新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



美術館に行く理由は美術館に通う自分が好きだから?

「美術館に行く人って、美術館に行く自分が好きなんじゃないの?」
この前東京に行ったとき、友達にこう言われました(笑)
僕はときどき美術館に行くのですが、こう聞かれるまで自分がなぜ美術館が好きなのかということを、特に考えたことはありませんでした。
先日大阪にある国立国際美術館にいったとき、ふとこの言葉を思い出して、自分がなぜ美術館に行くのかを考えたとき、2つ理由が思いあたりました。
僕が美術館に行く理由の一つは「論理ならざる論理」に出会えることです。
かっこいいのでこんな言葉でまとめましたが、「世間一般の論理とは違う画家の解釈で見た世界」を知ることができるというのが正しいかもしれません。
絵画には、その作家の目を通して見える世界が描かれます。
そういう見方もあるということを教えてくれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した透視遠近法が一般的に正しい世界の見え方であると思われがちですが、僕は遠近法は偶然世間一般に広がった見え方の一つであると考えています。
ある一点に焦点が行くように、遠くにある物を小さく、そして近づくにつれて大きくしていくというのは、言語化して伝えるのには非常に便利です。
だからこそ、透視遠近法という見え方のひとつが、圧倒的に世界で受け入れられているというのが僕の持論です。
複数の視点を入れたセザンヌのリンゴの書き方や、ピカソを初めとするキュービズム、日本絵画のレイヤー構造はそれと比べるととても説明が難しい。
しかしながら、そこには必ず筆者なりに論理があって、それに則って書かれているはずです。
美術館に行って美術品をみると、そういった作家の論理に出会うことができます。
そこで手に入れた視点に基づいて様々なアイデアを出すきっかけにする。
そんな観点から、僕は美術品を見に行きます。

僕が美術品を見るもう一つの理由は「論理的に考えることを停止させられる」ことにあります。
特に近代アートでそうなのですが、意味性ではなく、純粋に見た瞬間に「きれいだ」と心を持っていかれる作品に出会うことがあります。
そういうとき、そこには一切の理屈が存在していない、極めて純度の高い「感性」が働いています。
僕は基本的に理屈屋で、やたらと「なぜ?」を追いかけてしまいます。
しかし、芸術作品には、そういった背景ではなく、直感的に凄いと思わせるものがあり、そういった作品を目の前にすると、理屈ではなく感覚的にそれを見ることができる。
一旦理屈を完全に忘れることができるのです。
理屈ではなく感性を鋭敏にする体験。
これを定期的に挟むことで、どこか脳のリフレッシュができるように感じます。
これが僕が美術館に行くもう一つの理由。

たぶん、冒頭で書いた友達の言葉のように、美術館に行く自分が好きというのももちろんあると思います(笑)
と同時に、ここにまとめたような理由も僕の中では美術館に行く理由になっています。
美術館と聞くと、敷居の高いイメージがありますが、案外いい影響を受け取ることができます。
興味のある人は是非いってみてください。