ゼロやアカギも好きなのですが、僕の中で不動の一位はやっぱりカイジです。
でも、なんで福本さんの作品の中でカイジが一番好きって思っていたかが今までよくわかんなかったんですよね。
それがこの前読み直した時に、なんとなく分かってきたのでまとめてみます。
読み直して思ったのは、実はあのマンガのテーマって「努力」なんじゃないかってこと。
一見すると努力とは正反対のマンガに見えます。
でも、あのマンガで勝つ人っていうのんは、必ず頭で考え抜き、いろいろなものに耐えて、リスクをとって行動に移しているんですよね。
なんとか這い上がっても、圧倒的な才能の前に崩れ落ちたり、努力で築き上げた地位もひとつの失敗で崩れ落ちたり、「努力」というものを徹底的にリアルに語っているように感じます。
言うなれば、「努力」を客観的に語った作品。
ONE PIECEにしろバクマンにしろ、努力について語ったマンガはどうしてもサクセスストーリーになってしまいがちです。
(まあ、上二つはジャンプだからかもしれませんが、、、)
そりゃ努力っていう普遍的な概念をテーマにしているんだから落ち着けどころは「成功」にならなくちゃいけませんもんね。
でも、ゴールが明確で人々が当たり前のものとして認識しているものほど、実は観念的・主観的になりやすくなります。
「努力」なんてまさにその代表例。
努力することの大切さなんて、誰もが知っています。
だからこそ、それを客観的に語る作品って今までなかったんだと思います。
そんな中でカイジは「努力」について、負の側面も含めて客観的に描いています。
例えば限定ジャンケンに呼び出された借金まみれの乗客に対する、利根川の言葉。
「当たり前の努力すらしなかったからお前達は今ここにいる」みたいなセリフ。
努力しない天才はよく描かれるのですが、ここでは努力しない凡人がリアルに書かれています。
それから鉄筋綱渡り。
挑戦者たちは、鉄筋を渡る間、突風に襲われたり心が折れたりして、殆どの仲間が鉄筋を踏み外しビルの下へと落ちていきます。
しかも足元に電流、後ろには人がいて鉄筋にしがみつく事も後に引く事もできない。
鉄筋を渡り切る事を努力の末に夢をつかむ事とすると、横風や気の迷いなどは、努力を通す事の困難さを表しているようにもとれます。
こう考えると鉄筋綱渡り編は、努力することのつらさや孤独感をむちゃくちゃリアルに語っているものだと言えると思うんです。
カイジの敵役は、特に初期においては必ずと言っていいほど上に立つものほどより強く、そこにたどり着くまでに相応の努力をしています。
(17歩編や和也編は微妙ですが)
利根川しかり地獄パチンコの一条しかり。
そんな努力の人さえ、一度の失敗で転がり落ちる。
努力の困難さと失敗したら簡単に落ちて行く様が、敵さんを通じて描かれます。
賭博黙示録カイジのラスボス兵藤との戦いに関してはよりエグい。
必死に得た金を使い、全力でひねり出したカイジの戦略を、あっという間に兵藤は崩してしまいます。
しかも、相手のルールに則り、ある意味ではフェアプレーで。
ここには才能や経験の圧倒的な強さが書かれています。
こんな風な所をとって、僕はカイジが究極の努力マンガだと思うんです。
努力しないと這い上がれない、その末に上に立ったものが正義だが堕ちるのは一瞬。
そんな物を描ききった、実はかなりエグい作品じゃないかって思ってます。
王道努力マンガでは隠されがちな部分にスポットを当てた、努力マンガの「裏」を描いたような作品。
読み返して、そんな風に思いました。