先日、知人と飲んでいたとき、とあるきっかけからGacktさんの芸能人格付けチェックの話になりました。
内容はGacktさんの連勝記録がヤラセか否かというもの。
僕は当然のことながらGacktさんはヤラセなしだと思っていたので、そう話したのですが、知人の意見は真逆で、あんなもの連続でわかるわけがないとのことでした。
知人曰く、バイオリンの音やワインの味の違いなんてわかるわけがないとのこと。
僕はこれを聞いた時、とても面白いなあと思いました。
僕の中で、Gacktさんがヤラセではないと思った根拠となる部分が、まさに同じだったからです。
僕がGacktさんがヤラセではないと考える根拠も、まさにバイオリンやワインの味を見抜いているからという部分でした。
ただし、解釈は間逆。
僕の場合は、「バイオリンの音やワインの味は明らかに違う」だから「Gacktさんはヤラセじゃないという判断です。
この、細かな違いは当然分からないものとする知人の判断と、僕の細かな違いははっきり分かるという判断の差が、とても面白いなと思ったのです。
僕の行きつけのお店の大好きな大将は、大の焼酎好きで、同じ銘柄であっても、ロットの違いによる微妙な差にも一瞬で気づくくらいの感覚を有しています。
あるいは、僕のゲーム友達は、音を聞いただけで相手の使用武器を特定するばかりか、聞こえる足音で距離や位置を全て補足してしまいます。
また、ジャンルは違いますが、僕の場合で言えば、例えば生徒さんが持ってきた問題に関して、どこかの過去問であれば、結構な割合で見ただけで「何年のアレか」って分かったりします。
僕にとって「細かな違いに気が付ける」っていう能力は、決して信じられないスキルではなく、ごくごくありふれたものなわけです。
だから、多分野においてそれをし続けるGacktさんのことを凄いとは思いますが、それがヤラセとは思えなかったのです。
対して知人は、一つのものを突き詰めるというよりは、早く手数が多いのがウリの戦い方をするタイプ。
深く考えるとかではなく、即断即決で最悪手だけは選ばなきゃみたいな戦い方が得意なタイプです。
だから、彼にとってはそんな細かな「差異に気づける」という可能性に頭を傾けるという選択肢がなかったようなのです。
そんな差異に気づくことはない。だからGacktさんはヤラセだと。
差異に気づくか気づかないかということが、社会でうまくやっていくことに関係するかといわれれば、正直全く関係ないように思います。
むしろそんな能力は必要ないのかもしれません。
ビジネスの分野ならそういう差異を思い切って切り捨てて、スピーディに立ち回った方が結果は得やすいでしょう。
いまの社会はそういう戦い方ができる人が求められているし、そういう戦い方ができる人が勝ちやすい仕組みになっている。
ボリュームゾーンを狙うなら、間違えなくこちらを取る方が効果的です。
ただ、こうした差異に気づく人は一定数存在しています。
そして、こういう差異を楽しむコンテンツを求めている。
現在、次々にいろいろな商品やサービスが生まれていますが、こういうタイプのものはどんどん少なくなっているように思います。
だからこそ、差異に気づく感度を養っておくことは、今後の社会で価値提供する上で、意外な武器になっていくんじゃないかなと思ったりするわけです。
Gacktさんの格付けチェックの話をしていて、そんな風におもいました。