すんません、この前書いた進撃の巨人のやつが評判良かったので、味をしめてまたアニメ考察してみます(笑)
注)いろんな人のアイデアをパクってきて、その上に好き勝手解釈つけてるだけなので、あくまで一個人の意見としてお読み下さい。
今回は魔法少女まどか☆マギカです。
昔一度、暁美ほむらっていう登場人物の衣装が灰色であるという事に触れてエントリを書いたことがあったのですが、もうちょっと掘り下げたい事がいくつかあったので、もう一度取り上げることにしました。
僕が思ったことを並べていきます。
1.登場人物で大人が極端に少ない
これ、全編通して僕の中ですごい違和感だったんです。
覚えている限り、主要な登場人物として出てきた大人って、まどかの両親と担任の先生くらいなんですよね。
これって、他のあらゆるアニメと比較しても極端に少ない気がします。
これ多分、意図的に大人出さないようにしてるんですよね、きっと。
その理由は、魔法少女が倒している敵の魔女そのものが、大人のメタファーだから。
物語の後半で、魔法少女たちが戦っている敵の魔女の正体は、元は同じ魔法少女であったということがわかります。
心が絶望で満たされたとき(ソウルジェムが濁り切ったとき)、魔法少女は魔女に変わります。
これって、子供が挫折を知って大人になるっていう過程をさしてると思うんですよね。
そういう対象としての魔女がいるとしたら、そこに必要以上の「大人」の世界を書けるはずがないんですよね。
魔法少女が活躍するためには、子供達はできるだけ子供の世界を生きていなくてはならない。
そう考えると、大人が極端に少ないのも納得できると思うんです。
ちなみにこう考えたとき、僕はまどかマギカって、凄い酷な物語だなって思いました。
だって、大人になること自体を敵として描いているってことは、それ自体が抗いようのない敵ってことだから。
まどマギって、本質的に抗えるはずもない所に、少女たちが必死に抵抗してるっていう筋書きなんですよね。
そこを踏まえて一から見ると、凄く辛いアニメになる気がします。
2.主人公の家族愛がやたら強調されている
これも凄く気になっていました。
とにかく主人公のまどかばかり、家族の愛情に包まれているんですよね。
面倒見のいいお父さんがいて、キャリアウーマンの母がいて、懐っこい兄弟がいて。
物語の初めもそうですし、それ以外でもまどかが家族の愛情に包まれている事を強調するシーンが多々出てきます。
それに対して他の魔法少女たちは、圧倒的に家族の愛情が描かれていないんですよね。
これ、後に魔法少女になる際にかわした契約の願いに関係している気がします。
まどかマギカの世界では、魔法少女の力とは自分の願いを叶えた代償に得られるものとして、(決してポジティブなものではなく)描かれています。
印象的なのはまどか以外の全員が、魔法少女になる際の契約は自分の望みを満たすための物だったということです。
巴マミは死にかけの自分の命を守るため
佐倉杏子は自分の親の話を世間に知らせるため
美樹さやかは好きな男の子の怪我をなおすため
暁美ほむらは大好きな友達の死を受け入れたくないためにそれぞれ魔法少女になります。
共通点は「利己的な願いである」ということ。
それに対してまどかは全ての魔法少女を救済したいという願いと引き換えに魔法少女となります。
まどかだけは利他的なお願いをしているんです。
家族のの愛情を受けたまどかは他人を救うことを願い、それ以外の魔法少女は自分の欲望を満たすために願いごとをした。
ここに、まどかマギカを制作した監督のメッセージが隠れているような気がします。
3.デスノート的な構成
デスノートというか、厳密にはバクマン。の中に出てきた作中作のリバーシーの中に出てきたコンセプトの、W主人公っていうのんを、非常にうまくまどかマギカは体現しているように思います。
特にテレビ版の10話のオープニングを巻き込んだ大どんでん返しあたりから、ほむらとまどかのダブル主人公の構造が明確化されてきます。
映画版では、それがさらにもう一段踏み込んだ形になっている。
他人を救おうとして世界の理を書き換えて、神様のような存在になったまどか。
自分の欲望を叶えるためだけに世界の理を書き換え、悪魔のような存在になるほむら。
ちょうど、デスノートのLとライトのような存在に僕には映りました。
バクマン。で小畑さん、大場さんペアが作ったダブル主人公という概念のひとつの成功例だと思っています。
もう、映画版まどかマギカなんて主人公がまどかなのかほむらなのかわかりませんでしたからね。
(もちろん良い意味で)
アニメ版の時間ループや映画版の夢の中という設定を始め、様々なSF要素が散りばめられています。
あれだけ壮大なメタフィクションを仕掛けたアニメだったので、初めはそこばかり注目してたんですが、よく考えたらW主人公という構成も凄く上手くやってのけている。
もし映画の続編を作るとしたら、バクマンの中で描かれたリバーシーの最後、「悪魔の力を使った者同士、地獄で会おう」みたいな結末にしか持っていけないんじゃないかなって思っています。
「ほむらちゃん。私のためにここまでさせちゃってゴメンね。私、ほむらちゃんの気持ち全然わかってなかった。これからはずっと一緒だよ。」
みたいなことまどかが言って、二人とも相打ち(どういう結末かはわかりませんが)するみたいなラストになる気がします。
もちろんデスノートのパクリだとか言いたい訳ではありません。
SF、ダークファンタジーとしてだけでなく、ダブル主人公というジャンルとしてもいろいろ考えることができる作品だなって思っただけです。
他にも内容や演出で気になる所は多々あるのですが、そっちは書き始めたらキリがないのでこの辺に、、、
これだけファンっぽく書いた上で何ですが一言だけ。
やっぱりあの萌え絵は苦手(笑)
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