新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



承認欲求のメカニズム〜ワーカーホリック・マルチ商法・メンヘラに陥る仕組みを考える〜

孤独感に苛まれ、寂しさに打ちのめされた経験を持つ人なら、誰でも愛や友情を希求して止まない思いに駆られたことがあるだろう。-中略-大多数の人間は、こうした親和的承認への欲望を抱き、愛と信頼の関係を求めている。

(山竹伸ニ「『認められたい』の正体」講談社現代新書)

ここ最近、僕の中の大きな関心ごとの1つに「承認欲求」がありました。

冒頭に引用した本は、考えていたモヤモヤが晴れるきっかけになった一冊。

ずっと、社会人になってマルチ商法にハマる人や、いわゆるメンヘラと言われるようになる人について、仕組みを説明できないかと考えていたのですが、この本に書かれていた「親和的承認」と「集団的承認欲求」という2つの承認を使えばうまく説明できるのではと思ったのです。

 

山竹さんの定義によると「親和的承認」とは家族や親しい友人から与えられる無償の愛や友情といった類の承認のこと。

これは、何かを相手に与えたから得られるといった性質のものではなく、ただそこに自分が存在するだけで与えてもらえます。

ただし親和的承認は、もっと欲しいと思ったからといって、自分の欲求によって増幅できるものではありません。

なぜなら、親和的承認は他者から無償に与えられるものだから。

それに対して「集団的承認」は、特定のコミュニティにおいて、何かしらの貢献をしたときに、それに対して得られる名声や賞賛の声みたいなものをさします。

こちらは自分のコミュニティに対する貢献度によって得られるとのなので、親和的承認と比べると、自分で票をコントロールできるといえるでしょう。

 

どんな人も基本的に親和的承認と集団的承認を得ていて、親和的承認をa、集団的承認をb、自分の承認欲求をnとした場合、a+b>nの状態を保とうとしているというのが僕の仮説です。

 

承認欲求が満たされないという状態に陥りやすいのは、高校を卒業して大学で一人暮らしを始めたとか、就職して都会に出たとか、ライフサイクルが変わったときに発生するパターンと、バイトやサークルを辞めたり、仕事を辞めたりといった、特定の組織から離脱したときに起こっている場合です。

こうなる理由として僕が考えているのは、それまでは自分の中でa+b<nという状態を保てていた承認欲求が、環境変化によってa+b<nになってしまうが故に生じるものという仮説です。

例えば大学で一人暮らしを始めたとか、就職して都会に出ていったとかになる場合、それまで自分が付き合ってきた家族や親しい友達、つまり親和的承認を与えてくれていた要素と離れなければならなくなります。

また、バイトやサークル、会社を離れることになる場合、それまで得られていた集団的承認を失うことになる。

前者の場合はaの値が少なくなることが原因で、後者の場合はbを得る手段が無くなることが原因で、それぞれa+b<nという状態になってしまいます。

このとき、前者であれば減少したa分を補うために、新たなa(親和的承認)を満たしてくれる集団をもとめるか、aの減少で足りなくなった分をb(集団的承認)で補おうとするかという行動をとることになる。

bを増やそうとすると、とにかく仕事にコミットするワーカーホリック的な人が生まれます。

若くてむちゃくちゃ仕事が好きな人には、減ってしまったaの承認を補うことが行動の源泉になっている人も少なくないと思うのです。

こちらの場合はただのワーカーホリックなので問題はない(むしろ社会にとっては正ですらある)わけですが、足りなくなったa分を、新たな親和的承認で補おうとする人は注意が必要です。

山竹さんが指摘する通り、親和的承認はこちらのコミットがいらない代わりに、他者から与えられるのを待たなければならないアンコントローラブルな承認です。

つまり、自分の意志で増やせるものではないのです。

にもかかわらずこちらを増やそうとしてしまうと、「一見親和的承認を提供してくれているように感じるコミュニティ」に吸い寄せられる可能性がでてきます。

この、「一見親和的承認を提供してくれているように感じるコミュニティ」の展開が、新興宗教だったり、マルチ商法だったりといったものだと思うのです。

僕は以前、一年ほどマルチ商法のフィールドワークをしたことがある(一年で1人も紹介せず、買ったのがポン酢一本だったので追い出された 笑)のですが、その時の組織の戦略は、まずやってきた人(主に新社会人)に、コミュニティと親しい友達を提供することだったのです。

つまり、そこで擬似的な親和的承認が得られるわけです。

(もちろん実際には人脈と商品の購入をという「貢献」によってかろうじて保たれる関係性なのですが...)

本来なら自分が望んだ所で中々得られる物でもない親和的承認が容易に得られる様に感じるため、aを増やすことでa+b>nに戻そうとしている人はそこに誘われやすくなります。

以上のように、ライフサイクルの転換でこれまで得られていた親和的承認が下がってしまう人が取る行動には①ワーカーホリックのようなパターンと②マルチ商法などの擬似的な親和的承認に流れるパターンがあります。

 

次に、何らかの形で組織を抜かなければならなくなった人のパターン。

こちらの場合は、それまで得られていた集団的承認の源泉を完全に失うことになります。

つまりそれまで所属していた組織から切り離された人はa+0<nという状態。

この状態で承認欲求を満たそうとすればaの値を増やすしかありません。

しかし、繰り返し述べているように、親和的承認は他者から与えられる物で、自分ではアンコントローラブルです。

いくら自分が欲しても、本人の意志で増やせるものではないのです。

しかしながら、bという供給源が断たれた場合、aに頼るしかありません。

そのためこの状態になると、本来なら自分の意志で増やすことができないaを強引に増やそうとします。

そしてその手段が自傷行為をはじめとする、自らを切り売りするという方法。

相手が注意を向けなければならない状況に持ち込んで、無理やり親和的承認を満たすという方向に向かいます。

僕はこれがいわゆる「メンヘラ」という状態だと思うのです。

(断っておくと、僕はワーカーホリックもマルチ商法等に傾倒することも、メンヘラになることも悪いことだとは思っていません。あくまでその状態と原因を考えると、こんな感じなのではないかなというお話です。)

 

僕はワーカーホリック的な働き方をする人も、新興宗教マルチ商法に傾倒する人も、メンヘラと言われる状態になる人も、根っこの部分にはこのa+b<0という承認欲求の不足があると思っています。

その意味でどれも同じ。

こうした状態から回復するためには、親和的承認aを得られる人間関係を長期的に醸成しつつ、集団的承認bを得られる組織に複数所属し、そこに対して常に一定のコミットをしておくというのが1番妥当な解決策であるように思います。

もしくは自分の持っている潜在的な承認欲求nを減らすというアクロバティックな方法か(笑)

(これは出家とか瞑想とかが必要そう...)

承認欲求を減らすことは中々簡単ではありません。

だとしたら、急にa+b<nとならないように日頃から備えておくか、そうなったときに仕組みを理解しておき、目先の承認にとらわれず、長期的に上の不等式の不等号が転換するように動くという戦略を立てることが大事だと思うのです。

そんなことを「『認められたい』の正体」を読んで感じました。

 

アイキャッチはもちろんこの本。

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)