新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



全力で教える「a」と「the」の違い

芭蕉の最も有名な句の一つに、次のようなものがあります。

古池や蛙飛び込む水の音

ここで無粋な質問をひとつ。
この句に於いて、飛び込んだカエルは何匹だったのでしょうか?
根拠を添えてお答え下さい。



こんな風に言われると、誰もが「えっ?」ってなるのではないでしょうか?(笑)
飛び込んだ蛙なんて一匹に決まっとるやろ!!
そんな声さえ聞こえるような気がします。
おそらく、日本人にこう聞くと、十中八九いっぴきだろうとかえってくるのではないかと思います。
でも、なんでそんな事わかるんですか?
この17文字のどこに一匹だなんてかいてあるのですか?


こんな風に言われたら、多分説明できる人って少ないんじゃないんでしょうか。
そんなこと言わなくたって、この句は一匹の蛙が「ぽちゃんっ」と池に潜って、それ以外は静寂しかない事を表しとんのや。
って反論するのがせいぜいな気がします。
たぶんそれって間違えてないんですよね。
むしろ日本人にとってはそれが当たり前。
でも、海外の人にとっては必ずしも飛び込んだ蛙が一匹だなんて、想像で決められるものではないのです。



僕たちは「蛙飛び込む」と聞いたら、前後の文脈で、一匹ぽちゃんと飛び込んだとわかります。
しかし、欧米圏の人にはこのニュアンスは伝わらない。
だって英語圏の人にとっては、一匹なのか複数なのかっていうのは非常に重要なファクターだから。

僕らは感覚で相手の言った名詞について、単数か複数か判断しがちです。
でも、欧米圏(少なくとも英語圏)の方にとっては、一匹(単数)なのか複数なのかを自ら述べるのは、不可欠な事柄なのてす。
(なぜなら向こうは自己主張の文化。相手に委ねず自分の立場をはっきり表明する事こそが、美徳されているから。)
だからこそ、単数の時は「a」や「the」が使われ、複数の時は後ろにsが付くなど、明確に違いがあるのです。



話はとんで、日本語の「は」と「が」の違いに。
「私はユキです。」と「私がユキです。」の違いを言葉で説明できる方っていらっしゃいますか?
たぶん、感覚的にはほとんど全員わかるのですが、言葉で説明できる人となると、ガクッと減ってしまうのではないかと思います。
両者の違いは「はじめて聞いた名前」なのか「以前聞いたことがある名前」なのかです。
前者の「私はユキです。」であれば、その前に暗黙の了解として(はじめまして)という心情が内包されています。
一方「私がユキです」という表現には(以前どこかで聞かれている事とは思いますが)というニュアンスが含まれています。
つまり、日本語の格助詞「は」と「が」の違いには、新情報(初めて聞いたこと)と旧情報昔聞いた事があること)という違いがあるといえるのです。



因みにこれを上手く使って登場のセリフとしていたのが、元マンガトリオで引退した上岡龍太郎さんの「わたしが上岡龍太郎です。」という登場のセリフ。
ここには、上岡さんの「ご存知の通り」という高圧的で、でもどこか憎めない、そんなウィットに富んだギャグが含まれていたんだと思います。


話を英語にもどします。
日本語の格助詞「は」と「が」の違いを英語に当てはめるならば、それはちょうど「a」と「the」の違いに置き換えられます。
「a」とは元々、はじめて聞く情報、すなわち新情報を指すものなのです。
それに対して「the」はお互いが認識しているもの、つまり既に出ている情報(旧情報)を表します。
例えば「あそこで遊んでいるあの猫は私の猫なんだ」と言いたいのならば、自分しか知らない情報だから「a cat」になり、「太陽は西から登る」なら、太陽の事をみんなが熟知しているので、「the sun」となるわけです。



この違いを端的に表したのが、「globe」という名詞を使っ表現です。
(globeとは、球体・地球を表す英語です)
例えば「the globe」ならば、「世界に一つしかない地球」つまりまぎれもないこの「地球」となります。
それに対して「a globe」ならば何になるのでしょう?
「世界に幾つもある地球」つまり地球儀という意味になるのです。

「a」と「the」の違いを説明するとこんな感じです。
(本当は「a」と「an」のなりたち、「one」との関係も書こうと思ったのですが、もう1000文字ほど必要になると思ったので、やめにしておきます。)


意外と英文法って、論理的だったりします^_^