新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



教育×IT~左のう編~

昨日書いたキャラクターギャグとコンテンツギャグについて、
学習指導においても、キャラとコンテンツの問題は当てはまるように思います。
子供たちが言う「面白い」「わかりやすい」が、キャラクター由来なのかコンテンツ由来なのか。
ざっくり言えば「あの先生がわかりやすい」はキャラ由来で、「あの先生の解説がわかりやすい」はコンテンツ由来のものだといえます。

僕の理想の授業はだれがやっても再現性のある「わかりやすさ」を突き詰めること。
自分のキャラクターや話し方とは一切切り離した部分で説明を組み立てたいっていうのがずっとあります。
IT×教育ということを考えたときの、自分なりの戦略です。
ITによりあらゆるコンテンツが、コピー&ペーストで容易に複製できる。
いわゆるロジカルシンキングのような、思考ツールを用いて生み出すアイデアや、合理化したシステムも、複製可能になります。
知識を問われる定期テストや受験は明確な基準が決まっています。
ゴールが決まり、詳細なルールが敷かれているものほど、ITにより複製が容易にできます。
で、あるならばそこでの勝負の仕方は、徹底的な合理化でわかりやすい説明のひな型を作り、無限に広がる「システム」の作成者になってしまうことだと思うのです。
今はまだ解説や解き方のポイントみたいなものは指導者の暗黙知に依存しています。
だからITの使い方も有名講師の指導動画みたいになる。
流通のコストはITで克服できていますが、一番の入り口は「人力」頼りです。

僕が将来的に一つの目標に考えているのは、暗黙知に頼っている説明やポイントを全て複製可能な形式知に変換し、それを複製可能な状況にもっていくということだったりします。
あらゆる現行の試験が決まった範囲から出題される(クリエイティブなものではない)限り、思考プロセスを誰もができるフェーズまで細分化してしまうことが可能だと思うのです。
ちょうど、職人の技を機械で再現する感じ。
今は「プロセスの細分化」が極限までできていないから、中途半端なデジタル化になっている気がします。
もちろんそれがいい授業であるということとは別問題です。
しかし、本来のITの導入の仕方としてはこの辺に行き着くのではないかと思うのです。

大幅に話が逸れてしまったので戻します。。
こんな風に考えていたこともあり、ここ数年で僕が意識していたのが、自分のキャラと説明を完全に分離させるということでした。
頭の回転が速い人間の思考プロセスを徹底的に細分化してトレースする訓練をすれば、テスト形式の問題に限定して言えば、疑似的にそういった人と同じ才能まで引き上げることができるのではないかという考え。

この方法で実際に応用問題も解けるようになるし、一定の成果も出たと自負しています。
しかしこの方法では自分のキャラクターや雑味を無駄なものとして取り除きます。
また、誰もが再現可能なプロセスまで問題の解き方を細分化することで、説明が膨大になってしまいます。
その結果、前提条件として子供たちが人並以上のやる気と執念を持っていることが前提になってしまう(笑)
何としても成り上がりたいというくらいの野心がないと、このやり方は通用しないわけです。
僕の考え方は何かを得たいなら自ら動くのが当然で、それをしない人間は成功するわけもないし、必要以上に助ける必要もないというものなのですが、全員がそういうスタンスではないので、自分の考えを押し付けるわけにもいかないですし、そもそもそんな気もありません。

当然、まったく需要がない商品を提供しても仕方がないので、最近は細分化したプロセスを興味がない人でも耳を傾けてくれるフェーズまで戻し、自分のキャラクターを前面に出した組み立てを心がけたりしています。
現在の僕の戦略は、以前の1:9を目標にしていたキャラ:コンテンツ比を8:2まで持っていくというもの。
そんなことを意識しながら授業を組み立てていると、今度は漠然とデジタル化が進んだ未来の教育業界での生き残り戦略が見えてきたような来ないような。。。
ちょうど今はこんな感じです。

今考えているIT×合理の反対の側面IT×感性という部分や、暗黙知や非言語領域について教育分野で思っていることを書きたかったのに、その部分に入る前に長くなりすぎた・・・
また書きたいと思います。。。


つづく?