新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



往復書簡(2019.09.22)しもっちさん(@shimotch)へ

拝啓 しもっちさんへ

9月も半ばをすぎ、虫の音に思いを馳せる時候のあいさつがふさわしい頃合いになりましたが、まだまだ昼どきの暑さを考えると、僕には虫の音を楽しむ余裕はありません…しもっちさんはいかがお過ごしでしょうか。
お盆に「やろう!」と言ったきりになっていた往復書簡。ついつい目の前の仕事を言い訳に先延ばしにしてしまいました。ちょうどよいきっかけを得たので、勢いで書いて、勢いで送らせていただきました。
「往復書簡をしよう」ということ以外、何も決めておりませんが、その辺はやりながら考えていきましょう(そのほうが僕たちらしいですし)

往復書簡ということで、久しぶりに「時候のあいさつ」なるものを書いてみました。
常識やマナーは地元に置いてきて、形式ばった文章とはおよそ縁遠い僕ですが、改めて「型」を守るということをやってみると、これはこれでいいものですね。
以前読んだ本に「俳句における『季語』はそれまでの俳人の残した同じ季語を含む全てのうたを本歌取りする働きがある」といったことが書かれていたのですが、時候のあいさつにも、そうした「本歌取り」の働きがあるような感じがしました。書きながら、僕の頭には漱石の『それから』や、藤原忠房の『きりぎりす いたくななきそ 秋の夜の 長き思ひは 我ぞまされる』なんてものが浮かびました。しもっちさんは「虫の音」と聞いて何か思いますか?
 先日ご一緒したときに出てきた「読書経験は年齢に比例する」という話しを思い出しました。しもっちさんの言っていた「だからこそ今の読書をサボらないようにしないといけない」という言葉が、非常に刺さりました。(特に僕たちみたいに個人で働く人間だと)どうしても目の前の価値提供に一生懸命になりすぎてしまうことが多いですが、しっかり「積み重ね」の価値も意識していきたいなと思いました。同じ「虫の声」と聞いても、来年、再来年、もっとずっと先の僕が思い浮かべるのは、漱石や忠房ではない、別の作品になっているように精進したいです。

 とりあえずの方針も考えずに書き出したため、文字通り「毒にも薬にもならない」話となってしまいましたが、それはそれで、僕たちのやりとりらしくていいのかな、なんて思うので、何もまとまらないままお話を締めようと思います。

ところでどうやって往復書簡にしましょう?笑

 

 

往復書簡 (幻冬舎文庫)

往復書簡 (幻冬舎文庫)