新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



17.管理と判断

18世紀末、ジャーミー・ベンサムによって、パノプティコンという監獄が考案された。
マイケル・フーコーの「監獄の誕生」では、パノプティコンの作りについて以下のように説明されている。

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周囲には円環状の建物、中心に塔を配して、塔には円周状にそれを取り巻く建物の内側に面して大きな窓がいくつもつけられる(塔から内庭越しに、周囲の建物の中を監視するわけである)。周囲の建物は独房に区分され、その一つ一つが建物の奥行きをそっくり占める。独房には窓が二つ、塔の窓に対応する位置に、内側に向かって一つあり、外側にもう一つの窓から光が独房を貫くようにさしこむ。それゆえ、中央の塔のなかに監視人を一名配置して、各独房内には狂人なり病人なり受刑者なり労働者なり生徒なりをひとりずつ閉じ込めるだけで十分である。周囲の建物の独房内に捕らえられている人間の小さい影が、はっきり光の中に浮かび上がる姿を、逆光線の効果で塔から把握できるからである。独房の檻の数と同じだけ、小さい舞台があると言いうるわけで、そこではそれぞれの役者はただひとりであり、完全に個人化されたえず可視的である。

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要するに看守からは囚人の行動が確認できるが、囚人から看守は見えないという作りということだ。
こうすることにより、囚人はいつ監視されているか分からなくなるため常に気が抜けない状態を強いられ、脱獄などを図るものが減るということだ。


囚人を私たち個人、看守をSNSでつながる友人とすると、そこにパノプティコンの構造が浮かび上がる。

最近急激なSNSの普及により友人の数が増えすぎたため、ネットを介した友人との関係に疲弊している若者が増えているということだ。

気軽に繋がることができるが故に、社交辞令のような繋がりが増え自由な発言ができなくなるという状態になっている。

まさに「見えない看守の目に縛られた囚人」状態だ。

気軽な発言が利点であったSNSがかえって自分を縛るのならば、一度そうしたシステムから退いてみることもいいかもしれない。
スマホによりますます他人との距離が近づく社会の中で、様々なネットワークとの距離感を自分自身で判断することが不可欠だ。