新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



なぜ私はあの人に嫌われているのか?〜人の「嫌い」を分類する〜

ゲームをプレイしたり、何かを始めようとするとき、その人の戦略の取り方で①ルールの中で戦う人②ルールを破って戦う人③ルールを使って戦う人の3つに分類できるように思います。
王道は①のルールの中で戦うことです。
もともと不正や極端な差が生まれないように敷かれているのがルール。
それを守って正面から戦うのが通常で、それが普通とされています。
②のルールを破って戦うというのは、そうしたプレイヤーを制約していることを無視してやりたいようにやることです。
当然不正をしているわけですから、発覚した場合、ペナルティが課せられます。
好き勝手やっている分、ルールを守って戦う人と比べて圧倒的に優位にあるけれど、相応のペナルティが生じるのがこれ。
③のルールを使って戦う人というのが1番厄介です。
ここに属する人は制度上の穴や弱点を理解して、自分に有利になるような戦略を考えます。
有名人でいうと、2ちゃんねる管理人のひろゆきさんや、かつての堀江貴文さんなどなど。
ここに属する人たちはまずルールを熟知して、その中で1番自分にとって優位にことが運ぶ戦略をまずたてます。
その上で圧倒的な努力をする。
②のルールを破る人たちと決定的に違うのは、何もルールを破ることをしていないという点です。
ここに含まれる人はあくまでルールの中で戦っている。
だから「ズルい」と批難することはできても「悪い」と批判することはできません。
この③に含まれる「ズルい」人たちのことを目の敵にするのは、①のルールで戦う人で特にそこそこ優秀な人たちです。
彼らは同一条件の中で直球勝負に持ち込めば絶対に勝てるという自信を持っています。
しかしルールを破ったり、ルールを了解してスタート地点から相手に差をつけられたら勝てなくなってしまう。
②のルールを破る人であれば、彼らはルール違反という制度上の「権力」を利用して対抗する手段があります。
しかし③の人はあくまでルールを利用しているだけで破っていないので、対抗する手段がないのです。
だから①の中で戦っていて、かつ優秀な人ほど③に属する人たちのことを凄く毛嫌いします。
(②と③の区別がつけられていない場合も多いですが。。)


人のことを嫌う時の感情は、同族嫌悪・嫉妬・軽蔑のいずれかにぞくするように思います。
①②③のいずれでも、同じカテゴリー内で相手を嫌いと感じる場合の多くが同族嫌悪です。
そして①→②で生じる嫌悪感は「軽蔑」
②→①で生じる嫌悪感は「嫉妬」
①→③が「嫉妬」で
③→①が「軽蔑」です。
そして②③の間で起こる嫌いという感情は「軽蔑」。
もちろん誰かに対する「嫌い」という感情が、ひとつひとつ独立して存在しているわけではありません。
3種類の「嫌い」が組み合わさって「嫌い」はできています。


誰かに嫌われていると感じたとき、相手の「嫌い」という感情の構成比率を想像すると、比較的対処がしやすくなります。
そのために有効なことが「嫌い」の要素分解とルールに対するアプローチの仕方です。
相手が自分に向ける「嫌い」という感情が明確に捉えられたところで、うまく付き合うことはできません(笑)
しかし生じる摩擦を極力減らすことはできる。
ベストではなくベターな人付き合いをする上で、結構有用な分類であるような気がします。


アイキャッチは「嫌われる勇気」

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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