新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



物事の解像度と本物に触れるということ

僕たちは買い物に出かけると驚くくらいに安価に、様々なものを手に入れることができます。

またインターネットの普及で、あらゆる情報にアクセスできるようになりました。

例えばお寿司を食べたいと思えば一皿100円で食べることができますし、安くお酒を飲もうとすればそれこそ100円も出せば十分に酔っ払えるだけのお酒を手に入れることができます。

あるいは気になる音楽があればYouTubeで調べると大概は出てきますし、Google検索すればあらゆる名画にふれることができ、本の内容をパッと知りたければ調べれば大抵要約が出てきます。

今を生きる僕たちは、かなり安価に、そして容易に欲しいものにアクセスできるようになりました。

 

「解像度」という考え方

僕は基本的にテレビを見ないのですが、お正月に放送される「芸能人格付けチェック」だけは(実家に帰省いてテレビがあるということもあり)よく見ています。

昔はあの番組を見ていて、違いなんて分かるわけない、あんなのヤラセだ、GACKTは答えを教えてもらっている(笑)くらいに思って見ていました。

でも、最近は確かに違いは分かるだろうなという視点になっています。

 

こんな風に考え方が変わったのは、僕自身が日本酒にハマったのがきっかけでした。

何年もいろんな日本酒を飲み続けて、色々な知識を手に入れるにつれ、それぞれの酒蔵、銘柄による味の違いが、はっきり分かるようになったのです。

 

僕はこういう細かな差異に気づけるようになることを、「解像度が上がる」と表現しています。

日本酒という抽象度のレイヤーで見ていたものを酒蔵という抽象度のレイヤーで見るとかいうのが解像度が上がる典型です。

より解像度の高いカテゴリーで物事を捉えていることで、より細かな差異に気づけるようになります。

「芸能人格付けチェック」って次々と正解できる人は、その分野を捉える解像度が非常に高いからこそ、違いが分かるわけです。

 

解像度と情報量の関係

こうした高い解像度を手にしようとするときに不可欠なものが圧倒的な情報量です。

そもそも違いをわかろうとしたときに、違いが分かるだけの知識のストックが無ければいけません。

この「情報量」という観点で見たときに、本物に触れるということが非常に大事になってくるわけです。

昔、エヴァンゲリオン等のアニメの監督である庵野秀明さんと、角川ドワンゴ川上量生さんが、アニメにおける情報量というお話をしていました。

細かな内容は忘れてしまいましたが、おおよそは現実世界に100という情報があるとしたら、アニメはそこから60とから70という情報を抽出したものになるみたいなお話だったたら思います。

また、宮崎駿さんはインタビューで「僕の作品を見て森に行きたいっていう人がいたけど、実際の森は暑いし虫も多いし、必ずしもアニメに描いたような美しいものではないんですよ」ということを言っていました。

こうしたエピソードから、情報量という視点で見ると、必ずメディアを通した情報量<本物の情報量となることがわかります。

また、ミュージシャンや映画監督のインタビューでしばしば見かける締め切りと予算のお話もそう。

「限られたスケジュールと予算の中でよくここまでのものになった」みたいな評価を見ますが、これは裏を返せばスケジュールと予算の都合で妥協した部分があるということでもあります。

映画や音楽なら、それでも高い品質で保たれているでしょうが、そもそも薄利多売を目的にした商品であれば、その削られた品質の部分がどれほどかというのは想像に難くありません。

 

本物に触れて解像度を上げる

冒頭で、僕たちはあらゆるものに簡単にアクセスできるようになったと書きましたが、その便利さは少なからず(時に膨大に)本来そのもののもつ情報量を犠牲にして手に入るものだったりします。

100円寿司では職人の握ったシャリのホロホロと崩れる感じや、切りたてのネタの質感、計算され尽くした温度みたいなものは分かりませんし、スマホの画面でいくら名画を見たところで、実際の美術館で目にした時の迫力や油絵の質感、まして置かれている空間の湿度や匂いは伝わりません。

イヤホン越しの音楽では、全身で音の波長に共鳴するあのライブでの高揚感は味わえないでしょう。

僕たちはあらゆるものを手軽に楽しめるようになりましたし、確かにそれ自体は喜ばしいことなのですが、同時にそれは「本物」ではないということを意識して置かなければ、僕たちはどんどん解像度が低い方へと流れていってしまいます。

もちろん「それで何か問題でも?」と言われればそれまでなのですが、少なくとも僕は解像度の低い暮らしが幸せとは思えません。

また、競合との差別化という観点でも、今後解像度が低い人が増えるとしたら、解像度を高く保っているというだけで、結構な強みになる気がしています。

 

椎名林檎さんが、東京事変で「贅沢は味方」と歌っていますが、まさに廉価版ならなんでも容易に手に入る社会において贅沢は大きな武器になるように思います。

別に散財しろというわけではないですが、適切なものに適切な対価を支払い、本物の情報量に触れる。

これは特に僕たちくらいの若い世代にとって、10年スパンで見た時に大きな武器になるのではないかと思うのです。

 

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