長いこと高校の教科書に載り続けている見田宗介さんの『南の貧困/北の貧困』という文章。
主張自体はシンプルなのですが、僕たちがこれまで思っていた「当たり前」を一旦壊すところから始めなければならず、そこでつまずいてしまう人が多いという印象です。
実際、テスト前に質問されることも少なくありません。
今回はそんな『南の貧困/北の貧困』を、直感的に理解することを目的として、要点を見ていきたいと思います。
『南の貧困/北の貧困』を分かりづらくする3要因を洗い出す
この文章を読んだ高校生の皆さんが「ん?」と感じるのは大きく次の3点ではないでしょうか?
①二重の疎外(「貨幣への疎外」と「貨幣からの疎外」)って何?
②見える幸福と見えない幸福って?
③で、「北の貧困」はなんなのよ?
この文章は冒頭で述べた、僕らが持つ、ある「当たり前」の感覚から抜け出すことと、上の3点を理解することで一気に読みやすくなります。
今回はこの辺りを中心に説明しようかと思います。
「お金がないと生きていけない」は本当?
エミューを室内飼いするOLの在宅勤務ルーティンが壮絶でした - YouTube
僕は最近、「エミューちゃんと二人暮らし」という、オーストラリア原産の大きな鳥のエミューと生活をするOLのYouTuberさんにハマっています。
朝、バカでかい鳥に顔をつつかれて起きるのが当たり前のOLさんの、田舎暮らしのYouTubeなのですが、この方の動画に出てくる暮らしはまさに見田宗介さんが『南の貧困/北の貧困』で言おうとしたことを表しているように感じました。
この方は新卒で始めた港区住まいの朝から晩までハードな(ブラックな)仕事をこなす生活から、今は田舎の大きな一軒家に住み、リモートワークで仕事しながら庭でお花や野菜を育てているのだそう。
港区といえばお金がかかる街の代名詞。
皆さんは「港区」と「ど田舎」なら、どちらが「幸せ」だと思いますか?
おそらくこう聞かれたら多くの人が「港区」を選ぶ気がします。
しかしこのYouTuberさんは港区での暮らしよりも今の生活が幸せと語ります。
彼女のコンテンツから感じるのは「お金を稼ぐことが幸せではない」というメッセージ。
僕は『南の貧困/北の貧困』を理解するにあたってまず必要なのは、この価値観のインストールだと思っています。
「ものが欲しいと思った時はお金で買う」
僕たちはこれが当然と思っていますが、実は必ずしもそうとは限りません。
畑をもっていれば野菜はそこに生えていますし、鶏を飼っていれば卵は毎朝手に入る。
周囲の人からの「お裾分け」で様々なものが手に入るし、奢って貰えばタダで食事にありつけます。
僕たちは普段、物が欲しければお金で買うことを「あたりまえ」と思っていますが、実はお金で買わなくても、物は手に入るのです。
先のYouTuberさんは畑で採れる野菜を食べるためスーパーではほとんど買わないそう。
野菜を買う必要がないのなら、その分のお金はいりません。
であるならば当然生活費は安くなる。
こうなると必ずしも「お金持ち=裕福な暮らし」とはなりません。
仮に食費も家賃もかからない田舎暮らしと都会の一等地に住む3食外食の人であれば、その生活に必要な金額はまるで違うわけです。
前者は3万円もあれば成立しますが、後者は最低でも15万円くらいはかかるでしょう。
そんな、「基本的な生活」に必要な金額がまるで違う2人の月収が同じ20万円だったとしたら、前者にとっては「多すぎる」でしょうし、後者にとっては「少なすぎる」となるはずです。
こんな風に、そもそもお金で買う必要がない社会を持つ人にとっては、金銭的な大きさが幸せ度合いとは結びつかないのです。
さて、その流れで『南の貧困/北の貧困』に入ります。
途上国の貧困を解決するために援助しようとする先進国の人たちは、「1日1ドルの稼ぎ」を基準にしています。
現時点で1ドル140〜145円くらい。
確かにそれ以下のお金で生活することを「僕らは」想像できません。
しかしそれは「お金以外の物の手に入れ方がない」僕たちの場合。
仮に1ドル以下の収入であっても、豊かな自然から食料が手に入り、気候が落ち着き、生活が成り立つとしたら、「実際に生活に必要なお金」はグッと低いはず。
そんな人たちに「生活を豊かにするお金を稼ぐ」ために食料にならない綿花やカカオ栽培をさせられたら、それまで賄えていた食料などが手に入らなくなってしまいます。
「稼ぎは1ドル以下でも食料が十分ある生活」と「稼ぎは1ドル以上でもそれ以外に何も手に入らなくなった生活」ならどちらが幸福なのでしょう。
これが南の貧困の基本構造です。
次に北の貧困です。
見田宗介さんの主張は、ある理屈を前提に次の話を見ていくところ。
『南の貧困/北の貧困』もその構造を取るために非常に掴みづらくなっています。
まずは前半のロジックを整理すると「①貨幣で物を買うシステムの中で②お金を持っていないと貧困になる」というもの。
これを先進国に当てはめてみようというのが「北の貧困」です。
先進国の中でも生活がどんどん豊かになった結果、その「普通の生活」が難しい人たちは出ています。
その具体例が「労働する機会のない人々」や「労働する能力の無い人々」です。
そういう人たちには各種手当や福祉が存在して救われている。
一見するとうまく回っているように見えるけれど、彼らの「貧困」はシステムが生み出した物だから、構造的には問題ではないか?というのが筆者の主張です(この辺、次の所で解説します)
以上が『南の貧困/北の貧困』の基本的な流れとなるわけです。
3つの難所を理解する
さて最後に次の3点をあらためて説明しようと思います。
①二重の疎外(「貨幣への疎外」と「貨幣からの疎外」)って何?
②見える幸福と見えない幸福って?
③で、「北の貧困」はなんなのよ?
①は「そもそもお金が必要な社会」って前提から入るのをやめようよというお話のことです。
先にも述べましたが、僕たちみたいな生活をしているとお金が必須ですが、実際に生活手段を得るにはお金を使う以外にいくらでもあります。
そんな人たちが「お金を使う生活」に組み込まれることが、「貨幣への疎外」です。
そしてそんな生活の中でお金がないことが「貨幣からの疎外」となります。
畑と川でとれる食料と山奥の安い家で暮らす5万円の収入の人が、収入アップといって急に都会に連れてこられて10万円の収入になったけど家賃も高いし食材もスーパーで買わないといけないなら前より生活は苦しくなります。
この「都会で働かされる」が「貨幣への疎外」、「収入が10万円しかない」が「貨幣からの疎外」というイメージです。
次に②の「見える幸福と見えない幸福」について。
「見える幸福」とは数値で表すことのできる幸福のことです。
その典型例が収入です。
収入○○円を比較するのは分かりやすいですよね。
それに対して人間関係とか恋人の有無、豊かな自然といったものは具体的な数値で測れるものではありません。
彼女とのデートで得られる幸せを円に直したら○○円、部活での勝利の喜び○○円なんてできないじゃないですか(笑)
これが目に見えない幸せです。
最後に③北の貧困について。
先も少し触れましたが、現代の私たちの生活は「生きるのに必要なもの」を遥かに超えた物に囲まれて成立しています。
今やスマホは必需品に見えますが、「無人島に持っていくか?」と聞かれたら誰も持っていきませんよね?
恐らく僕たちの身の回りを見渡すと、そういう「無人島での生活に必要か?」という質問にはNOと答えるようなものばかりだと思います。
これが筆者の言うところの「必要ではなく需要で成り立つ社会」です。
本来生活に必要で無いのに「買わなくてはならない」かのように思わされる社会の中で、生活が苦しいというのは、「南の貧困」に出てくる2重の疎外に重なります。
南の貧困が「お金で買うことの中に投げ込まれた方達がお金を持っていない」のが貧困の原因だったのに対し、北の貧困は「必要以上の物を手にする生活を維持しなければならない社会に投げ込まれた上でお金を持っていない」のが問題と指摘しているわけです。
現代は福祉や手当てでそれを補っていますが、そういう福祉や手当てというのはいつ増減するかは分かりません。
それよりも「必要以上のお金がなければならないことを当然」とする社会をどうにかすべきではないのか?
これが見田宗介さんが後半で訴えたことな訳です。
ざっと捉えると『南の貧困/北の貧困』はこのような感じです。
テスト前の内容理解に繋がれば幸いです。
【UG】5000字補足説明付
今回は短時間で直感的に内容を把握することを目的としたため、細かな内容を省きました。
下記の記事では各章ごとにもう少し細かい説明をしていますので、興味がある人はこちらもご覧ください。
・テスト前日に確認したい「南の貧困/北の貧困」が難しく感じる理由と理解のしかた - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
・テスト前日に確認したい「南の貧困/北の貧困」②「貧困」の定義を考えることで筆者の主張を追いかける - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)
・テスト前日に確認したい「北の貧困/南の貧困」③「貨幣への阻害」はリア充に誘われたオタクを考えると分かり易い!? - 新・薄口コラム(@Nuts_aki)