新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ハンターハンターの章に分けて時代を追いかけてみる

週刊少年ジャンプで、ハンターハンターが再開されました。

連載が再開するために内容を思い出すため、昔のストーリーを読み返すのですが、やっぱり非常に面白いなと思います。

特に時代の風潮を映し出すのがずば抜けているように思うのです。

ハンターハンターという漫画は、時代の空気感のようなものを常に先取りしているように感じます。

僕は5年ごとに時代の空気やトレンドのようなものが移り変わっていくと思っているのですが、ちょうどハンターハンター大きな物語の区切りごとにそれらがうまく表れているように思うのです。

 

加熱する競争社会のゼロ年代前半とハンター試験〜ヨークシン編

 

 1,999に連載が始まったハンターハンターは、主人公のゴンがハンター試験を取りに行くと言うストーリーから始まります。

これはマンガ家の山田玲司先生が指摘していたことなのですが、「資格を取りに行く」と言う設定が非常に興味深いです。

ここから13巻14巻あたりに出てくるグリードアイランド編まで、形は変えつつも「競争」がテーマに物語が構成されています。

極めてなるのが難しいハンターを目指して試験を乗り越えるハンター試験編は言わずもがな、その後主人公たちが修行のために行く天空闘技場編も、マフィアたちとのやりとりが描かれるヨークシンでのオークション編も形は違えど競争が描かれています。

天空闘技場は勝って上の解を目指すという意味で競争が描かれ、オークションはより高い金額で商品を競り落としと言う形で競争が描かれます。

グリードアイランド編は単行本で2001年から2002年位の間に始まるのですが、それまでの4年間のストーリーでは競争がテーマに書かれていたのです。

 

一方で2,000年代前半の漫画を見てみると「他人を倒して上に行く」という試験や競争がテーマになっているものが非常に多いということに気づきます。

ポケモンデジモンガッシュベルにメル、或いはバトルロワイアルライアーゲームカイジ辺りは全て競争がテーマです。

 2003年に連載が開始したドラゴン桜も受験競争をテーマにしたマンガでしたし、ナルトではちょうど2000年から仲人試験編が開始します。

 

とにかく 2000年から2005年にかけてこういった競争をテーマにした作品が多かったように思うのです。

ハンターハンターのハンター試験編から天空闘技場辺、そしてヨークシン編にかけては一足先にこうした競争が注目される社会の空気を描いていくと思うのです。

 

 

コンテンツに居場所を求めるゼロ年代後半とグリードアイランド編

 

ハンターハンターでは13巻あたりからグリードアイランド編と言われる新章に突入します。

グリードアイランドとは主人公の父親が作ったゲームで、主人公たちはそのゲームの中に自らが入り込んで(実態を伴っていると言うのがまた面白いところです) そのゲームの攻略を目指します。

これがちょうど2003年から 2年位の間続くのですが、ここで描かれる現実世界と平行世界というモチーフは、そのままゼロ年代後半のトレンドを先取りしていたように思うのです。

 ゼロ年代後半に流行った漫画やアニメを並べてみると、とにかく競争や自己責任を求められる現実を完全に乖離させたようなモチーフの作品が多いように思います。

ちょうど主人公たちが現実世界からゲームの世界に入って行くかのように、僕たちはコンテンツの世界に没入していきます。

競争や先の見えない実社会からつかの間解放されるための逃避行としてのコンテンツというのがゼロ年代後半の特徴ではないかと思うのです。

いわゆる日常系とされるアニメは全てここに該当します。

マンガでも「理想の世界」が描かれることが増えてきます。

極端な例でいえばスポ根マンガの描かれ方の変化がそう。

またスポ根マンガから「汚い汗」が消えたのもちょうどこの辺りからだと思っています。

ちょうどテニスの王子様(テニスの王子様自体はゼロ年代前半から後半にかけての作品ですが、その後の新テニスの王子様、そしてミュージカルが流行ったのがゼロ年代後半ということで僕は後半にカテゴライズしています。)や黒子のバスケになってくると、汚い汗(泥臭い汗)が描かれないのです。

(この辺は読んでいる人にしか伝わらないかもしれません...)

少年マンガにも関わらず、こうしたスポ根マンガが女の人から支持されるのはこの辺が理由であるように思います。

また、こうした例を挙げる以前にインターネットの普及で人々の間にどんどんネットが浸透していきます。

高校生の間でプロフが、社会人の間でレンタルブログが流行りだしたのも確かこの辺りですし、YouTubeが流行りだしたのもこの辺。

期間としては決して長くないグリードアイランド編ですが、ちょうどこの辺りの空気感を察知していたかのように感じられます。

 

 

現実に向き合わなければならない10年代前半とキメラアント編

 

グリードアイランド編が終わると18巻から30巻にかけて、キメラアント編が始まります。

ハンターハンターと言う作品では最初の段階で既に物語が展開する世界の外に広大な世界が広がると言う設定が示されていましたがここにきて初めてその設定が活用されます。

主人公たちが日常を過ごす安全な世界の外に、まだ人類が全く解明できていない混沌とした世界が広がっているのですが、キメラアント編ではそこから未知の生物がやってきて人間を襲うと言うストーリーが展開します。

2004年から2012年にかけて展開されたこの物語は、 ゼロ年代後半から10年代にかけて話題になった進撃の巨人を始めとしたいわゆる「壁」を扱った作品の先駆けと言えるでしょう。

進撃の巨人では一話で人々の生活を守る強固な壁が巨大な巨人によって崩される場面が描かれていますが、僕はこの描写を本人たちが望もうが望ままいが押し寄せる現実に向き合わねばならないという、切迫した僕たちの状況を描いたものだと思っています。

ゼロ年代の終わりから10年代の始まりにかけて、「進撃の巨人」「ワンピース」「フェアリーテイル」「トリコ」果ては「逃げ恥」まで、とにかく壁の内と外という表現が多用されました。

 

こうした壁を題材にした作品にジャンルを超えて共通しているのは、外を遮断して平穏を保ちたいという意識と、一度流れが押し寄せたら元には戻れないという危機感です。

それは実社会でもまるで同じで、僕たちはリーマンショックギリシャ危機、そして東日本大地震で避けられない外からの影響と、「その後」は「その前」に戻ることはできないということを痛感しました。

「壁」という表現は僕らが強く認識したこうした気持ちを端的に表すものだったように思います。

 

 

善悪の二項対立では語れない10年代後半と会長選挙編

 

キメラアント編が終わると会長選挙戦が始まり、そのクライマックスでやっと主人公のゴンは父親であるジンフリークスに出会うことができます。

ゴンとジンの出会いは、「父性の回帰」という意味でも興味深いのですが、あくまでも社会の流れと言う視点からハンターハンター多いかけているので今回は置いておこうと思います。

 

単純な善悪の二軸で語ることができないというテーマは、キメラアント編の後半から既にかなり強く出ていたテーマですが、会長選挙編、それから暗黒大陸の導入編にかけていっそう強く現れます。

元は人類に仇を成す敵として描かれていたキメラアントですが、 最後まで読んでみるとむしろ人間の方がひどいのではないかと思わされるような結末になりました。

またかつて敵として登場したキメラアントの多くが人間と上手く打ち解ける描写も描かれています。

こうして終わったキメラアント編に続く会長選挙編では、単純には割り切ることのできない様々な立場の考えが出てきます。

強あるべきと言うハンター協会の姿を守りたい十二支ん、一見悪者に見えるけれど実は会長が好きだったパリストン。

そのどちらの視点も分かったうえで様々な立ち振る舞いをする主人公ゴンの父親ジンフリークス。

会長選挙と並行して展開するキルアの妹(弟?)アルカを奪還する物語でも、それぞれがそれぞれの正しさを守るために行動していると言うことが強調されます。

そしてゴンが無事元気になって父と初めて出会うのですが、その時に父がゴンに伝えたメッセージも、世界樹という巨大な木を例に出して「常識を常識として捉えるな」というものでした。

 

何かを敵認定してそれを批難する。

スマホの普及とSNSの進化、或いはテレビ番組や雑誌を見ていると、とにかく敵と味方と言う分け方が流行ったのが10年代の中頃だと思います。

一方でそうした時代の空気感に対して疑問を抱く声が間違いなく生まれつつあります。

 まだ10年代は2年残っていますが、10年代の後半はこの数年で行きすぎた善悪の単純化に対する揺り戻しが来るのではないかと思うのです。

 

 

もちろん僕は漫画を読む際に社会動向や時代の空気感なんて考えず、単純に面白ければそれでいいと思っています。

ただ、こういう見方をしようと思えばすることもできなくは無いと思うのです。

ハンターハンターはこういった視点から見ても非常に面白い作品だと思います。

現在の暗黒大陸編は20年代前半の空気感を先取りするように思えてならないのです。

(現状だとお祭り騒ぎをして暗黒大陸に向かった一行が、その後船という限られた空間の中で自分が生き残ろうと策をめぐる姿が、オリンピック後の衰退していく日本に重なりそうで嫌な想像しかないのですが 笑)

ハンターハンターはよく休載するため「けしからん」と言う意見も聞きますが、僕は休載するからこそ時代の空気を敏感に読み取れるのだと思っています。

休載しつつ毎回時代の空気を感じそれを作品に込める。

ハンターハンターにはそんな愛着を持っていたりします。

というわけで、再開したハンターハンター

今回はどこまで続くのかというのと、どういう展開になるのかが楽しみです。

 

 

アイキャッチはもちろんハンターハンター

 

HUNTER×HUNTER 34 (ジャンプコミックス)

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2018年近畿大学一般入試A-1日程(1月27日)心敬「ひとりごと」現代語訳

今年度入試で出題された、古文の現代語訳速報です。
仕事の合間に急いで訳しているので、細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

さて、この世の出来事は皆まぼろしのようなものであるとはいえ、欲界、色界、無色界のいずれもが火の海のように混乱していて、苦しみに満ちていることは知っているつもりであったのですが、実際にこのような荒れた時代に生まれたことを考えると、あらためてあさましく思うのです。50年くらいまでのことは、はっきりと見聞きして理解することができました。しかしながら、それより後の出来事は、天下が片時も治まることのないほどの荒れ具合だったのです。
 30年のころから思いかけず永亨の乱が勃発して、年月が経つにつれて幾千万人の人が刀で傷つけ合い、互いに死んでいきましたが、未だに全く治まる気配はございません。その後そう日にちも経たないうちに嘉吉の乱が発生した後は、世の中に少しも落ち着いているところがありません。諸家の内でさえ主君と家臣、あるいは同僚が争いあって、さまざまの人が次々に倒れていきました。主君も家臣も互いに自分の国をまとめようと、昼夜を問はず戦っておりましたが、一つに落ち着く場所はありませんでした。その上さらにかつてそのような令が出されたと聞き伝えられている徳政令というものさえ世の中に出されて、年を追うごとに田舎に土民が様々なところから宮中や内裏に乱れ入りて、まるで盗賊が溢れたかのような世の中になり、万人を悩まし、あらゆる人が宝を奪い取ることが絶えることがありません。こういった理由から民は疲れ都も衰え果てて、あらゆる道も一つとして残らない事態となりました。また、それから七年ほど経ったときには長い日照りに見まわれて、そこら中の田畑に稲が一筋もなくなりました。都会に住む人も田舎に住む人も身分に関係なく疲弊して、道に出ては物を乞い、そのまま倒れこんで死んでしまいました人数は、一日で一万人と言っても言い過ぎではないでしょう。まのあたりにする光景は、まるで現世が餓鬼道となり果てたようでした。昔、鴨長明方丈記という草紙に、安元の時代に一年中日照りをして、都では一日に二万人近くの死人が出たと書いています。さらには強風の日に樋口高倉の辺りから出火して、中御門京極まで火が広がり、都が焼け果ててしまったと書いてありましたが、それを読んだ時は恥ずかしながらそんな被害は偽りであると思っておりました。しかしながら、今目の前に広がる世の中を見ていると、仏教で世の中を無に帰す言われる三災はここに極まったと思えてなりません。

 

 

 

心敬連歌論集

心敬連歌論集

 

 

2018年近畿大学一般入試A日程 英文法解答&解説

質問に来た生徒さんが持っていたのでざっと英文法の解答を作ってみました。

授業準備の合間に急いで作ったので、教科書的な内容として見たら解説に至らない点も多々あると思いますがその辺はご勘弁ください。

実際の試験の時に「どうやって考えて正解にたどり着くか?」ということを念頭にまとめてみました。

※あくまで次年度以降の問題分析のための備忘録で書いている上に、急いで書いたため、間違えがあるかもしれません。採点に用いる場合は自己責任でお願いします。

 

(13)動詞の語法[leave O C]
[leave]には[leave O C]の形で(OをCのままにする)という用法があるので、犬がどういう状態であったのかに注目する。
「犬=鳴いている状態」が妥当であるため、正解はウbarking
なお、本問とは関係ないが、[leave]には[leave O1 O2]という形で「O1にO2(ここには通常財産がくる)を残して死ぬ」という用法があるので、覚えておくと便利。

(14)進行形の用法に注目する
進行形には「~している」という用法の他に、The cherry tree is dying.(その桜の木は枯れかけている)のように「~しつつある」という用法や、近い未来を表す用法がある。
(ともに「~している真っ最中」という進行形の意味から派生)
[resemble](~に似ている)は中断・再開できる動詞ではないので進行形にできないが、後ろに[more and more](ますます)という言葉がある事に注目すれば、この文が「だんだん似てきている」という内容であることが分かる。
したがって「~しつつある」の意味を構成するイare resemblingが正解。

(15)接続詞の問題
まずは( )の後ろに注目する。( )の後ろに[he struggled to ~]というようにSV構造が来ているため、前置詞の[despite]、副詞の[instead]はNG。
前半部分が3文型で成立しているため、( )以下は副詞節であることが分かる。
[that]には接続詞と関係詞で用いられるが、今回の場合はいずれも適さない。
したがって譲歩の副詞節を作るイeven thoughが正解。

(16)倒置
前の文を受けて「~もまた」という表現には[neither V + S]と[so V + S]がある。
前の文が否定文の場合は[neither V + S]で「私もまた~ない」となり、肯定文である場合は「私もまた~だ」となる。
今回は「弟は工学の学士号を取得した」という文に「私もまた~」と続くので、ウso did Iが正解。

(17)独立分詞構文
[and]は前の[I need money.]と後ろの文を繋げるための接続詞。
したがって[That(   ) the case, I am going to get a loan.]という部分に注目して考える。
文の形を見るとコンマで2文が結ばれているのに接続詞が存在しないため、(   )を含む節が分詞構文であることが分かる。
今回は主節と主語が異なるために主語が省略されなかった独立分詞構文であると考えられる。
したがって正解は現在分詞の形になっているアとなる。

(18)倒置
(  )の後ろが[had I ~]という倒置形になっていることに注目する。
文中にある否定の副詞[little / hardly / no sooner]などが先頭に来たとき後ろは倒置形になる。
したがって正解はウ。

(19)複合関係詞
(  )を含む[that]節は冒頭の[it]を受ける真主語なので、[that]節の中の文構造に注目する。
[that]節の中の主節は後半の[there is~]の部分で前半は副詞節となっているため、正解は副詞節を作ることができる複合関係詞(イかエ)に絞られる。
また、直後に形容詞[humble](謙虚な)があることに注目し、[whatever +名詞](たとえどんな名詞でも)と[however +形容詞/副詞](たとえどんなに形容詞/副詞でも)という使い方があることを踏まえれば、イが正解ということが分かる。

(20)動名詞
直前の[worth]に注目する。
[worth]は「価値のある」という前置詞(形容詞という場合も…)で後ろには動名詞が来る。
したがってウshowingが正解。
[being shown]では文構造的にNG。また、(  )の直前にあるherは動名詞の意味上の主語である。
[feel like Ving](~したい気がする)なども合わせて覚えておきたい。

 

 

近畿大学・近畿大学短期大学部(一般入試前期〈医学部を除く〉) (2018年版大学入試シリーズ)

近畿大学・近畿大学短期大学部(一般入試前期〈医学部を除く〉) (2018年版大学入試シリーズ)

 

 

コインチェックの問題はどんな取り上げられ方をするのかの方がずっと興味がある(笑)

ニューヨークのウォール街で靴磨きの少年が投資の話を始めたのを見て、投資家が株を売り払ったという笑い話?があるのですが、僕はこの話を結構信頼性のある指標だと思っていて、去年の後半に持っていた仮想通貨(といっても本当に少額)を全部売り払っていました。

僕にとっての「靴磨きの少年」は出川さん(笑)

昨日はコインチェックの仮想通貨が流出したというニュースが流れていましたが、もうプレイヤーとして参加していたわけではない僕にとっては、どうしてハッキングされたのかとかコールドウォレットで保管しているというのが嘘だったのかみたいなテクニカル面でも、利用規約の曖昧な表現(btcはコールドウォレットで保管している)の是非でもなく、専らこの事件に対するマスメディアの追求の仕方と大衆の反応に興味があります(笑)

というわけで自分の備忘録もかねて、僕がコインチェックの問題を聞いた時にTwitterにつぶやいた内容をまとめておきます。

 

 

インチェックはコールドウォレットで仮想通貨を管理していなかった(規約には「btcを」と書いてあったけど)事が発覚して信用を失うのと、出川さんのCMのライト層を顧客にしていたのとで、仮に再開してもユーザーが全て引き出すだろうから、多分立て直しは無理だろうなぁ...

 

しかも、既存の金融会社や高齢者(=テレビ・新聞のスポンサーとユーザー)は仮想通貨が嫌いそうだから、追求の仕方はハッキングの原因のようなテクニカルな部分ではなく、仮想通貨けしからん!みたいになる気がする。

 

多分ニュースの中心はライブドアショックの時みたいに後乗りでリスク考えず貯金を全部ぶち込んで人生詰んだみたいな「投機家」の泣き顔や叫びになる。
そうすると日本のレイトマジョリティの大半が仮想通貨=胡散臭いとなり、悪者は仮想通貨みたいになるんだろうなぁ...

 

この問題への(マスコミの)ユーザーの反応は①昔からの保有者=仮想通貨なんてそんなもん(無関心)、②後追い層=騙された(批難)、③非参加層=言わんこっちゃない(批難)でマスメディアが擁護する理由がない。
どのくらい必要以上の(原因ではなく読んだ人を喜ばす)追求がなされるかが個人的に興味のある所。

 

もう1つ個人的に気になるのは、出川さんへの非難の声がどの位出るのかというところ。
彼はタレントとしてオファーを受けただけだから全く非はない。
ただ感情的な「被害者」と「良心的な」大衆は彼にも「責任」があると弾糾する気がする。
その際のロジックやSNSでの言説(笑)がむちゃくちゃ気になる。

 

というのがコインチェックの仮想通貨流出問題に対して僕が最初に思ったこと。
ここ最近のニュースや社会の「空気感」を考えると、コインチェックや仮想通貨そのものよりもそれに対する反応への興味の方が上回ってしまう...

 

 

というわけで、まだ全然話題になっていない段階での僕の予想。

仮想通貨そのものよりも、それに対する社会の反応が気になって仕方がない僕だったりします(笑)

 

アイキャッチはもちろん今回の主役の出川さん(笑)

 

イッテQ! エブリデイ出川語録 ([実用品])

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高校入試作文で差が出るたった1つの「ある」視点

突然ですが、金髪フリーターのヤンキーが10年付き合っていた彼女にプロポーズする場面を思い浮かべてみてください(笑)

A「お前のことが好きだ。お前と結婚したら正社員の仕事を見つけるし煙草もやめる。これからはお前を大切にいていこうと思う。だからオレと結婚してくれ。」

B[お前のことが好きだ。お前に結婚してもらえるために正社員の仕事を見つけてきたし、煙草もやめた。これならお前を大切にできると思う。だから結婚してくれ。]

みなさんが告白をされる彼女だったとしたら、どちらのヤンキーと結婚したいですか?

 

 

入試小論文・作文の指導を毎年行っていると、「目的に沿った文章を書く訓練」の大切さを強く感じます。

特に高校入試では、与えられた課題に対する論理的思考力を問う問題と、半ば自己PRのような問題が存在します(これは僕が住んでいる京都だけかもしれませんが…)

本屋さんや入試のテクニックを解説したようなウェブページを見ていると、論理的思考力を問う文章の書き方は多く書かれているのですが、後者の「自己PR的」な作文の書き方はあまり見かけません(あったとしても「ザ・真面目学生」のテンプレートみたいなものばかり…)

どうやって「考えればいいのか」という説明が書かれているものが少ない結果、テンプレートに頼らざるを得ず、結果折角魅力的な要素を持っている高校生の皆さんなのに、全員同じアピールしかできないという状態になってしまっているように思います。

…ショッカーの集団面接みたいな(笑)

自己PR型の作文に関しては、ちょっとした工夫で相手に伝わる印象が変わる「コツ」のようなものがいくつもあります。

今回はその中でも比較的即効性があるものを紹介したいと思います。

 

自己PR型の作文で最も多いのが、「高校に入ってどういうことをしたいのか?」を問うパターンです。

このパターンの作文に関して、多くの生徒さんが書くのが「大学入試を見据えて~」とか「高校では〇〇があるので~」といった書き方です。

もちろんこうした書き方がダメというわけではないのですが(そもそも「正解」の書き方なんて存在しないので)、それを読む試験官の立場になったら、どうしても説得力に欠ける印象を持ってしまいます。

 

僕は冒頭で「フリーターヤンキーのプロポーズ」について二つのパターンを挙げ、みなさんならどちらと結婚したいかと書きました。

恐らく多くの人がヤンキーBのプロポーズを選んだのではないでしょうか?

ヤンキーAのプロポーズは全て「未来の約束」です。

「お前を幸せにするために結婚したら正社員の仕事を探す」「お前を幸せにするために結婚したら煙草もやめる」というのは全て「結婚後」の話で、今は何も行動していないのです。

一方でヤンキーBの場合は「正社員の仕事を見つけてきたから結婚してもお前を幸せにできる」「煙草をやめたから結婚してもお前を幸せにできる」というように「今の延長」で未来を語っています。

ヤンキーBの場合は、既に行動に移しているのです。

説得力があるのは当然ヤンキーAよりもヤンキーBであるのは明らかです。

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作文の場合でもこのヤンキーの話と全く同じことが言えます。

試験官が聞いて「なるほど」と思えるのは、「高校に入学したら~したい」という約束をする人ではなく、「今まで~してきたから高校でも続けたい」と書かれた作文です。

「大学進学を考えているから高校に入学したら毎日勉強したい」というのと「受験勉強で毎日勉強してきたから高校に入学しても毎日勉強したい」というのとでは、明らかに後者の方が言われた側としては安心できますよね。

自己PR型の作文で重要なことは、「未来手続き型」の作文ではなくて、「現在延長型」の作文なのです。

 

こう言うと、「現在の延長で高校に入ってやりたいことを書けって言われたって、人にアピールできることなんて今までしてこーへんかった!」と思う方も多いかもしれません。

しかし、本当にそうでしょうか?

部活動に所属していた人は何らかの大会に出場したり、コンテストに向けて頑張ったことはあるでしょうし、そうでない人も少なからず「受験」に向けて勉強をしてきたはずです。

「何かをきっかけに続けてきたこと」であれば、何でも構いません。

それさえあれば、「だから高校でも続けたい」と言えるわけなので。

大切なことは「確かにこの子は高校に入ったらそれをやりそうだな」と納得してもらえること。

それが書けているだけで、グッと説得力が高まります。

たいていの受験生が、説得力の乏しい「未来手続き型」の作文です。

そんな中でしっかりと「現在延長型」で書けるだけで、読む側にとっては印象に残ります。

(その上で「未来像」に触れられたらベストです。)

自己PRタイプの作文が上手く書けなくて迷っているという人がいましたら、是非この点を意識してみてください!

 

アイキャッチは僕が自己PR型の作文を指導する際に参考にした大量の就活の本の中で最もいいなと思っているこの本

 

内定力

内定力

 

 

 

センター地理の「ムーミン」問題が話題なので、明日に引きずらないようにざっくり解説をしてみた

評論家の岡田斗司夫さんは、表面的な部分に惑わされずあくまで構造を比べたら同じだよねということを説明するためによく「カレーと肉じゃが」を例に用います。
岡田さん曰く、「女性が『得意料理はカレーと肉じゃがです』っていうと料理が得意なように聞こえるけど、あれ、実は材料も調理法も殆ど同じで、味付けだけがちょっとちがうんだよね。」だそう。
確かに(細かな工程にケチをつければ別ですが)味付けがみりんとしょう油なのかスパイスなのかという違いを除けば、殆ど工程は同じです。

入試問題の中ではしばしば、表面的な情報に惑わされず、その問題の本質を捉えることを要求する問題がでてきます。
僕はこうした問題を岡田先生の言葉を借りて「カレーと肉じゃが問題」と呼んでいるのですが、今話題になっているセンター地理で出題されたムーミンと言語の対応を聞く問題は「カレーと肉じゃが問題」の典型例だと思うのです。

もちろんこの問題はムーミンが好きだったり、作者のトーべ・ヤンソンの出身地を知っていたりすれば有利になってしまいます。
したがって50万人以上が受けるセンター試験(今年は528,323人)で特定の分野に詳しい(今回ならば文学)人に有利な問題を出すのはいかがなものかという切り口からこの問題が批難されれば理解できる部分もあるのですが、一方で単に「全員が知っているわけでもないムーミンの出身地を答えの根拠にするなんてけしからん」という意見に関しては、(少なくとも僕には)問題の意図が捉えられていなかったというように見えてしまいます。

以下は専門外の人間が高校時代の知識で類推しただけなので本気にしないで欲しいのですが、僕はこのムーミンの問題に関しては、「与えられた情報から根拠を拾い、地理の知識と結びつける問題」であったと考えています。
問題文の『ニルスのふしぎな旅』『ムーミン』『小さなバイキングビッケ』に引っ張られるとどうしても「キャラクター」に気をとられてしまいそうですが、しっかりとその背後にも問題の問わんとする「意図」が描かれています。
今回の問題は言語の知識でも、ましてキャラクターに対する理解でもなく、「絵」の周辺情報から正解にたどり着くという物だったように思うのです。

今回の問題に関して、重要なことは『ムーミン』『小さなバイキングビッケ』ではなく、フィンランドノルウェーという地名です。
この2つの国名を聞いて、立地を頭に浮かべ、気候区分を頭の中で思い浮かべた上で設問の絵を見れば、問題の意図をはっきりと汲むことができます。
フィンランドノルウェーもともにスカンディナヴィア半島付近に存在する国(スカンディナヴィア諸国という括りではフィンランドは含まれなかったはず...)で、ノルウェーは大西洋に面しているのに対し、フィンランドバルト海に面したやや奥にある国です。
どちらも高緯度に位置する国ですが、大西洋側は偏西風と暖流の影響により西岸海洋性気候で「高緯度の割に温暖な気候」であるということを考えれば、ノルウェーが「比較的暖かい」知識ということにたどり着けます。
それを踏まえて『ムーミン』の背後にはクリスマスツリーのような木(モミの木?)が、『小さなバイキングビッケ』の背後には海賊船がそれぞれ描かれていることを考えれば、どちらがノルウェーでどちらがフィンランドかという「根拠」にたどりつけるわけです。
そして言語の方の選択肢にはトナカイが書いてあるので、そちらがフィンランドであるという「推測」が成り立ちます。
ムーミンの問題で問いたかったのはこうした「思考」ではないかというのが僕の考えです。

確かに日頃からこういった「カレーと肉じゃが問題」は「〇〇のときは××になる」みたいな情報処理型勉強しかしてこないと手が止まってしまうかもしれません。
しかし、これがセンター試験である以上、何の意図もない問題が出題されるはずもなく、キチンと意図を読み取れば習った「地理」の知識の範囲内で解けるはず。
その前提の下にしっかりと対策をしていれば、難問でも新傾向の問題でもなく、普通に正面から解けた問題だと思うのです。
もちろんこの問題でうろたえてしまったという人もいるでしょうし、「この問題のせいで…」という感情を持った人もいるかもしれません(先ほども触れた通り、特定の学部や科目の知識に長けた子に有利な可能性のある出題はいかがなものかとう切り口であれば、その主張が分からないこともありません)。
しかし、終わった問題にいちいち文句を言ったところで点数は上がりません。
この問題で点数を落としてしまったのなら、一点でも明日の試験で取り戻す方に意識を向けるべきです。
基本的に僕はセンター試験の振り返りは、2日目が終わるまで行わないのですが、この問題に関してはう路絶えている人が少なからずいたので、ざっとまとめてみました。
この問題自体がどうというのではなく、「問題の意図を汲む」題材としては明日の試験にも役立つ可能性があると考えたからです。
まだセンター試験は終わっていません。
本日の試験が上手くいった人は明日もそれが続くように、残念ながら思うようにならなかったという人は明日の試験で少しでも挽回できることをかげながら祈っています。

偉そうに書いていて全く的外れだったらごめんなさい(笑)

 

アイキャッチはもちろん「ムーミン

学研ステイフル ムーミン 2018年 カレンダー 壁掛け BLUE BM12043

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「やりたいことがない」を科学する~「欲求」「欲情」「欲動」「欲望」というやりたいことの4分類~

進路の話や将来の目標など、教育業界にいると「やりたいこと」という言葉に頻繁に出会います。
と同時によく聞くのが「やりたいことなんてあらへん!」という言葉。
僕自身どちらかといえばやりたいことがいろいろあるタイプの人間なので、「やりたいことがない」はいまいちピンと来ないのですが、だからといって「やりたいことがないなんてあるハズない!」とばっさり切り捨てるのは、少し乱暴なように思います。
全体体に「やりたい事がない」という人に対して理解しようとする姿勢が、「やりたいことに溢れている側」には少ないように思うのです。
ということで「やりたいことがない」問題について、いろいろ分解してみました。

そもそもやりたいことがないという状態がどうして生まれるかという原因を考えると、一番は「やりたいこと」という言葉の曖昧さにあるように思います。
やりたいことをすればいいと言っている人の使う「やりたいこと」の定義と、やりたいことなんてないという人の「やりたいこと」の定義とで、認識のズレが生じているように思うのです。
僕は「やりたいこと」という言葉の使われ方に関して、縦軸に他者の承認の有無、横軸に努力や時間の必要性を置いた、次のマトリクスで表すことができると思っています。

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そして第1象限にある他者の承認が必要で且つ達成までに努力や時間が必要なやりたいことを「欲望」、第2象限にあたる努力や時間は必要ないけれど他者の承認が必要なやりたいことを「欲求」、他者の承認も努力や時間も必要でない第3象限のやりたいことを「欲動」、そして自分だけで完結するけれど努力や時間が必要な第4象限に該当するやりたいことを「欲情」と呼ぶことにします。
(「欲動」は僕の造語、「欲情」「欲望」「欲求」は本来の意味と異なる使い方をしていますが、その点はご了承下さい。)
この中で一番簡単に実現できる「やりたいこと」は欲動です。
時間や努力も他者の承認も不要であるため、すぐに行動に移すことができる。
反対に一番難しいのが第1象限の欲望です。
今すぐ「やりたい」と思っても努力も時間も必要なうえに、他者の承認も必要であるため、考えた直後に叶うというものではありません。

やりたいことを聞くとき、聞く側がどの象限までを要求しているかと聞かれた側がどの象限を想定しているかのズレがあると、「やりたいことがない」という現象が生まれます。
例えば、堀江貴文さんはよく講演会や番組で「やりたいことがない人なんていない」といっていますが、内容を聞いていると「欲動」を聞いているというのが分かります。
反対に堀江さんに「やりたいことがない」という人は大体第1か第4象限を考えている。
このギャップによってやりたいことがある人とない人の認識のズレが生まれると思うのです。

やりたいことがないという人は、自分の「やりたいこと」を「欲望」「欲情」「欲求」「欲動」のそれぞれのベースで考えるのが有効です。
たとえば、音楽が好きな人で「自分が書いた曲がみんなに知られたい」は欲望で、そんな夢だと壮大すぎて「やりたいこと」として認知もしていないかもしれません。
しかし、その「欲望」を「欲情」ベース、「欲求」ベース、「欲動」ベースで考えてみたら、「やりたいこと」としてあがってくるかもしれません。
「自分が書いた曲がみんなに知られたい」という「欲望」を「欲動」の範囲で考えれば「曲を書きたい」だし、「欲情」の範囲ならば「いい曲を書きたい」だし、「欲求」の範囲なら「曲を誰かに聞いてほしい」になります。
「曲を書きたい」なら極端な話口笛一つですぐにできますし、単に「誰かに聞いて欲しい」ならYoutubetwitterにあげたり、誰か友達に送って感想を聞けばいいだけの話です。
この辺だったら何も難しくない。
例えば「女の人と仲良くしたい」なら、「欲動」なら「誰かとセックスしたい」、「欲情」なら「モテたい」、欲求なら「デートしたい」、欲望なら「好きなこと付き合いたい」みたいになります。
或いは「筋トレ」なら、「筋トレしたい」なら「欲動」、「筋肉をつけたい」なら「欲情」、「筋トレの方法に感心してもらいたい」なら欲求、「筋トレで身につけた肉体を褒めてもらいたい」なら「欲望」になります。

「欲望」になるとなかなか見つかりづらいかもしれませんが、「欲動」や「欲求」ラインなら案外誰でも持っていると思います。
或いは、「やりたいこと」を答えると同時にそれを履行する義務を負うような感じがして、つい口をつぐんでしまう人も、「欲情」「欲動」のラインならいけるかもしれません。
「やりたいこと」を聞く側は「欲望」だけではなく、「欲情」「欲求」「欲動」でもいいよということをそれとなく伝えることが必要だろうし、反対にやりたいことを聞かれた場合、「欲望」ではなく「欲動」や「欲情」だけれどみたいな断りを入れて話し出すみたいなことが有効なように思います。

 

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