新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



子どもたちの発想力や論理力、空間能力の低下を「大人の責任」として考える

スマホが普及した社会における子どもの教育で、僕は読書と物づくりが大切になるとおもっています。

生徒さんの話や、子育てをしている方の話を聞いていると、やはり子どもたちの生活のかなりの部分にスマホが入り込んでいるのだなあと実感します。

別に僕はスマホが子どもたちの生活に浸透していくことは全く反対ではありません。

新しいテクノロジーに触れることで、僕たちの世代なんかと比べ物にならないほど新しい世界に触れる可能性が増えたことは事実ですし、そもそも子どもたちが「おもちゃ」としてのスマホをどう使うかは本人の自由だと思っているから。

ただ、スマホの性質とその普及率からして、小さいころから「こうやって過ごしていたら有利になるよね」という意見はあって、あくまでもスマホが普及した社会における差別化戦略として考えているのが「読書」と「物づくり」です。

 

僕はスマホが子どもたちの生活に浸透したことにおける最大の変化は、活字と空間認識の衰退があると思っています。

これらはしばしば「スマホに奪われた」と言われることがありますが、僕はその言い方ではあまりしっくりこないような気がします。

「奪われた」というよりは「必要がなくなった」というイメージ。

スマホの画面の中にもっと面白いものがあるから、わざわざ文字を読んで世界を想像する必要もなければ、スマホがいくらでも面白いゲームを提供してくれるから、わざわざブロックのようなもので遊ぶ魅力を子供たちは感じなくなったと思っています。

一方で頭の柔軟性や発想力を鍛えるためには、こうした訓練が非常に重要です。

昔の子どもたちが当たり前のように身に付けていた能力が今は「必要性」がないために小さい子供たちはよほど意識しなければ身につけられない。

これが今の子どもたちが置かれた現状であるように思います。

 

僕は想像力や空間認識能力を身につけるうえで重要な娯楽が、読書と物づくりであると考えています。

読書をすることで文字情報を読んでそこから世界観を頭の中に想像する力を鍛えることができます。 

あるいはレゴブロックで遊んだり、外で走り回ったりすることで立体的に物事を捉える力を鍛えることができます。

これらはスマホの中の映像やゲームアプリでは絶対に身につかない能力です。

昔の子供たちは遊びの中で当たり前のように身に付けてきたこれらの力が、今の子どもたちの遊びの中では身につきません。

一方で、こうした力は今まで以上に社会に求められるようになってくる。

だからこそ、これらの能力を幼いころから身に付けておけば、それだけで希少性の高い人材になり得ると思うのです。

 

では、公教育の中でこれらの力を育めばいいのかといえば、僕はそういうわけではないと思っています。

というか、そんなことは不可能というのが僕の考え。

これまでの子供たちは、遊びの中にこうした能力を養う機会が内在されていました。

だから、彼らは自然とそれらを身に付けてきたのです。

別に努力したわけでもなんでもない。

そんな風に身に付けてきた能力を、たとえ今は意識しなければ身につかないからといって強制させたところで、絶対身につくはずはないと思うのです。

だから僕はこれらの力を必須のものではなく、差別化要因として捉えています。

気付いた子どもたちだけが、あるいはこの子は可能性があると僕が感じる子どもたちだけが先を見据えてこれらの能力を身につければいいというのが僕の正直な考えです。

厳密には僕の生徒だけがこうした能力を身に付けて優位に戦って欲しいという感じ(笑)

 

想像力を身につけるような遊びも空間認識能力を身につける遊びも、スマホを持った子どもたちが必要性を感じていないのであれば、どうしたらよいのか。

これに対して僕は、周りにいる大人がいかにスマホよりも面白くて、かつ想像力や空間認識能力を身につけられる遊びを教えられるかがポイントだと考えています。

今の子どもたちにとって、自分で見つけてくるそれらの能力を要する遊びが、スマホの中にある映像やゲームよりも面白いから、スマホに向かうわけです。

で、あるならば、近くにいる大人がスマホよりも面白い遊びを教えてあげればいい。

そんな「遊び力」のある大人が身近にいることが、子どもたちに想像力や空間認識能力を身につけさせてあげる最良の方法であると考えています。

 

そうなるとここからは僕たち大人の問題です。

たとえば、今子育てや教育に関わっている大人のなかで、どれだけの人が子どもたちにスマホよりもワクワクする「遊び」を提示することができるでしょうか?

残念ながら、大半の人が想像する子どもに教えてあげる「遊び」はスマホに遠く及ばないように思います。

僕たち大人があまりにも遊びを知らなすぎる。

たとえば、目の前で鉄クズのカタマリから自在にロボットを作るようなおっちゃんがいたり、目の前に何気なく置いてあるピアノで超一流のジャズからクラッシックの演奏をしてくれる姉ちゃんがいたり、一緒にイベントを立ち上げて人を巻き込んでいくような兄ちゃんがいたら、おそらく子どもたちは自分もやってみたいと思うはずです。

そしてその時の欲求は、スマホのディスプレイに映る娯楽から得られるワクワクをはるかに超えたものであるはず。

それが手品でも、一流のトークでも、大工の棟梁の家作りでさえもいいと思います。

とにかく大人が自分たちも熱中するような遊びをして、それに子どもを巻き込んであげる。

そういった能力を持つ大人こそが、子どもの想像力や空間認識能力を育てるのだと思います。

 

「どうやったら子どもが自主的になるか」とか、「どうやったら子どもに能力をつけられるか」とか、教育の場面ではしばしば主語を「子ども」にして語られがちですが、僕はこれが非常に無責任であるように感じています。

「子どもがどう」ではなくて、自分たちがどれだけ子どもたちにワクワクする世界を見せてあげられるか。

ここが一番重要であるように思います。

「あの人の周りには絶えず面白いことが溢れている」

そんな風に思われる大人の存在こそが、子どもたちの想像力や空間認識能力には不可欠であるように思います。

 

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魔法のコンパス 道なき道の歩き方

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