特集」なので、而今十四代のような高級で手に入らない日本酒を紹介しても、或いは酒蔵からの伝手でしか飲めないようなマニアックな日本酒を紹介しても仕方がありません。
むしろ、どこのコンビニでも置いてあり、飲んでみるととても美味しいみたいなものを紹介するのが一番です。
ということで今回は、コンビニに一般的に置いておる日本酒の中で、美味しいと感じた(獺祭や澪に近いと感じた)お酒を紹介します。

とその前に、高価で希少と書いた而今十四代を画像だけでも紹介させて下さい。
言うまでもなく、味は文句なしです。
定期的に飲みたくなる美味しさのお酒です。
日本酒が好きな人に聞くと、そのものの価値よりはるかに高い評価がついていると辛辣な意見を言う方もいますが、それでも僕はこの二本はかなり美味しいんじゃないかと思っています。
少なくとも、居酒屋で1000円くらいで置いてあったなら、全然飲む価値はあると思います。


ということで二本を紹介したところで本日の主題のお酒に。
大抵のコンビニにある日本酒は飲んでいるつもりなのですが、その中で個人的にもっとも美味しいと思うのがこの、「白鶴 純米大吟醸」です。
前も書いた通り、このエントリにとっての「美味しい」とは、①獺祭或いは澪のようで、②口当たりが飲みやすく、そして③オシャレであるというのが定義です。
③はともかく、白鶴の純米大吟醸は①と②はしっかりとみたしていると思います。
コンビニで750ml大体千円くらい。
業務用アルコールみたいな売り方のお酒と比べれば決して安くないですが、「獺祭的な」風味が感じられるお酒としてはかなりリーズナブルな値段だと思います。

さすがに獺祭ほどスッキリとした味にはなっておらず、喉を通ったあとに微かな「米米しさ」は感じますが、それでも値段と味を比べた時のコストパフォーマンスは最高だと思います。
獺祭を思い起こさせるようなフルーティな香りがたっているお酒です。
それが確か900円台。
コストパフォーマンスは非常にいいです。

というわけでコストも味も家庭を寝る音棘ハイ部屋に乗っております。




成績を伸ばすために必要な「蓄積」という意識

塾のコラム用に考えていたものなのですが、少し複雑になってしまったので、僕のブログにアップすることにしました(笑)

大学生の時期を合わせて8年近く子供たちの勉強に関わっていると、成績が伸びる子と伸びない子の特徴がいくつか見えてきます。
その違いの多くは、意外と勉強をしている、していない以前のところにあったりします。
その中でも最も大きな差は、「蓄積」を意識しているかどうかです。

その子の地頭がどうかは別として、長期的に見て成績が伸びる子は、例外なく知識を「蓄積」することを意識できています。
或いは、どんなに頑張って勉強しても伸びなかった子の成績が伸びるようになるのは、「蓄積」を意識し始めたときです。
ここで言う知識というのは、単語や公式といったものばかりでなく、よく出る問題のパターンや出題の傾向みたいなものも含みます。
むしろ、そういった部分の方が重要かもしれません。
(一定レベルになったら単語や公式といったものは覚えているのが当たり前)
勉強をしているのに成績が伸びないという子は、「その問題が解けること」が目的となってしまっています。
だから、せっかく復習をしても、ゴールが「その問題」を解くことなので、とき終えたあとにその問題を解いたことで得られる思考過程や問題パターンを収集しようという部分に意識があまり向かわないのです。
それに対して「蓄積」を意識している子は、その問題を解くこと自体を目的としていません。
意識的か無意識であるかは別にして、問題演習が思考過程や問題のパターンをしっかり覚えるための手段であるということを理解しているのです。

「蓄積」することを意識できていないと、とにかく膨大な問題を解いて、その中から体で覚えるしかありません。
いわゆる「慣れ」ってやつです。
「慣れ」はその子のセンスに左右されます。
サッカーのリフティングで、数回やってみたら何10回も続けられる子もいれば、何回やっても2,3回でボールがコロコロとどこかへ転がってしまう子もいます。
「慣れ」ることが得意な子は数回やれば十分なのに、「慣れ」ることが苦手な子はどれだけやっても成長になりません。
それくらい「慣れ」は個人差が大きいものなのです。
もちろんセンスがあってすぐに「慣れ」ることができる子はそのやり方で全く問題ありませんが、大半の子はそうはいかないでしょう。
「蓄積」を意識することによって、この「個人差」は大幅に減少します。
例えばコンビ二の店員さんを見てみると、態度の良し悪しなどの違いはともかく、一週間もすれば基本業務はこなせるようになります。
これは、しっかりとしたマニュアルが用意されていて、効率的に知識の蓄積がなされるからです。
知識が蓄積されれば、本人の能力に関係なく、一定のパフォーマンスは発揮されます。
「蓄積」を意識することは、よほど慣れることが得意な人を除いて、勉強をする上の必須事項なのです。

「蓄積」が大事と書きましたが、実際にどのようなことに意識をすればいいのか。
ここで大切なことは、問題の構造に意識を向けることです。
例えば英文法であれば、その問題がどの知識について問おうとしているのかを考える。
古文の現代語訳であれば、どの文法事項から答えとなる訳が導出されるのかを意識する。
あるいは数学ならば「この公式を使えば解けるのか」ということではなく、「どうしてその公式を使えばいいと考えるのか」という部分に注目する。
このように表面的に問題を解くのではなく、問題の背景に意識を向けることが大切です。
そして、背景に意識を向ける有効な手段はとにかく書くこと。
成績が頭打ちになる子(特に私立専願の子)はとにかく書いてみるということをしない傾向があります。
頭の中での理解と、書いてみることでは、その思考の深さがまるでことなります。
頭の中で考えるということは、「自分の処理能力で可能な範囲」でしかその問題を理解できません。
それに対して、紙に書いて、或いは問題に書き込みをして考えることは「自分の処理能力を超える思考」を可能にします。
僕は別に根性論者ではないので、「書くこと自体」が大切だなんて言いませんが、思考を拡大するという目的にはやはり書くことが有効だと思うのです。
そして、その深い思考こそが知識を蓄積するための手段です。

ここに書いたことを一言でまとめてしまえば、「とにかく書け!」なのですが、これもやはりなぜ「とにかく書け!」なのか、その背景を理解していなければ意味がありません。
意味を理解せずに書くのは、それこそ問題を解くのが目的となっているのと同じだからです。
知識の蓄積が始まると、その子の成績は途端に伸び始めます。
もしどんなに勉強しても成績がのびないという人がいたら、ここに原因がある可能性があります。
知識の「蓄積」、意識してみて下さい。

 

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「周囲の期待する宇多田ヒカル」を演じる大変さ

先日YouTubeのオススメ動画の中に、宇多田ヒカルさんのインタビューが入っていました。
ちょうど「真夏の通り雨」の考察エントリを書こうとしていたので見てみたときに印象に残ったのは、「人間活動に専念します」と言った、活動休止前の一言でした。
対談相手のアナウンサーに「人間活動とはどういうことか?」と聞かれ、宇多田ヒカルさんは、「これまでの私は周りの人間全てに特別扱いされ、普通の私として生きていく場がないと思った」というようなことを言っていました。
これって、人の前に立つ仕事をする人間なら、多かれ少なかれ、似た想いは必ずしたことがあるんじゃないかなと思います。

せいぜい20人くらいの生徒さんの前で授業をする程度の僕ですら、授業をする時は「みんなが期待する先生」像に答えられるように演じる節があります。
そうしなければとてもじゃないですがオーバーリアクションは取れないですし、全力で想いを伝えようだなんて真似はできません。
僕が塾の先生を初めて一番初めに身につけたのは、普段の僕と「先生」として教卓に立つ時の自分を区別することでした。
日常の延長のテンションで子どもたちの前になってしまえば、そこで伝えられる熱量みたいなものは、「普通の人」と変わりません。
そこでなんらかの影響を与えようと思ったり、言葉に重みを持たせようとしたら、みんなの期待に応えられるようなキャラ立ちをさせて、自分の「らしさ」にレバレッジをかけることが不可欠です。

お客様さんが期待する「私」を演じるためには、当然周囲が自分に期待するキャラクターの側面を強調しなければなりません。
そして、当たり前ですが一部分のキャラクターを強調すればするほど、等身大の自分からはかけ離れていきます。
キャラを立たせるというのは、それ以外の自分の要素を抑えて、一点を強調することだからです。
たった20人足らずの子どもたちの前で、それもキャラ立ちさせることが本分ではない僕ですら、期待に応えようとすると時々しんどいなと思うことがあります。
何万人、何百万人という人たちの期待に応えなければならない宇多田ヒカルさんのようなアーティストが感じるストレスは、とてもじゃないですが想像もつきません。
等身大の自分と、周囲の人々が期待する「宇多田ヒカル」との乖離に耐えきれなくなったからこその、人間活動に専念したいという活動休止理由だったのでしょう。

宇多田さんのインタビューをみていた時に、SMAPの解散が頭によぎりました。
彼らは宇多田さんに負けない有名人です。
まして彼らはSMAPという一つのイメージをお茶の間に届ける、文字通りアイドル(偶像)という存在。
自分たちそのものの存在を価値として国民的スターになったSMAPのみなさんの背負う「期待に応える義務」は、楽曲から連想されるイメージを保つアーティストの宇多田ヒカルさん以上に苛酷なものであったことは、想像に難くありません。
だからこそ、僕はSMAP解散というニュースが年初に流れたときの第一印象は「そりゃそうだ」でした。

周囲に期待される自分像と自分の押し出したい自分らしさは必ずしも一致しません。
むしろ、それは食い違うのが殆どです。
それでも人の前で期待に応えようとしたら、押し出したい自分の気持ちを押し殺して、期待に応え続けなければなりません。
それが、自分を商品として人前に晒すことを「仕事」として選んだ人たちの義務だからです。
商品として自分のキャラクターを販売することに疲れるというのは極めて当たり前のことだと思います。
宇多田規模なら復帰に6年がかかり、SMAPさん規模ならあそこまで疲弊し尽くすことになる。
宇多田ヒカルさんのインタビューを見ていて、才能で生きる芸能人のしんどさちたいなものが伝わってきた気がしました。

アイキャッチ宇多田ヒカルさんのNEWアルバムFantome

Fantôme

Fantôme