新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



炎上は摩擦と多数決で発生する

※だいぶ酔った状態で音声入力したので、誤字脱字や意味が噛み合わない所がありますがご了承下さい(笑)

 

炎上は摩擦と多数決から生まれる。

これが僕の持論です。

これまでずっと当たり前のようにこの言葉を使ってきたのですが、先日知り合いと飲んでいた時に「何を言っているの?」というリアクションをされて、僕が言わんとしていることが全く伝わっていないことに気づきました(笑)

ここ最近の「岡崎体育さんのファン炎上事件」「のぶみさんの歌詞炎上事件」「予備校の先生の入試悪問炎上事件」を見ていて、僕が考えていた冒頭の白のちょうどいい具体例のように思えたので、言語化してみたいと思います。

 

「火事」は摩擦による火種と増幅装置(多数決)によって起こる

炎上は勝つ炎上は摩擦と多数決によって起こるというのが僕の持論ですが、摩擦には①意味言語と感情言語の摩擦、②生産者と消費者の摩擦、③利他的と利己的の摩擦の3種類があります。

 1つ目の意味言語と感情言語の摩擦に関しては、前回のエントリで書いたので詳しい説明は省きますが、言葉には客観情報のみを有する者と主観的な判断を含むものが存在していて、その両者を区別してコミニケーションを取る人々と、すべての言語を感情言語として捉える人がいます。

 1つ目の摩擦は、意味言語と感情言語を使い分けて語った人のツイートを、感情言語の解釈の範囲でのみ理解することによって生じる摩擦です。

 2つ目の生産者と消費者の視点と言うのは、その人がゼロからものを作る立場に立ったことがあるのかどうかと言うものに由来するものです。

仮にAという同じコンテンツであったとしめも作り手の立場に関わっている人と消費するだけの人では、それに対する評価はまるで異なります。

2つ目の摩擦はこれが原因で生じるものです。

最後の利他的と利己的の間の摩擦は、フランスの人が何を求めて行動しているかによって決まります。

例えば日ごろから自分の利益ばかりを考えている人にとっては、全ての行動は自分に還元があることを前提としています。

一方で他者を喜ばせることこそが信用の源泉である、あるいは価値の源泉であると言うことを知っている人は、自分の利益の前に、他者にどのような利益を与えることができるのだろうと言う風に考えて毎日を過ごしています。

 3つ目の自己的と利己的の間の摩擦は、この両者の間に生じるものです。

 Twitterの炎上を観察しているとそのほとんどがこの3つの摩擦をきっかけにしているように感じるのです。

 

C.S1 岡崎体育さん炎上問題

 ミュージシャンの岡崎体育さんがファンクラブの会費をお金で区別しようとしたことによって炎上が起きました。

岡崎体育さんの主張に対して、多くのTwitterユーザが、「お金は払えないけれども岡崎さんのことが大好きです」とか「好きと言うのはお金によって判断されるものなのか」と言うような視点からの批判が殺到しました。

もちろん「ファン」(自称岡崎さんのことが大好きです」とか「好きと言うのはお金によって判断されるものなのか」と言うような視点からの批判が殺到しました。

もちろん「ファン」と自称する人たちの主張がわからないわけではありません。

しかし彼らの言う「ファン」の主張は、極めて消費者的な視点であるように思えて仕方がないのです。

文章でも漫画でもアニメでも、ダンスでもイベントでも構いませんが、何かしらのものをゼロから作ったことがある人であれば、それを生み出すためにかかる費用や手間がどれほどのものであるかを知っています。

当然何かを作るためにはお金がかかるわけです。

「生産者」である人は、このことを見に染みてわかっています。

だからこそ、ファンは大切だけれどもと言う断りを入れた上で、ファンクラブにお金のシステムを導入したのだと思います。

一方でこうしたものを作ったことのない消費者の視点に立ってみれば、「なんで好きという「好意」でその人を見ているのに、それ以上の見返り(お金)を要求されるのか」、あるいは「ある人を応援したいと言う気持ちを持っているだけなのに、それはお金でランク付けされなければならないのか」という気持ちを持つのもわかります。

応援している人は100%その人に対する行為から行動しているわけです。

それをお金と言うわかりやすい形に変えてくれと言われたら腹が立つのもわかります。

一方でこれはあくまで「消費者」の視点です。

仮にどんなに夢を売っている仕事であったとしても「お金」という現実問題が目の前に常に横たわっていると言う事実を避けられないのが生産者。

そのことに意識がいかず消費者の論理で責めたのが今回の岡崎体育さん炎上問題だと思うのです。

このケーススタディーでは、岡崎体育さんと言う1人の生産者に対して数百数千人と言う単位の消費者の人が一斉に食ってかかりました。

この部分が僕が言うところの多数決。

岡崎体育さんの炎上問題は、生産者と消費者の視点の間の摩擦に多数決の論理が合わさって発生したものだと思うのです。

 

C.S2 のぶみさんの歌詞炎上事件

2つ目は絵本作家ののぶみさんが作った、子育てをするお母さんの気持ちを綴った詩の炎上問題です。

この歌が発表されるや否や、様々な人たちから子育てをするお母さんが自分の趣味を我慢して子供のために尽くしているとも取れる歌詞の内容に対して批判が集まりました。

この歌に対して作詞者ののぶみさんを擁護するようなコメントを様々な著名人がしていましたが、その人たちも一緒に炎上しているようなことも少なくありませんでした。

僕はこの炎上問題に関して、意味言語と感情言語の解釈の違いが根本的な理由にあると思っています。

もともと、母性だとかお母さんという言葉は、それ自体には評価や気持ちだとかいった感情が含まれている言葉ではない、つまりただの意味言語に過ぎません。

にもかかわらず多くの人がこの言葉に対して「子育てのおかげで自我を抑制せざるを得ない母親がかわいそう」だとか、「子供は母親が育てるのは当たり前なんて言う思想が透けて見えるような歌詞を書く事は悪である」といったような主観による判断が含まれる、つまり感情言語のロジックによる解釈がこの歌と作者の一連の発言に対して殺到してしまいました。

歌詞を意味言語と感情言語に分けてみると、実は作者の主義や主張といった「感情」が強く前面に出ているところは驚くほどに少ないことがわかります。

一方で、自分の思い込みによって、作者が意味言語として使おうとした言葉を全て感情言語として主観で判断すれば、前に述べたような理由における反感や反発はわからないわけでもないのです。

のぶみさんの歌詞の炎上は、感情言語ロジックで意味言語を解釈してしまう人が集まってしまった(=多数決)ことによって生じたものであると思うのです。

 

C.S3 大学入試、悪問題指摘炎上問題

 最後は、入試問題に関する炎上の事例です。

去年の終わりごろに、大阪大学の入試問題をめぐって、実は不正解のものも答えになるのではないかと言う議論が巻き起こりました。

話題になったおかげで大阪大学がその問題を見直し、それが合否の判断になっていた人々はすべて合格と言う措置が取られました。

これと似た事例は他にもないわけではなく、それに対して、ある予備校の先生が「京都大学も出題ミスがあるのではないか」ということを見つけ、それをマスコミにリークしました。

そのことに対して、「売名行為である」という言葉を始め多くの誹謗中傷が集まっていました。

「売名行為である」として批判した人のロジックを考えると非常に面白いことが分かります。

おそらくこの入試問題の間違いを指摘した先生は、売名行為をしようと思っていたという事はなかったのではないかと思っています。

純粋に、受験生がフェアな入学試験を受けることができるようになって欲しいと言う気持ちから出てきた指摘であると思うのです。

 

マズローの欲求階層説では、承認欲求と自己実現の欲求と言う2つが提示されていますが、このどちらに軸足があるかによって思考が全く変わります。

承認欲求とはあくまで自分を認めてもらいたいと言う欲求です。

ここにとらわれている人にとっては、その人の行動は全て自分の承認欲求を満たすための手段であると映ります。

一方で、自己実現の欲求を追求している人にとっては、自分の行動の原因は力が自分に戻ってくることではなく他者に対して何を与えられるかというところにあることがほとんどです。

おそらく、出題ミスを指摘した予備校の先生は、自己実現の欲求のところに 位置しており、本当に受験業界が自分の指摘によって変わればと思っていたのではないかと僕は思っています。

一方で、全ての行動は自分の承認欲求を満たすためにあるという解釈が当たり前である人にとっては、こうした人の行動は全て売名であったり、自分に有利になるような行動とったと目に移ります。

ここの部分に生まれた差異が、Twitter上では承認欲求を求める人が多かったせいで(多数決)延長と言う事態になってしまったのではないかというのが僕の持論です。

 

 

Twitterの面白いところはあらゆる人々が平等に発信する権限と受信する権限を持っているところにあると思っています。

だからこそ本来であれば交わるはずもなかったトライブにいる人同士(交わってはいけないトライブにいる人同士)が平然と、あたかも対等であるかのように触れ合うことができるようになったからこそ多くの問題が生じているのだと思っています。

炎上と言うのはここに原因の根っこがある。

本来交わるはずもなかった全く異なる価値観で動く人々が、数の力に物言わせて別の考え方の人を断罪する。

そこにあるのは善悪の区別ではありません。

あくまで「摩擦」と「多数決」のみ。 

これが僕の考える炎上という現象です。

 

アイキャッチは炎上の火中ののぶみさんの絵本

 

ママがおばけになっちゃった! (講談社の創作絵本)

ママがおばけになっちゃった! (講談社の創作絵本)