新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



非合理への逃避

江戸時代にあった、士農工商
それが、明治時代に廃止され、全て国民は平等な存在となりました。
これが教科書に載っている常識。
もちろんそれが正しいですし、制度としてはその通りだと思います。

仮に、前提条件となる基礎教養のようなものを廃して、ロジカルシンキングみたいなものもフェルミ推定のような仮説ツールも使わずに、あえて主観に任せて物事を見てみたらどうなるか?
僕が何かを考える時に意識していることです。
与えられた条件や、思考ツールを元にした合理的な思考では、ルールの中で最適に見える解を見つけられるとしても、その前提の外にあるアイデアや視点には辿り着けません。
むしろ、知識や論理的思考を頼るほどに、それ以外の観点には盲目的になると思うのです。
だからこそ、あえて主観的に物事を見るということを、意識して行います。

そんな主観的な見方をしていて僕が最近ふと思ったことが、江戸時代の士農工商を現代に当てはめたらということです。
ちょうど、士農工商くらいの比率で、現代の職業をカテゴライズできるような気がするのです。
武士という特権階級を、現代に当てはめると公務員。
工商はそれぞれ自営業者や企業家。
そして農民はサラリーマン。
こんな風に見ると、当時の士農工商の人口分布やそれぞれの立ち位置も結構似通っているような気がするのです。

江戸時代が安定していたのは1600年くらいから約260年間。
1860年くらいに慶喜大政奉還をして、長く続いた江戸時代は終わります。
そのきっかけとなったのが、欧米諸国の技術力を目にしたことでした。
当時鎖国をしていた日本人は、日本に接近した黒船の技術力に驚きます。
それがきっかけとなり、江戸時代は終わり、明治時代へと進みます。
そのきっかけとなった技術力は、産業革命によってもたらされたもの。

士農工商を現代の公務員・サラリーマン・起業家・自営業者に当てはめるとするならば、産業革命はそのままIT革命に重なります。
産業革命は機関部分のテクノロジーに劇的な進歩をもたらし、人々の生活、果ては社会の仕組みに大きな影響を与えました。
IT革命も、僕たちのあらゆる技術の機関部分に大きな影響を与え、生活を大きく変えつつあります。
パソコンのない時代、或いはケータイのない時代、或いはスマホがない時代の生活を思い出そうとしても、もはや思い出せません(笑)
友達との待ち合わせで、集合場所が曖昧で上手く合流できず、駅の周りを何度もすれ違いながら相手を探すなんて経験、現代の生活の中では皆無でしょう。
それくらいに、僕らの世代はIT技術に大きな影響を受けているわけです。

士農工商のシステムは、大きな社会変革の中でなくなっていきました。
間接的であるとしても、そのきっかけのひとつが産業革命であったとすると、今回のIT革命も、僕たちの現代版「士農工商」に大きな変化をもたらす可能性があります。
僕が好きな指標のひとつに、就活生の選ぶ、職種別希望就職先調査があります。
僕はこれを、10年後に衰退している職種を表す指標だと思っているんです。
80年代は、鉄鋼をはじめとする重工業が、学生たちに人気があったのだそう。
90年代は、ソニーやシャープに代表される大手家電メーカー。
それらはちょうど10年ちょっとたった時に苦戦を強いられるジャンルになっています。
で、2000年代でダントツに人気がある職種というのが何かというと、公務員です。
前例に則るのならば、10年後(ちょうど東京五輪のころ)に衰退を始めているのが公務員ということになります。
現在の社会の様子や技術の進歩をみていると、まんざらでもない予想に思えてしまうのが怖いところです。

振り返って教科書を読めばこそ、産業革命が人々に与えた影響の大きさは感じることができますが、もし当事者として何十年もに跨る革命の中にいたならば、その変化を肌で敏感に感じ取るのとはなかったように思います。
きっと、産業革命の只中にいる人たちにとっては、「なんか分からないけれど、少しずつ便利になっている」程度の変化だったのではないかと思えてならないのです。
当事者としてプレイするゲームのルールが少しずつ、同時に大きく変わりつつあるという感覚。
それを忘れないことが、大きな変化の中にいる僕たちにとって必要なことであるように思います。
そして、そのためのツールが、合理的な思考から逃げ出すこと。
ときに、直感に任せて物事をとらえることだと思うのです。
だからこそ、あえて必要なものが、合流を知った上での主観的意見。
そんな風なことを思ったりします。