新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「闇金ウシジマくん」考察〜最終話で主人公が死ぬしかない理由〜

最近久しぶりにまとめて漫画を読んでいます。
一時期仕事に“かまけて”趣味の時間を取れずにいたので、それを取り戻すかの用に乱読を。
と、同時に、何かしら読んだ感想を熱量のままに保存して起きたいという思いが強く起きてきたため、今回は久しぶりの漫画の考察エントリとなりました。

 

闇金ウシジマくん』という名作

 

今回扱いたいのは『闇金ウシジマくん』は2004年から2019年までビックコミックスピリッツで掲載されていたマンガで、主人公の闇金社長がさまざまな社会の闇を体験していく物語です。
作者の真鍋さんは実際に事前の取材をしているということもあり、そこには思わずリアルさを感じるような闇社会の空気が感じられます。
さて、そんな名作なのですが、こちらは15年の歳月を経て、数年前に最終回を向かえることとなりました。
この作品は主人公のウシジマ君が、さまざまな返済者を介して多くの社会の闇に触れ、時に返済者を救い、時に地獄に突き落とすというもの。
こち亀」の表裏一体といってはなんですが、構造としては無限にストーリーが作り出せるシステムといえます。
しかも根強いファンを獲得している当作品。
そんなこともあり、「最終章」という話を見たときは僕はそのことが信じられませんでした。

もうひとつ驚いたのはその終わり方。
僕の中での『闇金ウシジマくん』の最終回は『BANANA FISH』と同系統。
詳しく書くとどちらのネタバレにもなってしまうのでざっくりとした説明で恐縮なのですが、『闇金ウシジマくん』は、ようやく平穏が訪れ、これから仲間と再出発をしようとするところで全く無関係の人間のいざこざに巻き込まれて主人公の「ウシジマくん」が刺殺される場面で終わります。
結構お気に入りのマンガであったこともあり、読んだ瞬間は正直その展開に納得ができませんでした。
一方で、「なぜこの結末にしなければならなかったのか?」と考えたときに、納得する仮説が僕の頭に浮かんできました。

 

終わりが決まった漫画たち

 

僕は仕事柄物語のパターン分析みたいなことをするのが多いのですが、その分類を通してみると、かなり早い段階で結末が予想できる作品に出会います。
たとえば松井優征さんの『暗殺教室』なら、腐った生徒と絶対的な先生、そして第一話の扉絵で「殺せんせー」を生徒全員が狙い打ちしている場面をみれば、卒業までに先生を超える(この作品においては先生を殺す)ことと、扉絵の場面を主人公が引き継ぐという予想が立ちます。
あるいは第一話で主人公の運命を変えることになるトリックスター的な立ち位置の蛭魔と出会って始まるアメフト漫画の『アイシールド21』であれば、主人公が不良から逃げるシーンで、アメフトに活用できそうなテクニックがパリの弱虫が不良から逃げる術として登場すれば、それらを用いた技が主人公の武器となり物語が進展すると想像できます。
闇金ウシジマくん』も、考えてみればこの分類だと思ったのです。

 

設定に潜む寿命とその作品が終わるとき

 

この作品のテーマは「闇金」です。
もちろんファンからすれば面白い設定ですし、そこに登場するエピソードは興奮するものばかりです。
しかし、コンプライアンスを重視するメディアにはどうでしょう?
現代は内容はもちろん、「闇金」という設定自体が下手したらコンプライアンスの網につかまるものとなっています。
実社会でも反社会勢力やそれに並ぶ可能性のある闇金の存在は窮屈になっているはずです。
少なくとも評論家の岡田斗司夫さんが予測するネガティブな関係や言動を行ったものは社会からたたかれるという「ホワイト社会」という概念にあてはめれば闇金なんていう仕事が滅びることは東電です。
闇金」という職業自体が、現代社会に受け入れがたい、「死に向かう」しかないビジネスになってしまったわけです。
そんな消え行くサービスを肩に背負った主人公はどうすればいいのか?
それは決まっています。
業界の象徴として「死ぬ」ことです。
消えていく業界を成仏させるための「象徴」としての生贄は何か?と考えたときに、それを主人公に据えて、一定の支持を得た主人公が登場する作品を作った作者としては、その象徴である主人公を葬る(しかもできるなら最も「社会の風潮」を象徴する者の手によって)しかなかったと思うのです。
そう考えたとき、主人公の人生とは無関係な人間の手によって事故で殺されてしまうというのは、この作品の最終回はこれ以上ない最高の結末だなあと思えました。

そんな風なあらたな視点と経験を得られた『闇金ウシジマくん』。
よかったら読んでみてください。

 

アイキャッチはもちろん「闇金ウシジマくん