新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ゆとり世代の取扱説明書②若者が会社に1番求めていないことが「繋がり」だと思う

ゆとり世代と呼ばれる僕たち今の20代。
高校や大学の同級生と一緒にご飯に行くたびに、いろいろな「ホンネ」を耳にします。
そして、それらは極めて的を得ていることばかり。
少なくとも、同世代の僕には当たり前に理解できる感覚です。
しかし、僕たちにとっての当たり前は、往々にして上の世代の人々の考える当たり前とは異なるみたいです。
だから、僕たちにとってオジサンは「ウザい」となるし、年上の人たちにとっては「若者は分からない」となるのだと思います。
そんな食い違いを、先日友達と飲んでいたときにも感じました。

僕は年上の人と飲みに行くのが(というより単純に人と飲むのが好きなだけですが)好きで、年上の人のお話を聞く事があります。
言葉やニュアンスに違いはあれど、よく聞くのは「若者が分からない」ということです。
「へぇ」と思って聞いている中でいつも感じるのは、年上の人の思いや考え方には侮蔑的なニュアンスは一切なく、若い僕たちの世代に頑張ってほしいという真摯な態度です。
表情や声色から、侮蔑的な意味で「若者が分からない」といっているのではないことくらい重々伝わってきます。
ただ、それと同時に強く感じることは、「根本的に考え方が違うんだな」ということです。

その最たる例が、会社に求める物の違いです。
あくまでこれは、僕が会ったことのある年上の「オジサン」に感じた共通項で、全員に通じるものではないとは思いますが、僕が知っている年上の方々に関しては、会社に求めるものの1番にあるのが「繋がり」なように感じます。
言い方や切り口は違うけれど、彼らの話を聞いていると、根本的には会社を通じた繋がりに対する欲求があるように感じるのです。
飲みに行ってコミュニケーションを取りたいというのも、休日にゴルフに行くのも根本は同じ。
日々一緒に戦っている仲間との「繋がり」を求めているように見えます。
一方で、僕たち若者が1番会社に求めていないのが、そうした「繋がり」です。
これは職種や業界を問わず、だいたい当てはまっているように思います。
僕たちの世代は学生時代からsnsが普及していて、常に昔の仲のいい友達と繋がっていることができる。
だから、新たに仕事で繋がった関係に寄り付かなくても、十分に多くのコミュニティに属している状態です。
むしろ、多くのコミュニティに属し過ぎていて、これ以上増やせないというのが正しいかもしれません。

仕事関係での繋がり以外にコミュニティを持っていなければ、必然的にそこでの人間関係を深めることで繋がりを持とうとするはずです。
これが、僕たちの上司に値する人たちの「当たり前」です。
それに対して、常に旧友と繋がり、いつでも連絡が取れる僕たちにとっては、繋がりは節目節目で更新されるものではなく、ずっと繋がって行くものです。
そうなると必然的に、長い期間を一緒に過ごした高校や大学時代の友達との関係が多くなるのです。
新たに繋がりを作らなければならない年上の世代と、一度築いた関係が生涯切り離せない僕たちの世代。
「繋がり」の価値がまるで違うため、それに対するアプローチが全く違うのも道理です。
若い世代にとって、新たなステージに入ったからといって繋がりを作らなければならない差し迫った必要性がないばかりでなく、そもそも既存の繋がりでいっぱいいっぱいになっています。
そんな人に対して自分の感覚で年上の人がコミュニティを作ろうと熱弁したところで、全く響かないのです。

僕たちの世代はデフォルトで繋がりを持っているから、会社に繋がりを求めない。
若者が1番会社に期待していないのが、会社での繋がりです。
そんなものわざわざ作らなくても既に持っているから。
これが、「会社で繋がりを持とうとする」オジサンたちとの最大の違いであるように思います。
会社以外の場で、強い繋がりを持っていない上司にとってみたら、職場での飲み会や休日のイベントに参加したがらない若者は理解できないかもしれません。
彼らにとっては「唯一の繋がりであるオレらとの関係を断って、あいつは孤立している」と見えるからです。
でも、会社は複数あるコミュニティのうちの一つである若者にとってはそこでいろいろ我慢して人間関係を構築する必要がそもそもないのです。
嫌なら「会社は会社」と割り切って、人との繋がりは別のところにも求めることができるからです。
この視点から僕ら世代の話を聞くと、行動に納得できるところがでてくるはず。
会社が最大のコミュニティである年上世代の価値観と、会社は複数所属するコミュニティの一つに過ぎないという価値観の差が、「若者が分からない」という嘆きの根本にあるように思います。


関連エントリです。よかったらこちらもお願いします!

僕がアクセスアップのためにしているたった2つの具体的戦略

よくブログのアクセスアップ方法と調べると、人が読みたい記事を書く、多くの人に検索されている言葉を題材に選ぶ、クリックしたいタイトルをつける、役に立つ情報を書くといったようなアドバイスが出てきます。
どれも完全にその通りで、むしろアクセスを伸ばす方法なんてそれに尽きるわけですが、とはいえたったこれだけの情報で「そうか」と納得するのは難しいと思います。
実際僕もブログを始めるにあたって、こうした記事を片っ端から読み漁りました。
それで、仕組みは頭で分かっているつもりでも、実際にどういうネタの作り方をすればいいのか、四苦八苦した記憶があります。
今でこそ自分なりのメソッドにして、アクセスが安定して伸びるようになってはきました。
僕がアクセスを稼ぐ主戦場は、他の人と競合になることが少ないということもあるので(笑)、具体的に僕がやっている方法をまとめてみようかと思います。

ブログのネタは2本軸で考える

僕がブログのエントリを書くにあたって意識するのは、①流行りのネタでアクセス数が増えることと②定期的に検索する人がいる話題をネタにするという2点です。
①でブログそのもののバリューをあげて、②の検索結果で上位表示されるのを狙うというもの。
今のGoogle検索は、バックリンクなどのSEO対策を施されたWebページよりも、読み手に役立つとGoogleのロボットが判断したサイトが上位に表示されるようになっています。
その判断基準の一つが、集客数。
単純にアクセス数が高いということは、いい情報を発信しているよねってことです。

どんな検索ワードにしろ、少しでも上に表示されたければ、Webページそのもののアクセス数がなければいけません。
そのために書くのが、アクセス数アップを目的としたエントリです。
この手のエントリを書くコツは、巷で話題になっていることを取り上げることです。
僕がこれを意識して書いたエントリを3つほど挙げてみたいと思います。
2015年1月
2015年11月
2016年5月
これらはいずれも、それぞれの作品が掲載された少年ジャンプの発売週に書きました。
そのタイミングは、読んでいて「えっ!?」と思う転換点があったとき。
ここらどうなるの?という物語の展開になったとき、続きが気になって検索する人が増えるため、そこを狙ってエントリを書きました。
実際にこの手のエントリは書いた直後から、通常ではないくらいのアクセス数をもたらしてくれます。
こうした記事でアクセス数の底上げを狙うわけです。


定期的に検索されるコンテンツを作る

話題のネタでアクセス数の底上げと同時に狙うのが、定期的に検索されている事を題材にしたエントリ作りです。
確かに話題のネタはアクセスを稼いでくれますが、アクセス数の増大は一時的です。
その話題が落ち着けば、アクセス数はもとに戻ってしまう。
そこでアクセス数を増やすために行うのが、ブームとは関係のない、定期的に検索される言葉に関連したエントリを増やすことです。
こちらのエントリを書くにあたって重要なことは、①著者適正と②競合サイトとの差別化です。
著者適正とは、自分がその題材について書くべき理由です。
例えば、仮に就活の記事に対する検索が多いからといって、そのキーワードで記事を書いたとしても、書き手が大学一年生で就活にかすったこともないのであれば、誰も記事を読もうとしません。
あくまで自分が書いていることの意味がある題材を選ぶこと。
これが著者適正です。
僕の例をひとつあげると、国語の先生という適正から、学校の教科書に載っている現代文の文章を解説するといった感じです。

著者適正のある題材を選んだら、次に競合との差別化が必要です。
差別化の最に僕が意識していることは、検索した時に出てくる方のサイトのタイトルと比べて、調べた人がクリックしたくなるようなタイトルをつけることです。
一例を紹介します。
こちらは高校の教科書に載っている、丸山真男さんの「『である』ことと『する』こと」という作品を説明したエントリです。
「『である』ことと『する』こと」と調べて上位に出てくるサイトのタイトルを見てみると、どれも硬いイメージでした。
この作品について検索する層を簡単にプロファイリングすると、おそらくは学校でこの作品を扱ったのだけれど内容が全く分からないという高校生のはず。
分かりやすく説明した記事を求めて検索した人にとって、1番開いてみようと思うのは、形式ばったタイトルのページよりも、直感的に分かりやすそうなページでしょう。
だから、タイトルは極力キャッチーで、内容も正確さよりも直感的な分かり易さを意識したものにしました。
検索結果に「『である』ことと『する』こと」に関する硬いタイトルが並ぶ中で、「おばちゃんのダイエットに例えればいい」なんてふざけたタイトルが一つだけ並んでいたら、思わず目を引くはずです。
そして、噛み砕いた説明を求めている人は、とりあえず読んでみようという気になってくれる。
そんなことを狙って、このエントリは書いてあります。


この手のエントリは、話題のネタと違って定期的なアクセスが見込めます。
「『である』ことと『する』こと」なら、少なくとも毎年3年生がいつも検索してくれます。
そのため、一度書くと毎年一定のアクセス数が見込める。
話題のネタに関するエントリがフローの情報だとしたら、こちらのエントリはストックの情報というイメージです。
また、いくら他のサイトと比較して気になるタイトルにしたとしても、検索結果で上位に表示されなければ意味がありません。
そこで重要なことが、ブログ自体に一定のアクセス数、エントリ数があること。
それを稼ぐのが話題のネタなのです。


こんな形の住み分けが、僕のブログ運営における基本スタンスです。
もし、いろいろなアクセスアップの方法を試しているという方がいましたら、ぜひそのうちの一つとして試して見て下さい(笑)

ゆとり世代の取扱説明書①若者にとって上司からのFacebook申請は想像以上に迷惑な行為

都知事のお膝元でクーポン券を使ってくる。

このギャグをするためだけに東京に行ってきました(笑)
それに合わせていくつか予定を入れて東京中を周っていたのですが、どこに行っても警察だらけ。
銀座、上野、池袋、六本木。
おそらく伊勢志摩サミットを控えての限界体制なのでしょう。
どこに行っても二人一組の警官が街のパトロールをしていました。
東京があれだけ厳戒態勢を引いて いる一方で、京都はどのくらいの警備であるのかが気になります。
正直僕はテロが起きるのなら、東京ではなく京都だろうと思うからです。
そんなわけで、京都に着いたらちょっと警察官の配置をみてみようかと思います。

さて、夕方から六本木で友達と飲んでいると、Facebookで上司と繋がるべきかという話になりました。
僕の場合は上司や先輩(と呼ぶのかすらあやしいですが)のことを、ちょっと年の離れた友達くらいの感覚なので、全く気にせず友達で繋がっているのですが、聞いている限りでは、上司と繋がりたくないという意見が大半のよう。
安易に職場の上司と繋がってしまうと、彼らに気を使って自由に投稿ができなくなるそうです。
上司とFacebookで繋がっている理由を聞くと、断れなかったというのが大半。
自分から繋がったという人もいましたが、彼女の場合は「仕事での印象のため」だそう(笑)
上司の側はフレンドリーに付き合うために友達申請を送っているのかもしれませんが、それを受け取った若者にとっては気を使うだけで全く嬉しくないので止めたほうがベターです(笑)

話の流れで具体的に何が嫌なのかという話題になったのですが、一番多かったのはプライベートでどこに行ったのかが知られることでした。
旅行に行っていることを知られたらお土産を買ったりあれこれ気を使わなければいけないということと、理由を付けて休んだときや休日の誘いを断ったときに何をいているかが伝わるのが気まずいというのが主な理由らしいです。
実際にこれに大きく頷いていた先輩は帰りの新幹線のお土産売り場でめんどうくさそうに部署の人数分入っているお菓子を選んでいました(笑)

こういう部分に気を使った人の投稿は冠婚葬祭に出席した際の全体写真か、旅行先で友達と撮った、旅先の風景と顔以外のパーツが写った写真になります。
友達の分析曰く「全体写真」と「顔意外のパーツ」と言うのがポイントです。
プライベートでの表情が特定されるような写真はほぼアップしないのだそう。
確かにこの傾向は分かる気がします。
こういう投稿ばかりの場合、上司などに気を使って投稿している場合が多いです。
僕自身も仲間内でわいわいしている写真はラインのグループ内か、Facebookでグループを作って園中で共有することがほとんどです。
Facebookのフィードで完全にプライベートの写真や内容をアップすることはどんどん減っています。
本当のプライベートは親しいグループ内でのみのやり取りになる。
この話を聞いたとき、最近の若い子達は分からないというおじさんたちの声の理由の一つはこの辺にもあるのかなあと思いました。
30代以上の人たちにとっては世代が違う人とのやりとりはリアルとネット上のものがあって、リアルはフォーマルなやりとり、ネット上はプライベートを紹介する場だと考えている。
それに対して僕ら20代は、世代を超えたやり取りをする場合、リアルなやり取りとネットでのやり取りに加えてもう一つ、閉鎖的なグループ内でのやりとりを持っているように思います。
そして、リアルは完全にフォーマルな空間、ネットでのやり取りは、「見せたい自分」を見せる半フォーマルな空間、そして完全なプライベートはLINEグループなどの極めてクローズドな場所で行う。
これは僕らの世代にとっては、極めて当たり前のやり方です。
むしろSNSとはそういうものだと思っている。
しかし、少し上の世代の人々はネット上(SNS上)に上げるのはプライベートな内容であるという認識のもとでタイムラインを見る。
「見せたい自分」を上げたタイムラインをプライベートな情報だと思ってみるから、今の若い子達は分からないとなるのだと思います。

こうした認識の世代にとって、Facebookなどのアカウントを教えるというのはプライベートでも付き合いましょうというサインではなく、「『見せたい自分』までなら見せてあげますよ」というサインだと思っておくのが無難でしょう。
結婚している男性にとっての、奥さんに送る「定期連絡」みたいなもの。
あれ、見せたい情報しか送らないじゃないですか(笑)
そんな風な若者の心情が分かるからこそ、上司の立場の人間がコミュニケーションを深めようと思ってFacebookの申請をするみたいなことは避けたほうがいいんじゃないかと思うわけです。


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相対的に、東京。

所要で久しぶりに東京に来ています。
思った以上に予定が詰まってしまったので急いでブログを更新しようと思って開店と同時にスタバへ。
で、もろもろのやることを終えていざエントリを書こうとしたのですが全く思い浮かびません(笑)
白紙のワードを見ている間にも刻々と時間が経過していく、、、
ということで本当に走り書きでるが、今日はご容赦ください。

東京は去年の夏に来て以来だったので、ほぼほぼ一年ぶりでした。
これは来るたびに感じることなのですが、やっぱり日本の首都だなあという印象を受けます。
僕が今お仕事をさせていただいている塾と僕の住んでいる場所が近いということもあり、僕の平日の生活圏はかなり狭い中で納まっています。
休日になると河原町まで広がるのですがそれでも半径10km以内。
月イチくらいで大阪に出る用事があるのでそこで初めて遠出をするといった感じです。
平均すれば僕の日常の生活圏は3km~5kmくらいでしょう。

そのくらいの生活圏で暮らしていると、自ずと見える世界の範囲は狭まってしまいます。
それに伴ってどうしても視野も狭くなる。
だからこそ逆に、たまに東京に出てくるといろいろな発見があって面白かったりします。
もともとデザインやコピーライティングに興味があったので、歩いていると思わず広告に目が釣られてしまいます。
そうやって自然に目に入ってくる広告がやっぱり普段の生活圏にはない刺激に溢れています。
色使いやコピーの作り方がいちいちそう。
また、使っている技術もみていくと面白いものをたくさん見かけます。
デジタルサイネージに関してもいろいろな気付きが。
歩いているだけで凄くアイデアの肥やしに成るわけです。

日頃狭い生活圏で暮らしているからこそ、相対的にさまざまなものが目に飛び込んでくる。
たまにくるからこその得られる「収穫」だと思います。
本当に全く文章が浮かばない。。。

薄口コラムの作り方

ちょうど2年前の今くらいにはてなに移って始めたこのブログ。
そのアクセス数はなんとか月に2万pv前後まで持って行くことができました。
毎月ちょっと小洒落たレストランでランチを食べられるくらいの広告収入もあり、まあ悪くはないかなというくらいです。
もっと自分に著者適性があって、大きな マーケットである分野に特化すればアクセス数は容易に稼げるのだとは思います。
ただ、そんなにまでしてアクセスを増やそうという気はないので、相も変わらずの好きなことを書き散らかすというスタイルで更新しています(笑)
ただ、全くの無策というわけではなく、一応僕なりのエントリを書く上での基準やアクセスを増やすための戦略と計画を持って更新しています。

まず、エントリを書く上での基準について。
僕はこのブログを書き始めるに当たって、全てのエントリに「自分の思考を入れる」という事を決めました。
ニュースに対する感想や、事実の羅列ではなく、自分はどういう切り口で見るのかという考え方を1アイデア入れる。
基本的にこれがブログを更新する上で、ネタの選定基準になっています。
どんなに興味のあることや書きたいことでも、自分なりの考え方を載せられない場合は題材としてNG。
たとえどんなに稚拙であっても、社会のいろいろな事象に対して自分で考えた視点で切る。
「薄口コラム」というタイトルは、こんなコンセプトの元につけた名前だったりします。

また、ブログを運営するに当たって、「自分のキャラを前面に押し出さない」ということも重視しています。
アクセスアップの方法について、もちろんいろいろな切り口があると思うのですが、僕はつきつめるとキャラで売るかコンテンツで売るかという2種類しかないと考えています。
キャラで売るというのは、「誰々が書いているから読みたい」という、作者自身がブランドとなって記事を売り出す方法。
一方で、コンテンツで売るというのは、興味のある人がいて、その人に刺さる記事を書くという方法です。
アクセスを稼ごうと思うのであれば、どう考えても前者が有利。
自分のファンになってもらえば、記事同士に親和性がなかったとしても、読んでもらえる可能性が大きいからです。
本来、僕みたいに雑多なネタを扱うブログの場合、この路線を狙うのがセオリーです。
しかし、僕はキャラで売る路線は意識的に避けるようにしています。
キャラで売る方向性にした時に、一定ラインを越えた時点で、キャラを強みにしたブログは、どれも同じ方向性に行くように感じたからです。
何より、キャラを競争力にしたときに、そこで競り勝つための差別化ビジョンが思い浮かばない。
そんなわけで自分のキャラクターをブログで出すというのは極力控えています。

記事を書くに当たり、一応のアクセス目標の設定や、市場調査みたいなことはしています。
ざっくりと印象値ですが、月に更新するブログのエントリは、①自分が思いついた考えをそのまま書くだけのものと②検索で引っかかる話題を扱ったものの比率が①<②になるようにしています。
また、②の内容に関して、自分の著者適性があるかどうかというのも意識します。
僕にとっての著者適性は、「国語の先生」であること。
読解の手法を使った作品やニュースの掘り下げ、または作文の書き方を別のジャンルに応用するみたいな、何かしら国語と絡めた内容になるように注意しています。
著者適性×需要のあるテーマというのが、②に該当するエントリの書き方です。
だいたい人気のエントリとして上がってくるのはこれで書いたもの。
①と②のエントリの比率を1:1くらいにして、毎月1%ずつくらいアクセスが増えればいいなあというのが僕の想定です。
こんな感じで非常にまったり更新しているので、その運営方法を書き出したところで全く役には立たないと思うのですが(笑)、アクセス数が一定値を超えたのでこれまでの方針をまとめてみました。

カリスマ性を持つこととプライベートが充実することはトレードオフの関係にある

Facebookを見ていたら、このところ連日僕の身の周りのカリスマ性の高い友達たちのプライベートが崩壊しているという投稿をみかけて、彼らには申し訳ないのですが、面白いなあと思ってしまいました(笑)

というのも、僕にはカリスマ性がある人はプライベートが崩壊するという持論があるからです。
基本的に人を惹きつける人は、何かしらの惹きつける要因を持っています。
そしてそれは、他者からの期待と言い換えることができる。
それが本人の志なのかもしれませんし、或いは人間性なのかもしれません。
カリスマ性があるというのは、自分に対して他者か期待する志や人間性に答えるということだと思うのです。
 
周囲からのそういった期待に答えようとするとき、等身大の自分ではなく、求められる「自分」を演じることが必要になります。
矢沢永吉さんがバラエティでおちゃらけたことをして欲しいと頼まれた時に「俺はいいけど、YAZAWAは何て言うだろう」と言ったというエピソードを聞いたことがあるのですが、これは周囲に期待される自分を演じるという視点から出た発言です。
どんな人でも基本的に、「等身大の自分」と「役割期待に応える自分」の両方を持っています。
会社に勤めているのならば、勤務先では「仕事人としての自分」、子供がいる場合は「パパ、ママとしての自分」というように、何かしらの役割は誰もが担っています。
そしてこれらの役割を果たすとき、多かれ少なかれ周囲にの期待に応えようとする振る舞いが求められます。
その意味で、ほぼ全ての人が「役割期待に応えようとする自分」を持っていると言えます。
 
問題は「等身大の自分」と「役割期待に応えようとする自分」の比率です。
僕の感覚では、普通の人はこの比率が多くても5:5、たいていは等身大の自分の比率が多くなってきます。
だから職場での雑談でプライベートの話をするし、飲みに行ったら愚痴を言う。
周囲の期待に応える自分を演じるときも、そこにプライベートが顔を覗かせているわけです。
これが「役割期待に応える自分」の比重の方がずっと多くなった人がカリスマです。
等身大の自分よりも周りに期待されている自分を優先するからこそ、周りから「あの人は魅力的だ」と思われ、人に「ついて行きたい」と思わせるのです。
本来の自分よりも周囲からの役割期待に応える自分を優先すれば、当然プライベートは疎かになります。
そして、カリスマ性の強い人ほど周囲の期待に応える比重が高くなるので、行動基準は否が応でも「自分がどうしたい」ではなく、「周りの期待する自分ならばどういう行動を取るだろう」というものになってくる。
こうやって、カリスマのプライベートは崩壊していくわけです。
 
冒頭で、カリスマのプライベートは崩壊すると書きましたが、むしろプライベートが崩壊するのを顧みないからこそカリスマ性を維持し続けられるというのが正しい捉え方かもしれません。
「この人ならきっとこうするだろう」そういう期待に、いつも応えるからこそ人がついてくるのです。
カリスマ性のある人が「いやいやっ、そうは言っても私はこういう事をしたいし。。」といって、周囲の期待を裏切るような平々凡々なことをやった途端に、その人の輝きは失われます。
それがたとえ自分のしたいことであったとしても、「役割期待に応える自分」という基準で一旦考えてしまう。
これをするからこそ、彼らはカリスマで有り続けるのだし、それをしている限りは、等身大の自分としての幸せを掴むことはできません。
カリスマ性があることとプライベートがうまくいかないことは、表裏一体の事柄であるように思います。
 
アイキャッチは「役割期待に応える」を端的に示してくれる江頭さん。

 

エガヨガ

エガヨガ

 

 

 

同じ仕組みで解決できる!~リバウンドしないダイエット法と3日で辞めない勉強法~

この前の授業の休憩時間に、子供たちとリバウンドしないダイエット方法について話をしていました。
僕はリバウンドする理由をシンプルに、外見上の体重減に習慣が追いついていないからだと思っていたのでそれを話しました。
実体重を減らすには、食事を減らして運動を増やすだけでいいので、ダイエットを始めてから効果が出るまでに即効性があります。
それに対して、自分の生活習慣はそれほど早く変わりません。
今まで当たり前としていた習慣を大きく変えるのには、少なくとも数ヶ月はかかります。
僕はかなりの痩せ型体系で、今まで太るといったことがありませんでした。
これはもちろん、体質由来の部分も大きいと思うのですが、それと同時にもう十何年もの間「太らない習慣」で生活してきたというのも大きな要因の一つだと思っています。
物心つく頃から「太らない習慣」で暮らしてきたから、いまさら一日や二日暴飲暴食のような「太る行動」をしたところで太らない。
短期的には太る要因になったとしても、少し立てばすぐにやせてしまうのです。
ちょうどリバウンドと逆の作用です。

リバウンドしないためのダイエットに必要なことは、身体的な体重の増減と、習慣の変化のギャップをできるだけ小さく保つことです。
そのためには、ダイエットが身体的変化として現れるタイムスパンと、生活習慣の変化が板につくタイムスパンをそれぞれ認知しておく必要があります。
僕にとっての両者の変化の期間は、身体的変化が現れるのに2週間、生活習慣として板につくのに3ヶ月といったところです。
つまり、仮に全力でダイエットを始めたとして、2週間もすれば身体は痩せ始めるのですが、生活習慣のほうはまだまだ「太る習慣」が染み付いたままであり、2ヵ月半はリバウンドの可能性が消えないということです。
一旦体重が目標値まで減少すると、どうしても気が抜けてしまいます。
また、「体重を減らす」方法と「体重を維持する」方法は異なるため、「痩せた人の生活習慣」が身につかないうちに目標体重まで落とすことに成功してしまうと、かえってリバウンドしやすくなる。
こうならないためにも、自分の生活習慣の変化するペースに合わせて、体重も少しずつ落としていくことが大切になってくるのです。


さて、ここまでで僕はダイエットについて「成果が体重の増減に表れるまでの期間と生活習慣が変化する期間のタイムラグを減らす」という切り口でお話してきました。
じつはこのやり方、勉強にそっくりそのまま当てはめることができます。
よく、受験勉強を始めたのはいいけれど3日坊主で終わってしまうという生徒さんを見かけます。
これは表面的な変化と習慣的な変化の間のギャップが埋められないことによりうまくいかない典型例です。
何らかのやる気に当てられて、数日の間はものすごい気合が入り、何時間も勉強しようと意気込んでいるような「生まれ変わった自分」であったとしても、それまでの習慣は総感嘆に変われるはずも無く、引き続き「いままでだらけてきた自分」のままなのです。
だから、もし急に何時間も勉強するという目標を立てたとしたら、生活習慣の変化がおきるまで、非常に強固な意志力で「いままでだらけてきた自分」から「生まれ変わった自分」に近づく努力をしなければなりません。
で、ここの部分でうまくいかないから、たいていの場合三日坊主に終わってしまうわけです。
そうならないためには、生活習慣のペースに合わせて勉強法方を少しずつふやしていくという方法以外にありません。
ダイエットにせよ勉強にせよ、短期間で成功する手段を見に付けるだなんて虫のいい話は存在しないわけです。

表面的な効果が現れる期間と習慣的な変化が現れるまでの期間のタイムラグを埋めるというのは、いろんな局面で有効です。
今回はダイエットと勉強方法という2つの目的に適用しましたが、これは就活にも組織運営にも応用できると思うのです。
同じ切り口をまったく違う事象に適用する。
今回はダイエットや勉強の話ではなく、あくまで思考方法のお話でした。

 

アイキャッチはダイエットでこの思考法を紹介していた岡田斗司夫さんの「いつまでもデブと思うなよ」

 

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

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