新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



情報がタダなのは一時的な現象ではないか

もちろん僕は産業革命の只中を生きたわけではないので完全に想像でしかないのですが、蒸気機関が発明され大量生産が可能になったその瞬間は、商品の値段が一旦タダ同然になったのではないかと思っています。

生産の方は工場をこしらえて人を雇えば一気に大量に作ることが可能です。

それに対して需要の方は人に認知してもらい、欲しいと思ってもらう。

さらにそこから定期的に買い換えたいというマインドセットが根付くところまで持っていかなければなりません。

そうなるとまず先に消費者に便利さを享受してもらって、そこから需要を創出するというフェーズがあったと思うのです。

爆発的に商品が増えたその瞬間は、物が溢れるために需要供給曲線のバランスが崩れて、物の値段がタダ同然になる。

そしてその後、便利さを認知した消費者によって需要が拡大し、供給量に追いつき価格が安定する。

僕は産業革命の時の世界はそんな経過を辿ったのではないかと思っています。

 

全く新しい技術が生まれると、それにより大量の物が溢れ、一時的にその価値はゼロになる。

もし産業革命の時代にこういうことが起こっていたとしたら、今の時代で当時の商品に該当するのは、「情報」でしょう。

IT革命により大量の情報が溢れるようになって、その結果一時的に情報の価値がタダになっている。

爆発的に商品が増えたその瞬間は、大量の物に溢れていますが、そこには安かろう悪かろうの品も大量に紛れています。

初めはそれで満足しているけれど、使っている中で、人々はよりよい商品を求めるようになる。

たとえそれが多少値がはるとしてもです。

タダだけど2度も拭けば皮が真っ赤になってしまうようなトイレットペーパーと、200円くらいするけれど使い心地のいいトイレットペーパーがあるとしたら、僕たちは後者を選びます。

そんな感じで、大量に溢れたタダ同然の商品の中から、自分の眼鏡に叶う商品をお金を払って買う。

これが僕の考える、大量生産が始まってから値段が安定するまでに起こった消費活動のプロセスです。

僕は情報の分野でも、こんな流れが起こっているのではないかと思えて仕方がないのです。

 

IT技術により、誰もが情報発信をできるようになりました。

実際にネット上をちょっと追いかけるだけで、膨大な数のメディアに出会います。

また、企業だけでなく個人もブログにfacebooktwitterといったツールで情報発信ができるようになりました。

その結果、とんでもない量の情報がウェブ空間に溢れるようになり、僕たちは情報の価値がタダになったかのように錯覚しています。

しかし、当然タダに同然で巷に溢れる情報のほとんどは役に立たないものや、個人が妄想で書いたデマのようなものばかり。

まさに安かろう悪かろうのコンテンツです。

そんな中にも一定の価値を帯びた情報っていうのは存在していて、それはお金を払わなければ手に入らない。

情報感度の高い人から順番に、お金はかかるけれどきちんとした価値があるという情報を仕入れにいくようになる。

そうするとやがてきちんと情報には一定の価値が認められ、(それがお金とは限りませんが)人々が情報に対して適切な対価を払うようになる。

ニコニコ動画のブロマガやメールマガジン、有料サロンなどのビジネスモデルが出てきたことや、ニューズピックスが月額会員の有料記事というモデルを少しずつ手がけていることからも、徐々にそっち方面にシフトしつつあるように思います。

今はネットで検索すればマンガのプロットだけ全てネタバレしているサイトがあって情報は得られますが、僕たちはやっぱりマンガを買うし、エロ動画だって無料で断片的なものは見ることができても、有料できちんとしたものを全く買わないようにはなりません(笑)

たぶん、IT革命と言われて以降今まで情報に対して僕たちがお金を払わなかったのは、情報に価値を見出していないからではなく、コンテンツを配布するチャンネルの進化のスピードに、お金を支払うシステムの進化が追いついていなかったからだと思うのです。

クレジットカードを登録しておけばワンクリックで買い物ができる、スマホの料金支払いと一緒に購入した代金が支払える、コンビニに行けばいつでもウェブで使うお金をチャージできる。

そういう設備が、この数年で急激に整ってきました。

たぶんビットコインもその延長になるのかなあと思います。

(ビットコインの場合はリアルからウェブへではなく、ウェブからリアルへの方が課題ですが)

コンテンツを届けるチャンネルの進化に完全に支払いのシステムが追いついたら、僕たちは本当に価値を認めるコンテンツは当たり前のようにお金を払うようになると思います。

今情報がタダ同然で溢れているのは、その過渡期にいるからなんじゃないかというのが僕の見立てです。

 

あくまで何の根拠もないことをグタグタ並べただけですので、細かなツッコミはしないで下さい、、

だって「薄口」コラムですから(笑)

 

 

アイキャッチはクラスアンダーソンの「FREE」

 

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ドラマオリジナルのシーンから逃げ恥の最終話を予想してみる

10月の頭くらいにハマった「逃げるは恥だが役に立つ」という作品。

熱しやすく冷めやすい僕には珍しく、未だにどハマりしています。

Kissで同じく連載している東村アキコ先生の「東京タラレバ娘」と合わせて今の若者の結婚観を考えるという文脈で見ても面白い(Kissの2大結婚マンガ「タラレバ」「逃げ恥」に学ぶ結婚できない人の比較 - 新・薄口コラム)し、大人版の「君に届け」として見ても面白い(人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」は大人版「君に届け」だと思う - 新・薄口コラム)ため、読んでいて飽きないんですよね。

あとは主人公みくりを結婚生活の観測者として見るのも面白い。

みくりの結婚生活だけでなく、逃げ恥にはさまざまな結婚観を持ったキャラクター、結婚生活を送る人が登場します。

みくりはその「小賢しさ」と心理学修士のクセで彼らの心情を分析しがちなのですが、その分析が色々な人の結婚観を見ているようでとても面白いんですよね。

とまあ、とにかく色々な文脈で読むことができるため、何度読んでも飽きません。

これについてはシミルボンさんで書かせてもらいました(シミルボン)

 

で、今日の10時からガッキー主演のドラマも放送されるわけですが、マンガ作品のドラマ化があまり好きではない僕でも、このドラマはかなり楽しんで見ています。

どうしてもテレビドラマということで、主人公みくりの恋の行方を強調したいようで、3話目(の最後にある予告)あたりから少しずつその要素が増えてきているような気はしますが、それでもかなり原作ファンを大事に使ってくれているように思います。

というのも、ドラマでなされるオリジナル設定のほとんどが、原作の中で出てくる別の話しを上手く組み合わせたものになっているんですよね。

例えば2話で出てきた百合の大学時代の同級生との再会は6巻のエピソードどから、同じく3話にでてきた百合と風見の職場が同じビルというのは確か7巻の話。

ドラマに差し込まれるエピソードが、できる限り原作を再現したものになっているため、監督がこの作品を大切にしているんだろうなということがよく伝わってきます。

そしてだからこそ、ドラマオリジナルで差し込まれた描写が僕にはドラマの最終話の伏線になっていくんだろうなあと気になって仕方がありません。

ということで今日書きたかったのはドラマオリジナルで挟まれた2つの描写について。

・・・やっと本題に入れた!(笑)

 

僕がドラマを見ていて最初に気になったのは、津崎が迷い込んできた鳥(文鳥?)にエサをあげているシーンです。

これって、原作にはない表現ですし、そもそもなくてもストーリーには影響しないもの。

つまり敢えて監督がドラマ作品の中に挟んだ部分ということになります。

制作スケジュールが押して無駄なシーンを入れたのならともかく、ファンを作れるかどうかの大切な1話に、意味もないシーンを入れる余裕なんて1秒たりともないはずです。

そんな中で数カット入れられた迷い鳥のシーン。

あれは監督がドラマの後の展開を象徴するためにどうしてもはさみたかったシーンなのだと思うのです。

結論から言うと、1話の終わりに津崎の家に迷い込んだ鳥が2匹に増えて、一緒に餌を食べていたシーンは、最終話でみくりと津崎が本当の結婚をすることのメタファーであると思います。

どこからともなく津崎の家のベランダに迷い込んで来た鳥は、いつの間にかつがいになって、2人でエサを食べています。

これは、仕事関係としてではなく、本当に夫婦になる2人を表しているように思うのです。

 

もう1つ気になっているのが、みくりと津崎の両方の父親の設定です。

原作ではみくりの父親はあそこまで陽気ではないし、逆に津崎の父親はあそこまで寡黙ではありません。

そして、2話目の結婚報告のシーンで両方の父がみくりと津崎の結婚式を挙げないという選択に内心は悲しむ描写が現れます。

そしてみくりはそんな父親を見て心を痛め、津崎はずっと黙っていた父親から一言「頑張れ」と言われたことに「嘘でも父を喜ばせることができて嬉しい」と言います。

ここで2人に共通するのは「家族に嘘をついた」という思いです。

原作ではどちらかというと、家族に対して結婚にたという嘘をつく2人はドタバタのタッチで描かれていました。

それをシリアスな形にしたのは、やはり最終話の伏線なのかなあと思います。

 

2人一緒にご飯を食べる文鳥のシーンと、ドラマでは変えられていた2人の父親の描写、そしてガッキーで視聴率を取ろうと考えたときに思い浮かぶ最終話のシーン(笑)は、ウェディングドレスを来た2人の結婚姿です。

必要以上に風見がみくりのことを気にしている描写になっているのは、今後みくりが津崎と風見の間で気持ちが揺れ動く伏線、そして百合が原作よりも前に出てくるように描かれているのは、今後の展開で2人の契約結婚を脅かす問題を招きこむ伏線のように感じます。

そしてその2つを乗り越えて2人は本当の夫婦になる。

 

海野つなみ先生は雑誌のインタビューで「原作は単に2人が本当の夫婦になったという結末で終わらせるつもりはなく、2人の選択を見守って欲しい」と答えていました。

ドラマの話数と原作の進み具合、そして視聴率ということを考えると残り9話で入れられる大きな山場は2つくらいで、それを乗り越えた先にあるのは結婚くらいしかないでしょう。

そんなわけで今後のストーリー展開を予想しつつ今夜の放送を楽しみにしているわけですが、ハンターハンターBLEACHの時同様に、僕の予想は大きく外れるんだろうなあ(笑)

 

アイキャッチ逃げるは恥だが役に立つのエンディングテーマ、星野源さんの「恋」

 

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Kissの2大結婚マンガ「タラレバ」「逃げ恥」に学ぶ結婚できない人の比較

シミルボンさんに寄稿するために書いた記事でしたが、大幅に書き換えてしまったので、原案は僕のブログのエントリとしてアップすることにしました。

シミルボンさんにアップした(シミルボン)のは現代の若者の結婚観に関して書いたもので、こちらはマンガの考察中心です。

 

ガッキーこと新垣結衣さんがエンディングで踊る「恋ダンス」が話題となっているドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」。
海野つなみ先生のドラマの原作となったマンガが、講談社の少女マンガ誌「Kiss」で連載されています。
この講談社の「Kiss」という雑誌、結婚できない30代女性のリアルすぎる日常を描いて話題になった(そしてドラマ化も決定しました!)東村アキコ先生の「東京タラレバ娘」も連載されており、とても攻めている印象です。
「逃げ恥」と「タラレバ」という2作品。
単体でも充分に面白いのですが、それぞれを比較しながら読むことで、一層面白さが増して感じられます。
というのもこの2作品、結婚というテーマに関するアプローチの仕方は真逆であるにも関わらず、着眼点が非常に似通っているのです。
真逆のアプローチであるも関わらず、どこか共通項を見出してしまうのは、両作の作者がプロデューサー的なポジションのキャラクターを登場させているからなのだと思います(そして恐らく作者の視点はそこに乗っかっています)。
「タラレバ」には、「あのときこうしていたら、、」「もう少しこうであれば、、」と、「~たら」や「~れば」とグチをこぼしているアラサーOLの主人公たちの前に、イケメン美男子の若いモデルKEYが現れ、ひょんなことから関わるようになってきます。
KEYは主人公たちの言い草や振る舞いを見て、いつもキツい言葉で現実を突きつける。
「タラレバ」でKEYは、主人公たちを観察し、冷たくて、それも横柄な言い方ではあるけれど、時に主人公たちにアドバイスを受け与えるキャラクターとして登場するのです。
結婚したいけどできない女性たちを観察するのがKEYであるとしたら、結婚しようとしない男性を観察しているのが、「逃げ恥」の主人公みくりです。
みくりは就活で上手くいかず、それまで派遣で勤めていた会社にもクビになった仕事を探している女の子。
とあるきっかけから、次の仕事が見つかるまでのバイトとして家事代行業に行っていた男性と結婚することになります。
結婚といっても、みくりはお金を貰って家事などをする契約結婚
初めはビジネスだと割り切っていたのだけれど、生活するうちに徐々に2人は惹かれあって、と同時に契約結婚であることが少しずつ周囲にばれて問題が起こりつつ、、
あまりあらすじを書いたらネタバレになってしまうので、内容についてはこの辺に。
みくりの面白いところは、大学で心理学を専攻していて、しかも院を出ているため、夫の津崎を中心に、出会う男性の心情を分析しようとしてしまう性格です。
タラレバ娘のKEYとは違うタイプではありますが、みくりも人を観察するタイプのキャラクター。
それによって男キャラの心情が引き立つように思います。

2作品に関して、読んでいて感じる共通点は他にもあります。
その一つが、作中で度々妄想の世界に飛ぶこと。
東京タラレバ娘」も「逃げるは恥だが役に立つ」も、物語が進んでいるところでいきなり登場人物の脳内会議の様子などが入ります。
しかもそれは空想のキャラクターと相談する形であったり何らかのパロディであったりと非常にコミカルです。
僕は勝手にこの手の描き方は「ちびまる子ちゃん」あたりがルーツだと思っているのですが、東村アキコ先生も海野つなみ先生も、こうした描写を所々に取り入れます。
きっと両先生のルーツが近いところにあって、それもこの2作にどこか共通する部分を感じる理由なのだと思います。

「タラレバ」と「逃げ恥」を読んでいると、結婚して幸せになるために必要な事を教えてくれているように感じます。
「タラレバ」で結婚したいと言っている女の人たちは、みんな「自分の欲求」を叶えようとして、そのせいで幸せにならないでいる。
それに対して「逃げ恥」のみくりと津崎は、「ビジネス」ということを言い訳に相手との距離ばかりを考えすぎて、結局幸せなるのとのできない2人。
自分の欲求ばかりで幸せになることのできない人たちと、相手との距離を気にしてばかりで幸せになれない2人。
ちょうど20代後半~30代前半くらいまでの人で幸せを求めているのに上手くいかないというモヤモヤを抱えている場合、このいずれかのパターンである場合が多いのではないでしょうか?(だからこそこの2作が、注目されているようにも見えます)
この2作品に出てくる登場人物たちは、そのまま現代の結婚できない、あるいは結婚の意思がない人たちの象徴です。
今はどちらの作品の登場人物も、まさにその問題に振り回されている真っ最中ですが、恐らく最終回にはどちらも何らかの「幸せな形」を手に入れるはずです。
そしてその結末は、現代の20~30代で幸せになりたいと思っている人たちに何らかの答えを提示してくれるものになるのではないかと思うのです。
単なる作品としての面白さがだけでなく、「タラレバ」「逃げ恥」の作者が出す、現代の結婚できない・結婚しない若者に対するアンサーも非常に気になりなります。
あるマンガ家が昔、「人気のマンガは何かしら社会の空気を描いている」と言っていました。
東京タラレバ娘」と「逃げるは恥だが役に立つ」の2作品は、まさに「結婚」という現代の若者の直面する悩みがテーマです。

結婚とはなにか?
結婚に過度な期待を抱いてしまっている人には「東京タラレバ娘」が、結婚をコストパフォーマンスで考えてしまう人には「逃げるは恥だが役に立つ」が、それぞれ答えを出す。
僕自身が結婚ということを考えなければならない年齢であることもあり、この2作品が真逆のアプローチからどういう結末にたどり着くのかが非常に気になります。

 

アイキャッチはガッキーのCD

虹(通常盤)

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話し上手はマインドセットと構成の仕方で8割決まる

ここ最近、色々な人が話す姿を見てきたのですが、人前で話すことには、大きく話すためのマインドセットの方法で2分類、話す内容で2分類できるなあと感じました。

まず、マインドセットについて。

人前で話そうとするときは、普段と同じテンションで話すわけにはいきません。

声の大きさは上げなければいけないのはもちろんのこと、多数相手の話し方にしなければなりません。

多数の人に話をするのに慣れている人は、大きく次の2パターンに分かれています。

1つ目が普段よりもグッと出力を高くする、火力増強タイプ。

普段の自分のテンションや声の張りをそのままグッと押し上げるタイプの話し方です。

ここに属する話し方をする人は、人前で話すためにグッと出力を上げてはいるものの、基本的に普段の自分の延長にあります。

そのため、人前にいる時でも一対一ではなすときでも違和感なく話せます。

営業マンのプレゼンなんかでは非常に有効なスキルです。

普段の自分の出力よりもグッと高くするという話し方の他に、もう1つ人前で話すには、完全に話すときのキャラを切り替えるという方法があります。

先ほどの出力を増強タイプに対してこちらはスイッチングタイプとでもいいましょう。

お笑い芸人さんなんかがその代表例でしょう。

普段は内気でとても声を張ることなんてできないけれど、ステージに立った瞬間、自分という「キャラクター」を演じるモードになるため、声も張れるしギャグもかませる。

一対一で話しているときと全く違うモードであるため、そのエネルギー量は非常に高いですが、その反面人前にいるときとそうでないときのギャップが大きくなるため、なかなかとっつきにくい印象を与える危険があります。

就職説明会やセミナーを開く人はこのやり方が向いています。

 

人前に立って話すためには、マインドセットとともに、構成が重要です。

話の構成の立て方でも、2つに分類することができます。

1つ目は一から十までカチッと構成を立てて臨むミュージカルタイプの構成の立て方です。

ミュージカルは音楽と踊りとセリフがあるので、ほとんどアドリブの入る余地がありません。

したがって、細かな部分までしっかりと決められている。

予め事細かに準備したものをしっかり練習して人前で出す。

細部までカチッと組み立てるこの構成の仕方は、緊張感を生み出すのに向いています。

こうした話の組み立て方をする人がミュージカルタイプです。

それに対して、話の最低限のプロットだけを用意して、あとはその場の空気によって内容を組み上げていくという話し方をする人がいます。

僕はこれをジャズセッションタイプと呼んでいて、ジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんなんかは、典型的なこのタイプでしょう。

ここに該当する人は全体の流れだけを頭に入れて、あとは適宜話しを補完していくのを得意とします。

そのため、余裕があり緩やかな空気を作り出すのに適しています。

 

マインドセットと構成でそれぞれ分類をまとめて見ましたが、これで何が大切かというと、「それぞれ自分の得意としない方法はできない」ということです。

昔、知り合いの結婚式の余興で友達と組んで出し物を作ったのですが、その時の相手と僕の人前での話し方も構成も真逆で、非常に苦労したことを覚えています。

僕はジャズセッション型の構成をしてスイッチングで人前に立つタイプ。

相方はミュージカル型の構成を得意とし、火力増強型で人前に立つタイプだったのです。

その時は相手に主導権を任せたのですが、非常に立ち回りで苦労したことを覚えています。

僕としてはキャラを作らなければ緊張して何も話せなくなってしまうし、セリフも時間も決められてしまっては、全く喋りに抑揚がなくなってしまうんですよね。

ただ、逆に僕が主導権を握ったら、今度は相手がすごくチープなキャラ立ちで何も喋らなくなってしまったはずです。

それくらい、人前で話す方法には、違いがあると思うのです。

巷で話し上手になるためのノウハウ本みたいなものが多く見かけますが、僕がそれらの本に懐疑的であるのは、上にあげたような理由があります。

そもそも火力増強タイプとキャラスイッチングタイプ、ミュージカル型とジャズセッション型の組み合わせでその人がどういった話し方が得意かもわかれるのに、テクニックが一種類ということはないと思うのです。

話し上手になりたければ、上の分類を意識して、自分の話し方に向いた下準備をとることが大切です。

 

 

 

 

ほんらいこのよんかてごり

それぞれ違うのに話のスキル学んでもいみない

モテることと恋人を作ることは違うというお話

定期的に描きたくなる僕にとって全く著者適正のないこの恋愛シリーズ(笑)

僕がよく行く居酒屋で、定期的に常連さんの彼女を作る話になります。

あと、偶然ここ最近マーケティング系のブログや本を読み漁っていて、恋愛に関することが書かれた記事を多く読んでいたので、その辺をまとめて見たいと思います。

 

モテることと恋人を作ることは違う

大学時代からイケメン研究をしていたこともあって?、僕の周りには男女を問わずモテる人が結構います(笑)

で、彼らを見ていて思うのはモテることと恋人を作ることは全く違うということです。

岡田斗司夫さん曰く、モテるとは「不特定多数の異性から行為を抱かれる」こと。

いちご100%みたいなハーレムもののマンガのように「自分が気になる人から好意を寄せられる」ことではないのです。

むしろ、全く好きでもない人からの好意が大半。

モテるという言葉を理解するには、「不特定多数の」という部分を押さえておくことが大切です。

 

モテるというのが不特定多数に好かれることであるのに対して、恋人を作るというのは少し別次元の話です。

気になる人に好きになってもらうのは、特定の人に気に入ってもらうこと。 

モテる戦略とはまるで違います。

この両者の区別をはっきりとつけておくことが大切です。

 

モテるためには市場調査が大切

モテたいのであれば1番大切なことは、相対的に自分が優位な場所にいくことです。

例えば20代の男であれば40〜50代のセレブママが集まるヨガ教室やフィットネスクラブの受付なんかをしていれば間違えなくそこそこはモテるはずです。

男性が少ないということと、若者ということ自体が価値になるからです。

或いは女子大生の子であれば、30代の独身男性がくるような小洒落た飲み屋でバイトをしていれば間違えなくモテます。

これも男性の場合と同じく、自分の価値が相対的に高まります。

以前僕はこんなエントリ(中京圏の男子はモテたかったら南山大学 - 新・薄口コラム)を書いたのですが(そして地元で南山出身の女の子と会ったときに怒られたのですが)これも基本的な考え方は同じです。

男性に比べて女性は親が地元にいてほしいと感じやすいと仮定すると、同じくらい優秀な男女であれば、男性は全国の有名大を選び、女性は地方の有名大学を選ぶ可能性が高い。

そうなると地方の有名大学には相対的にハイスペック(学力的に)の女性がいることになるから、そこに行けば男性は本来の価値以上の評価を受けることができるという考え方です。

これが「モテる」ための戦略。

 

特定の人に好かれるにはマーケティングが大切

モテるために必要なことが市場調査であるのに対して、好かれるために必要なことはまるで違います。

不特定多数の人に好かれていても、特定の人に好意を持ってもらうことはできません。

特定の人に好きになってもらうのに必要なことは、相手がどんな人であるかを知り、相手と気の合う仲になることが必要だからです。

美人やイケメンの恋人が必ずしもハイスペックではないというのはよくあることですが、これはまさにモテることと恋人になるということが違うという典型です。

特定の人に好きになってもらうには、相手のことを考えるマーケティング的な視点が最も大切なのです。

これはちきりんさんや永江一石さんも自身のブログで指摘しています。

山田玲司さんの代表作「Bバージン」の主人公住田秋は高校時代に好きだった女の子に好かれるよう頑張って見違えるようないい男になりますが、肝心のその子には「私、イケメン苦手なの」といって断られてしまいます。

これは、特定の人に好きになってもらうことが目的であるはずなのに、不特定多数にモテるために行うべき戦略を取ってしまったことによりおきた失敗です。

 

恋愛とは少し違いますが、僕は18歳の時からかれこれ7年くらい個別指導に関わってくる中で、この「相手に気に入ってもらう」ということを常に気にかけてきました。

それに対して集団授業で大切にしていることはみんなに好かれること。

自分自身がお金を頂いてやっているからこそこの両者がまるで違うものであるということはとてもよく分かります。

学生時代にバイトをしていた教室で個別指導は人気だけれど集団授業が苦手、或いはその逆という人を多く見てきましたが、これは上のような理由があるのだと思います。

 

彼女が欲しい!の真意は何か

彼女が欲しい、或いは彼氏が欲しい、或いは僕くらいの年齢の人たちであれば結婚したいという人がいますが、この「相手が欲しい」という言葉が何を指しているのかが非常に重要であるように思います。

本当に文字通り「相手が欲しい」であるなら、モテる戦略をすれば比較的容易にそれは叶うでしょう。

反対にその言葉の真意が自分の理想の相手が欲しいというのであるのなら、マーケティング的な戦略をとらなければなりません。

しかし、マーケティングの基本は相手を知ること。

「自分が〜したい」と一人称の願望を言っている限りは、なかなか相手に出会えません。

なんとなく、その辺の戦略をしっかり考えた方がいいように思います。

 

アイキャッチはおそら僕世代のジャンプっ子はみんな週一の楽しみであっただろう「いちご100%

なんと!カラー版が出てました(笑)

 

 

 

宇多田ヒカルさんのアルバムヒットに見るCD業界の本質的問題点

宇多田ヒカルの最新アルバム「Fantome」 4週連続で1位獲得 - ライブドアニュース

久しぶりにYahoo!ニュースを見てみると、普段見ないニュースに出会えて面白かったりします。

宇多田ヒカルさんの最新アルバムが4週連続一位というニュースが気になりました。

4週連続一位は三代目JSB以来、約3年ぶりなのだそう。

宇多田ヒカルさんのCDが久しぶりの大ヒットというのを見て、CDの売れる法則みたいなものをあれこれ考えてみました。

 

今の若者はCDに触れない

 

今の子供達を見ていると、完全に音楽はスマホで聞くものになっています。

そして、スマホネイティヴの彼らはパソコンにスマホを同期させるということはほとんどしない。

そうなると、CDをパソコンに取り込んで、スマホに入れるという動作はしません。

完全にCD文化とは切り離されています。

そして、これは僕ら20代にも言えます。

音楽を探すのはYouTube、何かの話題になっていて興味を持ったらiTunesで購入です。

CDショップで手にとって購入するならともかく、デジタルコンテンツをAmazonで買って、わざわざいったん現物を手元に持って、再びパソコンで取り込むなんて手間以外の何者でもありません(笑)

おそらくは今の30代より下の人は(スマホが出る前にCDコンポやCD付きのカーステレオを買っていたような世代でなければ)、CDを購入するという文化はそもそもないのではないでしょうか。

 

もともとCDを買うのは若者だった

 

僕が初めて自分でCDを買ったのは中2か中3の時。

確かスキマスイッチの「ボクノート」だったと思います。

当時、友だちを家に呼んだ時、部屋にかっこいいジャケットのCDがある、というよりCDデッキがあるのがステータスみたいに感じていた節がありました。

また、学校でCDを貸し借りするみたいなこともちょくちょくしていて、そんなコミュニケーションツールとしても機能していました。

これはキングコングの西野さんも指摘していましたが、僕たちがCDを買っていたのは音楽そのものの魅力以上に「CD」という物質そのものに魅力を感じていたからであるように思います。

 

そんな形で音楽を聴くようになり、その後は高校、大学とかなら音楽を聴きました。

学生時代の僕は、なんで親世代は新しい曲を聴かないのだろうと思っていたのですが、その理由は自分が社会人になって分かった気がします。

学生時代は基本的に一日中友達とくだらない話をしている時間があります。

だから、そこでいろいろなアーティストに関する情報が入ってくるんですよね。

必然的にアーティストの情報量が増えて、いろいろな音楽を聴きたくなる。

そしてそもそも学生時代は圧倒的に暇な時間が多い!

就職してしまえばほとんどの場合自動的に就業時間に音楽を聴くことなんてなくなります。

授業の空きコマに音楽を聴くとか、かなりの頻度でカラオケに行くとかいうこともなくなります。

そもそも新しい音楽に出会う機会がするなくなる上に、音楽を聴く時間も減ってしまうのです。

独り身の僕ですらこうなのだから、まして家庭を持ったらその頻度は減ることでしょう。

今も昔も、音楽を消費するメインの層は15歳〜25歳くらいだったのだと思います。

 

宇多田ヒカルのCDが売れるのはファンが高齢だから

 

上に書いたように、音楽を消費するメインの層が15歳〜25歳くらいの層であるとして、今のこの世代は完全にCDを購入するという文化がありません。

かつてCDを購入していたメインの世代からその文化そのものが消失したのであれば、今のCD売上の低下も当然です。

これは本の売り上げ低下よりもずっと顕著です。

本の場合はゲームやパソコン、スマホの普及全世代で競合材が出てきたことにより読書という趣味に費やす時間が減ってきたことが原因と考えることができます。

本しか娯楽がなかった時代のシェアを100としたとき、ゲーム、パソコン、スマホが競合材としてでてきて、そのシェアを当分したと考えると100が25%に低下するだけ。

つまり、市場規模が小さくなったと考えられます。

それに対してCDの場合は、消費の中心となっていた層から文化そのものが消えつつある。

本とCDでは、直面している問題が本質的に違います。

 

こうした現状の中で宇多田ヒカルさんのCDが売れた最大の理由は、彼女のターゲット層がCDを買う文化を持った上の世代であるからでしょう。

宇多田さんの全盛期はゼロ年代前半。

ファンの中心は今の30代〜40代です。

この層の人はCDを買うのが当たり前の世代。

久しぶりに出た宇多田さんの曲を聴いて気に入ったら、「CDを買って聞こう」となるわけです。

もちろん楽曲がいいことは間違えありませんし、ニュース番組のエンディングテーマであったということが広告として機能していることも大きな要因ではありますが、ヒットした最大の要因は、彼女のファンがCDを買う層であるということです。

 

じゃあどうすれば今握手券みたいな付加価値を付けずにCDを売ることができるのかということになりますが、これはもう、CDを買う世代をファンにつけていたアーティストが、かつてのファンに刺さる曲を作るくらいしか無いように思います。

若い人アーティストが昔の曲をカバーしても意味はありませんし、逆に昔からのファンがいるアーティストでも、アニメのエンディングや若者をターゲットにした映画のタイアップなどではやはり意味がありません。

また、あまり昔に活躍したアーティストでももう「昔の人」と思われて難しいでしょう。

90年代後半〜ゼロ年代前半くらいで大ヒットしたアーティストが、当時20代にもくらいだった人たちが今見ているコンテンツ(それも映画やドラマではなく毎日やっている番組)のタイアップをとってくるくらいしかありません。

そんなわけで宇多田ヒカルさんの真夏の通り雨のニュース番組とのタイアップというのは非常に上手い組み合わせだなと思いました。

 

アイキャッチ宇多田ヒカルさんのアルバム

 

Fantôme

Fantôme

 

 

 

ニュースを読むときの情報収集3分類

僕の基本的な1日の生活は、朝6時くらいに起床してブログを書いて、そこからお昼くらいまでのニュース記事や本を読む情報収集からはじまります。

で、ちょうど今ニュース記事を読んでいて、記事の読み方には3種類あるなあということに気がつきました。

それは以下の3つ

①ニュースを楽しむ「消費型」の情報収集

②仕事に役立つものを探す「仕入れ型」の情報収集

③文章を書く参考にする「研究型」の情報収集です。

日によってそれぞれの度合いは異なりますが、基本的にニュース記事を読むときの僕たちの接し方は決まってくるように思います。

 

①の消費型の情報収集とは、特にどこかで使うことを目的とせず、ただただニュース記事を楽しむ読み方。

典型例が芸能人のスキャンダルです。

こうした情報は見て楽しいだけで、どこかで使えるわけではありません。

(もちろん友達との会話のネタくらいにはなるのかもしれませんが...)

ただただ暇つぶしとしてニュースを読むのがここに該当する情報収集の仕方です。

消費型の情報収集は、ゴシップ記事に限りません。

たとえ読んでいるのが経済ニュースであっても、何かの情報を取ろうとするのではなく漠然と読んでいるのであれば、それはやはり消費型の情報収集です。

何らかの情報を得ようという意図を持たずに漫然と情報に目を通すのは、全てこのに該当します。

もちろんこういう読み方に否定的というわけではありません。

漠然と情報にあたることで思わぬ情報に出会うことは多分にあるので。

あくまで情報収集のカテゴリー分けとしての特徴を書いただけです。

 

二つ目の「仕入れ型」の情報収集は、何か具体的に仕事などで価値を生み出すのに貢献することを想定して行う情報収集です。

堀江貴文さんがよく「情報のシャワーを浴びろ」と言っていますが、そこで言われているのは、②の形の情報収集のことでしょう。

金属メーカーの営業をしている人であれば、業界の動向など。

また、全く違う分野であっても間接的に関係ありそうというアンテナを張って情報収集に向かっていたら、それは全て②に該当します。

ここに該当する情報収集は、その記事をどう読むのかという、こちら側の洞察が必要なこともあります。

 

最後の③は少し特殊かもしれません。

内容を見て楽しむわけでも、記事を考察して価値のある情報を作るわけでもなく、文体や構成を参考にする。

これが「研究型」のニュースの読み方です。

この読み方は普段文章を書いている人でないとあまりピンとこないかもしれません。

ただ書きたい事をツラツラ書くのであればそれほど難しくありません。

しかし、分量が決まっていて、人に読まれる事を意識し始めたら、途端に違ってきます。

どうやって書けばいいたいことが伝わるか、どのような構成が読みやすいのかといったことも考える必要がでてきます。

そういった「書き手としてどんな記事を書いているか」という視点で読むのが③の情報収集です。

初めの掴みはどうしているのか、読点はどのくらいの頻度でつけるのか、そのメディアではどんな文体が好まれるのかといった視点です。

内容は関係なく、自分が文を書く側として見ていくのが研究型の情報収集です。

 

前でも書きましたが、このカテゴリーはどれが優れているというわけではありません。

例えばどんな話題にも対応できるようになりたいのであれば①を意識的にするのが効果的ですし、一つの分野に詳しくなるには②が欠かせません。

文章を書く人間であれば、③の視点を持っていないのは致命的となってしまうでしょう。

当然その日のテンションで、①〜③がどのくらいの割合であるかは変わってくるので、自分がどういうポジションでニュースを読もうとしていて、実際に今はどのくらいの割合で読んでいるのだろうということを、しっかりと頭で意識しておくことが大切なように思います。