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新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



生じる価値と生じるコスト

ちょうどお昼ご飯を買おうとしていたときに、たぶん中学生?だと思われる子が、ターミナルを出発したバスを無理やり止めて、扉を叩いて乗車をしようとしているのを見かけました。
「子供なんだから…」と思われるかもしれませんが、僕はその子の行為を非常に愚かだなあと感じながら見ていました。
結局その子はバスへ乗せてもらえなかったのですが、その後僕の職場に届くくらいの声で絶叫していました。
性格上何でも数値で考えたい性質なので、その子の嘆きはいくらくらいになるのだろうと計算してみました。
もしどうしても所定の時間に行かなければならない場があったのならば、その子はタクシーという選択だってできたはず(もちろんお金がないことも考えられますが、初乗りで一つめのバス亭まで先回りしてもらうなどもできなくはありません。)
初乗り運賃が640円で、バスの運賃が230円。
もし500円しかなかったのなら仕方がないかもしれませんが、仮に1000円持っていれば、いくらでも対策は練ることができます。
それをしなかったということから、申し訳ないけれどあの子にとってバスに乗り逃したことに対する「嘆き」は410円以上の価値はないということです。

次に、バスを止めることのコストを考えます。
昼時で、バス停に並んでいた人数から考えると、おそらく20人は乗っていたと考えられます。
その子がバスの前に行き、バスを止めて叫んでいた時間はおよそ2分。
仮に乗車中の人が一時間に生み出す価値を1000円と換算すると、20000円を2/60時間で割り、666円。
タクシーの初乗り以上です。
その子は410円分の「嘆き」のために666円の周囲への迷惑は構わないという判断をしたということになります。
彼がバスを止めたことに対して非常識とかそういうことは思わないのですが、自分の失敗(バスにのりおくれる)ということにより生じたコストを、自分が感じるよりも多くのコストを払って無理やり実現させようとしていたところに「?」と思ってしまいました。

僕は、年齢に関係なく、自分の行為によって生じるコスト計算をするということは非常に重要だと思っています。
というか、その「コスト意識」は年齢に関係ないものです。
僕はバスを止められて迷惑を被ったわけでも、なんでもありませんので、その子の「行動」に対して思うことは全くありません。
それ以前にあれこれいう資格はないので。。
ただ僕は「コスト意識」に関して考えるいい題材だと思ったので、バス停の彼をネタにさせてもらいました(ゴメンネ!)