新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



Official髭男dism『ミックスナッツ』考察〜表と裏の顔を持つふた通りのミックスナッツを読み解く〜

僕の中で歌詞考察をしたいけれど難しくて保留にしている曲がいくつかあります。

今回の『ミックスナッツ』はまさにその代表例でした。

ただでさえ歌詞が複雑なことに加えて、アニメシリーズのネタも絡んでくるため、全部を拾い切れる自信がなかったんです。

しかも、そうした遊び心に加えて作中の登場人物の心境とも絶妙に絡んでくる。

というわけで避けていたのですが、お盆休みということで時間があったので、今回はこの曲に挑戦しようと思います。

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ピーナッツとスパイと生きづらさを感じる主人公

 

この曲の解説の最大の難しさは、歌詞そのものの解釈と、アニメとの関連性、そして歌詞の登場人物の心情把握の3つを同時並行で行って行かなければならない点にあります。

まず、表面的な歌詞次回に比喩やメタファーが多いため、それについて解釈が必要です。

次にアニメSPY×FAMILYとのタイアップ曲と言うことで、作品に関わる部分に触れなければいけない。

しかもその上で、今度はこの歌単体として作詞者の藤原さんが描きたかった世界観に触れる必要が出てきます。

この3層で常に解釈をしていかなければならないと言う、非常に複雑な歌詞の構造になっているのがこの『ミックスナッツ』です。

 

例えば、この曲に出てくる「ナッツ」と「ピーナッツ」についてみれば、「ナッツ」は木の実の総称であるのに対し、「ピーナッツ」マメ科の植物(pea[マメ]nuts[木の実])を表します。

つまり、この曲はミックス"ナッツ"という木の実の中にひとつだけ紛れたマメ科のピーナッツをモチーフに作られた歌なわけです。

そして、そのピーナッツとはタイアップアニメ『SPY×FAMILY』に出てくるアーニャという主要キャラクターの好物として描かれます。

「アーニャ、ピーナッツが好き」という作中のセリフはかなり有名です(因みにピーナッツの花言葉は「仲良し」なので、アーニャのこのセリフはそのまま「アーニャは仲良しが好き」という家族の仲、もっと言えば世界の平和を暗示したものになっています)

さらに、アーニャを含めた主人公のロイド、妻のヨルはそれぞれエスパー、スパイ、殺し屋で、主人公ロイドの任務を遂行するために、「かりそめ」の家族を演じています。

そんな嘘をついて一般の社会に混じって暮らしているはぐれ者の主人公たちがそのままミックスナッツの中のピーナッツに重ねられている訳です。

さらにさらに、この歌単体とすれば、社会に生きづらさを感じる恋人が、自分たちなりの「幸せの定義を見つけていく」という構成でつくられています。

 

こんなふうに、とにかく構造が複雑な楽曲ですが、それだけに凄いなという伏線も多いので、変則的ですが、以下歌詞を考察していきたいと思います。

 

歌詞をSPY×FAMILYの文脈に沿ったパターンと切り離したパターンで分析する

 

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まずは1番のAメロから。

〈袋に詰められたナッツのような世間では 誰もがそれぞれ出会った誰かと寄り添い合ってる〉

冒頭では「世間」が「袋に詰められたナッツ」に喩えられています。

そしてそんな一般の人々は「それぞれ」が誰かと誰かで出会っていると続く。

ここのそれぞれは「色々な種類のナッツ(=木の実)」を指し、そんな「普通の人たち」はそれぞれ多様な幸せを掴み、普通に惹かれあい、普通の幸せを築いているとうたわれます。

と同時に、この場面では「世間」を「詰められたナッツ」に例えるところから、作詞者(主人公)の、世間に対する心的距離が読み取れます。


続いてAメロの繰り返し部分

〈そこに紛れ込んだ僕らはピーナッツみたいに
木の実のフリしながら 微笑み浮かべる〉

自分たちを他のナッツとは違う「ピーナッツ」という存在に例え、「紛れ込む」、「木の実のふり」「微笑み」という言葉を用いることから、どことなく周囲とのズレを感じつつも、なんとか世間の「普通」に合わせようとしていゆ主人公たちが描かれます。

一方アニメの関連性から考えれば、「僕ら」とは家族のふりをして暮らしているロイド、ヨル、アーニャの家族を指していると見るのが妥当でしょう。

ピーナッツはアーニャの大好物、そして「仲良し」という花言葉を持つひっそりと、でも仲良く暮らすフォージャー家、いわゆる「普通」に異和を感じつつも恋人と楽しくやっている主人公(作詞者)たちが描かれます。

 

〈幸せのテンプレートの上 文字通り絵に描いたうわべの裏 テーブルを囲み手を合わすその時さえ ありのままでは居られないまま〉

「幸せのテンプレート」とは、持家、結婚といった、いわゆる社会で「幸せ」とされるイメージで、その具体例が今回は「テーブルを囲み手を合わ」せるという一家団欒のことでしょう。

1番のBメロではその裏では誰もが本音を隠しているのでは?という事が描かれます。

アニメに沿って解釈をすれば、ここはフォージャー家の関係を述べているのでしょう。(漫画第1巻の扉絵がそのモチーフだと思います)

そしてサビに。


〈隠し事だらけ継ぎ接ぎだらけのHome,you know? 噛み砕いても無くならない 本音が歯に挟まったまま〉

1番のサビの前半はこう書かれています。

(you know?〉は「だよね?」「でしょ?」といった相手に対して同意を求める表現です。

ここでは「家庭って隠し事などもあるし、色々なことを取り繕って何とか家族で運営しているものなんでしょ?」といった意味でしょうか。

そして、アニメに合わせるなら、ここもフォージャー家について描いています。

そして1番の後半。

〈不安だらけ成り行き任せの Life, and I know 
仮初めまみれの日常だけど ここに僕が居て あなたが居る この真実だけでもう胃がもたれてゆく〉

SPY×Familyの7話に出てくる最近「成り行き任せ」なのでというセリフをすっと引用するところがまずおしゃれだなと思うと同時に、直後に示唆に富む表現が来るのは本当にカッコいいなと。

ここでは「人生は不安やなり行きばかりだ」と歌われます。

[and I know]は「わかるよ」という共感です。

つまり作詞者はそんな一般の人々の生き方に共感を示しながら、そんな生活を後半「仮初めまみれの日常だけど ここに僕が居て あなたが居る この真実だけでもう胃がもたれてゆく」とまとめます。

ここがまた面倒なところなのですが、「仮初め」は「場当たり的なこと、重要でないこと」という意味ですので、「仮初めまみれの日常」は「何気ない積み上げの毎日」と言う意味に、「ここに僕が居て あなたが居る」は「2人でただいるだけで」くらいの意味でしょう。

2つを合わせればここは「2人がただ一緒にいるつまらない(=平和な)毎日が」という感じ。

その上でこの「胃がもたれていく」という表現です。

普通「胃がもたれる」はマイナスに使われますが、この歌のテーマは「表と裏」になっています。

ということなら当然この「胃がもたれる」も「裏」の意味をとらなければいけません。

「胃がもたれる」には食べ過ぎなければなりません。

つまりここでは「満腹だ」「十分過ぎる」という意味で使われていると捉えるのが妥当でしょう。

彼らを踏まえればサビの後半は「2人で当たり前の日々を過ごせるだけで十分幸せでしょう?」という意味になります。

と、同時にここはアニメに出てくるロイドの心情を表しています。

ロイドは作中でしばしば、この「隠し事をしてバタバタの対応であまりに大変な家族のふり」だけど、その「仮初めの家族の幸せ」を守るために必死で走り回る姿が描かれます。

これは1番のサビを文字通りに受け取った時の解釈です。

ここではいわば、「バタバタだけどそこに小さな幸せを感じるロイドの心情」と、「大変なことばかりの毎日だけど2人でいられることがもう十分に幸せでしょうという作詞者のメッセージ」が「表」と「裏」の関係で込められているように思います。

 

 

続いて2番のAメロは次のように歌われます。

〈化けの皮剥がれた一粒のピーナッツみたいに
 世間から一瞬で弾かれてしまう そんな時こそ 曲がりなりで良かったらそばに居させて 共に煎られ揺られ踏まれても 割れない殻みたいになるから〉

2番のサビをアニメに沿って解釈するなら、化けの皮が剥がれたら直ぐに周囲から爪弾きにされてしまう世の中というのは、ロイドやヨル、アーニャで言えば文字通り正体がバレること、またアーニャ単体で言えば学校でうまくいかないことがあった時というような意味もあるように思います。

そんな時も側にいたいと言うのは、今後物語が進み正体がバレる事があってもずっと一緒であるという暗示であるように思います。

また、アーニャが学校で失敗して傷ついた時に常に味方でいるヨルやロイドの態度を歌っているのかもしれません。

一方、アニメと切り離して考えた時も、これは「どんな時でも僕は君の味方だよ」という主人公から恋人に対するメッセージとして取ることができます。

ここはそれほど難しい解釈にはならないでしょう。

 

続いて2番のBメロです。

〈生まれた場所が木の上か地面の中か それだけの違い 許されないほどにドライなこの世界を等しく雨が湿らせますように〉

まずは歌詞の解釈をしていきます。

木の上というのはナッツができる場所のことを、そして地面の中というのはピーナッツ(落花生)が花をつけてから一度地面に潜ってそこで実をつけるという性質を歌ったものでしょう。

ピーナッツの育ち方と暗いところで生きてきたロイド、ヨル、アーニャを重ねています。

また歌そのものとしては乾燥した地上とミックスナッツという乾物、湿った地面の中という部分を対比をかけつつ、「もっとみんなに寛容な世界になることへの願い」を歌っています。

 

そして2番のサビへ。

〈時に冷たくて騒がしい窓の向こうyou know? 星の一つも見つからない 雷に満ちた日があっても良い ミスだらけアドリブ任せのShow, but I know 所詮ひとかけの日常だから 腹の中にでも流して寝よう〉

アニメストーリーという「表」から見れば、ここはアーニャの学校生活を歌っているように解釈できます。

〈星が一つも見つからない〉は〈雷に満ちた日〉はアーニャが通う学校イーデン校の代表的なシステムのオマージュ。

イーデン校では良い行いをするとステラという星のマークがもらえ、反対に悪いことをした者にはトニトという雷のマークが与えられます。

ここはアーニャが学校で苦戦しつつも一歩一歩成長していることを歌っているのでしょう。

そして「裏」といてこの歌そのものを考えれば、サビの前半は「希望が見出せない日やうまくいかない日もあるよね」という意味、〈ミスだらけアドリブ任せのShow〉は「人生なんて失敗や不意の出来事の連続でしょう」という意味。

そして、「それもひっくるめて日常なんだから、嫌な事があっても全部飲み込んで忘れよう」と勇気づける主人公の姿が伺えます。

 

そして最後の大サビに入ります。

〈隠し事だらけ継ぎ接ぎだらけのHome,you know? とっておきも出来合いも 残さずに全部食らいながら 普通などない正解などな Life,and I know 仮初めまみれの日常だけど
ここに僕が居て あなたが居る この真実だけでもう胃がもたれてゆく Woah この一掴みの奇跡を噛み締めてゆく〉

ここはアニメの文脈にそうならば、これまでの繰り返しなので特に触れる必要はないでしょう。

しいていえば「仮初め」というアニメに出てくるワードを入れる事で最後までタイアップ曲という印象を強めています。

アニメと切り離した時、これまでに登場していないフレーズは〈とっておきも出来合いも 残さずに全部食らいながら〉〈普通などない正解などないLife〉〈この一掴みの奇跡を噛み締めてゆく〉の3点です。

それぞれ「大きなイベントも些細な日々も等しく楽しもう」「普通なんて価値観に囚われなくてもいいでしょう」「今この瞬間を大事にしたい」と言った所でしょうか。

ざっとまとめれば「当たり前なんて無いのだから、日々の出来事を大切にして一緒に歩んでいこう」みたいな感じかと思います。

 

「表」と「裏」の顔を持つふた通りの『ミックスナッツ』

 

作品テーマがナッツとピーナッツの対比構造になって作られていると同時に、歌全体が「表」と「裏」の両面構造になっているというのが僕がこの歌を初めて聞いた時の感想でした。

今回は便宜的に「表」を作品と関連づけて、「裏」を作品と切り離して考察していきました。

上はかなりごちゃごちゃしてしまったので、最後に2つを簡単にまとめたいと思います。

「表」のアニメ作品のタイアップ曲として聞いた場合の『ミックスナッツ』はSPY×FAMILYのダイジェスト紹介。

今の生活を大変に思いながらも守りたいフォージャー一家がいて、アーニャを中心に日々苦労しながらも一歩一歩前に進んでいるという様が歌われています。

一方「裏」として作品と切り離した時に見えてくるのは、「世間の『普通』の感覚との違いに戸惑いながらも今を必死に生きて幸せを模索するカップル(夫婦)」の姿が見えてきます。

2人は冒頭で「普通の幸せってなんだろう?」という問いかける。

そしてBメロにかけて、「だって彼らがいう『幸せ』はみんなちょっとずつ無理して使っているように見えるんだもん」という疑問をなげる。

そこから歌が進むにつれて、「今この瞬間を必死に生きている事それ自体が『幸せ』なんだ」という答えを導きます。

ナッツとピーナッツの違いのように、普通の『幸せ』なんてものをそもそも考えるまでもなく、今2人で必死に生きている。その一瞬一瞬のことを『幸せ』と呼ぶのでは?というのが2人の導いた答え。

曲がジャズ調でかつ、各楽器が必死にぶつかり合うようなアレンジになっていることも、こうした「今この瞬間」という刹那性を印象づけています。

冒頭に出てきた「ミックスナッツのような世間ではそれぞれが誰かと寄り添い合っている」と歌っていましたが、最後まで歌を聴き終えると、「ピーナッツみたいな僕らもその寄り添いあったミックスナッツのひとつでしょう」といったようなアンサーを出す。

僕にはそんな歌に聞こえました。

 

とにかく解釈の幅が広く、面白い曲だと思います。

皆さんはこの歌をどう聞きましたか?