新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



美味しんぼ批判は作品と情報の区別がついていない証拠


最近ずっと炎上している「美味しんぼ福島の旅」問題。
僕の中でずっともやもやしていたのですが、その正体が分かったので取り上げることにしました。
これが問題になったときの僕の意見は「風評被害という言葉が悪い現実を裏付ける事実を言えない空気を作ってしまっていることが問題である」というものでした。
でも、どこか僕の中で違和感があったんです。
自分が感じている感覚と微妙に違う気がしていました。
上手く美味しんぼに対する批判を分解しきれていない気がしたんですよね。

よくわからないモヤモヤの正体は「作品」と「情報」をごっちゃにしていることにありました。
この問題って、「作品」と「情報」を区別せずに語っているからおかしなことになっていると思うんですよね。
風評被害とは、誤った情報が世間に広まることで、対象の評価が下がることを指しています。
これはあくまで情報発信をすることによって起きる被害のこと。
「情報」とは不特定多数に拡散されることを意図して発信された、発信者の主張のことであると言えると思います。

それに対して美味しんぼはあくまでマンガ表現という手段で作られた「作品」です。
絵画や音楽をはじめ、あらゆる作品は自分の作品に理解のある人を想定して作られるものです。
そこには不特定多数に拡散させたいという意図はない。

その意味で風評被害という言葉を、「作品」に対して当てはめてしまうことはあまりよろしくないと思うのです。
風評被害という言葉で作品の表現を制約してしまえば、それは「表現の自由」を侵したことになる。
美味しんぼが情報雑誌に載る情報コンテンツであったのならば風評被害という指摘は正しいと思うのですが、あれが「作品」である以上風評被害だと指摘するのはどこか違うのではないかと考えました。


だからといって、僕は「風評被害」だと批判する人を否定するつもりはありません。
いくら作品だと言い張ったところで、福島に対してネガティブなイメージを広めていることは事実なのだから。
一番の問題は「作品」と「情報」の区別がついていない、僕たち読み手の側にあると思います。
もし僕たちがはっきりと美味しんぼはひとつのマンガ作品であり、それはあくまで筆者の作った「物語」であるということを理解していれば、そもそも風評被害になどなり得ないはずなんです。
だってそれは現実世界を扱う「情報」ではないのだから。

でも、その辺の区別がはっきりついていなかったからこそ、美味しんぼに描かれた福島を現実とリンクさせて考えてしまう。
その結果様々な非難や議論が起こる事態になってしまっているわけです。
僕らが作品を作品として捉えられていれば何の問題もないお話。

「作品」と「情報」という区別がついていないまま話を進めるから、ややこしいことになっているとだと思いました。

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