何でも1万時間くらいかけたら100人に1人くらいの実力になれるという「1万時間」の法則があります。
僕は塾の先生を始めて、なんだかんだ予習や業務をいれず、授業をしてきた時間だけの通算で1万時間をとうに超えているわけですが、やっぱりそこそこ見えてくるものがある気がしています。
授業の展開や子供たちのやる気を引き出すノウハウetc...
そういう部分ももちろんなのですが、それ以上に僕が1番実感していることは、「気づける」ようになったという部分です。
この「気づき」には色々あります。
パッと出せるものだけでも教材作成者の意図、生徒の表情や仕草の機微etc...
もちろん昔からそういった部分を汲み取ろうと意識してはいましたが、1年目と現在を比較すると、気づけることの細かさがまるで違っているように思います。
ある程度経験値が溜まって、自分の中に基準線となるようなものができてきたからこそ、そういった基準線と比べた部分の差異に意識が向けられるようになったのだと思うのです。
どんな分野であっても、そういった基準線がないうちは、どうしても漠然と全体を捉えるしかなくなってしまう。
漠然と捉えているうちは細かな差異なんて見えてくるはずがないんですよね。
「気づく力」という意味では、経験の積み上げともう1つ、作るという体験が非常に重要だと考えています。
僕は趣味が手品だったり、作曲だったりと、とにかくとっ散らかっている(笑)とよく言われるのですが、自分の中では全て同じ趣味だと思っていて、その共通の軸が「作ること」だったりします。
別に手品や作曲が熱烈に好きというわけではなく、多分何かを「作ること」が非常に好きなのだと思うのです。
んで、この「何かを『作ること』」のどこが好きなのかっていうのを掘り下げてみると、自分の興味の源泉は作り手になることで得られる気づきの深さにあるのだということに気がつきました。
例えば、手品の演者になってみると、なぜその手の動きなのか?なぜそのセリフなのか?というような、見ている時には気にも止めなかった仕草の意図や、演出効果が驚くくらいに分かるようになります。
あるいは作曲なら、ベース、ギター、ピアノ、ドラム、ストリングスetc...という音を重ねていく経験をすることで、普通に今日を聞いている時に、どの楽器がどんなメロディになっていて、それが全体にどういう影響を及ぼしているのかということに気がつけます。
もちろんそれらを体系的に分類して、自分が作ることに生かすみたいなことは一朝一夕でできるはずもありませんが、「きづく」だけでいいのなら一度でもそのジャンルの作り手を経験するだけでかなり変わってくるように思います。
受け手として関わっているうちには絶対に気づくことができない視点に気づくことができる。
これが「作ること」の最も魅力的な部分だと思うのです。
目の前に与えられた物の持つ情報量が同じであるとするなら、価値を生み出す場合でも個人として楽しむ場合でも、どちらも自分がどこまで気づけるかが重要な気がします。
その気づきの深度を得るための分かりやすい手段が1万時間の法則(趣味を楽しむ程度なら100時間くらいでいいと思いますが...)だったり、作ることだったりだと思うのです。
「気づきの深度」を上げていくっていうのは、結構色々なことに役立つ、便利なライフハックなんじゃないかなと思います。
ここに描かれる「銀色の糸でできた網」の目の細かさが僕の「気づきの深度」に近い印象です。