新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



教育×IT~右のう編~

ふたつ前の「コンテンツギャグとキャラクターギャグ」という話を書いていたら、ふと頭の中で考えていたことがつながってきたので、それを思いつくままに書き出した続きです。。

 

デジタル化によって、合理的なものが基本的に複製可能になるとして、先駆けて指導方法そのものをデジタル化するというのが、僕の中の一つの目標だったりします。
半面で、キャラクターや暗黙知に重点を置くようになって最近感じているのが、複製不可能なところで勝負するということ。
いわゆる「ライブ感」というものだと思います。
いうまでもなく、指導には非常に多くの暗黙知が含まれています。
容量のいい人はそういったものを感覚で習得するけれども、全体としてそれを感覚でつかめる人は圧倒的に少数派です。
また、そういった暗黙知をプロセスに落とし込んで形式知にしたところで、今度は膨大な情報量になったマニュアルをこなさなければならなくなる。
マクレガーのX理論で生きている人にとっては、それは価値のあるものだけれど、大多数が分類されるY理論ではあまり役に立ちません。
(僕が本当にやりたいのはX理論の人をターゲットにした指導法の開発なのですが 笑)
裏を返せば、Y理論で生きる人向けに暗黙知を伝えるという受験指導はずっと残ると思うのです。


ITという言葉は、しばしば論理や合理という言葉と結び付けられますが、論理化・合理化というのは一側面でしかないように思います。
IT技術を単なるツールとしてとらえれば、合理化も論理化もそのツールの中で実現できるものの一つでしかないはずです。
当然ITというツールを使って、感覚的・直観的なものも生み出すことができるわけです。
たぶん猪子寿之さんや川上量生さんが、日本でITテクノロジーを合理化ではなく、直観や感性の側で活用しようと模索している人の代表格ではないでしょうか。
僕はITテクノロジーを合理化に利用することを「左脳型IT」、アートや感性の側に使うことを「右脳型IT」と呼んでいます。
現状ビジネスで広まっているのは、圧倒的に左脳型ITです。
右脳型ITは、まだまだ未開拓の領域だと思います。


教育業界では、ITを組織のシステムではなく指導に取り込むという意味において、非常に活用の余地があるように感じます。
指導にIT技術が導入されている場面といえば、宿題の管理や授業プリントの個人への最適化という方面です。
現在、間違えた問題だけをピックアップして個人に最適化した問題を自動作成できるみたいな技術や、学力に適したアドバイスが出るみたいなサービスがあります。
こうしたものはいずれも、「学習管理をするためのシステム」であり、合理化に根差した技術革新であるといえます。
大手塾や、教育関連のシステムを開発する企業の多くがこの分野で勝負していますが、その基本が「合理化」にある以上、それらは基本的に複製可能なサービスであるといえます。
そちら方面で勝負していれば遠くない未来、価格競争に陥り、フリー化に向かうように思うのです。

教育の合理化という側面を突き詰めると、そこではターゲットとして抽象概念としての「子供」しか存在しません。
「それぞれの子供に個別対応する」という文脈で使われる「子供」は顔の見える「○○さん」ではなく、あくまで抽象概念としての「子供」の特徴を細分化したものでしかない。
それは教育の本質とはもっとも対称的なところに位置したものであるような気がします。
今の教育業界は全体的に左脳型IT化の方面を躍起になって模索しているように感じます。
しかし、本質的に合理化と教育はなじまないものであるとしたら、その方向の革新の先には、明るい展望は無いように思うのです。
僕は教育業界がITを活用する正しい方向は右脳型ITの分野だと考えています。
具体的には、直観的に学びたくなるUIの教材作りや、好奇心を沸かせる仕掛けのあるデジタル教科書などの方面。
ぱっと電源を入れたら思わずめくりたくなるような美しいデザインの電子教科書みたいな、直観に働きかける側面でのIT化が教育×ITの未来の姿であるように思っています。


右脳型IT化という方面においては、暗黙知はむしろ最大の差別化要因になり得ます。
したがってリアルな先生が生徒たちに合わせて毎回違う授業をする「ライブ感」と非常に相性がいい。
現状のテキストの多くは、正直ぱっと開いてめくりたいかと問われたら、ほとんどの人がNOと答えるはずです。
それって根本的に学びたくさせる仕掛けとしてまだまだ不完全であるということだと思います。
一方で僕たちは病院の待合室や偶然行き着いたウェブサイトで、内容にまったく興味のなくても、思わずデザインに目が奪われて読んでいるうちに興味がわいてくるということがあります。
これは感性や直観みたいなものが、個人の行動原理を誘発する例です。
教育でも同じような仕組みを取り込むべきだし、デジタルならば今までコスト的に不可能であったそれらのことが可能になるはずです。

こうした方面に技術を活用した教材・指導づくりの可能性を考えることが、最近の僕の興味の対象だったりします。
少し考えていることがごちゃごちゃと溜まってきたので、吐き出すために書いていたら3回分になってしまいました。。。