赤本や過去問に現代語訳が載っていないため、現代語訳を作りました。
近畿大学を志望する人がいらっしゃったら、過去問演習にご活用下さい。
(読みやすさを優先したため、細部に細かな誤釈があります)
こうして(俊藤は)、朝廷にも仕えず、官職や位も辞退して、京都の三条大路の末の、東京極大路に、広く趣のある家を建てて、娘に琴を習わせた 。娘は、全ての曲(楽の一つ)を習得して、一日で大曲を五つも六つも習得した 。弾き鳴らす音色は、父に勝っていた 。父が弾く(琴の)手(技)を、一つ残らず習得した 。
この頃、家は貧しかったので、思い通りに(娘を)装飾してやることができなかった 。十二、三歳になる頃には、娘の容貌は比類ないほど素晴らしかった 。あたりは光り輝いて、見る人はまぶしいくらいに見えた 。心根の賢明なことは、世間に評判が高く知れ渡って、帝や東宮は、(娘を配偶者として宮廷に入れるように)父(俊藤)に要請なさる 。娘にも手紙を下さるが、俊藤自身も返事を申し上げず、娘にもお返事をさせなかった 。それ以外の身分の高い公卿や親王たちは、なおさら手紙を見てもらうことすらできそうになかった 。
(俊藤は)「娘は天の意思(運命)にお任せ申し上げる 。天命があれば、国母(天皇の母)や女御にもなるだろう 。いや、(帝や東宮に)仕えることはせず、ただの人の妻になるのも、貧しい身分になるのも、全て天の意思にお任せしよう 。私は乏しく貧しい身である 。どうして身分不相応に高い身分の者との交際をさせようか、いやさせない」と言って 、身分の高い人々がお求めになっても、耳にも聞き入れなかった 。
家の門は周りを閉ざしてしまい、帝や東宮のお手紙を持ってきたお使いや、普通の人のお使いは、夜が明けると(門の前に)並び立ったけれど 、出入りすることもなかった 。ただ琴を習わせて過ごしているうちに、(俊藤は)「(娘を宮中に迎えるのは)ふさわしくない人だ」という意味から転じて「やはり必要な人だ」という意味で 、治部卿を兼任する宰相になられた 。
そのような時、娘が十五歳になる年の二月に、急に母が亡くなった 。それを嘆き悲しんでいるうちに、父(俊藤)も病気になった 。
父は、衰弱したと感じた時に、娘を呼んで言うには、「私は、以前の世では、我が子に高い身分との交際をさせようと思っていたけれども、若いうちは知らない国へ渡り、この国に帰ってきてからも、朝廷にも仕えず過ごしているので、私のする琴のことは多いが、誰が(その価値を)はっきりと述べる人がいるだろうか 。もし(この琴の道に)通じている者がいたとしても、誰が(娘にその秘技を)語り伝えて知らせるだろうか 。ただ、私が死んだ後、女子であるお前のために、身近な宝となるものを授けよう」と仰せになり 、近くに呼び寄せて、あらゆることを言い含めて、「この家の乾(いぬい:北西)の隅の方に、深く一丈(約三メートル)掘った穴がある 。その上下の周りには、土器を積んで、この弾いている琴と同じ形の琴を、錦の袋に入れたものが一つと、葛の袋に入れたものが一つある 。錦の袋の琴は『なん風』といい、葛の袋の琴は『はし風』という 。その琴を、我が身のように大切に思っているなら、決して軽々しく人に見せてはならない 。ただその琴は、心にないもの(頼むべきでないもの)と思いなさい 。これは末永い世の宝である 。もし(お前に)幸いがあるならば、その幸福を極める時に、不幸が極まる身となったならば、その果てになって命が終わってしまう時や、また、虎や狼、熊などの獣に交じってさまよい、歌を詠んで死ぬだろうと思われる時や、もしは(野盗などの)仲間の兵に身を捧げてしまうだろう時や、もしは世の中で、ひどい目に遭うようなことがお前にあるだろう時に、この琴をかき鳴らしなさい 。もし子供が生まれたなら、その子が十歳のうちに見て、聡明で賢く、魂がととのい、容貌や心根が、人より優れていたら、その子に預けなさい」と遺言し終わって、息を引き取られた 。また、同じ頃、乳母も亡くなった 。
嘆き悲しんで心身を沈めているうちに、特に自分自身には生活力もなく、長い年月が経ってしまったので 、まして一人の使用人も残らず、日ごとにいなくなって滅びてしまい 、世間の道理も知らない娘一人だけが残って 、恐ろしくて人目がはばかられるので 、あるべきようにもなく、隠れ忍んでいると 、人はいないらしいと思って 、通りがかりのあらゆる人は、宿を借りて泊まってしまったので 、ただ寝殿一つだけが、住む人もいなくて残った 。すぐに野原のようになってしまったので 、娘はただ、乳母が召し使っていた従者が、下屋(げや)に控えの間(曹司)を作って住んでいたのを呼んで使っていた 。父が生きていた時には、所々の荘園から(年貢を)持って来させ 、使用人を使わせて運ばせた時こそあったが 、こうして全くひどい有様になってしまったので 、ただ預かりをしていた者たち(横領した者たち)の私腹を肥やすことになって終わってしまった 。ちょっとした日々の生活に使う調度品なども、親たちが亡くなった騒ぎの中で、(使用人が)取り隠してしまったので、皆すっかり失せてしまった 。