新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



マンガ読解法6 暗殺教室考察〜先生というジレンマ〜

週刊少年ジャンプに連載中のマンガで「暗殺教室」っていうやつがあります。

タコみたいな生物が突然ある教室の先生になって、卒業までに私を殺さないと地球を滅ぼしますと宣言する。

生徒たちは学校生活を通し、先生(ころセンセーっていう名前)を殺すための術を身につける。

っていうような一見するとブッとんだ設定のマンガなのですが、その設定の中で描かれるストーリーは実は超王道。


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学校の落ちこぼれ学級で他のクラスの生徒からも先生からも差別を受けている子ども達を教師が立ち直らせて行くっていう、金八先生やごくせんばりの教育ものです。



ワンピースやドラゴンボールを王道とした時の一見すると邪道に見える設定の中で、王道マンガを描いている。

岡田斗司夫さんがこんな風に言ってました。





確かに、あのマンガって「暗殺」という教育という概念とは正反対なものがテーマになっているから成り立つような気がします。

普通の教師が生徒を立ち直らせるなんていうマンガだったら、説教臭くて誰も読みません。



暗殺教室ってマンガは、金八先生のようなテイストを「暗殺」とか「地球侵略」とか「未確認生物」とかで上手くボカしながらやっているから、読者を惹きつけているのだと思います。





じゃあなんでそんなことしてまで教育ものを描いているんだろう?

そんなことをずっと思いながらあのマンガを読んでいたのですが、この前ある人のFacebookの記事を読んでいたときに、筆者のメッセージみたいなのが分かった気がします。







教育の本質っていうのは、生徒に先生の知識や考え方を身につけて一人前にすること。

つまり最終的には子供達を自分に追いつかせ、追い越させる事こそが教育の目的であると言えます。

一方で、先生が生徒に物を教えるという事はその分野において、少なくとも生徒より常に秀でていなければいけないはずです。

どこまでいっても生徒より深いところにいるから、先生でいられる。



生徒にとって遠い存在でありつづけなければならないと同時に、教えた生徒たちが自分を超えられるようにしなければならない。

そんな矛盾を抱えているのが先生という仕事なんですよね。





暗殺教室の作者があのマンガを通して伝えたかった事って、まさにここにあるんじゃないかって思います。



圧倒的な能力を持つ先生が、自らを殺してみなさいと宣言し、自分を殺すための術を生徒に教えていく。



さっと読んでいくと、子供達の成長する様を描いたマンガにも見えるんですが、実は教師の葛藤こそがあのマンガの主題となっているところなんじゃないかって思います。



だからあのマンガには先生たちが育つ姿が描かれる。

「私は子供に教えにきたんじゃなくてころセンセーを暗殺するために来たんだ」って言ってやって来た新人教師に「暗殺だけできてもここではプロでない。子供達を教え、暗殺をしてはじめてここでは認められる」って叱ったり。

自分の教え方に悩む教師に「悩む事こそ教育です」と言ったり。



よくよく見ていくと、先生の成長や葛藤がむちゃくちゃ描かれる作品です。



「先生という存在の矛盾と葛藤」



これこそ筆者があのマンガを通して伝えたいテーマなんじゃないかと思います。





金八先生にしろごくせんにしろGTOにしろ、今までの教育ものは子供達の成長が中心です。

少なくとも先生が絶対的な存在として描かれていました。



暗殺教室ではその先生がいつか殺す(超えて行く)存在として最初から強調されています。

この点で今までの教育ものとは違う新しい視点を取り入れたと言えると思います。



所々毒のある風刺も入れてくる筆者のユーモアのセンスも含めて、これからも楽しみにしているマンガです。





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文脈から切り離したらとんでもないことになる少年誌スレスレのもの描いたり。





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顔のパーツが近くに寄ったときにちゃっかり元AKBあっちゃんの名言パロディしてみたり。