新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



自分だったら今年の就活で熊本でのボランティアの話を出す学生は採用しない

もともと人の移動が多いときに旅行をするのが好きではないという自分の性分もあって、今年のゴールデンウィークはまるまる京都で過ごしました。
人と遊ぶのか一人で読書をするのか、はたまたお酒を飲みに行くのか、理由は異なりましたが、結果的に毎日京都の繁華街である河原町に出てきていました。
やはり、4月の熊本の震災があって、駅前や交差点では募金の呼びかけが非常に多かったのが印象的です。
そんなことを思いながらスマホアプリを見ていたら、「就活」目的でのボランティアの人など、様々な「目的」を持ってやって来た人々に困るという記事が流れてきました。
それを見てまず一番に感じたことは「自分が採用担当だったら、今年の就活で熊本大震災のボランティアに行った事をPRで話す学生がいたら、きっと取らないだろうな」ということ。
別に自分の利益のためにボランティアにくるなんてけしからんなどと感情的に思っているわけではありません。
どんな理由であれ、その「ボランティア」というサービスの需要者がいて、それを供給するというのなら役に立っていることに間違えはないと思うからです。
僕が熊本大震災のボランティアをしたことを今年の就職活動で言う人がいたら取らないだろうと思ったのは、もっとシンプルな理由です。
自己PRでもがんばったことでも構いませんが、単純に20数年生きていて、数週間前に起きた出来事に上書きされてしまうような経験しかしていない人がそれほど訳に夏用には思えないから(笑)
もちろん主要なアピールしたい内容があって、それを裏付けるエピソードがしっかりあって、その上で「先日の熊本大震災のときも…」みたいな組み立てのエピソードであれば話は違います。
ただ、そういうのもなく、「熊本にボランティアに行きました」みたいな人がいたら、その人のエピソードはかなり薄くなるように思います。
面接する側の人間にとって学生時代のエピソード聞く理由は、その経験を通してどんな人物かを知りたいからです。
直近の話だけ一つ持って来られても、その人「らしさ」はあまり出ない。
むしろ、何も話すようなエピソードが無かったから、作りに行ったのかなという印象を与える可能性さえあります。
少なくとも僕はそれを聞いたらこんな判断をすると思います。
どんなにそれらしい理由があったとしても、プロットだけとれば、「学生時代にがんばったことや自分のアピールしたいことを聞いた→つい数週間前の出来事を挙げた」ということに変わりは無いからです。
「素晴らしい行動である」ことと、「その人らしさが伝わる」ことは全く別物です。
熊本にボランティアに行ったという現象から、どういった「自分らしさ」を伝えようとおもっているのか。

よほどその明確なイメージが立っていない限り、熊本大震災を就職活動のエピソードには使わないほうがいいように思います。

アイキャッチくまモンのクッション

 

 



 

最近やたら今後無くなる仕事、生き残る仕事というテーマの記事をよく目にする

最近僕がフォローしているブログやTwitter、ニュースサイトで「今後も残る仕事、消える仕事」といった記事をよく見かけます。
公務員、タクシードライバーetc...
人口動態、そしてITの進化を見ればどれも納得の行くものばかりです。
僕が今属する教育という分野は、消える仕事か残る仕事かの分類がまちまちなのですが、きっと大部分の中間層向けの教育は消えていくだろうと予想しています。
そもそも人口が減少することと人工知能の技術の進化をみると、超エリート向け(地域のトップ校じゃなくて、日本のトップ校受験というニーズと、最低限の学力をフォローアップして欲しいというニーズくらいしか狙い所はないのかなあと。。
鋳型に当てはめても一定の成果の出る中間層8割くらいに対する教育は、コスト面で技術には勝てないと思っています。

その話は置いておいて、あくまで今日のエントリは「消える職業と残る職業」という話。
正直なところ、どんなに最もらしい根拠が挙げられていても、「○○は消える」という記事はイマイチ信用ができません。
全体として縮小するのはそうかもしれませんが、実際に中に入れば見方は変わってくると思うからです。
逆に、「この仕事は残る」的な記事も、眉を細めて見てしまいます。
どうしても、それを読んで安心したい就活生や転職を考えている人をターゲットにした、現実逃避によって相手を一時的にいい気分にさせる麻酔コンテンツに見えるからです。
唯一これはあるかもと思った職業を特定した言説は、西村博之さんが以前ラジオで話していた「就活生が入りたい企業ランキングの上位は10年後にたいてい衰退している」というもの(笑)

どの仕事が残るとか無くなるとかいうのは、僕ごときの頭ではロジック付きで自信を持って説明できる意見はありません。
しかし、大きな方向性として、どういう仕事が消えて、どんな仕事が残るというビジョンは持っているつもりです。
そして、それに基づいて行動しているつもり。。
僕が考える今後も残る仕事は、代替の効かない超専門スキルを要する仕事と、ロボットに置き換えるよりも人件費の方が安い仕事の二つです。
凄いロボットや人工知能があるとして、それは言うまでもなく作った「人」がいるわけです。
やがては乙一さんの「陽だまりの詩」に出てきたように、ロボットがロボットを作るなんて世界になるのでしょうが、少なくともこの20年は大丈夫かなあなんて(非常に楽観的ですが)思っています。
だから、こういったロボットなどを作る仕事と、ロボットなどでは代替できないほど繊細or複雑な仕事は残ると考えています。
もう一つ残るだろうと予想しているのは、ロボットや人工知能に置き換えるよりも人を雇った方が安い仕事。
堀江貴文さんが昔トークセッションで「タイのホテルは自動ドアではなくドアを開けるドアマンが立っているが、なんで自動ドアにしないかと聞いたら『自動ドアにするよりドアマンを雇う方が安いから』と返された」という話を思います。
タイのドアマンの話はジョークなのかもしれませんが、人件費と技術を導入する費用を比べて安い方が残るということに関してはその通りでしょう。
技術の導入コストよりも、人件費の方が安ければ、経営者としてはそちらを導入した方がいいに決まっています。
仮にどれほど優れた接客ロボットがあったとしても、それが1台1億円とかだったら、費用対効果の面から、たいていの人は人を雇うでしょう。

ロボットや人工知能で代替できないほど高い能力の必要な仕事と、ロボットや人工知能を導入するよりも人件費が安い仕事。
今後テクノロジーが進歩するにつれて、前者はますます個人の高い能力が要求されて、後者はますます労働力として安価であることが求められていくと思っています。
前者のフィールドではどんどん能力を積み上げた人が生き残り、後者のフィールドではどんどん自分を安く切り売りできる人が生き残る。
極端な話、テクノロジーが進化して、どんどんローコストであらゆる仕事が代替できるようになったとして、常にそのコストよりも低く労働力を提供しようという覚悟がある人は、(法的な問題は別にして)ずっと仕事はあるはずです。
同時にテクノロジーの進歩を上回る速さで新たな市場を開拓できる人材や、さらに進んだ技術を生み出せる人も同時に生き残る。
この両サイドに位置する仕事が、今後も残り続けるのだと思います。

仮になんとか上位のフィールドで生き残っていたとしても、そこは常に自分自信が進歩し続けなければならないため、決してラクではありません。
またたとえどんなに賃金が安くなろうとも、仕事がなくなって生活ができなくなることと比べれば前者の方がいいということになります。
だから僕はどちらがいいのかということではないと思っています。
ただ、どちらでもない真ん中のフィールドにいることは、いずれの選択をするよりもリスキーな選択であるという感覚だけは、かなり強く抱いています。
つまり無思考で選ぶ安定こそが1番のリスクになる。
僕が西村博之さんの「就活生が入りたい企業ランキングの上位は10年後にたいてい衰退している」という言葉に納得したのは、こういった思いがあるからかもしれません。
作家で元アニメ監督の岡田斗司夫さんが以前、「単職から多職へ」というようなことを言っていました。
岡田さんはこの話題の時に「安定した企業に入ることよりも、自分の食いぶちを30個くらいに分散しておくほうが僕はリスクの少ない生き方だと思う」と言っていたのですが、僕もこの意見に賛成です。
そして、欲を言うならばその「多職」の食いぶちの中に代替の効かない超専門スキルを要する仕事と、ロボットに置き換えるよりも人件費の方が安い仕事の両方を入れておく。
これが一番安全なカードの切り方であるように思うのです。
将来消える仕事と残る仕事という話からは逸れてしまいましたが、少なくとも僕がこのテーマで考えるのは、上に書いたようなことだったりします。

アイキャッチは気がつくと10年を切った「未来予想図」であるワークシフト
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

小林幸子さんをニコ動に引っ張ってくるという企画を出した人は凄い頭がいいと思う

僕の大好きな小林幸子さん。

孔雀って曲を聴いた時以来のファンなのですが、最近の活動は特に面白いです。
ニコ動での「ラスボス」の立ち位置、見事な市場を開拓したなと思います。

あれだけの大御所にもかかわらず、もち演歌というフィールドとは全く別のニコ動に活動の場を広げるという選択をした小林幸子さん自身の選択ももちろんすごいと思うのですが、それと同時に、小林幸子さんが事務所とのいざこざがあったタイミングで、ニコ動に呼び込もうと企画したドワンゴの発案者は、相当キレものだと思います。

おそらく小林幸子さんのもっている曲という「資源」と、豪華な衣装というキャラクターがニコ動ユーザーと親和性が高いということからの判断であったとは思うのですが、それを実行に移すというのは、相当に度胸のいることだと思うのです。

小林幸子さんは2000年前後、ボケモンの映画「ミュウツーの逆襲」や、クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶジャングル」などの主題歌を歌っています。

そのため、いまの20代後半から30代全般にとって、小林幸子さんは演歌歌手であると同時に、「当時大人気だったアニメの主題歌を歌った歌手」でもあるわけです。

そして、20代後半から30代にかけては、ニコ動のユーザーの中で大きな部分に重なります。

その意味で持っているコンテンツ的に、小林幸子さんはニコ動のユーザーと相性がいいと言えます。

 

持っているコンテンツの観点だけでなく、キャラクターとしてもニコ動に親和性が高いと言えます。

それまで紅白で毎年披露していた華美な衣装は、非常にアニメ的。

サブカルチャーにも非常に相性がいいキャラクターです。

そんな小林幸子さんのテレビ的なキャラクターを持ってきて「ラスボス」という位置づけでニコ動に連れてくるのは、空気的に非常にマッチしています。

メインユーザー層にウケるコンテンツを持っていて、親和性の高いキャラクターである。

小林幸子さんを「演歌歌手」という視点だけで見ていたら、ニコ動に呼び込もうなんて絶対にできない選択です。

小林幸子さんとニコ動という全く関連のなさそうな二つをくっつけたこの企画者は、相当なキレもののはず。

また、ボーカロイドの曲をカバーしてもらうという案も絶妙です。

特に千本桜や吉原ラメント。

もちろんそれが大きな魅力のひとつでもあるのですが、ボーカロイドの曲は人間味がありません。

一歩で、演歌歌手の歌い声は一つの曲に様々な声色を織り交ぜるものであるため、極めて人間的。

機械的な曲を最も人間的な歌い方をする歌手がカバーすることで、非常に新鮮な音になっています。

こういう、新しいインパクトも含め、重ね重ねとてつもない企画だと思います。

 

出先の待ち合わせ時間の合間に書いたのでとりとめのない文になっちゃった(笑)

小林幸子論」は、もう少し内容がまとまった時に改めて書きたいと思います。

 

アイキャッチは僕が小林幸子さんの曲の中で一番好きなもの

万葉恋歌 ああ 君待つと

万葉恋歌 ああ 君待つと

 

 

学校の古文の授業対策の僕の教案の作り方

僕が専門としている古文の授業には主に①文法を教えることと、②学校の授業で扱う文章を理解することと、③受験のように初見の文章を読み込むことの3つがあります。

このうち①と③に関しては始めて18歳で塾講師を始めた時から自分なりにノウハウを蓄積してきたのですが、②の学校の授業対策は自分の中で敬遠しているところがありました。
それは、あくまで入試に受かるための手段を伝えたくてやっているという自分の「欲」と、いちいち学校に合わせたら割に合わないという損得勘定が働いていたからです。
ただ、ここ2年でその考え方が変わって、むしろかなり力を注いできました。
理由は、受験勉強よりも直近の学校の授業がマズイという子供たちのニーズが意外に多いということと、そこに焦点を当てた授業を提供する塾が多くないということが分かったから。
そこで今まで自分の中で大きな筋として作ってあった文法の説明と長文の説明に加え、学校の授業対策という軸も加えることにしました。
その授業のノウハウがようやく溜まってきました。
 
受験古文と学校の授業の最大の違いは、初見の文章を読んで問題に答えるのか一つの文章を時間をかけて読み込むのかというところにあります。
受験の場合には文法の知識を使って素早く論理的に読み解いて行くことが重要ですが、学校の授業の場合そうではありません。
授業についていこうと思ったら、その作品世界をしっかり頭に浮かべておくことが重要ですし、テストで点を取るには内容を押さえておくことと重要事項を覚えておくことが必要になってきます。
特に古典が苦手という人で多いのは、直訳はできるのに内容が捉えられないということです。
文章を訳すだけで、その内容を頭で想像することが全くできない。
受験対策ならばぼんやりとイメージが掴めさえすればなんとかなるのですが、学校のテストはそうはいきません。
もう出る文章が分かっているのだから、頭の中にしっかりと作品世界をイメージして、それにもとづいてテストに臨むというのが有効な手段です。
 
そんなわけで、僕が学校の授業の対策をするときは、作品のイメージを子供たちが頭に浮かべられることを1番重要視しています。
具体的にはその場面がどういうところで、誰がいて、それぞれはどんな性格なのか。
そして作者の視点はどこにあるのか。
このような、僕たちが普段日常でコンテンツを楽しむ時には当たり前にやっていることを、古典作品においてもあるんだよというのを伝えてあげるのが僕の主な授業の骨組みになっています。
 
できるだけリアルにイメージしてもらうには、登場人物のキャラづけが不可欠です。
古典の作品に入り込めない理由の一つは、そこに出てくる人物がどんな性格なのかというキャラクターが見えづらいことにあるからです。
長い文章の中から数ページだけを切り取ってきたものを読んで、そこに書かれている登場人物のキャラクターを想像するなんて、現代語で書かれていても容易ではありません。
そして、キャラクターがつかめないから文章が頭に入って来ない。
だから特に物語文の時にはそうなのですが、作品を説明するときにそこに出てくる人物のキャラクターを設定するようにしています。
○○な性格で××な容姿のこの人なら、この和歌を読むのもなんか分かるよねっていう感じ(笑)
 
作品の説明を組み立てるとき、僕は漫画家さんのキャラクターを作る手法と噺家さんの落語の組み立て方を参考にしています。
具体的には出てくる登場人物の容姿や着ている服、付けている香りや声色、年齢、性格、好きなタイプみたいなプロフィールを設定しておきます。
この辺を妄想でネタ帳にコツコツ溜めているのはむちゃくちゃ恥ずかしいのでここだけの話(笑)
これは漫画家やアニメーターの人たちのインタビューを見て誰もが行っている手法ということで取り入れました。
そしてもうひとつ、空間認識についてもかなり意識を置いています。
落語家は、座布団の上に座って腰から上の動きだけで作品の世界を語ります。
その時に重要なことが、物語の空間をリアルにイメージしておくことなのだそうです。
確かにどのくらいの広さの部屋にいるのかで、相手に話す声の大きさも移動の速さも変わってきます。
そういったものから自ずと登場人物のセリフや動作だってニュアンスが変わってくるはず。
そういうわけで、登場人物のキャラクターと同じく空間を徹底的にリアルに思い描くように心がけています。
 
そしてもうひとつ、というか説明をするうえで1番意識しているのがカメラのアングルです。
それが作者によって作られた作品である以上、絶対にそこには作者の視点があるはずです。
それが主人公の目線なのか、主人公たちを上から俯瞰している目線なのか。
そういった、視点を追いかけることも、作品をイメージする上で非常に重要になってきます。
その場面はどういったカメラのアングルからの描写なのか、そういったところも考えておきます。
特に源氏物語の「若紫」なんかだとこれが重要。
頭の中でその場面全てが、源氏が庭の植え込みの影から中を覗いているものだということをつねに念頭に置けているかどうかで、内容理解度が変わってしまいます。
少なくとも、敬語の把握はできなくなる。
 
とにかく作品世界をリアルにイメージしてもらう。
これが、僕が学校の授業対策をする上で心がけていることです。
何より、そうやってイメージがつかめると、作品自体を楽しむことができると思うのです。
古典の作品は、だてに何百年も残っていません。
しっかり分かれば面白い作品が多いのも事実。
昔の天才たちが作品に散りばめた才能の数々を追っていくのは、本当にわくわくする作業です。
「お前どれだけ才能あんねん!」みたいな(笑)
少なくともこのやり方で子供たちに一定の支持は得られている(と思う)ので、一つの方針としてはありなのかなあと思っています。
もうちょっとノウハウが溜まったら、それぞれの作品を使って、もっと具体的にまとめようと考えています。
 
タイトルが「の」ばっか(笑)

 アイキャッチ瀬戸内寂聴源氏物語

 

源氏物語 巻一 (講談社文庫)

源氏物語 巻一 (講談社文庫)

 

 

 
 

マギの人気が衰退した理由は話が難しくなりすぎたから

「マギってなんで人気なくなったん?」

僕のマンガ好きを知っている生徒さんがよく、授業終わりにマかんがンガの話を持ってきてくれます。
物事を考える切り口を知ってほしいというのが、僕が教育に携わっている理由の一つでもあるので、よほど突飛な質問であっても自分なりの意見や考え方を示すように心がけているので、この質問に関しても自分なりの意見を考えました。
そもそもマギの人気が落ちているというのが本当かどうかも知らないのですが、ここはあくまで「マギの人気が落ちた」というのを前提にまとめますのでよろしくお願いします(笑)

僕がこの話を聞いて一番初めに浮かんだ原因は「作家性と読者層のギャップ」です。
マギは絵柄やキャラクターこそ子供ウケしそうなものですが、そのストーリーはかなり複雑です。
特にマギの世界の中で魔法の源になっているルフというエネルギーのなぞが明らかになるあたりからその傾向が強くなりました。
そして様々な複線が回収される過去編になるとストーリーはいっそう複雑になります。
おそらく作者がマギという作品でやりたかったのはまさにここ。
さまざまな謎が一つに繋がっていくところ、そしてそこでの人々の駆け引きこそ、作者がやりたかったことであるように感じます。
実際に一話一話が非常に濃い内容になっていますし、確かに読み込むとそれまでの物語で曖昧だった部分がしっかりと分かって面白いことは間違えありません。
しかし、いかんせん難しい(笑)
作者がやりたかったことは良くわかるのですが、それについて来られる読者は多くなかったように思います。

マギの人気が爆発したのは、アニメが開始したあたりです。
当時子供たちに勧められて数話だけみたのですが、ガッシュベルやメル、あとは結界師などの路線の作品だなあと感じたのを覚えています。
週間少年サンデーの子供獲得枠です。
この層にウケる作品の特徴はキャラクターが魅力的であることと、かっこいい絵であること。
マギはちょうどこの条件に合っていました。
実際に子供たちがハマっていたのも、ストーリーではなく、キャラクターや必殺技の部分が多かったように思います。
つまり、メインのファンがマギに惹きつけられた大きな理由はキャラと絵というわけです。

僕はサンデーのこの層をターゲットにした作品の中では金色のガッシュベルが群を抜いて凄いと思っているのですが、その理由は最期まで子供たちに人気であることを意識して話を複雑化することなく最終回まで持っていったことです。
男気や力を持つこと、ライバルとの確執みたいなさまざまなテーマが盛り込まれているのですが、どれも1ページで納まるような絵とセリフで描かれていました。
これは、複雑な話では子供たちがついて来られなくなることを強く自覚していて、作者がかなり意識的にストーリーは複雑にしないというのを気にかけていたのだと思います。
つまり、徹底して読者に寄り添う作品を作っていた。

ガッシュベルに比べるとどうしてもマギは作家性が強く出ているように感じます。
だからこそ大人でも作品を楽しめるのですが、後半の内容を小学生が理解するのは少し難しい。
どんどん駆け引きが「大人」になってしまったんですよね。
前半の部分から話が複雑になることがありましたが、その度に主人公のアラジンが子供の視点で「なんで?」ってツッコミを入れていました。
そのツッコミがあるからこそ、多少難しい内容であっても、子供たちが置いていかれずにすんでいたのだと思います。
しかし後半で話しが盛り上がるにつれて、その突っ込み自体が減っていきます。
で、結局子供たちがついて来られなくなった。

以上が僕の考えるマギの人気が衰えてきた理由です。
そもそも人気が衰えているという生徒談自体が本当かも知りませんが、仮にそうだとしたら、この辺が理由なのではないかと思います。

そして、最近シンドバッド編が続いている理由は、そうしたメインのファン層離れを食い止めるためにキャラを前面に押し出してテコ入れしているように見えるわけです

僕は相変わらず好きな作品なので、これからもたのしみにしています。

 

アイキャッチはマギのコミックス

マギ 29 (少年サンデーコミックス)

マギ 29 (少年サンデーコミックス)

 

 

 

 

「最低。」を読んで作家紗倉まなのファンになったのと引き換えにAVを見れなくなった(笑)

最近僕の頭いい人センサーに引っかかった、AV女優の紗倉まなさん。

あれこれ調べていくうちに、どっぷりハマってしまいました。
といっても、それは出演しているAVのお話ではなくて、書籍やインタビューのお話。
もともと紗倉まなさんの出演作品をみたことがなかったため、僕の中は完全に作家という位置づけになっています。
今回書きたいこととは違うので、小説の感想は別途エントリを設けようと思っているのですが、個人的には今年頭に出版した「最低。」という小説はかなりオススメです。
タイトルこそ「最低。」なんていう、AVに出演して人生が狂ったみたいなことを想像させるものですが、きっとこれは編集の人が注目されるためにつけたものなんじゃないかと思います。
中身は人生が狂ってしまったみたいなものではなく、正面からAV女優となった女性たちを描いた作品です。
 
この作品を読んで面白いなあと思ったのは「見られる仕事」をしている人の描く視点です。
ふつう、才能のある作家であればあるほど、物を見る視点がズバ抜けています。
村上春樹さんや椎名誠さんのように、どうしてそんな小さな部分に気づけるのといった描写や、川端康成の雪国の冒頭のように、すごいカメラワークを文字にしたり。
とにかく、「見る目」に秀でているのが作家の特徴です。
それに対して、佐倉まなさんの作品を読んでいて感じたのは、徹底した「見られる視点」です。
今の自分の姿は相手にどのように映っているのか、この場面は第3者にとってどう見えるのか。
そういった「見られる視点」で終始描かれているのが、非常に印象的でした。
AV女優といえば、究極の「見られる仕事」です。
そんな、「見られる」ことを常に意識してきたプロの視点で書いた作品だから、情景描写にもその視点が随所に現れる。
そこが紗倉まなさんの作品に引き込まれた大きな理由でした。
基本的に作家の視点は、世界を描く映画監督的な立ち位置。
そこに被写体の視点でもって作品を書き上げたからグッと作品世界に惹きつけられる。
さらに、そこに描かれる内容は私小説のような部分もあるもの。
こんなの引き込まれるに決まっています(笑)
 
 
と、作品の話をしていると、どんどんそちらに流れてしまうので本題に。
作家、紗倉まなさんを知った僕は、当然彼女の本業であるAVの方にも興味が出て、何作品か見てみました。
もちろんfc2じゃなく、DMMでちゃんと購入して(笑)
いざ作品を見ようと思ったのですが、実際のシーンになったとき、僕は思わず映像を止めていました。
その後も何度か見ようとしたのですが、どうしても楽しめないのです。
面白い感覚だなあと思って、そのあとしばらく、作品にライドできない理由を考えました。
で、ふと気付いたのが、画面の中の演者の意図や思考を僕が知ってしまっていることが原因だということでした。
そこに映る女優はプロとして仕事をしていて、台本があって、そこには「無意識」に見えるようにカメラを意識しているという様々な現場の技術がある。
そういったことを知ってしまっているからこそ、作品をフィクションとして楽しめなくなっているのだということが分かりました。
もちろん例外の俳優さんなんかもたくさんいますし、むしろ本人が見えることに魅力を感じるという意見もあると思いますが、少なくとも僕がここで感じたのは何かを演じるときは、その演者は「器」に徹しなければならないということでした。
そう考えた時、度々炎上するアイドルの恋愛問題や、声優のAV出演問題に嘆く人の気持ちがわかりました。
器に徹しているからこそ、僕たちはそこに安心していろいろな気持ちをライドさせられるし、キャラクターをキャラクターとして楽しめるのに、そこにリアルの匂いが一瞬でも漂ったら、もうそのフィクションに乗っかれなくなってしまうのだと思います。
個性の強すぎる落語家の立川談志さんが落語好きのひとに空かれない理由もここら辺にあるのでしょう。
ゆるキャラに無邪気に手を振っていた女の子が、中にいるすね毛ボーボーで毛むくじゃらの(汗だく)を見て、全く同じテンションでまた手を振れるかっていったら多分ムリなはず(笑)
演じ手は、できる限り無=神秘的でなければいけない。
Twitterでアイドルが日常の写真をあげることがありますが、それはイメージを補完するために設計された「日常」なわけです。
僕の場合、紗倉まなさんのAV作品という「フィクション」を見るより前に、小説やインタビューという形で、ずっと純度の高いリアルな紗倉まなさんを知ってた。
だから映像作品にはあまりライドできなかったのだと思います。
フィクションを信じていればいるほど、演じ手は空っぽであって欲しいという見る側の気持ちが分かりました。
因みにその後、本や映像を楽しむ時のように、分析視点で楽しんだら紗倉まなさんの作品もフツーに楽しめたというのはここだけの話(笑)
 
アイキャッチ紗倉まなさん「最低。」です

 

最低。

最低。

 

 

クラウドファンディングにおける出資の集まるリターンを考える

最近僕の中で、クラウドファンディングがアツイです。

資金集めをしている案件を見ていると、なるほどというアイデアがゴロゴロしているからです。
しかし、そこに出ている案件以上に僕が面白いと思うのは、資金の集め方です。
クラウドファンディングが始まったばかりのころは、何かを作りたいという人がいて、その見返りはできたサービスの一部みたいな物が多かったのですが、最近になって、その「お返し」のあり方が多様化してきました。
僕がうまいなあと思った案件の一つが、女性用下着の開発資金の調達です。
こちらは、女性用の下着やボディアクセサリーを販売する会社の立ち上げ資金を募る案件でした。
で、そのパトロンになった人への報酬が秀逸です。
もちろん、実際にブランドを立ち上げて、その商品をお礼にプレゼントというものもあったのですが、それよりも目を引いたのは、できたブランドの下着を着たモデルの宣材用イメージ画像をROMに焼いたものがお礼の品としてあった点です。
下着ブランドのお礼の品がそこの商品であるだけでは、お金を出してくれるのはそのブランドに興味のある女性だけになってしまいます。
しかし、その下着をつけたモデルの画像をお礼の品にした瞬間、そのROM目当ての男性からの出資も見込めるようになる。
このブランドの下着は、ボンテージ調でそこそこ過激なものが多数あります。
それをネットで有名なモデルが着用したイメージ画像ならば、少し高くても欲しいという男性は多いはずです。
通常であれば、ここのブランドの商品が欲しい人からお金が集まり、それを元にブランドを立ち上げます。
しかしこの事例では、ブランドの商品には興味がないけれど、モデルのROMが欲しい人からお金を集め、女性向けブランドを立ち上げるという形になっています。
つまり、企業のサービスの受益者と、パトロンが全く被っていないわけです。
受益者とパトロンが被っていなくても良いという視点で行ったこの事例は、本当に面白いと思います。
 
 
従来のクラウドファンディングでは、受益者と出資者が重なっていることがほとんどでした。
その典型がNPOやボランティア。
その活動に共感した人が出資して、活動を応援する。
受益者はNPOやボランティア活動の対象になっている人に思うかもしれませんが、こうした活動に出資する人は、これらの活動を「応援する」という商品に出資していると僕は考えます。
あくまで、活動に対して賛同しているから行う出資なわけです。
これは新製品の開発のような案件に関しても同じです。
そこで提示されているサービスがいいなと思うから出資につながる。
資金を募る側の活動に共感したから出資するという形の案件を、出資者と企画者のベクトルが同じ方向を向いているという意味で、このパターンを仮にI型案件と呼ぶことにします。
 
これに対して先ほど紹介した下着ブランドの案件は、明らかに出資者の目的と企画者の目的が異なります。
出資者のうち、ROMを目当てに出資した人は、基本的にそこでできた下着やボディアクセサリーに興味はありません。
あくまで、モデルのイメージ画像に価値を見出して、その額を出資している。
それに対して企画者の目的はあくまでイメージ画像制作ではなく、ブランドの立ち上げです。
出資者と企画者の目的が同じものをI型案件と呼ぶのであれば、出資者と企画者の目的が異なるこのパターンの案件は、L型案件ということができるでしょう。
 
現在のクラウドファンディングの案件をI型、L型の2分類で見てみると、ほとんどがI型です。
特に、NPOやボランティアの活動なんかはそう。
もちろん共感を呼びやすい案件が多いとは思うので、I型で出資を募るのも有効な戦略だとは思うのですが、同時に、L型のアプローチも十分に可能性があるように思うのです。
例えばアフリカの子供達の教育支援をするNPOで、その渡航費を集めたいという場合に、現地での活動報告やお礼のメッセージなどがリターンとして設定するのがI型です。
でもこのお礼の部分を、出資者が単純に欲しいと思うものにしたらどうでしょう。
アフリカに行くなんて経験は、大抵の人がしたこともないと思います。
一方で、そこで支援をしようとしている人たちならば、渡航経験も豊富で、現地にも詳しいと思います。
そして、そうであるならば、免税店で売っているようなお土産ではなく、現地でしか手に入らないとっておきの品物を見つけることも不可能ではないはずです。
例えば僕は、中国人の友達が帰省する度に火鍋という辛い鍋の素を買って来てもらうのですが、これは彼の地元のお店の商品で、絶対に日本では手に入らない味付けです。
こういう現地でしか手に入らないものをリターンとして設定する。
現地に行き慣れているからこそ知っているとっておきの逸品を出資のリターンにすれば、それを目当てで(もちろんついでに活動も応援できるという気持ちも含めて)出資することもできるようになります。
これが僕の考える、出資者と企画者の目的が異なるL型のクラウドファンディング
 
もちろんNPOやボランティアの活動に限らず、L型クラウドファンディングはいくらでも可能性があると思います。
むしろビジネスの方があるかもしれません。
ゴーグルをかけると立体的に映像が映るVRのゲーム機開発への出資のリターンをグラビアアイドルを使ったVRのイメージ映像のサンプルにするとか。
僕が考えるとそっち方向しかアイデアが出てこないのが恐縮ですが、しっかり考えればアイデアはいくらでも出てくると思います。
 
という感じで、いろいろアイデアが膨らむため非常に面白く観察しているクラウドファンディング
L型案件の事例をもっと集めて、いずれ傾向なんかもまとめていきたいと思います。
 

 

入門クラウドファンディング スタートアップ、新規プロジェクト実現のための資金調達法

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