新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



若者が不幸だと感じてくれなきゃ困る人たち

最近僕が追っかけているでんぱ組.incのプロデューサー、もふくちゃんこと福嶋麻衣子さん。
あっ、追っかけているのはでんぱ組でなくもふくちゃんです。
(でんぱ組も好きですが)
そのもふくちゃんの著書「日本の若者は不幸じゃない」を読んだとき、同時に古市憲寿さんの「絶望の国の幸福な若者たち」を思い出しました。

日本の若者は不幸じゃない (ソフトバンク新書)

日本の若者は不幸じゃない (ソフトバンク新書)

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

両者に共通するのは、若者を幸福と言っている事と、著者自身が若者であるということ。
福嶋麻衣子さんは若者としてリアルに感じてきたことを語り、古市憲寿さんは若者として感じる違和感を客観的に語ります。
経験に基づいて内側から語る福嶋麻衣子さんと、データに基づいて外側から語る古市憲寿さん。
真逆のアプローチを取る二人が全く違う切り口から、似たような結論にたどり着いたことが、非常に興味深く思いました。
もちろん古市さんの皮肉を込めていう「若者=幸せ」論と、もふくちゃんの主観からくる「若者=幸せ」論はまるで属性の違うものかもしれません。
しかし、実際に若者の声として「幸せ」と感じている人数が多いというのは、紛れもない事実なのだと思います。


二人が「若者は幸せだ」という声を紹介する一方で、現代の若者は不幸であるという言説もあふれています。
若者=不幸論を唱える人たちは、明確な数値を元に論理的に若者が不幸であることを証明してくれます。
これは誰が見ても完全に正しいことでしょう。
しかし、古市さんやもふくちゃんが根拠として挙げているのは若者の「リアルな声」です。
つまり、数値でみると明らかに若者は不幸になっているのに、実際の声を聞くと幸せであると答える人が多いということになります。
僕はこれを、今の若者は幸福を測る価値尺度が従来の尺度とはまるで変わってしまったことを示しているのだと思っています。
昔の尺度とは即ち、物質的な豊かさ。
例えば僕の少し前の世代の人たちはいい企業に就職して20代半ばで結婚、車と家を持つというのが幸せのひとつのモデルになっていたように思います。
こうした物質的な豊かさが幸せのモデルになっていたというのは、様々なCMで「夢のマイホーム」とか「マイカーの夢」みたいな言葉が飛び交うことから想像ができます。
少し乱暴なカテゴライズですが、ひと世代前の人たちは幸福を「お金」で数値化できるものに求めていたと言うことができます。
だから物質的な豊かさははっきりと認識するのだけれど、それを保つ為に当然のように行っている長時間労働などには目を瞑ってあくまで金銭的に表出したものを指標と考えようとしている。
物質的な豊かさが幸せ指標と思っている人は、精神的な豊かさという可能性に蓋をして、気づかないままにしようとしているように感じます。

実はなぜ持ち家=幸せなのか?、なんで結婚=幸せなのか?と問うてみると、意外と明確な答え(論理的に納得できる)は見つからないように思います。
今の若者は、そうした当たり前のように幸せとジャッジされてきた前提そのものに疑いをもって、違う尺度で自分たちの幸せを定義している。
物的豊かさから、若者の幸福度の指標は別のものになりつつある。
これが、古市さんやもふくちゃんの著書で若者が幸福と紹介されるカラクリだと思うのです。

江戸時代に田沼意次が政治を行ったとき、通貨は金の含有率を徐々に減らしていきました。
その結果人々は含有率の高い通貨は使わなくなり、さらに金の含有率が下がっていくと、やがて人々は金貨の代わりにお米でやりとりをするようになった。
こんな話を佐藤優さんが言っていました。
世の中に荒削りのものが溢れ、家を持ったり車を持ったりという「消費」することの価値が少しずつ低下していった。
その結果少しずつ、幸せの尺度として物質的な豊かさは使われなくなりつつある。
金貨の価値が低下して少しずつ貨幣離れが進んだのと同じように、若者は少しずつ「消費」離れが進んでいるように思います。


上の世代の人間にとって若者は不幸じゃないと困る。
家を持てない、車を持てない、給与が高くないなどを以って不幸であると言えなくなると、その尺度で幸せを測ってきた世代の人々は困ります。
今の若者がそうした尺度以外で幸せを測らなくなったとすると、それは自分たちとは違うルールで勝負をするようになっているということです。
そして物質的な豊かさで幸せを測る20世紀型の価値観は少しずつ限界が見え始めています。
若者を中心に別の尺度で幸せを測るようになっているというのは、沈んでゆく船から自分たちだけのボートでどんどん脱出しているようなものです。
自分たちが勝負をしてきたルールは、今明らかに傾きつつあるのだけれど、今更別のルールで戦うという軌道修正はできない。
だから若者だけ別のフィールドに逃げられると困る。
僕にはこんな理由から「今の若者は不幸であって欲しい人たち」というのが多く存在しているように見えます。


実際のところ様々な数値で見れば「不幸」であるけれど、本人たちの声を聞くと「幸せ」と答える若者は少数だと思います。
対数としてはまだまだ物質的な豊かさが自身の幸福度を測る指標の多くを占めている人がほとんど。
しかしながら、物質的な豊かさに興味を示さない層が増えて来ているのも確かです。
そうした少しずつ広がりつつある声を拾ったのが、古市さんやもふくちゃんの著書であるような気がします。
違う属性の人たちの書いた若者幸福論からふと思ったこと。。
酔った勢いで書き始めたら、広げすぎた風呂敷がたためなくなってしまった(笑)

アイキャッチはカドカワ会長川上量生さんの「ルールを変える思考法」