新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



作り手視点でコンテンツに向き合うということ。

最近ファンになってるな、、
いろいろな人のブログやTwitter、noteなどを追いかけていて、不意にそう感じました。
一応これでも結構本腰を入れてブログを運営しようと思ってはいるので、情報収集はかなり意識的に行っています。
僕なりに情報収集をする時に心がけていることが2つあります。
ひとつ目は、何かネタになるものはないかという「ネタ探し」の視点を忘れないこと。
そしてもうひとつは「書き手の思考」を意識することです。
この両方を意識しないと、どれほど多くのコンテンツに触れたところで、楽しんで終わってしまいます。
自分のブログの糧にすることができません。
僕はこういうコンテンツを楽しむ姿勢を、消費者視点、あるいはポジティブな言葉でファン、と呼んでいます。
もちろん単純に楽しむだけなら十分なのですが、それを自分の仕事や趣味に生かそうという目的でコンテンツに接している場合、ファンや消費者ではだめなんですよね。
だって大量の情報に触れたところで、何も残らないから。

ふと、僕がネタ元のひとつにさせてもらっている「しおたんブログ」を読みながら、「へぇ!」で済ましている自分に気がつきました。
これって典型的なファンの姿勢です(笑)
明確に情報収集をしようと思ってブログを読んでいるときは、「そんなネタどこで拾ってきたんだろう?」とか、「この文体はどういう意図でやっているのだろう?」とか、「タイトルの意図」とか「キャラクターをどのくらいの割合で前に出そうとしているのだろう?」とか、読みながら次々と疑問が湧いてきます。
これが僕なりに思う作り手としてのコンテンツに対する向き合い方です。
最近それがなかったなあと若干反省中。。

読みながら意図を追いかけていくと、同じブログからでも、得られる情報量は、そして得られる情報そのものもまるで変わってきます。
例えば、永江一石さんのカップヌードルのCMに関するエントリ(カップヌードルの新CMって、自分にはジュラ紀のそれにしか見えない件 | More Access! More Fun!)を読んだとして、ファンの姿勢で読む場合、このエントリからは、あのCMのどこがダメなのか、CMを作る際に大切なポイントはどういったことなのかという情報が得られます。
一方で、このエントリを作り手の立場で読んだ場合、このタイミングでこの記事を投下すればどのくらいのインパクトになるのか、とか、今のタイミングでどういう層を狙ったらよいのか、といった情報が得られるわけです。
この二つは明らかに情報としての質が違います。
もちろんファンの視点で情報を得て、それを使ってネタを書くことはできます。
(実際に僕のネタ探しはこういう側面が強いです)
たとえば、ここで得たCMの本来の目的という切り口から、少し前に話題になった自分のイヤフォンを壁にある大量のイヤフォンジャックに差し込むと全部違う曲が流れるというauインタラクティブ広告の説明とかに持っていけます。
だから、ファンの視点で得られる情報も大切です。
ただ、作り手としての視点で得られた情報は、もっと根本的な部分で効果を発揮するものになってきます。
どのタイミングでどういった記事を投下すればいいかというケーススタディとしてこのエントリを見た場合、同じようなことを自分が書くエントリで実践することができれば、自分のコンテンツの価値が上がる可能性があるわけです。
だから、自分も何らかの形で作り手の側に立っているのであれば、作り手の視点で情報収集をすることが大切です。

昔はそういったことをずっと念頭に置いて、それこそ食らいつくようにコンテンツを漁っていたのですが、ここ最近はすっかりファンの姿勢で情報に向き合ってしまっていたなとちょっと反省しています。
そんな、作り手の視点を忘れないための備忘録。

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