新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



2016年関西外国語大学外国語学部スペイン語一般前期「猫の草子」現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

鼠の和尚と思われるものが、進み出てきて、「僧様に向き合って言葉を交わすなど、非常に恐れ多いといは思いますけれども、あなたの教えを縁の下で毎日聞いておりますときに、懺悔で罪が減ると言っておられましたのを耳にしまして、こうしてあなたに会いに来ました。もし私が過去の罪を悔い過去の罪を恥じることをすれば、一句の仏法を私に授けていただけないでしょうか。」と言った。僧はそれ対して「お前たち鼠のようなつまらない者の身で、なんとも殊勝なことを言うものだ。」と並み一通りでなく思いながら、「草木や国土も全てが成仏でき、心を持たない草木も成仏することができる。ならば命のある者はただ一回でも阿弥陀仏を想えば無量の罪が滅し、存在するすべての物はただ心の変現にほかならなず、ここを去ることは難しくないと釈迦も説かれておられるわけなので、たとえ鳥類・畜生であっても、一度の念仏によって成仏しないことはありません。」と答えた。すると「それならば懺悔を申しましょう。」と言って鼠は涙を拭いながら、「この度、洛中の猫の綱を解き放たれたということで、私たちの一族は、ことごとく姿を隠し、あるいは逃げて、またあるいは滅び、残る少しの者たちも、今日明日の命と思い、心細く礎の影や縁の下で過ごしています。そのように生きていても、少しの油断も許されず、また穴を作り住居としてみたとしても、そこに住むのは一日二日のことではなく、中にずっといては息もこもり、ずっといられるものではありません。たまたま生きづらくなった外の世界に顔を出してみれば、猫に捕まって、頭から食べられ、やがて四肢を引き裂かれてしまうでしょう。このような気の晴れない目にあわなければならないのは、ひとえに前世からの因果のせいだと思うのです。」と言った。僧は鼠の訴えに「おまえたちが泣きながら伝えてくれたことは大変いたわしいことです。特に、私はあなたに仏法を授けたわけなので、弟子も同然に思っています。まずはお前に人に憎まれている理由を伝えよう。私ごときはもちろんのこと、たまたま傘を張り立てておけばすぐにしまもとを食い、お布施を渡しに来てくれた客のために煎り餅や座禅豆を用意しておけば一夜のうちにそれらを食べ、袈裟、扇、本、はりつけ、屏風、かき餅、六条など我慢せず何から何まで食い散らせば、阿闍梨のような心の広い高僧であっても、お前たちの命を絶ちたいと思うのは当然のことである。まして一般の身であれば、それ以上に憎く感じていることは至極当然と言えるだろう。」と返した。鼠がこれに「私自身もあなたに言われたことは強く感じていて、若い鼠たちには止めるようにと言っているのですが、忠言耳に逆らい、良薬口に苦しといった状態で、なかなか聞き入れず、ますます悪さをしようとするのです。そんな状態の中で、『まず第一に人に憎まれないよう振舞え。前垂、帷子、足袋、また袴、肩衣の端、唐櫃の隅、包み、葛篭の中などの隠れたところに家を作り、餌にもならず、何かに使うあてのないものを食い散らかすようなことをするな。壺の周りをうろちょろするな。』などと、彼らが赤ん坊のころから言い聞かせているのですが、ひと目につく変わった行動を取りたい様な行動ばかりを好み、人間の枕元、菰、天井、古屋根などを住処として、悪さばかりをしていますのは、本当に言い訳ができないことでございます。」と返しているのを聞いているうちに、僧は夢から覚めて、すっかりその夜は明けていた。

 

アイキャッチ太宰治御伽草子

お伽草紙 (新潮文庫)

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連載マンガは処女作と2作目を比較することで作家性が見えてくる?

最近マンガ家の処女作と2作品目を比較することにはまっています。
いろいろなマンガを読み比べているのですが、その中でも『脳嚙ネウロ』と『暗殺教室』の松井優征先生と、『アイシールド21』と『Dr.STONE』の稲垣理一郎先生が圧倒的に面白く感じます。
東村アキコ先生の場合『海月姫』の蔵之助や『東京タラレバ娘。』のKEYというように、たいていのマンガで恐らく作者が自分自身を投影しているのだろうなという共通の特徴を持ったキャラクターが登場します。
松井先生の場合『脳嚙ネウロ』のネウロと『暗殺教室』の殺せんせーに「圧倒的な能力を備えた異形の者」として登場し、稲垣先生だと『アイシールド21』の蛭魔妖一と『Dr.STONE』の千空に「合理的で偽悪的だけれど、裏では努力家で仲間思いな奴」という形で登場します。
正直、両先生が自分を投影させている(と僕が勝手に思っている)性格は、それほど一般ウケするものではありません。
どちらかというと理解されにくい、少なくとも主人公には向かないタイプのキャラクターです。
それを承知していたからこそ、両作者ともこうしたキャラクターを主人公を助けるサポートキャラとして忍ばせることにしています。
一方で松井先生も稲垣先生も2作品目では堂々と自分を投影しているキャラクターを主人公にして、設定の工夫で魅力的なキャラクターに昇華させています。
1作目と2作目を対比させると、このことが如実に表れているようで面白いのです。

「師」としてのネウロと「乗り越える存在」としてのころせんせー

まず、松井優征先生の『脳嚙ネウロ』と『暗殺教室』についてみていきたいと思います。

『脳嚙ネウロ』の表面的には主人公桂木弥子の助手、実際は主人公を導くものとして登場します。
暗殺教室』の殺せんせーの場合も同様に、E組みというエリート学校で様々な差別を受ける生徒たちの先生として登場します。
どちらのキャラクターも人を導く者という立ち位置で登場しますが、処女作の『脳嚙ネウロ』と2作目の『暗殺教室』では、その展開が決定的に異なります。
『脳嚙ネウロ』では、ネウロは圧倒的な力を持っているがゆえに、最後の方は主人公が物語に入り込む余地が殆どありませんでした。
(もちろんXiとのやりとりなど、見せ場はありましたが、あくまで話の源流ではありません。)
強大な敵を倒した反動で衰弱しきったネウロが弥子に別れを告げて魔界に戻り、その後時間が流れ成長した弥子が事件を解決しているというのが最終話。
主人公(人間)の能力に驚いたというセリフはありますが、あくまでネウロは最後まで相容れない存在としてそこにあるだけでした。
それが『暗殺教室』になるとさらに一歩踏み込んで、自身は「最後に乗り越えられる存在」として描かれます。

詳しくは以前こちら(https://shimirubon.jp/columns/1675399)で書いたので割愛しますが、殺せんせーは第一話で「卒業までに自分を殺せ」、すなわち「卒業までに自分を超えてくれ」ということを子どもたちに語っています。
処女作ではただただ圧倒的な存在として登場していた作者が、2作目では先生という位置づけを以って、他者を成長させる踏み台として描かれるわけです。
こうすることで、極端な個性をそのままにしっかりと読者の指示を得られる主人公を成立させています。

「他を活かす存在」としての蛭魔妖一と「プレイヤー」としての千空

アイシールド21』の単行本のとあるコーナーで、作中に登場するそれぞれのアメフトチームの代表に「もし今日が地球最後の日だったら?」と尋ねるコーナーがありました。
それぞれのキャラクターが「らしい」ことを言う中で、蛭魔は「最後の日にならないよう、あらゆる可能性を探る」と言っています。
この蛭魔のセリフはそのまま『Dr.STONE』での千空の生き方に投影されています。
切り口や見せ方はまるで違いますが、まるまる考え方や性格がかさなる蛭魔と千空。
稲垣先生も2作目で自分を投影したであろうキャラクターを主人公に持ってきています。

アイシールド21』では、蛭魔妖一というキャラクターはチームメイトを時に(乱暴な方法で)励まし、時に(乱暴な方法で)叱咤するチームの精神的支柱のような存在でした。

だからこそ、殆ど「弱さ」を見せませんし、だからこそ他のキャラクターを活かすことができたのだと思います。
確かに、その描かれかたや行動で派手さは演出されていましたが、全体を通してみれば蛭魔そのものがいい場面を持っていくということはそう多くありませんでした。
あくまで他のキャラクターのよさを際立たせるための「監督」的な立ち位置が『アイシールド21』における蛭魔です。
それに対し、『Dr.STONE』では堂々と主人公に千空という、ある意味で蛭魔に良く似たキャラクターを持ってきています。

しかし、千空の場合は蛭魔と違い、徹底的に弱音を口に出しますし、誰よりも努力する姿が描かれます。
蛭魔と比べて、非常に「人間味」に溢れているのです。
千空のこうしたキャラクターと、文明が滅んでしまった世界に科学文明を復活させるという突飛な設定のおかげで、一般ウケしなさそうな(サポートキャラ的な)性格を持つ千空と
いうキャラクターが主人公として成立していると思うのです。

邪道キャラを主人公にするための設定の工夫

両作品を通して感じるのは、我の強いキャラクターを主人公に置くことの難しさです。
ルフィにナルト、黒子にデク、ゴンもサイコーも一護もツナもエマも、主人公は基本的にどこかしら共感しやすい部分を持っています。
こうした主人公に比べ、殺せんせーにろ千空にしろ、二人の作者の主人公の場合(暗殺教室の主人公をカルマと考えれば話がまた少し変わってきますが…)、共感という観点でいけば少し難しく思います。
それでも主人公として成立しているのは、設定そのものを主人公の「邪道さ」に負けないくらいに濃くしてあるからだろうし、「邪道さ」に負けないくらい魅力的に映るような心情を見せてくれるからだと思います。
こうした事が、1作目と2作目を並行しながら読んでいると如実にわかり、非常に面白い発見が多々あります。
処女作と2作目の読み比べ。
皆さんもぜひやってみて下さい!

2017年関西外国語大学外国語学部スペイン語一般前期「一休ばなし」現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

一休和尚は、奈良のたき木というところに時々いらっしゃった。
周囲の村は近衛殿のご領土であったのだが、そこにいた左近尉という家老がいて、百姓から年貢をやたらと責め立てて無理やり取るため、百姓たちはこれを嘆き、どうしたらよいだろうと集まって悩んでいた。
1人の老人が「いかに百姓に対してのあたりが強いと言ったって、武士とはかなり違うはずだろう。彼らは公家なのだから、訴えを申してみよう」と言って、訴状を書こうとしているところに、ふと一休が鉢を手にお布施を貰いにやってきた。

百姓たちが一休に「訴状を一筆お書き下さい。」と頼んだところ、一休は「簡単なことです。それでどのような内容を書いたら良いのでしょう。」と言った。
百姓が「こうこうの事がありまして..」と一休に事情を話すと、「そのようなことでしたら長い文は不要でしょう。これを持って近衛殿へ渡してみなさい。」と言って、歌を詠んで渡した。

世の中は 月にむらくも はなに風 近衛どのには 左近なりけり
(月にかかる群雲に花を散らす風というように、世の中にはそれぞれのものに都合の悪いものがついて回るものですが、近衛殿にとってはそれが左近尉であるように思うのだなあ)
読んだ歌を渡された百姓たちは、「このような内容で厳しい年貢の取立てを免除してもらえるとはとうてい思えない。」と一休に申し上げると、「ただただこの歌だけを近衛殿に奉げてみなさい」と言われて帰ってしまった。
百姓たちは各々でどうするべきかと考えたけれど、本より農業をしているような人たちで、一筆書き上げるようなこともできなかったので、しかたなくこの歌を持っていくことにした。
百姓たちがこの歌を近衛殿に渡すと、近衛殿は御覧になって「これは誰が書いたものだ」と聞いてきた。
百姓が「たき木の一休でございます。」というと、「あのおどけたことばかりをする者でなければ、こんな事を言うひとを私は知らない。」と面白がって、百姓たちは年貢の多くを免除してもらえることとなった。

 

関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部 (2018年版大学入試シリーズ)

関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部 (2018年版大学入試シリーズ)

 

 

11月23日(午前)佛教大学公募推薦入試の英文法解答&解説(2019年度入試)

生徒さんが持っていたのでざっと英文法の解答を作ってみました。
あくまで仕事としてではなく、趣味で書いただけだということを前提に見ていただけたらと思います。

ざっと解いただけでかなり急いで作ったので、間違い等がありましたらご指摘いただけたら幸いです。


(1)受動態、5文型
[allow]は[allow O + C(=toV)]の形をとる動詞(使役動詞[let]の書き換え)。
今回は受動態で目的語が主語の位置に移動したと考えられる。
また、Cの位置にはto不定詞が来なければならないため、正解は③

(2)命令文
文構造の知識があるとしっかりと答えられる問題。
[make sure that~](that以下を確認する)という熟語がどのように使われるかを考える。
[the computer ~ the room]はthat節の内容で、①のMakeを用いた場合、この文は命令文である。
②の場合は動名詞もしくは現在分詞で、前者の場合は先頭の動名詞ということで主語と考えられるが、それだと文構造が成り立たない(Sしかないことになる)。
また現在分詞の分詞構文であると考えても、主節が存在しないため、不適。
③も同様に分詞構文の可能性を考えるかもしれないが、主節がないため不適。
④のto不定詞の場合も、名詞的用法、副詞的用法、形容詞的用法のいずれの場合も成り立たない。
①~④の選択肢のうち、説明が通るのは①の命令文として考えた場合のみ。

(3)助動詞
( )の直前のwouldと後ろのthanに注目する。
[would rather A than B]でAよりむしろBしたい。したがって答えは③
①[would like to V](~したい)
②[prefer A to B](BよりAを好む)
④[would better 原形](~した方がよい)

(4)助動詞
冒頭にあるwhenの副詞節に注目する。
子どものときの話なので、時制の一致より①は不適。
②~③の中で、過去の習慣を表すのは[would]で、文意としても[was gone fishing][had gone fishing]は成り立たない。
よって正解は③。
[would often]の方が見慣れているかもしれないが、[would]単体でも「過去の習慣」を表す。

(5)等位接続詞
後ろにある[but also]に注目する。
②[not only A but also B]「AだけでなくBもまた」が正解。

(6)
選択肢を見て、用いられる用法を考える。
文が疑問詞でなく、( )の後ろが動詞で始まっているため、①[How]は疑問詞としても関係副詞としても成立しない。
また関係代名詞[What]と考えると文構造的に成り立たない。
[As]には様々な用法があるが、いずれの場合も後ろの動詞に繋がらないので不適。
よって、正解は②の[There]になる。

(7)比較級の強調
比較級を強調する場合、比較の前に[much / ever / still / far]などを用いる。
したがって③が正解。

(8)soの倒置
[so + V + S]の形で私もまた~であるという意味になる。
したがって倒置になっていない①、③の選択肢は不適。
前を見ると[caught]というように[catch]の過去形があるので、対応するのは一般動詞の過去形[did]を使った倒置形④になる。

(9)動詞の語法
[stop]は後ろに動名詞をとる動詞であるため、うしろに来ることができるのはVing。
したがって②④はNG
[see with one's own eyes]などの表現はあるが、今回は文意より、「お互いを見る」とするのが適当。
したがって①seeingが正解。

(10)慣用表現
直前で[You must come.]という強い勧誘を受けての返事である事に注目する。
[I will]と誘いに賛同していることを踏まえれば、[if you insist]「どうしてもというのなら」が適当。
よって正解は②.

(11)関係詞
関係詞の非制限用法を思い出す。
文意的には④[but]で成立しそうだが、後ろが主語抜け不完全文になっていることより等位接続詞の[but]は不適。
①~③はいずれも関係代名詞で用いることが可能であるため、先行詞を確認する。
先行詞が人意外であるため、③の[which]が正解。

(12)such ~ that構文
選択肢を見たときに、[so ~ that ]構文や[such ~ that]構文を思い出す。
副詞である[so]の後ろに来ることができるのは形容詞や副詞、一方で形容詞である[such]の後ろには名詞がくる(a+名詞)
今回の文をみると、( )の後ろには[good movie]と名詞が来ているため、④[such a]が正解。

 

 アイキャッチは佛大の赤本

佛教大学 (2018年版大学入試シリーズ)

佛教大学 (2018年版大学入試シリーズ)

 

 

 

2015年京都産業大学一般前期3ヶ目型「徒然草」現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

分別のないように見える人も、良い一言を言うものである。

ある荒々しい武士が知り合いに「子どもはいらっしゃるのか」と聞くと、「1人も持ってはおりません」と答えた。
武士は「それならばあなたはもののあはれを知りなさらないだろう。風流が分からない心の持ち主であると思うと大変おそろしいことだ。子どもがいるからこそさまざまな情緒を自然と知る事ができるものだ。」と言ったが、まさにその通りだろう。
家族を愛することでなく、どうしてこのような者の心に慈悲が生まれるだろうか。
親を大切にする心のないものも、子を持つと親の気持ちが分かるようになるものである。

世を捨てあらゆるものを手放して、無一文である者が、さまざまな足かせをもつ者がいろいろなことで媚びへつらい、欲望が深い様をみて、無下に見下すような態度は間違えである。
その人の気持ちになれば、本当に愛している親のため、妻子のために恥を捨てて、ときには盗みもしてしまうのも分からなくない。
だからこそ、盗人を罰して、間違いを正すよりは、世の人が飢えず、寒さを避けられるような世を作りたいものだ。
人は平常の資産を持たないときに平常心を失う。人は追い詰められて盗みを行う。
世の中が安定しておらず、寒さの苦しみや飢えの苦しみがあれば、罪を犯す者は絶えないだろう。
人を苦しめて、法を犯させて、それを罰しようというのは不都合のことである。

さて、どうのようにして世の人を豊かにしようとするべきか。
お上のおごりや無駄遣いをやめ、民を勇気付け農業を勧めれば、世間の人々が利益を享受することは間違えないだろう。
衣食が足りた上で間違いを起こす人を、本当の盗人と言うべきだろう。

 

 

 

京都産業大学(公募推薦入試) (2017年版大学入試シリーズ)

京都産業大学(公募推薦入試) (2017年版大学入試シリーズ)

 

 

 

2012年関西大学センター利用中期試験2月7日「平中物語」現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

またこの男は、決して駿馬のようにすばらしい女性ではないとはいえ、一途に思っている女性のもとに通っていた。この男が女のもとに通っているとき、女にこの男とはくらべようもないほどの身分の男と連絡を取り合っているような気配がした。女が連絡を取り合っているらしい男は、(主人公の)男も出入りしている宮の方であったので、その男の気配を疑いつつ、密かに別の男と連絡を交わしていた女のことを恨んでいた。しかしながら、今女の下に密かに通っている男は身分に関係なく心に任せて女のもとを遊び歩くような性格であったため、女をこの男の手から守ることもできないまま、悔しく思い女のもとに会いに行っていた。男は何も知らない振りをして女と語り合っていた。男は女が高貴な男と連絡を交わしているのではないかということを言えるわけもなく、密かに女のやっていることを酷いと思っていた。
さて、女が密かにやり取りをしている男は、口癖のように「逢坂」と言っていたので、男は女が密かにやり取りをするその男に「逢坂」というあだ名をつけた。そして男は「逢坂の男」を暗に示すようにして、こう詠んで女のもとに歌を送った。
大好きなあなたに逢うために、まるで逢坂の関へ向かうような気持ちで私はあなたのもとを訪れていたのに、あなたはそれを別の「誰か」を守るための関にしてしまおうというのですか。
女は
  「逢坂の関」は非常に「高く」て大変なものなのだから、あなたが「守り人」として(あの)人を諫めればいいでしょう。
といって、強く返してきたので、男はもう一度
  偽りを正すと、ただすの森の木綿をかけて神にちかってくれ。もし私のことをまだ本当に思ってくれているのなら。
と言ったのだけれど、女は「里へ帰る」といって返事もしなかったので、男はつらく思い、また何も言わないままに、時間が経過してしまった。
 さて、この男にはときどき通うことのある別の女ができ、その日も朝日が出始めた自分に帰宅していた。男は当時の女の家の近くを通りかかったときに、「あの女が『里へ帰る』と言ったのは本当かと思って、まだ完全には思いを捨て切れていなかった様子で女の家を見た。すると、門の内に車を停めて、あの身分の高い男のお供の男たちが多く立っていた。それを見て男は物も言わずに女の屋敷の奥に入って、隠れて様子を見ていたところ、女が蔀を上げて、例の男を送り出しているところであった。女が別の男と連絡を取っていたとは思っていたが、現実にそれを見た男はつらく思って、「今までにないほどに悲しく、つらい気持ちなのだが、せめて一言だけは女に伝えよう。私が一部始終を見ていたということだけは本人に知らせてやりたい。」と思って、板敷き端に立って声高に「まあ、きれいな花だなあ」と叫ぶと、まだ奥へと入っていなかった女が気付いて「どうしてこんなところにいるのです。」と驚いた。男は女に対し「この庭の植え込みの花が目に見えて色あせていく様を最後にひと目見ようと立ち寄ったのです。」と返した。家の前には素晴らしい桜が咲いていて、ちょうど春の終わりだったこともあり、散りかけていた。男はそれを見て、
  明らかになったことに対してこれ以上何も言わないで下さい。春の終わりと共に散ってしまう桜の花を見るように、私たちの関係もはっきりしたようです。
と言って、ふと女の家を出て行った。女は「少し待ってください」と言ったが、「つらすぎてそんなことできない」と思って男は止まらなかった。女はなんとか
  目に見えてはかなくなっていった桜の花だけれど、風が吹かなければ散らないと思います。(あの人に言い寄られなければ私だってあなた以外の人に気をおこそうなどとは思っていなかったのです)
と言ったが、男は「用事で帰る」と言って、返事もしなかった。
 さて、女と密かに通じていたあの身分の高い男も、もとの男が女の家に入って行くのを見たという者にそのことを聞いて、「いまも通っていたのか」と思い、女のもとへは通わなくなってしまったそうだ。

 

アイキャッチ関西大学の赤本

関西大学(全学部日程・センター利用入試〈中期〉) (2014年版 大学入試シリーズ)

関西大学(全学部日程・センター利用入試〈中期〉) (2014年版 大学入試シリーズ)

 

 

 

11月19日京都産業大学公募推薦入試の英文法解答&解説(2019年度入試)

質問に来た生徒さんが持っていたのでざっと英文法の解答を作ってみました。

テスト対策の合間に急いで作ったので、教科書的な内容として見たら解説に至らない点も多々あると思いますがその辺はご勘弁ください。

実際の試験の時に「どうやって考えて正解にたどり着くか?」ということを念頭にまとめてみました。

まだ木曜日に試験が残っているという人の考え方の参考になれば幸いです。

 

(1)形式目的語の知識の確認
( )の後ろが動詞の原形であることから、3.4はNG.
[difficult]は原則主語に人を取らない&仮に1を当てはめるとto不定詞の副詞的用法で文意が成り立たないため正解は2

(2)不定詞[in order to~(~するために)]
( )の後ろのto+V原形に注目する。
選択肢の述語の後ろに来る内容をそれぞれ吟味すると1.[get accustomed to Ving](~することに慣れている)、2.[In addition to 名詞](~に加えて)3.[in order to V原形](~するために) 4. [Look forward to Ving](~することを楽しみに待つ)より、後ろに動詞の原形を取ることができる選択肢は3のみ。

(3)動名詞の慣用表現
( )の後ろの動名詞に注目する。
1.[couldn't help Ving](~せずにはいられない)、2.[didn't know why SV]、3[shouldn't have p.p](過去に対する後悔・批難)4[wasn't supposed to V](~することになっている)より( )の後ろに[laughing]をとることができるのは1のみ。

(4)動詞の語法 5文型
まずは( )の後ろ[me give]がO+C(=原形)という形であることを押さえた上で選択肢を確認する。
1.allow 2.ask 3.get 4.letのうちSVOCの5文型でCに原形をとることができるのは4のletのみ。したがって4が正解。

(5)等位接続詞の慣用表現
後ろのnorに注目する。
[Neither A nor B](AとBのどちらも~ない)が正解。
[both A and B](AとBの両方)
[either A or B](AかBのどちらか一方)
[none of ~](3つ以上のもののうち、いずれも~ない)

(6)関係代名詞what
[What ( ) at that time was ~]というように、後ろにこの文の動詞は[was]であるためwhatからがwasの前までが主語であると考えられる。
従ってここでの[what]は関係代名詞。
関係代名詞の[what]は後ろに必ず不完全文が来るため、目的語抜け不完全文として考えられる3が正解。
1. were we interestedおよび2. were we interesting inは不自然な倒置が起こっているためNG
4. we wereは[what S was/were]「かつてのS」という形で慣用表現として存在するが、文以上NG

(7)時制
後ろにある過去分詞[been]に注目する。
各選択肢のうち、後ろに過去分詞をとることができるのは1か3。
[from when](いつごろから)、[since when](いつから)といずれも存在する表現だが、受動態では明らかに文意が通じないので、正解は3。

(8)熟語
後ろの原形[reduce]に注目する。
前置詞の後ろは必ず動名詞となるので、正解は4。

(9)熟語、形容詞・副詞の用法
前置詞の後ろに来ることができるのは名詞または動名詞
[useful](有用な)は形容詞であるためこの位置で用いることはできない。
したがって2と3は不適。
また、名詞を修飾することができるのは形容詞。
[extremely]と[greatly]は副詞であるため後ろの名詞を修飾することはできない。
よって答えは4。

(10)比較
選択肢のうち、成立するものを考えたら答えが出る。
1.as faster asはas~asの間に比較級が入っているためNG
2.as fast thanはthanは比較級で用いる。前にas fastは成り立たない。
3. faster than構造上問題なし。
4. fastest as最上級の後ろにasは来ない。
したがって成り立つのは3のみ。

(11)等位接続詞の慣用表現
昨年の公募推薦1日目に類似問題あり。
[not only A but also B](AだけでなくBもまた)
接続詞のbutは前後に同じ形を並べる。
後ろにshe also always enjoys itと現在形が来るため、時制の一致により前も現在形になる。
したがって正解の候補は1か2。
また( )の後ろには原形が来ているため、2は不適(現在完了形を表すhasは後ろに過去分詞を取る)。
以上より答えは1。

(12)too~to構文
選択肢のうち、be動詞[was]の後ろに来ることができるのは1,2,4のいずれかのパターン。
(3は過去形になっているため無理)
また、1の[as~as]の後ろの[as]は接続詞であるため後ろにはSVがこなければならない。
また2のように受動態では文意が成り立たないため、too~to構文(~すぎてtoVできない)が正解。

(13)前置詞
( )の後ろに注目する。
後ろには今回名詞が来ているため、( )には前置詞を入れるのが正解。
1,2,3は接続詞であるため正解は4。

(14)動名詞
主語に注目すれば答えが導き出せる。
前には主語としてHeがきているため、動詞として成立するものを選ぶ。
2のVingは現在分詞または動名詞でいずれもここに用いる個とはできない。
3.は三人称単数現在のsがついていないので不適。
4のcomplaintsは名詞で苦情の意味を表すため不適。
よって正解は1。
[of]の後ろについているnotは動名詞の否定を表す。

(15)不定詞
( )の後ろが原形であることに注目して選択肢を見る。
1.の[favor of] と3.の[kind of]は前置詞であるため後ろに動名詞がこなければならず不適。
4にある[prefer]は動詞であるため、be動詞の後ろで用いる場合は過去分詞形または現在分詞形になっていなければならないが今回は原形であるためやはり不適。
したがって2が正解となる。

 

 

アイキャッチは関正夫先生の前置詞を説明した新刊

核心のイメージがわかる!前置詞キャラ図鑑

核心のイメージがわかる!前置詞キャラ図鑑