岡田斗司夫さんの主張です。
ある社会常識が薄れつつあると、それが文芸作品に反映される。
言われてみれば肌感覚として納得できるような気がします。
アニメやマンガの構成における21世紀の流行の展開を考えると、僕は「新世界系」と「管理社会系」の二つに分けられると思っています。
これはかわんごさんのブログ(物語における「現実世界」のメタファー:かわんごのブロマガ - ブロマガ)に書かれていたことなので、こちらを参照していただけると幸いです。
ざっくり言えば、今までの王道マンガが主人公の成長に合わせて敵も段階的に強くなるというプロットだったのに対して、上記のマンガには主人公たちの力をはるかにしのぐ存在が守られた世界の外にうじゃうじゃいる。それは現実社会の「理不尽さ」のメタファーになっている。
というようなことです。
確かに共感できるとともに、こういう物語の設定は明らかに21世紀の作品に現れているように思います。
もう一つが「管理社会系」の作品。
サイコパスではコンピュータが人間を完璧に管理するのが理想であり、そこに適さない人物は排除される世界が描かれていました。
遡れば、ジョージオーウェルの1984年の中に出てくる世界とも言えると思います。
サイコパスでは主人公の最大の敵となる人物がこうした管理社会に挑んでいきました。
NARUTOでは主人公がこうした思想に挑みます。
両者に共通するのが「完全な管理社会に対する問題提起」です。
僕にはどちらも、便利なツールが溢れて思考を止めた僕たちに対する問題提起にも感じます。
テレビから流れる情報を信じ、行動する大衆。
Webの検索は自分の嗜好に沿ったものが上位表示されるよう進化してるのに、相変わらず調べた情報がリアルだと感じるネット民(東浩紀さんの「弱いつながり」的な考え方)。
僕が管理社会系とカテゴライズする作品は、こういう流れに疑問を投げかけようとしているように思います。
で、初めの岡田さんの主張に戻ります。
アニメやマンガでヒットする世界観は、現実社会で失われつつあるものである。
「アナと雪の女王」という作品は、一人の女性が自立して生きて行くはなし。
それがヒットするということは、女性1人で生きて行く困難さに、僕たちが気づき始めているということだと思います。
その文脈で行けば「新世界系」の作品と「管理社会系」の作品が人気を集めているということは、、、つまりそういうこと。
仲間を大切にするONE PIECEやフェアリーテイルが異常な人気なのも、そういう世界観が消えつつあるから。
そんな風に考えるとどこか僕の中で今の人気作品群の説明がつくようなきがします。
同時にブルーになってしまう(笑)
================================
似たようなテーマです。よかったらこちらもご覧下さい!